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   本日発売!

   【熱愛発覚!】いったい財布はいくつある?

   一部五十円!




 待ち合わせの時間まで、あと一時間以上もある。

 こちらは取材させていただく立場なんだから、相手の都合に合わせるのは当然だから文句はないが……暇だ。

 今週号は今朝、無事に発行され完売した。昨日の夕方は入稿や印刷で部室の中は戦場のような忙しさだったが、それが終わった現在は次のネタを追い求めて取材の時期であり、部室には誰もいない。

「あれ? もしかして、これはチャンスという奴だったりするのか……」

 ふと思いついたことが口からこぼれた。おそらく先輩たちは次のネタを取材したら、そのまま帰宅するだろう。わざわざ部室に戻ってくる必要もないし、先週も、先々週も、発行日の翌日はそんな感じだったと記憶している。

 美舟はくるだろうが、あいつにならバレても問題はない。

 よし、やろう。

 俺は決断して、まずスポーツ新聞部の備品であるパソコンの電源を入れた。基本的には新聞の製作のためにあるパソコンだから、過去の記事のデータがほとんどで、あとは教師や生徒の個人情報――住所や氏名やクラスと所属する部活などだが、それ以外のデータだってあるかもしれないのだ。

 つまり、表沙汰になったら俺の命とか、人生とか、学園生活とか、いろいろいなものが終わってしまう画像データを探して、こっそり消してしまうのだ。先輩たちだって俺のノーパソを勝手に見て、許可も得ずにデータをコピーして、しかも脅迫に使っているのだから、それを無断で消したところで怒るわけにはいかないだろう。

 これで罰ゲームみたいな取材を強要するわけにはいかなくなるぞ……と意気込んで次々とファイルを開いていったものの、やっぱり大半が過去の記事のデータ。

 試しに七年前に発行された分をまとめたファイルから適当な号を選んで読んでみると、どうやら当時うちの学校で人気のあった美男美女が交際をスタートさせたという記事が一面トップで……この二人が過去に付き合った人数を暴露し、女のほうが二人多かったから勝ちとか。

 どんな記事だよ、コレ。まったく、なにやってるのかなぁ。

 五年前は県大会でベスト十六まで残ったものの、そこで大敗したサッカー部に対して、どんなひどい負けかたをしたのか仔細に報じている。この記事が書かれた五年前と、いまと状況がいくらもかわらないならば、うちの高校のサッカー部でベスト十六は充分な快挙といえる成績だ。また、そこで大敗したとしても無理はない……もともと、そこまで残れる実力がないチームなのだから。

 そして去年、八剣編集長になってクォリティーが急落。どこの小学校の壁新聞なんですか? というような酷さ。

 まともなのは上社副部長の小説と、渾沌先輩の漫画のところだけ。この二人は同人誌の経験でもあるのか……いや、同人誌は仲間がいないと発行できないのだから、個人誌というべきか? そっちの世界には疎いのでわからないが、四面だけは素人離れしていて見栄えがいい。

 しかし、これは新聞だ。小説や漫画をオマケと言ってしまっては作者さんに怒られるが、報道関係の記事がメインのはずなのに、コレでは……。

 インパクト皆無な見出し。読みにくいレイアウト。デザインっていう言葉の意味わかってる?

 たとえば『正しい日本語を使いましょう!』って、なんだこの見出し。しかも日本人がノーベル賞を受賞したとか、どこかでマグネチュード八を超える地震が起きたとか、そんなことでも起きなければ使われないであろう巨大なフォントが使われている……あれ? コレ、上社副部長の批判記事じゃん。

 意味不明すぎる見出しだから、ちょっとだけ興味を引かれて本文を読んでみると、上社副部長の小説にどれだけ間違った単語が使われているのか検証記事だった。

 たとえば『姑息』は一時しのぎという意味だが、文脈からすると卑怯という意味と勘違いして使ってるとか。

 あるいは『事故に遭う』を『会う』にしてしまったり。たしかに事故と出会ったわけだけど、これって変換ミスとか、推敲不足とか、そんなレベルの話で、わざわざ『名スポ』に載せる価値はないというか、誰得な一面トップの記事である。

 あれ? と不思議に思って、その前後の記事を見てみると、やはり渾沌先輩の漫画に対する批判記事もあった。こっちは設定の矛盾をついたものだけど、連載漫画の後付設定はしかたないんじゃないか?

 ひょっとして三人は最初は仲が悪かったのか?

 まあ、黒川部長がスポーツ新聞部の存続のため、無理にかき集めてきたわけ新入部員だし、これがヤフオクの商品説明なら『ジャンク品』とか『難あり』と表示した上に、くどいほどクレームは受け付けないのでよく考えて入札するよう注意喚起しておかないと、必ずや後から問題になるような性格だしな。

「懐かしいね」

 いきなり耳元で声がした。いつの間にか上社副部長が俺の隣でパソコンの画面を覗き込んでいる。

「びっくりしたじゃないですか!」

「私が入ってきたのに気づいてなかったの? でも、別に悪いことしてたわけでもないし、なにもそんなに驚かなくても」

「そ、そうですよね、悪いことしていたわけじゃないんだから」

 本当はパソコンの中に俺に関する不都合なデータがあったら消去しようと思ってたんだけどな。削除したデータを復活させるソフトもあるらしいから、場合によっては物理的に削除――ハードディスクを破壊して、それをどう誤魔化せばいいのか悩んだりもしていたんだけどな。

 だが、上社副部長は俺の心の声が聞こえるわけもないから、ディスプレーに表示されている過去記事に目を向けていた。

「こんなこともしたわねぇ……」

「えっ! なんですか、この一面トップ記事。ありえないですよ、まさかこんな……」

 渾沌先輩の漫画を貶す翌週は『モテ調査』という特集をやっていた。適当な生徒に告白して、それに点数をつけて数値化し、合計得点で競う――コクって拒否されても一点、OKなら五点、一週間で何点になるか、八剣編集長と上社副部長と渾沌先輩の三人がガチで恋愛勝負したわけだ。

 記事によると序盤は八剣編集長が見境なしにコクってまわって、片っ端から断られるも、地味に一点ずつ積み上げていく展開だった。

「だけど、そこで私が情報戦で猛烈に追い上げたわけ――つまり相手の性別が女であれば誰でもいいって感じの、サカってる男を狙い撃ちにして五点を連発したわけ。五連続、六連続は当たり前、最大で十三連続まで成功させたんだから!」

 すごいでしょ? とドヤ顔を決めながら上社副部長は自慢げに言うが、性欲の塊みたいな男にコクってOKもらってもねぇ……だいたい危険じゃないか、ソレ。下手すると、その場で押し倒されるぞ。

 しかも、記事は上社副部長の逆転で終わってはいないのだ。

 最終日になっても〇点の人がいた――もちろん、渾沌先輩だ。告白どころか、他人に話しかけることすら難しいレベルでコミュニケーション能力が皆無なのだから無理はない。生まれながらにしてのソロプレーヤー。ぼっちの中のぼっち。

 だが、他人に声をかけることができなくても、メールを送ることならできる。そして、情報戦なら渾沌先輩のほうが得意だ。

 つまり上社副部長が女に飢えた男のリストを作成しているころ、渾沌先輩は全校の男子生徒のメールアドレスを収集していたらしい。そして、最終日にメールの一斉送信という反則スレスレの荒業で逆転勝利を決めた。

「うーん……ただ記事として面白いかというと微妙ですよね。マジでコクられたと喜んでいる人もいたかもしれないし、断った人だって、すでに彼女がいるから付き合えないとか断った理由はいろいろあったにしても、他人から好意を寄せられたら悪い気はしないですからね。それが『名スポ』の記事のためでした……って、いろいろ台無しというか、後味が悪過ぎですよ、コレ」

「でしょうね、売り上げ的にも駄目だったし」

 自分たちが作った新聞なのに、上社副部長はバッサリと切り捨てる。

「売れませんでしたか」

「駄目駄目だった」

「八剣編集長はなんで止めなかったんですかね? その前の週や、さらに前の週の小説や漫画の批判記事にしても、いま世間で評判の人気作なら話はわかりますが、よりによって自分の新聞が連載してる作品ですよ?」

「いや……その記事を書いたの美琴だし。当時はいろいろ焦ってたんだと思うよ」

「えっ、こんなつまんない記事を八剣編集長が書いたんですか? しかも焦るって、八剣編集長に一番似合わない言葉のような……いつだって超上から目線で威張ってるのに」

「でも、最初は素人じゃない。新聞なんて作ったことなかったし」

「それをいったら三人の先輩たち全員が素人なわけでしょう。三人で協力してもっとおもしろい記事にしたらよかったのに」

「私は小説の発表先が欲しかっただけだし、渾沌も同じようなものだしね。それに対して美琴は新聞に連載できるようなものはなにも書けないわけだから、それはやっぱり焦るわよ」

「ああ……そういうことですか」

 小説も漫画も書けないなら記事を担当するしかないわけだが、どんな記事がウケるのかわからないし、取材のやり方なんかも知らないわけだ。それで結果的に迷走しまくった、と。

 自分だけなにもできないような感じたのかな?

「こんなこというと失礼ですけど、上社副部長にしてもプロの小説家というわけではないんだし、小説のほうだって素人といえば素人じゃないですか」

「ある少女小説のレーベルの新人賞で三次選考まで残ったことがあってさ。もちろん、そこまでで結果的には落選だったんだけど、発表直後に文芸部で自慢しちゃったんだよね。ところが同じ新人賞に投稿してて、しかも一次落ちだった先輩がいたから部内の雰囲気が悪くなっちゃったわけ。そのあたりの私が文芸部からスポーツ新聞部に移籍した理由は美琴だって知ってるわけでね。渾沌もどこかの漫画雑誌の編集者の名刺を持ってたはずよ。デビューに向けて担当編集者をつけてもらったということなのか漫画の世界のことは詳しくないからわからないけど、原稿を持ち込みにいって編集者個人のメアドや携帯の番号が入った名刺をもらったらしい」

「あんな意味不明な自己満足百パーセント漫画を見て自分のメアドや携番を教えたくなる編集者なんているんですか!」

「いや、それがね、作風もペンネームも変えてるらしいんだよね、一般向けに。私たちには『名スポ』に連載してる漫画の原稿しか見せてくれないからよくわからないけど」

「変えたところで、どうせ異能バトルでしょ、あの人の場合」

「それが実はスポーツ新聞部の日常をゆるーく描いた四コマ漫画だったりして」

「まさか」

「まあ、冗談はともかく、当時の美琴は焦ってたと思うし、いま玄紀くんに厳しくあたるのも写真のことがあるのかもしれない」

 うーん……八剣編集長が俺の写真の腕に嫉妬。絶対ない、とは言い切れないかも。しかたないよな、俺天才だし。

「でも、いまは編集長として結構がんばってると思いますけど」

「だいぶ自信がついてきたんだと思うよ。以前ほどは攻撃的でなくなってるし」

「あれで攻撃的でないんですか?」

「発行日の朝、これ売ってきてと渡された新聞の一面トップが自分の書いた小説の批判記事だったりするようなことはなくなったよ? 少なくとも、いまは他人を傷つけるような記事はなくなったよね、身内というか、部員に過酷な要求をすることはあるけど」

「部員全員ではなくて、むしろ俺限定で過酷な要求をされているような……」

「気のせい、気のせい。だいたい、玄紀くんだってチンコ測れとか、すごいこと要求してくるじゃない……まあ、そういう身内でやりあうのがスポーツ新聞部の芸風みたいなものということで」

 二人で笑い合っているところに美舟がやっとやってきた。その後ろには今日の取材対象者の姿も。

 時間切れのようだ。まあ、上社副部長が立ち去り、美舟がもっと遅くなったとしても、部室のパソコンには先輩たちの黒歴史は詰まっているだけで、俺が消去したくなるデータはないようだ。

 パソコンをシャットダウンして、カメラを持って取材に出かけることにした。


 どうぞ、と部屋に通されたが、なんとなーく歓迎されてない雰囲気。うさんくさそうに俺を見てるんだもんな。まあ、うさんくさいヤツであるのは認めるが……そっちが呼んだわけだし、いちおうクラスメイトなのに。

 六畳の部屋には机、ベッド、本棚といった、いかにも学生らしい家具が並んでいる。壁のボードには友達と一緒の写真が隙間なく貼ってあり、鏡台には化粧品がいくつも見えるところは女の子の部屋らしい。

 それに、室内には甘い香りもしている。

 あるいは女の子の匂いといったほうがいいのか――変態的表現だから、やっぱり甘い香りということにしておこう。

「やっぱり音楽が好きです、というところを全面に出したほうがええやろな?」

 美舟は部屋の奥にある本棚に近づいた。小説や漫画だけでなくCDも並べてあって、すぐ隣にはミニコンポがあるから音楽好きらしく見える構図で写真を撮るのは簡単そうだ。

 だが、野崎さんはあまり乗り気ではないようだった。

「最近はダウンロードすることが多くて、あまりCDは買ってないのよ」

「そんなことは読者にわからないし、背景に小道具としてCDを使わせてくれれば、俺がそれっぽく演出するけど」

「それよりステージ衣装を着てるところがいいな」

 野崎さんは美舟だけに話しかける。ガン無視ですか? カメラマンは俺で、いま撮影の相談をしたのに……まあ、これは美舟の企画であり、俺はカメラマンとしての役割のみだから、シャッターを切る人差し指に徹するべきなのかもしれないが。

 まあ、そうはいっても、最近の自分の勇者ぶり俺自身でさえ「このままで本当にいいのか?」と疑問を感じるほどだから、こうやって女の子の部屋に入れてもらえただけでも喜ぶべきこと……かもしれない。

「ステージ衣装で楽器を持ってるところはどうやろ? 練習しとるような感じで」

「家で練習なんかしないよ。近所から苦情がくるじゃん。学校か、どうしても自主練習をするならカラオケボックスにいく。防音だし、スタジオを借りるより安いし」

「でも、楽器を持っとるところをかっこよく撮った写真やと、ミュージシャンっぽいイメージが強く出るで」

「目立つ写真になるかな? いかにもという写真は、同時にありふれた写真ということにもならない?」

「そうやな……楽器はベースやったか? そのベースを抱いて床に座っているとか、ベッドで寝てるとかはどうやろか」

「ステージ衣装はスカートが短いし、ベッドで寝てみようか。男子がチケットを買ってくれるかもしれない」

「ええよ。それなら着替えるし、外に出てってや」

 二人が勝手に決めて、最後の言葉だけが俺に。まあ、女の子が着替えるのだからそのまま部屋にいるわけにもいかないだろうが。

 廊下に出て、ドアにもたれかかる。しょうがないからサッと写真だけ撮って、さっさと帰ろう。

 上社副部長は小説、渾沌先輩は漫画を『名スポ』の四面に連載しているが、次号から美舟も三面の下に四分の一のスペースをもらい『お部屋拝見』というレポートを連載することとなった。

 A四の四分の一というと、ちょうど文庫本と同じサイズだから、本当に小さいスペースでその大半が自宅の部屋の写真が占めて、残りの紹介する文章は小さなフォントでせいぜい百から二百字前後というところだが、それでも連載ページを持つのはうらやましい。

 俺もいくつか連載企画を提出してみたが、ことごとく八剣編集長にボツにされていた。野球部の練習試合や、書道部や写真部の作品制作を取材して記事にしているが、それらも一面トップになるようなものではなかった。

 あのネコミミ写真のせいで入部直後から美舟はひいきされていて、かわりに俺は下僕で奴隷で愚民で雑用係で見習いでバカでアホでマヌケのまま。

 ズルい!

 ズルいなぁ……。

 まあ、いい。そのうち八剣編集長でもボツにできない、すごい写真を撮ってやる! 俺が本気を出したら、かならずや八剣編集長はぜひ『名スポ』に使わせてくださいと泣きながら床にひれ伏すであろう。

 ハッと気づくと、いつの間にか美舟がドアから顔を出していた。

「何度も呼んどるのに聞こえへん? 上社副部長みたいにジブンも妄想壁があるんか?」

「ねーよ。妄想なんか一度もしたことねぇ」

「とにかく写真を頼むわ。ウチよりジブンがとったほうが絶対きれいやし」

「まあ、俺のほうが少しだけ写真は上手いかもしれないな。美舟も努力すれば少しは上達するんじゃないの?」

 努力だけでは越えられない壁もあるけどな。これから俺があふれんばかりの才能ですばらしい写真を撮ってやるから、手本にしろよ?

 漫画のせいか、それがアニメ化されたせいか、ここ何年か軽音部が大人気で、この野崎さんも軽音部の部員たちとバンドを組んでいて、来月ライブがある。部屋の写真と一緒に「軽音部で○月○日にライブやります」と告知を載せれば、こちらは記事のネタにでき、相手は宣伝になるという、両者の思惑というか利害が一致した結果、記念すべき連載の第一回は野崎さんに登場してもらうことになったのだが……ベッドの上に寝転んでいる野崎さんは全力でピンク色の光線を四方八方に放射しているようだった。

 ステージ衣装とはいえ、あまりに短いスカート。太腿があらわになり、甘えるようにベースを抱き締め、こっちを挑発するように睨んでいる。構図は一瞬で決まった……が、コレ、本当にライブの宣伝なのか?

 高校や大学で音楽をはじめる奴はそれなりにいるから、注目を浴びるにもそれなりのものが必要だとしても……なあ。

 しかし、それは俺の意見でしかない。これは美舟の記事だし、こっちは記事にする、相手は宣伝になるという、一種の取引の結果なのだから、俺としては野崎さんの意思をできるだけ尊重して、むしろもっと引き出すのに専念しなければならないのだろう。

「膝のあたりから、ぎりぎりローアングルであおって撮ろうかな。せっかくだから太腿を強調したほうがいいかも」

「スカートの中が見えるようなのはダメだよ」

「ぎりぎりだよ、ぎりぎり」

 まあ、カメラマンはぎりぎりになるのはどこなのか探すときに、どうしても奥の奥まで見えてしまうけどな。

 つか、もう見た。見てしまいましたよ?

 しかし、愛読者のみなさまは薄いブルーの小さな布が見えそうで見えない微妙な感じにもだえてもらうことになる。

 さっさと十枚ほど撮って撮影終了。画面の中心が太ももという、あからさまに狙った写真となった。

 やっぱり、こんなのライブの宣伝とはいわない。どんな手を使ってでも、一人でも多くの客をかき集めようという根性には素直に感心するが。

 あとは美舟のインタビューだけだから俺は帰ろうとしたのだが、野崎さんに引き止められた。お茶を出すというのだ。

 さっきまで無視してたのに?

 まあ、なんというか……普段はともかく、やっぱりカメラを構えた俺はかっこよすぎるからしかたないよな。

 お茶――ではなくコーヒーとポテトチップスが持って野崎さんは部屋に入ってきた。トレーをそのままテーブル代わりにして、コーヒーをいただく。

「ところで、『名スポ』はスキャンダルも記事にするの?」

 いきなり野崎さんが訊いてきた。こっちに身を乗り出して、なんだか必死な感じだ。

「する――つか、本当はそういうのがメインの記事になるはずなんだが、このところネタがないんだ」

「例えば…………どう言ったらいいのかな………………情報提供というのかな? 記事になりそうな話があったとして、だけど写真とか証拠がない場合にはどうするの? 於野浦くんが張り込みして写真を撮ったりするの?」

「情報提供といっても別にきっちり証拠を揃えろとか、そんなことは言わないよ。いい加減な推測とか、ガセネタは困るけど、噂話を聞いたという程度でも教えてくれれば助かる。ただ、扱いに軽い重いは出てくるかもしれないけどな。あやふやな話で、しかもつまらなそうなら取材するまでもなくボツということもありうるし、逆に確実な話で、それでいて売れそうな記事になるネタなら、こっちもしっかり取材して写真や証拠をできるだけ集める。その場合、俺の他に写真が専門という部員はいないから、やっぱり俺の担当になるんじゃないかな? もちろん、俺が入部する以前にも『名スポ』はあったわけだから、八剣編集長にしても、他の先輩たちにしても

写真くらいは普通に撮れると思うけど」

 黒川部長にしても実質引退ということになっているから取材している姿を見る機会は一度もないが、三か月戦争で学校側のスキャンダルを暴きまくってたみたいだから、かなりの技術を持っている可能性がある。

 現役三人の中ならダントツで渾沌先輩は隠し撮りが得意だろう。ターゲットにされた俺が断言するのだから間違いない。

 あれは神の領域だ。

 もっとも、このごろは俺のほうが隠し撮りをして、いまや部屋の壁は渾沌先輩の写真がびっしり隙間なく貼られているけど……いまのところ相手にダメージを与えることができているかは不明。

 ただ、ファインダー越しによく見ているせいかもしれないが、渾沌先輩は地味な雰囲気なのに、意外とかわいい顔をしているような気がしてきた。好みのタイプというわけではないが、割と好ましい容姿ではある。

 なので、最近は結構撮るのが楽しくなってきた。

 部室で俺と目を合わせてくれなかったり、もともと無表情がデフォの人だからわかりにくいが微妙に顔を赤くすることがあるので、やっぱり気づいて怒っているのかもしれないけど。

「で、俺に撮れそうなネタでも提供してくれるのか?」

「うちの部の二年で朝川琴星という先輩がいるんだけど、『AAスーツ』というバンドのメンバーと付き合ってるという噂を聞いたんだけど」

「その付き合ってる『AAスーツ』のメンバーもうちの学校の生徒なの?」

「違うわよ、どこかの大学生だったと思う」

「大学生か……」

 スキャンダルといっても、誰かと誰かが付き合っているという程度ではベタ記事にもならんわな。そりゃそうだ。俺たちは高校生であって、芸能人とかではないのだから。そもそも隠れて付き合う必要もないのだし、隠してないものをスッパ抜いても意味がなさ過ぎる。

 だから、うちの生徒同士でも意外な組み合わせとか、二股も三股もかけているというのならネタになる。いっそ相手がプロのミュージシャンで日本全国的に有名なら『名スポ』どころか本当のスポーツ新聞に載るレベルの大ネタになるのだが、アマチュアバンドの大学生というのは……微妙なところだよな。

 それなりに目立っている生徒のスキャンダルなら魅力だが、俺は朝川という名前を聞いたことがないし。その上で相手が学外の一般人だと「誰だよ、コレ?」みたいな、しょっぱい記事になるかもしれねーぞ。

 いやいや、それ以前に記事にすらならないボツネタになる可能性も……。

 とりあえず、俺は野崎さんから聞いた情報をメモしておいた。どうでも俺が判断することではない。明日は編集会議だから、いちおう八剣編集長に報告しておくとしよう。

 俺だけが聞いたネタなら先に少し当たってからイケそうなら編集会議に持ち出してもいいのだが、隣で美舟が聞いているしな。


 だが、俺の話を聞くと、意外にも八剣編集長はかなり乗り気になった。いや、上社副部長も渾沌先輩もちょっと興奮しているのか? 部室内の温度が上がった気がする。もちろん、温度計の表示ではなく、熱気という意味で。

「じつは問題の朝川琴星からも話があったの」

「どんな話ですか?」

 しかし、八剣編集長は俺の言葉をあっさり無視。やっぱり興奮しているみたいだ。

「いいわね、このところスキャンダル関連の記事が薄かったから、なにか欲しいと思っていたところよ。渾沌、データを出して」

 いつものように無言無表情で淡々と渾沌先輩はパソコンのキーボードを叩いて、求めるものがディスプレーに表示されると、八剣編集長のほうに向けた。

「ふーん……やっぱりこのネタは、ちょっと熱いわね。お相手の『AAスーツ』というバンドはアマチュアだけど、まあまあ有名みたい。何曲かネットでダウンロードできるみたいだし。アマチュアにしては、という前提だけど、動画投稿サイトでも再生回数はそんなに悪い数字ではないみたいだし。このわたくし八剣美琴はクラシックが専門で、ロックのような野蛮な音楽は聴かないですから知りませんでしたが、ネットで検索すると結構いろいろ引っかかるわ」

「野崎さんに聞いたネタだし、二人とも一緒の軽音部だから、なんとか彼女に協力してもらうことができればデートの日時や場所がわかるかもしれませんね……」

 ちょっと事情がわからないところもあるが、とりあえずそこそこの記事にはなりそうだ。俺もかなりやる気になってきた。

 なのに、美舟がクスクス笑う。

「そら、野崎さんは協力するやろ」

「なんでだ?」

「軽音部は部員がやたらと多いさかい、部内にバンドが何組もあるねん。で、野崎さんと朝川先輩は別のバンドやけど、同じライブに参加するんよ。自分自身はインタビューで客を集めて、ついでに他人のスキャンダルでもっと客を集める作戦なんやろな」

「汚ねー、怖えー、ありえねー」

「世の中、きれいごとだけでは渡っていけへんて」

「それはそうだとしても、なあー」

 たぶん、いま俺はすげえ渋い顔をしてるはずだ。そんなのいいのか? プロの芸能人が足の引っぱり合いをするのなら、なにしろ売れれば金も名声もザクザクと大量に入ってくるのだろうから理解できなくもないが、アマチュアのライブだぜ? 高校の軽音部の出来事なんだぜ?

「甘いわね、いつまでもそんなふうだと卒業するまで、このわたくし八剣美琴の奴隷のままかもしれなくてよ」

「左様。我輩たちに自分から売り込みにくる生徒はいままでもいっぱいいたし、これからも減ることはなかろうて。このスポーツ新聞部では普通にあることだ」

「他人のネタの売り込みどころか、自分自身のスキャンダルを売り込みにくる人もいるよね。だからさあ、於野浦くん。売り込みそのものには問題はないんだよ。問題があるとすれば、その目的ね。裏の目的があって、私たちが利用されてる可能性もあるし。だから、今回みたいにわかりやすい話だったら大歓迎」

 本当は付き合うというところまでいってないのに、相手の背中を一押ししたくて自分から売り込みにきたり、幸せすぎて頭が溶けてるカップルが学校中に宣伝してもらいたいとか、二股かけられてるのを承知の上で、相手を蹴落とすために自分と付き合っていると記事にするように働きかけてきたり、スキャンダル系の記事についてはドロドロしたものが結構あると上社副部長は説明してくれた。

 えっ? えっ? えっ えっ? えっ?

 オレはいままで自分のことを普通の高校生だと思っていたが、いまの普通の高校生はこんな風なのか?

「うかうかと相手の思惑に乗せられないように、その思惑の一歩も二歩も上にいくように、いいわね?」

「そんな怖いことが普通に、この世の中にあるとは……」

「ちなみに朝川さんからあった話というのは、奴隷の持ってきた話の裏バージョン。野崎という後輩が『AAスーツ』のメンバーと付き合ってると情報提供だったの。このわたくし八剣美琴を利用しようなどと、なんと大それたことを!」

「つまり……上社副部長から教えてもらったことからすると、その『AAスーツ』のメンバーは朝川さんと野崎さんに二股かけてて、両者がお互いに相手を蹴落とそうと密告したということですか、ライブの宣伝もかねて?」

「でしょうね。それより、どんな布陣にしましょうか? 渾沌、あなたやってくださる?」

 慌てて俺は割り込んだ。

「ちょっと待ってください。野崎さんからネタ引いてきたのは俺ですよ。なのに、なんで八剣編集長は渾沌先輩を指名するわけですか? 記事はともかく、写真は俺がやりますよ。スポーツ新聞部のエース・カメラマンじゃないですか!」

「ふーん……うちの部のエース・カメラマンというのは初耳の情報ですが、ネタを引いてきたのは確かに見習いでしたね。わかったわ。基本的には見習いにまかせることにしましょう。それでは渾沌はバックアップにまわってあげてちょうだい」

「いりませんよ。なんでエースにバックアップがいるんですか! なんだコレ! と目を剥いて思わず叫んでしまうようなスゴイ写真を撮ってきますから」

 どうもね、薄汚い舞台裏を無理に見せつけられてしまうような形になって、本当は気が乗らないつーか、やる気がゼロまで急降下してしまっているのだが元気に返事しておく。被写体がおもしろくなくても、いい写真が撮れないことはない……はず。

 とにかく美舟は自分のコーナーをもらっているのだから、俺だって一人で記事を書いてみたい。うまくすれば一面トップになるかもしれない記事なんだぜ。二股とか、宣伝とか、利用するとか、嫌な話は聞かなかったことにして全力でスクープ写真を撮りにいく!

 おそらく野崎さんはちょいエロな写真を撮られながら、しかし、これでは宣伝としては弱いと感じたのだろう。それで俺を利用しようと考えた。

 それなら、それでいいじゃないか。

 俺だって野崎さんに利用されていることを知りつつ、その上をいくスクープを物にしてみせる。

 それが野崎さんの望む結果になったとしても、反対に思惑が狂ったとしても、俺には関係ないことだ。

 俺は俺が納得する写真を撮るだけ。

 それだけでいいんだ。


 日曜の昼に大須にある楽器屋で待ち合わせ。もちろん、朝川琴星と『AAスーツ』のギタリストである中島という男が待ち合わせをするのである。

 ついでに、そのすぐ近くの物陰に俺も勝手に集合するのだ。

 いちおう三十分前には現地に入って、待ち合わせ場所の確認。野崎さんからの情報によれば、楽器屋の地下にあるスタジオで『AAスーツ』の練習が昼まであり、その後に朝川先輩が合流するらしい。

 俺は道路を挟んで反対側にある銀行の周囲をぶらぶら歩いた。休日の大須は人通りが多く、観光客もいるからカメラを持っていても怪しまれることはない。しかも、たぶん朝川先輩は俺の顔は知らないはず。

 楽器屋の隣というか、建物としては同じなのだが、店舗とは別にドアがあり、その横にはベンチと灰皿が置かれている。四人組の男がドアから出てきて、そのベンチに座った。ほとんど同時に四人ともタバコに火をつけた。

 スタジオ内は禁煙で、この外のベンチが喫煙場所になっているのかもしれない。なんにしてもチャンスだ。俺は望遠レンズで四人の顔を順番に見ていった。

 あらかじめ野崎さんからは場所や時間だけでなく、写メを送ってもらい中島の顔も教えてもらっていた。茶髪で、鼻や唇にまでピアスをして、上下とも黒い服を着ている男が中島だった。

 とりあえず一枚。写真としては二人が一緒に写ってなければ無価値なのだが、いきなり本番は怖い。カメラの背面のあるモニターで写り具合をチェックして、それから四人がこっちに気づいているか注意深く観察した。

 タバコを吸いながら、なにか話をしている。その内容はさっぱりわからないが、雰囲気は悪くないようだ。誰かが冗談でも言ったのか、身をのけぞらして笑っている。

 俺が写真を撮ったことに気づきもしないし、そもそもこっちに目を向けようともしない。

 状況によってはファインダーを覗くことができない場合もあるかと思い、今回はピントも露出もオートでやることにして、望遠レンズもカメラとセット売りの安物を持ってきたのだが、充分な写りだ。

 そして、狙われたターゲットはこっちに目を向けようともしない。

 片側二車線で結構交通量の多い道路の反対側から撮っているのだから、よほど怪しい動きでもしない限り大丈夫そうだ。それに大須はカメラを持っている観光客が多い土地でもある。

 そこに朝川先輩が現れた。軽く手をあげて、微笑んでいる……望遠レンズでその様子を確認しながらシャッタを切る。挨拶がわりにキスでもしてくれればおいしいのだが、さすがにそこまではやってくれなかった……残念。

 でも、チューの写真、撮りたかったな。

 ブチューって感じだと、もっといい。

 まあ、日曜日の昼間だしな。

 人通りの激しい繁華街だしな。

 いやいや、これからいくらでもシャッターチャンスはある――いや、たった一度しかチャンスがなかったとしても、俺は絶対に決めてみせる!

 中島はバンドのメンバーに別れを告げて、朝川先輩と一緒に大津通を北に向かって歩き出した。方向的に栄だろう。名古屋で一番の繁華街だ。

 その途中、朝川先輩はふざけて体をぶつけたり、腕にしがみついたりしたので、そこそこ親密に見える写真は撮れたが、決定的瞬間というほどではない。

 デパートに入ると店内は撮影禁止だったが、もし決定的瞬間を目の当たりにしたなら撮らないわけにはいかないので必要ならファインダーを覗かずに、勘だけでシャッターを切るしかない。ピントはオートだし、少し広めの範囲を撮っておいて、あとで周囲をトリミングすればいいわけだが、失敗は許されないし、警備員に見咎められると面倒なことになるかも。

 これが本当に新聞で社会的に有用な記事の取材なら正式な撮影許可をもらーうところなんだが、学校新聞で、スキャンダル記事なのだから絶対に無理だろう。もし警備員に咎められたら謝るしかないな。

 しかし、そんなふうに俺がせっかく心配してたのに、デパート内でも「いまだ!」と心の中で叫んでしまうような決定的瞬間はなかった。朝川先輩が商品を指差したりしたのだが、中島はあまり興味がないみたいで、エスカレーターでどんどん上の階にいってしまう。

 尾行というものは意外と簡単なもんだな。相手が警戒してないということもあるかもしれんが……まあ、普通の人間は尾行されるかもしれないと警戒してるわけないが。

 二人が到着したのは海鮮料理で有名なレストランだった。さすがにデパートだからハンバーガー屋や牛丼チェーンが出店しているわけないが、八階と九階の二つのフロアーがレストラン街になっていて、八階ならリーズナブルな価格で食べられる喫茶店やピザ屋やうどん屋などもある。うな丼やカツ丼をはじめ百種類のメニューが自慢のドンブリ専門店とかね。ところが、そこは素通りして、さらにエスカレーターで一階上を目指したのだ。

 九階のレストラン街。

 こっちはあまり混んでない。店の前に行列はないか、待っている客がいたとしても、せいぜい二組か三組。

 なぜならフロアーとしては一階違うだけなのに、店のグレードはドカンと上昇し、ランチの予算は二倍や三倍のアップは覚悟しなければならない。

 二人の入った海鮮レストランも待たずに席に座れるようだ……なんとなく高級そうだから、値段的に気軽に入れるような店ではないのだろう。

 いままでの感じからいくと、店内でもなにも起こらない可能性が高い――が、食事だぞ? あーん、が見られるかもしれない。朝川先輩がロブスターとかムール貝をフォークで刺して、あーんとか言うんだ。そうすると、中島がバカみたいに口をあけて……撮りてぇ。そいつは決定的瞬間だ。

 その海鮮レストランの前にはメニューが置いてあって、どんなものが食べられるかわかるようになっていた。

 まあ、俺の場合はなにが食べられるかよりは、それがいくらかのほうに強い関心があるわけだが――ランチ・メニューのうち一番安いサービス・ランチでも千八百円って、意味わかんないですけど。一階下なら二人前は食べられるぞ。どのへんがサービスなのか理解不能だ。

 念のため、取材中になにがあってもいいように余分に現金は用意してきたから安いランチならギリギリで払えない金額ではないが、使ってしまったら明日からダイエット生活がはじまる。俺、別に太ってないのに。

 ドリンクもメニューにはあるが、喫茶店ならともかく、昼の混雑しているときにレストランに入ってコーヒーだけ頼むのはどうだろう? 嫌がられるのは確実だし、下手をすると「喫茶店は下の階にあります」とか遠まわしに拒否されてもおかしくない。

 そうすると、ドリンクと一品料理をつまむことすれば……ジュースが五百円とか意味わからないし、ほんの二口もあれば完食してしまいそうな一品料理がどれも千円前後の値段なのはもっと意味わからない。

 合計千五百円か……。

 それならサービスランチの千八百円のほうが得といえば得、かも?

 だけど、二人の写真が上手く撮れる位置に座れるかがわからないんだよな。こういうレストランは店員さんに席まで案内してもらうのであって、たぶん自分で勝手に好きなところに座るわけにはいかないはず。

 つーか、一人だとカウンター席じゃないの?

 どーする俺?

 八剣編集長には撮ってくると啖呵を切ってしまったわけだが……。

 モチベーション急速低下中。

 店の前で思い悩んでいると、いきなり腕をとられた。知らない女の子がなぜか俺と腕を組んでいる。そして、そのまま店内に連れていかれた。

「あそこの席、いいですか?」

 キョロキョロと店の中を素早く見まわし、案内の店員がくると空いてる席のひとつを指差した。その間も右手が俺の左腕をつかまえたままで、ほとんど拉致されてるような感じだった。

 イスに座ると、メニューを押しつけてくる。いや、押しつけられたところで一番安いランチメニューしか頼めないんだけど……それだって完璧に予算オーバーだ。

 つーか、なんで俺、知らない女の子と一緒にメシを食うことになったんだ?

 尾行や隠し撮りをする俺があまりにかっこよすぎて逆ナン……ありえないよな。財布は軽いが美味いメシが好きだからタカれそうな男を物色していて、たまたま俺が目についた……ということもないはず。

 メニュー越しにこっそり見ると、腰までありそうな茶色の髪はつやつやに光り、軽くウェーブしている。瞳が人形のようにぱっちりとして、信じられないほどの美少女。

 スッと彼女が視線を上げた。盗み見していたのに気づかれたらしい。慌てて目を伏せる。

「絶好のポジションであろう?」

「は?」

「ほら、我輩を写すふりをして撮ることができる」

 俺たちの席の斜めうしろに朝川先輩と中島がいた。確かに渾沌先輩の写真を撮るふりをして、ちょっとレンズを動かせば二人を撮影できる……ち、ちょっと待て!

 渾沌先輩!

 一回じゃ足らないな、ぜんぜん足らない。ならば、もう一回。

 渾沌先輩!

 なんで俺、いつの間にか渾沌先輩とデートしてるんだ?

「渾沌先輩?」

 口に出して尋ねてみると、相手は無表情にうなずく。

 し、信じられねぇ。ありえねぇ。なんだよ、この超展開。

 一人称が我輩などという大変残念な女の子が渾沌先輩以外であるはずがないのだが、このかわいい物体にかなり重症な厨二病患者がインサートされているなんて女性不信になりそうだ。

 言動が変すぎるし、地味なのに、渾沌先輩は意外と人気があるらしいとは思っていたが……以前、部屋を隠し撮りしようとして失敗したとき、美舟に教えてもらった二つの計画があった。

 そのうち俺のほうから積極的に仕掛けて渾沌先輩をやっつける攻撃プランは『学校一の巨根を探せ!』という特集になった。どれだけのダメージを与えたのか不明だが、女子生徒に自慢の巨根を計測してもらいたいという男――いや、漢どもが部室の前に行列を作り、そのときの指名ナンバー一が渾沌先輩だったのだ。

 なんであれほど……と不思議に思ったが、まさか、ここまで化ける人だったとは……。

 変装のためだろう、眼帯も包帯もしてなくて、かわりに化粧をしているようだが、それで闇の魔力は暴発しないの? と疑問に思うものの、いまは質問してはいけない場面だな、たぶん。

「店の前であんなにも迷っておったということは、どうせ金がないのであろう。みっともない話だ。我輩がおごってやる」

「でも、なんか悪いですよ。俺の取材なのに、ここに渾沌先輩がいるということは心配してついてきてくれてたんですよね」

「ただのバックアップだ。貴様が一人だけでやれるかわからぬからな」

「いやいや、だから俺の心配ではなくて、写真の心配をしてついてきたのだと思っただけです。俺がヘマをして、せっかくいい記事になりそうなネタが潰れたら困るから」

「……そ、そのとおりだ。誰が貴様の心配なぞするものか」

「その上で昼飯までおごってもらって、なんか悪いですね。すごく美味そうな店だし、それだけに高いし」

「取材のためだ」

「いや、そこはわかってますけど、実際に食べるのは俺じゃないですか。そういえば、女の子と二人きりでレストランで食事なんてはじめてかもしれないですよ。二人きりですよ、場所もハンバーガーとかドーナツではなくて、こんなおしゃれな感じのレストラン」

「……しゅ、取材だからしかたなかろう」

 顔が真っ赤になってる。怒ってるのか? 自分でおごると言っておきながら怒り出すとは理不尽だが、真っ赤な顔のまま渾沌先輩は水とおしぼりを持ってきた店員に向かって、勝手にパエリア・コースというのを二つ注文してしまった。

 それ、結構高くね? と恐る恐るメニューを広げて確認してみると――。

 なんと一人前三千円!

「いや、一番安い千八百円のサービス・ランチでよかったんですけど」

「この店のパエリアは我輩の好物なのだ。吾輩が支払いをするのだから、好きなものを頼んでもよかろう」

「先輩はパエリアでも、俺はサービス・ランチでいいじゃないですか。なんならドリンクだけとか。渾沌先輩がコース料理を食べるなら、俺のほうはコーヒー一杯だって店の人から文句は言われないと思いますけど……まあ、俺のほうは嬉しいですけどね。パエリアというのはスペインの料理でしたよね? 俺、本格的なパエリアは食べたことないんですよ」

「だから、取材だ、取材。貴様に美味しいパエリアを食べさせてやりたかったわけではない」

「わかってますよ――つーか、取材という言葉はやめておきませんか?」

「な、な、な……貴様はデート気分になっておるのか? 不謹慎な。そもそも我輩は貴様のような低俗な人間には興味ないのである」

「そうじゃなくて、あの二人に取材と言う言葉が聞こえたら、こっちの正体がバレるかもしれないじゃないですか」

「……わかっておる。で、どんな様子だ?」

 渾沌先輩とおしゃべりを続けているふりをして、その頭越しに二人の様子をうかがう。しかし、あまりにも普通の食事風景だ。俺たちより少し早く入店した分、すでに前菜のようなものが運ばれている。輪切りにしたナスに赤いものがのせてあるが……なんだろう? トマトソースかな。

 あーん、を期待していたのに、そんな雰囲気もなく、会話を楽しみながらランチをとっているという感じで――もちろん会話がどんだけ弾もうが写真に声は写らねぇ。この店は撮影OKというわけでもないのだろうが、ブログにでも載せるつもりなのか料理をスマホのカメラで撮っている人もいるし、たぶん恋人同士がお互いを撮影する分には野暮なことを言わないだろうから、俺が混沌先輩を撮影するふりして二人を撮るのは難しくないのだが。

「ここの食事代、無駄金になりそうですよ」

「それなりの雰囲気の店なら、釣られることもあるかもしれぬが……」

「家族連ればかりですよね」

 ひゅーん、とか叫びながらロブスターの殻を怪獣かなにかに見立てて空に飛ばして遊んでいる子供の隣で、どうやったら甘い雰囲気になるのかっつー問題だ。無理だよな、絶対。

 ディナーの時間帯ならわからないが、デパート内の出店でランチなのだから、いくら高級店といってもこんなもんだ。

 俺たちのところにも、前菜が運ばれてきた。こっちはアサリ――ではないなハマグリだ。サイズがデカいし、少しお高いコースだもんね。

「あーん」

 いきなり渾沌先輩が殻つきハマグリを一つ手にとって、俺の顔の前に差し出した。なんか罰ゲームでもやってるのか?

 それとも、もともとおかしかった渾沌先輩の頭がさらにおかしくなって、ぐるっと一周まわったら異能バトルな人からラブコメ路線になってしまったとか……うげっ、次号の『名スポ』の連載漫画が楽しみっつーか、怖いっつーか。

「雰囲気を作るのである。うまく合わせよ」

 テーブルの下で足を軽く蹴られた。

 ああ、そういうことですか。渾沌先輩は渾沌先輩っぽく、いつものようにおかしいままで、いまは単に取材のためだったわけだ。

 しかし、俺たちが甘々カップルを演じたところで、そんなに都合よく朝川先輩たちが釣られるかなぁ……。

 男のほうは知らないが、朝川先輩のほうはうらやましく感じて、まねしたくなる……かもしれない。

 俺はパクッと大口をあけた。なにかをパン粉に混ぜてハマグリにのせてオーブンで焼いたみたいだ。噛み締めるとチーズの味がして、ニンニクの香りを感じた。あと青臭いもの……パセリかな?

「う、美味い!」

 今度はこっちが返す番だよな。ところで渾沌先輩の名前はなんだっただろうか? まさか渾沌ちゃんと呼ぶのもどうかと思うし。こんちゃん? いや、ダメだ、それは近藤さんのあだ名だぞ。こーちゃん?

 おっと、思い出した。渾沌先輩の本名は若水緋奈子だった。

「はい、ひなちゃん」

 ギロッと、すごい目で睨まれた。口元がピクピクっとしたが、文句は言わなかった。一瞬だけ腹を立てたが、すぐに甘々カップルの演技だと理解したのだろう。

 さきに仕掛けたのは渾沌先輩なのに、自分の番になったらいきなり素に戻るのやめてくれ。

 そして、お待ちかねのパエリアが運ばれてきたのだが……これ、パエリア? エビがずらっと並んでいるのは素敵すぎる光景だが、その下が問題だ。米じゃなくて、へんな長細いものが敷き詰められている。

「パエリアって、こんな感じでしたか?」

「パスタのパエリアだな」

「へー、さすがにひなちゃんは物知りだな。あい、あーん……」

 スプーンですくうと、渾沌先輩の口のあたりに差し出す。すごい屈辱的な顔をして食べてるところにちょっと萌えた。

 抜群に化粧が上手いようで、すごい色気がある。目なんかくっきりパッチリだもんな。頬が微妙に桜色だったり。眉のラインは絶妙だし――変な眼帯もしてないしな。

 二口目、三口目と食べさせていくと、だんだん渾沌先輩もなれてきたのか普通の表情に戻る。いや、それどころか、目をつぶってパクッと食べてるところは本当に恋人同士みたい。

 決定的瞬間キター!

 あーん、と口をあけている渾沌先輩をパチリ。シャッター音に驚いて目をあけると、そこには満面の笑みでカメラを構える俺がいるわけだ。

「なにを撮った?」

「いやあ、あんまりひなちゃんがかわいくて……見る? なんなら見てみる?」

 こいつは防衛プランに使える!

 いままで登下校中や、学校内で隠し撮りした渾沌先輩の写真は千枚を超える。

 が、この一枚が最高傑作だ。

 ところで、渾沌先輩は俺の部屋がどうなっているのか知ってるのかな? なにも反応がないからよくわからないが……少しは防衛プランとして役立っているのだろうか?

 まあ、それはともかく……カメラ背面のディスプレーに画像を呼び出すと、やはりこれは傑作だ。俺の手と、美味そうなパエリアがのったスプーン、そして親鳥からエサをもらう雛鳥のような渾沌先輩。

「うわ、本当にかわいい……」

「………………………………………………………………………………」

 水面下では(つまりテーブルの下という意味だが)暗闘がはじまった。渾沌先輩のブーツが俺の足を踏み、脛を蹴りまくる。なんとかかわそうとするが、的確すぎる攻撃にやられっぱなし。文句を言うわけにもいかないし、悲鳴すら上げられない。取材対象に気づかれないように、地味に復讐された。

 それから、俺たちはそれぞれのスプーンで残ったパエリアをたいらげた。

「いま気づいたんですけど、この俺のスプーンでひなちゃんに食べさせたんでしたよね。つうことは間接キス?」

「早く死ぬがよい」

 まあ、想像通りの返事。なので、あえてスプーンを舐めまわしてみた。

「ペロペロ、ひなちゃんの味がする。美味しー」

「うぬっ……へ、へ、変態め」

 一瞬で顔が真っ赤になって、またしてもテーブルの下で足を蹴られまくった。しかし、それにも負けず写真撮影に成功。照れた表情の渾沌先輩もかわいい。

 しかし、取材のほうはさっぱりだ。デザートも食べて――結局、朝川先輩は一度もあーんをやらずに店を出ていった。

「つけるぞ」

 渾沌先輩は素早く会計をすませると、二人のあとを追った。しかし、夕方までデパートの中をうろうろするばかりで、デートといえばデートなんだろうが、あまり記事的にはおいしい展開にはならなかった。

 この服、似合う? とかアクセサリーかわいいと見せたりする、ちょっと甘い雰囲気には何度もなったが、一枚の写真だけで説明文がまったくなくても二人の関係が誰にでも明確にわかるような決定的瞬間は撮れなかった。

 そして、二人は別れの時間がやってきたようで、手を振りながら別々の方向に去っていった。

「終わっちゃった……」

「終わったかもしれぬが、まだトクダネが残っておるやもしれぬ。もうしばらく尾行したほうがよい」

 渾沌先輩は諦めが悪いようだ。

 だが、地下鉄の駅で朝川先輩と別れたあと、中島は地下街を歩いていき、今度は野崎さんと会ったのだ。約束してあった様子で、野崎さんは長島を見つけるとうれしそうに手を振っていた。

 めいっぱいメイクをしてるところからしても、気合の入ったデートだとわかる。

「どういうことでしょう?」

「やはり二股であるな。軽音部のライブの宣伝だけでなく、ライバルの追い落としまで狙った作戦という我輩たちの推測が正しかったわけだ。浅はかな……きちんと写真を押さえておけ」

「しっかり撮りましたよ」

「朝川と大学生が付き合っています、というだけでは気の抜けた記事にしかならぬが、これで修羅場な熱いネタに化ける」

「この場合、二人とも二股に気づいているわけですよね。だからこそ、野崎さんは俺にネタをくれたわけですから。それなら修羅場にはならないのでは?」

「しかし、さすがに自分がデートしたのと同じ日に相手にも会っていたとは知らぬであろう。今日のことは野崎からの情報提供で、浅川からはなにも言ってこなかったし」

「じゃあ、いま野崎さんは朝川先輩とのデートでは物足りないから、そのあと自分が呼ばれたんだって優越感に浸っちゃってるわけですか……」

 なにも二股かけるような男と無理して付き合わなくても、世の中には誰とも付き合ってない男が一杯いるだろうにと思うんだけど、相手から奪ったりするのがいいのか? 女として勝ったとかね。

 俺にはよくわからん世界だ。

 二人を尾行していくと、やっぱりおしゃれな雰囲気のベトナム料理の店に入った。

 またしても渾沌先輩のおごりで近くに席を確保して取材を続ける。さっきもそうだったが、ここでも渾沌先輩が勝手にオーダー。

 どんなものを注文するのかメニューを見ていたのだが、合計すると結構な金額になりそうな感じで……財布の中に諭吉さんが何人いらっしゃるんでしょうか? いや、海鮮レストランではカードで支払っていたようだったな。もしかして――いや、もしかしなくても自由に使い放題のクレジットカードを親からもたされているということで……自宅を見たときに思ったのだが、やはり金持ちのお嬢さまだ。

「なにか吾輩の顔についておるのか?」

 いいなー、すごいなー、と羨望の眼差しをしていたのに気づかれたらしい。

「ぜひ付き合いたい!」

 思わず心の中の声が口から飛び出した。

 自由に使い放題のクレジットカード、俺もたった一枚でいいから欲しい……が、俺の親はそこまで金持ちではないし、それは無理だ。

 そうなると使い放題なクレカを持っている彼女が欲しい……のだが、こっちも現実的ではないよな。そんな素敵すぎる女性が俺と付き合ってくれる可能性はほとんどないし。渾沌先輩にしても、今日は取材だから一緒に行動しているだけで、プライベートで俺と付き合いたいと思うわけがない。

 渾沌先輩は驚いたように目を大きく見開いていた。まあね、本当に使い放題のクレジットカードを持っているのが普通の人にとってみれば、俺の願いなんて低俗すぎてびっくりだろう。

 はーっ、と庶民の悩みがたっぷり詰まった溜息をついた。

 すると渾沌先輩は顔を真っ赤にした。

「いきなり変なことを口走って、溜息ついたり、き、貴様はいかなる存念であるのだ?」

「むしろ変なことを口走るのは渾沌先輩の得意技でしょうが」

「吾輩は変ではない」

「もうね、その受け答えがすでに変だと思うのですが……まあ、上社副部長みたいに変態ではないだけ少しはましかもしれないですね」

「その貴様の発言も変ではないか。まるで他人事のようだが、貴様は校内一の変態の称号を持つ男であるぞ」

「………………うっ、そういえば、そうだった。しかし、俺が校内一ということは上社副部長に勝ってる? アレにですか? まさか、そんなことは………………」

 信じられない。

 あんなお漏らし女に俺が変態度で勝ってしまうとは。

 が、たしかに渾沌先輩の言葉は正しい。校内変態ランキングでは俺のほうが上なのだ――本当にそんなランキングがあるわけではないが、放送文化研究部あたりの部員から流れてくる噂だと、俺のほうが変態濃度が高いらしい。

「なぜだ!」

「貴様の変態にはポリシーがないから仕方あるまい」

「ポリシー? ポリシーがあったところで変態は変態でしょう?」

 どういうことだ? ポリシーといったら政治の世界だと政策、会社なら方針とか、そんな意味のはず。

 俺が首をかしげたままでいると、渾沌先輩はハンドバックから小型のパソコンを取り出し、USBメモリーを挿し込んだ。なにかのデータをコピーして、引き抜く。

「貴様なら……ほんの少しだけ吾輩の真実の姿を見ることを許してやろう」

 さらに痛々しい姿をさらそうというのか? それとも……。

「ヌード? 生まれたままの姿ですか?」

「真実の姿と言ったのだ。都合よく変換するでない」

「ああ、そういえば少しだけですよね。だったら、セミヌード?」

「そんなわけあるか! いいかげん吾輩の言葉をエロな方向に変換するのはやめよ」

「……なんだろう?」

「見ればわかる……が、この中身については一切他言無用にいたせ。軽々しく口を滑らせると、吾輩の最上級呪術を体験することになるであろう」

「最上級呪術……」

「永遠に目が見えなくなる呪いである」

「……最上級というから、すごい悲惨な死に方をするのかと思いましたよ。まあ、俺にとっては写真が撮れなくなりますから、失明するのは死ぬより怖いですけど」

「であろう。吾輩の最上級呪術は相手のもっとも嫌がることを見抜き、生涯にわたって吾輩を敵にまわしたことを後悔させる、闇の力である」

「なんか本当に怖くなってきましたよ」

「具体的には鉛筆で貴様の目玉をグサッと――」

「呪術でも、闇の力でもないだろ!」

 そこに、店員さんが生春巻を持ってきた。

 そういえば張り込みの最中だ。しかも、野崎さんは俺の顔を知っている。これ以上、騒いで目立つとマズい。

「むこうも料理が運ばれてきたみたいですね。でも、朝川さんのときと同じで、普通に食べてるだけですよ」

 雑談を打ち切って本題に戻す。

 やっぱりここでもやるんだよな、と思って生春巻をつまみ、「あーん」と渾沌先輩に差し出す。渾沌先輩も俺に「あーん」とか言いながら生春巻を食べさせてくれた。海老やら肉などか詰まっているみたいで、すごく美味い。

 しかし、肝心の雰囲気を作るという意味なら、やっぱり空回りだよな。いちゃいちゃとラブってる雰囲気が漂ってるのは俺たちのまわりだけだし。

 続いてやってきたコム・カーというチキンライスみたいなものも絶品。

「これ、最高です!」

 さらに二口、三口。なんていう俺好みの味。本当は一人で全部食べてしまいたいような気持ちだったが、さすがにそれはマズイ。だいたい渾沌先輩のおごりなんだし。

 俺は渋々スプーンですくって「あーん」をやる。渾沌先輩はちょっとためらう様子だった。そりゃそうだよな、二度も同じ手にひっかかるはずがない……? ぱくっといったぞ

「俺の使ったスプーンですから、今度はひなちゃんが俺と間接キスしたことになるけど」

「なんだ……と?」

「じゃあ俺もいただきます」

「なにをいただくつもりだ!」

「ひなちゃんを!」

 べろべろスプーンを根元までくわえる

「ふ……ククク……貴様の願いがはっきり理解できた。……いますぐ聞き届けてやろう……我が最厄の呪いがどのようなものか、ぜひその身を滅ぼしても知りたいのであろう」

「しかし、俺にはひなちゃんの呪いをはねかえす魔法の呪文があるのだ!」

「なんだ……と?」

 すごい食いつきだった。身を乗り出すように俺の顔を近づけてくる――のだが、すみません、嘘です。もちろん魔法なんか使えません、ただノリで言っちゃっただけです……と自白できる雰囲気ではないぞ。

 俺には厨二設定ないし。

 どうしよう?

 なにかないか

 魔法といえないのもでもかまわない、なにか有効な反撃の手段が俺にはぜひ必要だ。こんなときに美舟でもいれば……いない人間に頼ってどうする俺。ここは自力で突破しなければならない場面だろ!

 そういえば混沌先輩は恋愛経験ゼロで、下ネタも受け付けないはずだ。しかし、ここで唐突に「うんこ」とか叫んでも駄目だろなぁ……いろいろな意味で。

 それなら――

「どんな魔法の呪文といえども、我が最厄の呪いは―」

 かっこいいと自分で思ってるらしい台詞を吐きながら混沌先輩の両手を前に突き出した。無表情がデフォのくせに、いまは瞳をいっぱいに見開き、ちょっと顎を引いたキメ顔っぽい感じにしている。本当にそんなことができるとは思わないが、なにか黒いものでも噴き出しそうだ。

 まさしく絶体絶命の瞬間、神の啓示があった!

 その啓示通り叫んでみる。

「だって、ひなちゃんのことを愛してるから」

「うぐっ……」

 目を大きく見開き、フリーズしてしまった。やったね、魔法の呪文で最大防御だ。さてと……とどめ、とどめ。敵がダメージを食ったら回復前にしっかりとどめを指して二度と復活できないように叩き潰しておくのが常識だよな。

「俺が世界で一番ひなちゃんのことを愛してる」

「……うっ……」

 すごい効き目だ。これがゲームの世界なら混沌先輩は一万以上のダメージでHPのバーは一瞬にしてゼロ。ポリゴンの欠片を撒き散らしながら消滅したはずだ

 恋愛経験まるでなしの上に下ネタがまるで駄目という、弱点を全力でついた俺の作戦勝ち

 混沌先輩は真っ赤で、涙まで浮かべてる。

 勝った!

 俺、完全勝利!

「あっ、店を出ていく」

 しかし、そんな感傷に浸っている暇はなかった。中島と野崎さんが席を立とうとしている。一人だけならトイレという可能性もあるが、二人とも立ち上がり、しかも野崎さんの手には伝票がある。

「いきますよ」

 もうね、渾沌先輩は完璧に壊れてる。張り込み中の冗談なんて、いつまでも引きずってるようなもんじゃない。張り込みそのものが肝心なところなんだから。

 俺は渾沌先輩の手をつかんで立たせ、店の外に連れ出す。もちろん、一度はレジの前で立ち止まってカードで支払してもらったけどな。

 そして、野崎さんと別れたあと、中島はさらに別の女性と会ったのだった。俺のほうは見覚えがない。渾沌先輩も知らないと言うから、うちの高校の生徒ではないのだろう。

「ちょっと大人っぽい雰囲気だから、中島と同じ大学か、あるいは社会人なのかもしれませんね」

「そんなところであろう。三股であるか」

 しばらく俺に手を引かれていた渾沌先輩だったが、しばらくすると回復し、その回復と同時に「人の手を気安く握るでない」と理不尽にも怒り出し、さらに五分ほどしてやっと元に戻った……と思う。

 口調は元に戻っているのだが、なんかね、変な目で俺を見ている気がする……気のせいだといいのだが。

「本当に修羅場ですよね……あっ、また店に入る」

「居酒屋のようだ。我輩は大人っぽくメイクして年齢をごまかすことも可能だが、貴様はどう見ても未成年であるな」

「しかたないですよ、ちょっと前まで中学生だったわけですから」

「さすがに我輩の財布も無限というわけでもないし、外で張り込もうか」

「ジュースくらいだったら俺がおごりますよ」

 その百倍はオゴってもらったのだか、百二十円くらいなら俺のほうから出しておかないとな。

 近くの自販機でジュースを買ってきて、二時間半も居酒屋の近くの路地裏に潜んで張り込んだ。

 渾沌先輩から中島が店を出てきた瞬間、とりあえずシャッターを切れと厳命されたので、店のドアをずっと見詰め続けて、開いた瞬間に相手が誰であろうと、とにかくシャッターを切った。

 ドライブモードは連続撮影。一秒三枚のペースで撮れるが、デジカメのいいところは不要な写真はその場ですぐに削除できるところだ。

 だから、二時間半ずっと撮りまくり、まったく退屈することもなく張り込みできたし、もちろん、ドアを開けた瞬間の中島も押さえた。

「どちらが勘定を持つのか確認したかったのである。中島のうしろを見よ。女のほうがレジで代金を払っておる」

 カメラ背面のモニターで再生した画像を見つつ、渾沌先輩が言った。ドアを開けて、うしろを振り返りつつ店を出ようとする中島。その背景に会計をしている女性が確かに写っていた。

「どういうことですか?」

「朝川も、野崎も、食事代を払っておったではないか。あの男はヒモだな。女のほうは付き合っているつもりなのかもしれぬが、男は相手を財布としか見ておらぬのであろう。しかし、高校生では搾り取るといっても限度があるし、しっかり金を持ってる大人の女の相手ができるほどではない、つまらん小さい男だ。これは修羅場どころではないな。ホストより安上がりかもしれぬが、愛情であったり恋であったり、そういう理由で女性と交際しているわけではない」

 いつもは無表情な渾沌先輩が少しだけ笑った。とてもかわいらしい笑顔だったのに、なぜか俺の背筋が冷たくなった。

 どんな記事になるか……そして、その記事を読んだ朝川先輩と野崎さんは?


 ちなみに家に帰ってから渾沌先輩にもらったUSBメモリーの中身を見てみると――漫画の原稿だった。

 なんだ、また意味不明の自己陶酔漫画かよ、と思いながらパラパラと見ていくと、数ページで俺の世界が崩れた――なんてことだ!

 これは……。

 いや、間違いない。

 ギャグ漫画の原稿だ!

 渾沌先輩自身がモデルであるのはいつもの仕様だが、その邪気眼厨二病の主人公は学校でクラスメイトたちの笑いものになっている。しかし、その影では世界の平和のために戦っている――ということはなく、ただただ主人公は痛々しい言動を繰り返し、ひたすらクラスメイトたちにイジられ続ける。

 遅刻した生徒は「登校の途中に謎の組織に誘拐されそうになりました」と、宿題を忘れた生徒は「ドリル男に追いかけられて、やる時間がなかったです」と言い訳して、そのたびに主人公が過剰に反応し、教師は教室で暴れ出しそうになる主人公を叱りつけるうちに遅刻や宿題を忘れた生徒のことがうやむやに……というのがお約束らしく、何度も「なにっ!」と眼帯を引き千切ろうとしたり、左腕の包帯を解こうとする。

 おそらくだが、このクラスメイトたちにイジられている部分は、本当はいじめられたエピソードの毒を抜いて、読み味が悪くならないよう、単純に笑える話に作り変えたのだろう。

 きっと心が潰れそうになるほどの、嫌な思い出もあるはずだ。

 ということは?

 渾沌先輩はキャラを演じているだけで、それは漫画の取材とためということなのだろうか?

 普通の高校生としての三年間を全部捨て去って、漫画の材料になるエピソードを集めるつもりなのか?

 漫画のために、わざわざ自分からいじめられているのか?

 鬼だ!

 漫画の鬼だ!

 ここで俺は渾沌先輩のポリシーという言葉を思い出した。渾沌先輩は漫画のために重度の邪気眼厨二病でいる。

 そして……ひょっとしたら上社副部長は小説のためにお漏らし変態女でいるの……か?

 怖い、俺は渾沌先輩と上社副部長が恐ろしい。

 そういえば、ちょっと前に上社副部長と話をしたとき、八剣編集長はなにもないとか、だから新聞の制作を覚えようとがんばったとか、そんな話を聞いたが……たしかに、一緒に入部した三人のうち、二人はすべてを犠牲にする覚悟で取り込んでいるものがあり、自分にはそんなものがなかったら、それはやっぱり焦るだろう。

 だって、いま俺自身も焦ってるし。

 俺には写真がある――が、そこまで全力で取り組んでいるのか?

 その答えは考えるまでもなく断然否定だ。

 努力が足りてないということに、いま気がついた。気づくことができた。まだ、遅くない。遅くないはずだ。

 よし、俺は今日から一日百枚は撮る。

 そのうち上位十枚を選ぼう。毎日十枚のペースなら一年後には三千六百五十枚の作品といえるレベルの写真が出来上がる。高校三年間ではざっと一万枚だ。

 俺は愛機を引き寄せ、しっかり握り締めて決意した。


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