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靴擦れ   作者: フジイ イツキ
5/7

薄っぺらい鞄

 冷たい雨が連日続く中、高杉は祖父の最期を両親と一緒に入所先の老人ホームで看取った。95歳で老衰していた祖父の最後は大往生だった。

 施設のスタッフが気を遣い、暫く家族だけの時間をくれた。高杉の父親は、穏やかな表情を浮かべた祖父の顔をじっと見つめたまま、声を殺して泣いていた。高杉は、背中を丸め肩を揺すりながらすすり泣く父親の姿を見て、急に父親が老けてしまったように感じた。

 市の北部にある施設から遺体を引き取り、通夜と告別式を市南部にある海の近くの葬祭場で行った。喪主である高杉の父親は、終始気落ちした様子で高杉と母親がそれを影で支えた。


「あれ? 父さん達、出かけんの?」

 パジャマ姿で自分の部屋から出てきた高杉は、玄関先で靴を履く両親を見つけた。

「オヤジの家に片付けにな。初七日は八景の家でやるから」

「亮は今日までお休みもらってるのよね?」

「あぁ……」

「それなら、お義父さんの荷物、施設に行って取ってきてちょうだい。施設の人、まとめて置いてくれてるっていうから」

 母親は、革靴を履きにくそうにしている父親を見て、靴べらを差し出していた。

「あぁ……わかったよ。荷物、その後どうするの?」

「八景の家まで届けてね。母さんたち、夕方くらいまでいるつもりだから」

 母親の言葉に、高杉は面食らいかけた。

「市内の端から端までドライブかぁ。高速乗っていいかな?」

「構わんが、雨降っているから運転気をつけるんだぞ」

『いや、とーさん達も車なんだから、気をつけろって』

 高杉は“あぁ”と返事をして、出かける二人を見送ると、顔を洗い着替えをしてすぐに出かけた。

 

 国道246号線の渋滞に巻き込まれ、ゆっくりと進んでは、停車の繰り返しをしていた。高杉がカーオーディオのヴォリュームを少し上げると、イントロで流れる爪弾かれたギターソロの音に意識を傾けた。連動してぼんやりと浮かんできた結城 かおりとの出来事を高杉は思い返していた。靴擦れしていたかおりの足が、目の前で一瞬にして消えてしまった魔法のような出来事を事実として受け止めようと思いはじめていた。

『けど、ほんとうに占いみたいに指し示すのか? あの子、答えがでるまでずっと、運命の相手ってヤツを捜してくのかなぁ……』

 高杉は、心の奥底で“その先にあるものが、自分だったら”と密かに芽生えていた想いをかおりの不思議な現象にあやかろうとしかけた。

『……果たしてほんとうに、それでいいのか……。そんなんで決まっちまって、それでいいのか?』

 あれこれと考えていくうちに今度は急に、ただ黙ったまま指をくわえてみているだけの傍観者では、いても立ってもいられない気持ちが膨らんできた。

『バカか俺は。昔の映画みたいな相手の横から奪い去るみたいな、そんな度胸はないぞ』

 高杉は我に返り、小さな溜息と共に苦笑いをした。しばらく、とろとろとした車の渋滞が続いたが、ようやく解消されると、葛藤の末あれこれ考えていた答えが出てきた。

『なにはともあれ、あの子の問題だ。あの子がどうしていくかが、一番大事なんだ』

 

 国道246号線を降り、横浜と川崎の境にある施設に到着する頃には11時を過ぎていた。老人ホームの入り口の大きなガラスの自動ドアが開くと、病院のようななんともいえない独特な匂いがしていた。入り口付近にある洗面所で手を洗い、アルコール消毒液を手にすり込ませ下駄箱のスリッパに履き替えると、受付に声を掛けた。

「あのー……。先日までお世話になりました高杉権蔵(たかすぎ ごんぞう)の家族なんですが……」

 ガラス窓の奥には事務所があり、デスクの上にあるパソコンに向かって仕事をしている人や、電話で話をしている人たちの中、窓口近くに座っていた女性の事務員がやってきた。

「高杉さん……えっと3階にご入居していた方ですね。……このたびは、ご愁傷様でした」

 事務員の女性は深々と頭を下げ、挨拶をした。

「こちらこそ、大変お世話になりました。それで、祖父の荷物を取りにきたんですが」

「今、確認します。お待ち下さい」

 淡々とした口調で事務員は答えると、デスクから内線をかけている様子だった。事務員の言葉通り高杉は、窓口の近くでその間待っていた。

「お待たせしてます。今、ご案内するフロアーの介護職員が来ますので、もう暫くお待ち下さい」

 更に待ち続け、少しすると一人の若い男性スタッフが現れた。半そでの淡いグリーンのポロシャツに、ジャージ生地のズボンの裾を少し捲り、くるぶしが見えていた。

「こんにちは!」

 高杉は、見覚えのあるスタッフに頭を下げた。

「えっと。たしか祖父の担当してくれてた人ですよね?」

「はい。岡田といいます」

 快活で物腰の優しい口調で話す岡田は、高杉家の間では“好青年くん”と愛称が付いていた。

「権蔵さんの荷物ですが、3階の保管場所に置いてあります。台車で運んだほうがいいので、用意してます」

 歩きながら岡田の説明を聞き、高杉は荷物の量を尋ねた。

「大きなダンボールで3つになりました。お車大丈夫ですか?」

「大丈夫です。乗用車だけど、ワンボックスタイプだから」

 エレベーターに乗り込むとすぐに3階のフロアーに到着し、辺りには入居している高齢者の人たちがおしゃべりしたり、フロアーの中を散歩している光景が目に入った。

「あらっ、いい男が二人もいるわね!」

 廊下で出会った車椅子を手で漕いでいる老女に声を掛けられ、二人は足を止めた。岡田はすぐさま屈んで老女と視線を合わせると

「イネさんは、相変わらず気持ちがお若いですね」

 耳元ではきはきと話しながら、顔をほころばせていた。

「若いわよー。今日は、孫が来てくれてるし、若いイケメンがたくさん見れて嬉しいわ」

 老女は歯が抜け歯茎しかない口を開けてにかっと見せると、しわくしゃした顔をさらにくしゃくしゃにして笑った。

「明るい方ですね」

 老女が二人の前から去ると、高杉は岡田に話しかけた。

「あの方は、先月入った方なんですよ。お身体は不自由ですが、とても元気で明るい気持ちの人です」

 と、終始爽やかな笑顔ではきはきと、答えてくれていた。

 保管室に案内されると、岡田はダンボールを台車に乗せそれを運搬しようと手にかけた。

「あとは、大丈夫です。自分でやりますから。台車は、何処に戻せばいいですか?」

「えっと……。では、窓口へ声掛けてください。伝えますので」

「窓口だね。ありがとう」

 高杉が礼を言うと、岡田は頭を下げて高杉の前から去った。

『爽やかで、気持ちのいい青年だよなぁ』

 台車を押しながら、廊下を歩くとさっきの老女らしき声が聞こえていた。

「やーねー。あたしは年よりは嫌よ。若いイケメンのほうがすきなんだから」

 扉が開放された部屋を高杉は、通りすがり際ちらりと中を見た。やはり、さっきの老女が車椅子に座り、誰かと話をしているようだった。

「そんなこと言ったって、ここにいるのは、ばーちゃんと同じお年よりなんだから、仲良く話とかしなきゃ」

「だってねぇ、いつも同じ話ばかりなんだよ? 話だって覚えちまうよ。……あら? さっきのイケメンじゃない!」

 高杉の視線に気が付いた老女は、高杉の顔を見ると痩せた手を上げて振っていた。

「あれ? 亮……?」

 屈んでいた身体を起こし、姿を現した男に名前を呼ばれ高杉は驚いた。

「加治? どーしてここに? ……ひょっとして、この人、加治のおばあさん?」

 老女は車椅子を両手で方向転換させると、掌をひらひらとさせて手招きしていた。

「おや? 葵のお友達かい? やーねぇ、おばあさんじゃないわよ。イネちゃんよ」

 イネは歯茎を見せ、顔をしわくちゃにし微笑んだ。

「高杉 亮といいます。加治君とは高校からの友達です。今でも時間が合えば、たまに遊んでます」

「あらーそうだったの? あー。もしかして、昔よーく家に遊びにきてた子ね?」

「はい」

 イネは顔をしわくちゃにしたまま静かに2つ頷いた。

「立派になってー」

 イネは痩せて皺だらけになった手を伸ばし、高杉の手に触れ感心していた。

「たまに、ばーちゃんの見舞いに来るんだ。こないだここに入ったばかりだから。亮は? 誰かここにいるのか?」

 ズボンの裾を捲くり、くるぶしの見えるデニムパンツと白いTシャツの上にジャケットを羽織っていた加治は廊下に置いてあった荷物に気が付いた。

「正確には“いた”んだ。父方のじいさんが。3日前にここで亡くなったんだ」

「高杉って……もしかして、ゴンゾーさんのお孫さんかい?」

 イネは、皺だらけの顔から円らな目をパチッと開けて高杉を見上げた。

「はい」

「そー……。ゴンゾーさんは寝たきりで大人しい人だったけど、いつもニコニコした顔してねー。あたしはその辺にいる、頑固じーさん達より好きだったよ」

 イネはさみしげな表情を見せ、小さく溜息を吐いた。

「そっか……ご愁傷様だな」

 加治は小さく頭を下げた。さみしげな表情がどことなくイネに似ていた。

 荷物の積み込みを加治も一緒に手伝い、台車を返した後昼食を近くの店で食べることになった。入った定食屋は昼時で混雑しているかと思いきや、空席もあり少し落ち着いた雰囲気をしていた。店の隅に置いてあるテレビ番組をぼんやりと眺めながら、注文を待っている間近況を話し合っていた。

「今日は、代休だったんだ? へー。営業マンは日曜日も仕事してたってわけか。大変だなー」

「まーな。波があるけど最近忙しくなってな。ま、後輩の世話に手間がかかるのも一つだが」

 加治は苦笑いをし、高杉に

「あー。例の純朴くんかぁ」

 と、これまで加治から聞かされていた話を思い出し、同情して見せた。

「スレてないのはいいんだが、一人で営業や処理できる日が果たしてくるか……。こっちの営業所にいた経理の新人ちゃんのほうが、しっかりしてたなぁ……。あの子、清楚そうでかわいかったなー」

 溜息を吐く加治の顔を見ながら、高杉は片方の手で頬杖を突き、呆れた表情を浮かべていた。

「あんまりかわいいから、俺、名刺渡してきたんだ。連絡ないなー」

 返す言葉もなく、絶句している高杉をニコニコしながら見ていた。

『こいつ、さすがあのばーさんの孫だなぁ……』

「まぁ、そー呆れんなって」

「呆れるだろ。彼女と別れたばかりで、そんな元気あるんだから」

 高杉の言葉に加治は表情を変えず、目じりを下げ白い歯を見せたまま

「まぁ、元気だけど。こーみえても、まだ傷心中だったりすんだけどな」

 表情は笑っていたが、目の奥は笑っていないことに気が付いた高杉は、それ以上話に触れることはしなかった。

 豚肉のしょうが焼き定食を互いに頼み、二人はそれを夢中で食べた。

「けっこー、美味いな?」

 ご飯大盛で注文した加治は、丼に入ったご飯を片手にそれをほおばりながら話しかけた。

「あぁ」

「亮は、あれか? 相変わらず乗客のOLの隠れファンしてんのか?」

 加治の言葉に、高杉は啜っていた味噌汁を噴出しそうになるのを必死で堪え、むせこんでいた。

「----!? おまえなぁ、聞こえが悪いだろーが」

 お絞りで口を拭い、高杉はニコニコしている加治の顔をじろりと睨んだ。

「おまえ、少女マンガみたいだなー。少しは俺みたいにアクション起こしてみれば? 名刺渡すとか。そうだ、メシ誘うとか!」

「どっちも無理だ。俺は運転手だから名刺はない。つーか、それ、こないだ大学時代のサークル仲間の女に逆にされた」

 淡々と答えた高杉の話に、加治は目を丸くしていた。

「へー? 女でもけっこう積極的な人いるんだな? それで? どーした?」

「? どーしたもないよ。もらってすぐ、破って捨てた」

「なんだよそれ? あー。お前は、せっかくのチャンスを無駄にしたのか?」

 加治は箸を止め、興奮しながらそれを高杉の方へ向けて言った。

「あー、そうだよ。だって、そいつ既婚者だぞ!」

「いいじゃねーかよ? そっから人と人が繋がっていくんだろーよ? ……ほんと亮は、オクテっつーか、まじめっつーか」

 会話が途絶え、高杉が弱弱しく

「……けど、俺、その子の名前は聞けたんだぞ」

 と、加治に苦し紛れに言った。

「そーか! 亮にしたらそれは、一歩前進だな! で、何ちゃんって言うんだ?」

「……結城 かおりさん」

 高杉がかおりの名前を出すと、加治は急に黙り込み表情を曇らせた。

「どうした? まさか、知り合いだなんて偶然ないよな?」

 高杉が加治の顔色を伺うと、加治はイネのようにくしゃっと笑顔になりはじめた。

「もしかすると、その子、あどけない顔した、清楚な黒髪ロングの色白か?」

「!? あ、あぁ……」

「そーか! 亮、良かったなー! 俺、その子知ってるも何も、名刺渡した子だ! たぶん」

 加治は豪快に笑いながら、高杉の肩を叩いて話したが、高杉はその言葉を聞き捨てなかった。

「何が、良かったんだよ? だって、結城さんのこと、加治が気に入ってんだろ?」

「あのなぁ、俺がしたのは挨拶だ。挨拶。何処行っても、可愛い子がいれば営業所とか、取引先の客のところで渡してくる。まー、会社じゃ俺はチャラ男で見られてるみたいだけどなー」

「違うのか?」

 真顔で尋ねた高杉の顔を見て、加治は苦笑いした。

「亮も、そう思ってたのか? 本来の俺は、そうじゃないって」

 高杉は加治の事を分かっていた。自分よりも真面目で何より彼女にとても誠実な男だということ。彼女と別れてしまったのは、彼女の浮気が原因であり、浮気自体を許しきれず終わった結果だったという事実を。

「分かってる。いや、さっき老人ホームで加治のばーさんに会ったら、さすが血を継いでるなーってさ」

「そーだろ! 俺、ばーちゃんとは気が合うんだ。ばーちゃんっ子で、ずっと可愛がってもらってたからな。社会人になる時にばーちゃんが買ってくれた鞄、薄っぺらくてクタクタになってんだけどさ、ずっと使ってんだ」

「だから、休みの時にあぁして、会いに行ってるのか?」

「まあな。病気して車椅子じゃないと移動できなくてな。家ん中、改装しきれなくて。暫く介護してくれるヘルパーの人とか来てくれてたんだけど、親が疲れちまって仕方なく老人ホーム入るようになってな……俺は嫌だったんだが」

 加治の小さな溜息が高杉の耳元まで聞こえ、少しの間互いに沈黙すると、つけていた店のテレビの音と、厨房で調理をしている油の音、洗物をしている食器と食器がぶつかり合う音が入り混じって聞こえていた。

「しんみりしたな。ま、とにかくゆーきちゃんのことは俺に任せておけ!」

「おいっ、ゆーきちゃんだなんて馴れ馴れしく呼ぶなよ」

 高杉の言葉をお茶を啜りながら、落ち着いて聞いていた。

「まぁまぁ。そう目くじら立てるなって。俺が、亮とゆーきちゃんの仲とりもってやるって」

 高杉は頭を抱える思いで胸の中があたふたしていたが、嬉しそうにしている加治の顔をみてそれに合わせて作り笑いをしてみせた。







  

 

 


 

 

 

 

 



 




前回に引き続き登場した加治をどう生かしてお話を繰り広げようか、あれこれ練りましたが、この結果になりました。今回、かおりは名前だけの登場となりました……^^;

まだお話は続きますが、ここまで読んでくださって、ありがとうございます。m(__)m

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