靴擦れ後 カラーリバーサル
休日の桜木町駅は混雑していて、待ち合わせなのか、立ち止まってスマートフォンを操作していたり、音楽を聴きながら行き交う人を眺めていたり、ポータブルゲームをしている人たちなどで場所を埋め尽くしていた。
「もう、梅雨って明けたのか? やっぱいいなぁ、夏は」
桜木町駅の改札前で高杉と並んで立つ加治は、ノースリーブ姿やビスチェを着ている露出度の高い服の女性を目で追っていた。
「……加治、あからさまに通りすがりの女性をまじまじと目みるな。視線に気が付かれるぞ。それに、梅雨明けはまだだ。今日は、たまたま夏日らしいけどな」
「よかったな。ゆーきちゃんとの初デートが快晴で。いい兆しじゃないか」
加治は、顎に生やした伸ばしかけの髭を指でなぞっていた。高杉は呆れた表情を浮かべつつ、視線の先は改札口に釘付けだった。
「……ほんとに、結城さん来るのかなぁ」
高杉は不安げに腕時計を見ていた。その言葉に、加治はつけていたロレックスの腕時計を見た。
「まだ、約束の11時まで15分あるぞ」
今度は、加治が落ち着きのない高杉を見て呆れていた。
「大丈夫だって。今日は来るって約束のメールもらったの教えただろ?」
「けどさ、俺だって知らないんだろ? ここ数日、バスで結城さんなんかこう、言いたげなそんな雰囲気してたけどなぁ……」
「一応、高杉ってヤツとは言った。あとは、会えば分かるだろうから、いちいち細かい説明はしなかった。ゆーきちゃんも、聞いてこないから別にいいだろ」
「それだろ! 結城さんそのこと確認したかったのかもなぁ……あぁ。ほんとうに来るかなぁ……」
「亮、そんなに心配するな。そんなことで不安になってたら、この先大変だぞ」
加治はなだめたつもりで言ったが、高杉の耳にはあまり届いてないようだった。
“……なんか、初々しいなぁ。三十路のヤロウが、中学生にみえる”
加治は不安と期待を抱いて改札口をじっと見ている高杉を見て、一瞬微笑んだ。
「------!! きたっ!!」
高杉の声に、加治は瞬時に改札口に視線を移した。途切れない人の流れにと共に、改札を抜けるかおりの姿を見つけた。麦藁帽子に半袖のギンガムチェックのシャツ、膝丈の白いフレアスカートが風に揺れていた。ウッジヒールのサンダルにソックスを履き、小さめの籠のバックを手に持って現れた。長身の加治が目立っていたため、かおりはすぐに二人を見つけ駆け寄った。
「あ……やっぱり、運転手さんだったんですね」
開口一番、かおりは高杉の顔を見てほっとして笑顔を見せていた。
「よかった。来てくれてありがとう」
さっきまでの不安は吹き飛び、高杉は照れ笑いしていた。
「ゆーきちゃん、髪の毛下ろしているのも可愛いねぇー。清楚さが増すっていうか」
加治の言葉にかおりは、少し恥ずかしそうに耳にかけていた髪を指でからめていた。
「ありがとうございます。あの……加治さんもご一緒なんですか?」
かおりが二人を交互に見ると、高杉が首を横に振った。
「いや、加治はちゃんと結城さんが来てくれるか見届けてくれるって、一緒に待っててくれただけ」
「いい方なんですね! 加治さんて」
かおりはにっこり笑って見せた。
「今頃、気が付いたかー。じゃぁ、俺も一緒に参加しちゃおうかなぁ」
「えっ!?」
高杉とかおりは同時に声を出し、加治の顔を見た。
「なんちゃってー。うそうそ。俺、これから行くとこあるから。この後はお二人で、仲良くやってください」
加治は冷やかしてにこにこ笑って、二人を見た。
「加治さんも、もしかして、デートですか?」
かおりの何気ない質問に、加治は満面の笑みをした。ニッと笑った目じりに皺が出来ていた。
「そー! これから横浜でヤロウたちとね」
「えっ!? 加治さんて……」
かおりがよからぬ想像をしているのに気がつき、高杉がかおりにすぐさま説明をした。
「結城さん、違うからね。加治はそっち系じゃないから。女好きなの知ってるでしょう? 加治、お前も紛らわしく言うなよ。これから、バンドの練習なんだろ?」
「バンド? 加治さん、バンドやってるんですか!?」
かおりは目を輝かせて加治を見上げた。
「そうだよ。ま、メンバー皆、小学校からの同級生なんだけど、仕事しながら趣味の延長みたいなもんでね」
「加治さん、楽器なんですか?」
「俺は、ドラム」
「そうなんですか。てっきり、ヴォーカルかと思いました」
「……? あ、手ぶらだから?」
かおりは大きく頷いた。
「ドラムはね、大抵スタジオ自体にドラムセットが置いてあるんだ。セッティングするだけでもかなり時間かかるからね。スネアーだけ自分の持ってくるやつもいるけど。スティックもスタジオにあるの使えるしね」
「そうなんだぁ……」
感心しているかおりの隣で高杉が
「単純に、手ぶらがいいんだよな?」
加治に問いかけた。
「そう。仕事でもほんとうは荷物持ちたくないんだが、営業マンだから仕方なく。だからせめて、オフのときはね。あ、時間ないから俺ここで。じゃ、今日は楽しんでね」
加治は笑顔で二人に手を振り、改札口を抜けて行った。加治がいなくなると、二人とも急に互いを意識したのか、緊張していた。
「とりあえず、歩こうか。山下公園までふらふら散歩しながら……どうかな?」
「はい」
かおりはテレながら頷いて返事をした。
駅を出ると、ムンとした熱気が地面から漂い、空の日差しが暑かった。
「あのっ……。結城さん、今日って、俺が来るって分かってたりした?」
かおりは含み笑いをして高杉の顔をみていた。
「はい。最初は、会社の人かなって思ったんですけど、そういう人がいないことが分かって。多分、そうなんだろうなーって。だけど、なんか気恥ずかしくて」
「そっかぁ……。あ、改めて。高杉 亮です」
「結城 かおりです」
二人は立ち止まり、身体を向かい合わせ頭を下げて挨拶をすると、顔を見合わせて笑った。
「高杉さんがこの間言ってくださった事で、私、前に進もうかなって思えたんです……」
かおりの言葉に高杉の表情は、落ち着きを取り戻していた。高杉はかおりの足元に視線を落とすと、かおりも同じように自分の足元に視線を落とした。ベージュのサンダルに淡いグリーンのソックスが目だって見えた。
「ずっと、靴擦れ繰り返してたけど、それって靴擦れに頼っていて、相手の中身とか自分の気持ちとかそんなの深く考えたりせずに、出会っていたんです。けど、それって、これまで出会った人たちに好意はあっても、恋愛に対する気持ちは備わってなくて……」
高杉は黙ってかおりの話を聞いていた。
「けど、高杉さんとは、仲良くなれたらいいなぁって。けど、もし靴擦れが出来てしまった時は……」
かおりは、高杉の顔を見上げ、顔を赤くしていた。
「そのときの、自分の気持ちを信じて前に進んでみようって……そう思います」
かおりは高杉から視線を外し口を閉じた。恥ずかしさから俯いてしまい、麦藁帽子のつばで顔が隠れてしまった。高杉は耳まで赤くなり、髪の毛をくしゃくしゃとかいていた。
風に乗って、潮の匂いがしていた。氷川丸が見え、山下公園にたどり着くと、ベンチが空いた隙を見て、通りすがり際に高杉は席を確保すると、くすくすとかおりが笑っていた。
「イスとりゲームみたいですね。皆狙ってた」
「なかなか空かないから、皆空くチャンスをそ知らぬ顔で狙ってたりするのかもね」
辺りはカップルや家族連れ、犬の散歩をしている人たちや観光している人で賑わっていた。その光景を眺めながら、二人は加治の話で会話が弾んでいた。
「何て言うバンドなんですか? 高杉さん、聴いたことあります?」
「んー。たしか、グラスホッパーって言ったかな? だいぶ前にライブに行った事があるよ。イベントみたいな感じだったかなぁ。何組かバンドが出てたけど。結城さんが好きな感じかもしれない。ちょっと、パンクな感じの曲もあったような気がする」
「へー。機会があったら、聴いてみたいです」
「じゃ、加治に言っておくね」
かおりは大きく頷き、海を眺めた。そして、高杉に気づかれないよう、足の感覚を探り確認していた。
“好意を持った異性に2回目に会ったとき、もし、靴擦れが出なかったらその人がかおりの運命の人よ。そうしたら、もう、靴擦れは二度と起こらないからね”
かおりの頭の中で母親から教えてもらった言葉を思い出すと、かおりはこの上ない喜びを身に感じていた。瞼をぎゅっと瞑り、顔をくしゃっとさせると、隣で高杉が心配そうに声を掛けていたのに気づき、目を開いた。潮風がふんわりとかおりの髪をなで、フローラルの髪の匂いが高杉まで漂っていた。
「結城さん?」
かおりの顔を覗き込むと、目に涙をためながらも口元をきゅっと上げて微笑んで高杉と視線を合わせた。
「どうしたの?」
「……靴擦れ、出てないんです」
「え?」
高杉はかおりの足元に視線を落とした。
「今日、高杉さんとあったら足に変化が出ることが分かっていたんですが……ないんです。靴擦れ」
「ソックスのせいとかじゃなくて?」
半信半疑で高杉はかおりに聞くと、かおりは大きく首を横に振り
「ソックスでもタイツでも、出るときはでますが、ほんとうにないんです」
そういうと、徐にサンダルを脱ぎ、履いていたソックスも脱ぎ両足を見せた。足は傷一つなく、色白の肌をしていた。
「ほんとだ……じゃぁ……えっ!? 俺でいいの?」
真っ赤になった顔で高杉はかおりに確認した。かおりは笑顔で
「はい」
と一つ返事をして、大きく頷いた。すると近くの広場では、芸を見せていた大道芸人に集まった客が大きな拍手をしているのが聞こえた。まるで、二人を祝福しているかのようだった。
ふたりは、顔を見合わせて
「よろしくお願いします」
とかおりが、言うと高杉も
「こちらこそ、よろしくお願いします」
と交互に頭を下げ合った。
「今日は、たくさん挨拶してますね」
かおりが微笑んで言うと、高杉も笑っていた。
桜木町駅で高杉たちと別れ、横浜のスタジオに向かっている加治は、清々しい気持ちで街を歩いていた。
「……なんだろうね?」
「事件じゃない? 刑事の聞き込み、アタシ生ではじめて見ちゃった。ドラマみたいね」
通り過ぎていった中年の婦人二人組みが話しているのを耳で聞き取ると、加治はスタジオの前で足を止めた。
「キミ、加治 葵クンかな?」
ノーネクタイにスーツを着た男性二人組みが、加治に声を掛けた。一人は若く加治と同じくらいかそれよりも年下に見えた。もう一人は40代くらいだろうか。優しそうな顔をしていた。
「はい……そーですが。何か?」
二人は顔を見合わせ、互いにポケットから警察手帳を出して加治に見せた。
「東大和田署の長谷川(はせがわ)と牧と言います」
加治は二人を見ると顔を曇らせた。
「何ですか? 何かあったんですか?」
若い方の刑事の長谷川が、更にポケットから写真を一枚取り出して見せた。
「------!!」
加治はその写真を見ると身体がざわついて、胃の中から未消化物が一気にこみ上げ口を塞いで嗚咽しかけた。
「島田 アヤカさん、知ってるね?」
長谷川が問うと、加治は小刻みに頷いて見せた。写真は、薄暗く赤いライトをしていたが、ベッドの上で両手足手錠で拘束された全裸の女性の死体で、両目をくり抜かれシーツや顔は血で黒く染まっていた。そして、その目は行儀よく股間の近くに並んで置かれていた。
「死体を見るのは初めてですか? 吐きそうだね?」
牧は穏やかな表情をしたまま、嗚咽しかけている加治に話しかけた。加治は必死でそれを堪え、小さく横に首を振った。
長谷川がメモを開きながら、加治に尋ねた。
「確かキミは先月まで島田と交際していた。念のために聞くんだけれど、先週の木曜日午後6時から10時の間は、何処で何していたかな?」
牧の目が加治の表情を捉えて離さないでいたが、加治はそれどころではなく、喉の奥では嗚咽して混みあがっていた胃の中の消化物が堪えきれずにいた。加治はスタジオのあるビルの陰に入り、嘔吐していた。喉の奥はスッキリしたが、糸が切れたようにアヤカが死んだことに対して涙が流れていた。ポケットから出したハンカチで顔の涙や、口の周りの唾液や嘔吐物を拭った。
「大丈夫かい?」
戻ってきた加治に長谷川が伺うと、加治はようやく口を開いた。
「すみません、大丈夫です……。先週の木曜のその時間は会社にいました。報告書とか書類作成で営業部はほとんど全員残業していました」
「じゃぁ、他の同僚も一緒だったわけかな?」
長谷川の問いに加治は“はい”と返事をすると、長谷川はそれをメモしていた。
「もう一枚見てもらったら終わりだから」
牧がそう言うと、長谷川が再びポケットから写真を一枚取り出して加治に見せた。
「何ですか……? 目玉がたくさん」
見ると、おもちゃの目玉が同じものがたくさんコンドームの中にぎゅうぎゅうに詰まっていた。
「これがね、絞殺された後、島田の膣の中に入っていたんだ」
「……なんでそんなこと」
「キミは、島田の浮気が原因で別れたらしいが、恨んでいたりしたんじゃないかな?」
長谷川の言葉に加治は、急にカッとなっていた。
「俺はアヤカを殺したりしない! 確かに、アイツが浮気したコトは許せなかったけど、それでもアヤカのコトは好きだったんです! なんでこんな目に……」
刑事と忘れてしまうくらい、加治は長谷川を見下ろし身をかぶせてしまいそうなくらい身体が迫り寄っていた。
「もう、いいですよ。何かあったら、署まで連絡下さい。何かキミに関して分かれば、こちらから会いに行くと思いますが」
牧は静かで穏やかな口調で加治に伝えた。その優しげな表情は加治の気を落ち着かせるどころか、顔の裏でどんな表情をしているのだろうと恐怖が伝わっていた。
「牧さん、アイツどうですかね?」
歩きながら長谷川は牧に尋ねた。
「まぁ、白でしょうね」
「どーしてっすか? まだアリバイの確認してもないのに?」
「まぁ、それは確認しておいてください。写真を見た時の彼の状態を見たでしょう? 写真をみて嘔吐するくらいです。殺しをしたらその場所にも嘔吐物かもしくはその跡が残っているはずでしょう」
そうかと納得しながら、長谷川と牧は加治から遠ざかっていった。
二人が去ると、加治はハッとして腕時計を見た。
「やばいっ!」
スタジオの中に入り受付の人に挨拶をすると、トイレの洗面所で口の中を濯ぎ、練習しているスタジオの扉を開けた。重厚間のある防音用の扉を開けると、シゲの弾くベースの音が部屋に響いていた。
「カジ、遅いなぁ。どうしたんだ? ……おまえ、なんかゲロくせぇぞ! 二日酔いか?」
シゲが鼻をつまんでおどけたが、心配して
「大丈夫か? 具合悪いのか?」
加治に声を掛けていた。
「ほんとだ。顔色悪いぞ?」
パイプイスに座っていたハヤトも立ち上がり、加治の傍に近づいた。
「……大丈夫だ。下の入り口で刑事に会ってさ」
「刑事? 俺たち入るときはいなかったな?」
ハヤトとシゲが互いに顔を見合わせ頷いていた。
「俺の、元カノのアヤカが殺されたみたいなんだ。エグイ写真見せてさ。あいつら俺を疑ってんだ。アリバイとかも聞かされたし」
加治の顔色は青ざめ、顔の表情がだらりと下がり声が少し震えていた。二人は顔を見合わせ、加治をイスに座らせた。
「まさか、カジお前が……」
「そんなわけないだろっ! アヤカには浮気されたけど、けど俺アイツのコト好きだったんだ。まだ引きずってたりしてたんだけどな……あんなになっちまって……」
加治は両手で顔を覆うと、肩を揺すりながら声を殺して泣いていた。
「…………」
ハヤトとシゲは顔を合わせただ黙っていた。
短いお話でしたが、高杉とかおりはハッピーエンドになりました。爽やかに終えたのですが、一応この二人のお話は完結させていただきます。
……が、かおりたちと別れたあとの、加治のお話が、次回から続きます。
次回はサスペンスに挑戦してみようと思うのですが、キャラクターを生かしたいので少しコメディになれたら……と思っています。
special thanks my friends!!