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   本日発売!

   【学校一の巨根を探せ!】ベスト一は? ワースト一は?

   一部五十円!




 先週発行した巨乳ランキングの記事は学校側から猛烈なクレームがつき、ますますスポーツ新聞部の評価をさげた――という噂だったが、まあ、もともと評価ゼロだったわけで、ゼロからいくつ引こうがゼロはゼロのまま。

 例えマイナスだとしても黒川部長が握ってるらしい超ヤバネタさえあればスポーツ新聞部が潰される心配もない。

 ということで。

 いつものごとく通常運転で部活が進行してます!

 学校側は今週号については発行停止を命じようとしたらしいが、『名スポ』は発売日に早朝から登校して朝練をやる運動部と競うように校門の前に特設販売所(テーブル一つだが)を設けて、それから始業時間までにほとんど売り切ってしまう。たまに記事が遅れて朝からバタバタと大急ぎで印刷することもあるが、それでも一般の生徒の登校時間には販売を開始している。

 一週間に一回しか発行しないが、雑誌ではなく、あくまで新聞で、また朝刊でもあるのだから、昼や夜まで売るようなことはしないし、ましてや翌日まで持ち越すこともない。

 もちろん買い逃したり、バックナンバーを購入したいという申し込みがまったくないわけではないが、パソコンのハードディスクにデータが残っているのだから欲しい部数だけあとでプリントすることができるわけで、基本は朝のうちに売り切ってしまうことができる分しか用意しない。

 用紙やインクだって無料で手に入るわけではないし、その売り上げをそのまま次号の発行経費にまわす自転車操業だから、売り上げの予測が狂って売れ残ってしまうと、もうそれだけであっさり『名スポ』存亡の危機を迎えてしまうのだ。

 そして、だいたい毎号買ってくれる生徒の数は決まっているから、予測が大きく外れることはなく、たいてい始業時間までに売り切れになる。

 つまり発行したあとになって慌てて停止させようとしても、すでに手遅れなのだ。

 だからといって事前に記事をチェックしようとすれば三か月戦争が再燃する。来週以降も発行停止にしようとか、スポーツ新聞部そのものを廃部にしようとしたら、やっぱり終わったはずの三か月戦争の続きがはじまってしまうだろう。

 金で圧力をかけることもできない。もともと学校からもらう部費は一年に百円という、形だけのものだし、さらに予算を削ったところで新聞の発行は問題なく続けられる。

 結局のところ学校側には打つ手がないわけで、いちおう部長を呼んで譴責処分にしたのだが、譴責というのは怒ったり、文句を並べるだけだから、今後の新聞発行に支障が出るわけではない。黒川部長は学校側からの苦情にはまったく動じない人だし。

 二年生の先輩たちも美舟も推薦をもらわなくても一般入試で志望の大学にいけるらしく、最初から学校側と上手にやっていく気はまったくない。つーか、ぶっちゃけ世間とすら仲良くやっていく気がまったくなさそうな連中だし。

 お互いにゼロな関係だから問題ないし、怖いものはない!

 ――ただし、俺は除く。

 正直なところ、そもそも俺は大学に進学するのかも決めてないわけだが、なにも自分から選択肢を切り捨てて、どんどん世間を狭くしていく必要はないと思う。まだ決めてないといっても、いけるものなら大学にいっておいたほうがいいような気もするしな。

 写真関係の学科がある大学だってあるし、専門学校でも学べるかもしれない――俺のような天才に教えることができる先生がいれば、の話だが。

 だからといって、あの先輩たちにグットバイとか簡単に言えないし……。

 俺としては学校側との揉めごとよりも、もっと切実に検討すべきことがある。もちろん、先輩たちが俺の致命傷になる秘密をいくつも握っていることだ。

 部室のパソコンのハードディスクを破壊したところで、渾沌先輩の私物のパソコンにも画像データのバックアップがあるだろうし、特にあのUSBメモリーが残っていては意味がない。

 それならどうするか?

 こっちも相手の弱みを握るのだ!

 いってみれば核抑止力みたいなものだろう。お互いに相手の国土どころか地球を破滅させかねない強力な武器を手にしていれば、そのあまりの破壊力ゆえ逆に使えなくなってしまうわけで、つまり俺も三人の先輩の恥ずかしい写真を撮ればいい。

 他のことはともかく。

 写真だったら俺は負けない自信がある!

 スポーツ新聞部には全校生徒の各種データが集められていて、部員なら自由に見られるから、俺はこっそり三人の先輩たちの住所を調べておいた。

 日曜を待って、俺は八剣編集長の家にいってみることにした。愛機のバッテリーをチェックし満充電になっていることを確認してカメラバックへ。交換レンズもいるな。撮影の目的からして望遠レンズがあったほうがいいだろう。

 ポケットがいっぱいついたカメラマン用のベストを着る。軍の特殊部隊ならば予備のマガジンを入れるのだろうが、世界と対峙するための光学兵器で武装する俺は予備のレンズやコンパクトフラッシュ、そしてバッテリーを詰め込んでおく。右胸の透明なビニールでできたプレスカード用のポケットには『名スポ』の記者証を入れ、左胸には血液型のプレート。

 完璧だ!

 おおよそ自転車で十五分くらい、住所では『鹿子荘二〇一号室』となっていたが、そこはいまどき珍しい木造の二階建てアパートだった。

 築何十年だろうか? まさか百年前の建設ということはないだろうが、煤けたように黒ずんだ柱と、ひび割れたモルタルでできた、レトロというか、骨董品というか、しかし値打ちはまったくなさそうな佇まい。むしろ廃屋になる一歩寸前でかろうじて留まっている印象だ。

 どうやら太平洋戦争中の名古屋大空襲では焼けずに残り、伊勢湾台風のときにもがんばったようだが、おそらく将来やってくるといわれている東海大地震には絶対に耐えられないだろう。

 必死になってお嬢さまを演じている八剣編集長なのだから、このアパートの写真だけでも充分に強力な対抗兵器となりそうだったが、そういうこととはまったく関係なく、俺の人差し指は夢中になってシャッターを切っていた。

 これが『魂の一枚』で『二十一世紀の日本を記録する』ような、そんな写真になるかわからないが、絶滅危惧種ともいうべき建物が目の前にあれば、それが本当に絶滅してしまう前に記録しておかなければならない。

 それが俺の義務。

 課せられた使命。

 つまり写真を撮るのだ!

 構図をかえて正面から撮り、横にまわって、それから裏からも撮った。

 画像も情報の一種であり、情報というものは基本的に多いほうがいいわけで、そこにはどんな色なのかも含まれる。しかし、写真に限っていうと雰囲気とか空気感というものも大切だから、あえて色の情報を捨て去るという選択もあるだろう。

 俺はメニューボタンを押し、クリエイティブスタイルをスタンダードからBWに変更した。普通のカラー画像はたっぷり撮ったから、こんどはモノクロームで撮影するのだ。

 一枚撮ってカメラの背面にあるモニターで確認すると、やっぱり古い建物だけあってモノクロームのほうがイメージが強くなる。まあ、小さなモニターでは確認するといっても限度があるから、実際には印刷すると駄目だったりすることもあるのだが、俺の勘では悪くない作品に仕上がるはず。

「なにやっとるの?」

 いきなりうしろから声をかけられた。写真を撮ることに夢中になってて忘れていたが、ここは八剣編集長の自宅の前だ。心臓がドキッと跳ね上がる。

 しかし、その声は恐れていた八剣編集長のものではなかった。

「なんだよ、美舟か。見つかったかと思ったぞ」

「ということは、たまたま偶然よさそうな被写体と出会ったわけやのうて、ここが八剣編集長の自宅だと知っとってきたわけやね?」

「ここが八剣編集長の家だと知っているということは、おまえだって偶然この道を歩いていたわけではなく、わざわざ訪ねてきたんじゃないのか?」

 ショートカットの髪はあちこち跳ねて、大きな瞳で俺をジーッと見る。白のトレーナーにジーンズというシンプルな私服だが、なぜか首からニコンの一眼レフカメラをさげていた。F4。いまどき珍しいフィルムのカメラだ。

 カメラの世界にはヒエラルキーがある。高価で、デカくて、重いカメラが偉いのだ。

 俺のカメラは入門機とかエントリーモデルと呼ばれているアマチュア用だから、小型軽量にできていた。

 それに対して美舟のF4はハイエンドなプロ機材であり、歴代のニコンFシリーズの中でも特に大型サイズだから、まさにスーパーヘビー級。

 定価もスゴかった!

 もっとも、その当時の定価で考えれば圧倒的に負けていたとしても、現在の流通価格からすれば俺のカメラのほうが高いだろう。いくら昔は高価なプロ機材だったとはいえ、現在では中古にしては古すぎ、アンティークというには新しすぎる、一番値段がつかない微妙な時期なのだから。

 それにプロだって機動性を活かしたいときは小型のカメラをあえて使うこともある。

 どんなカメラで撮ったかではなく、なにを撮ったかが写真の価値を決めるのだし。

 しかし!

 なんか負けたーと思った。

「なんや? このカメラか? お父はんから借りてきたんや……どうやら、目的は同じみたいやな」

「八剣編集長の恥ずかしい写真か?」

「入部直後から何度か時間を作ってジブンの言う決定的瞬間というヤツが撮れんか狙っとるんやけど、なかなかなぁ……」

 カメラの勝負ではなく、写真を撮りにきたのだ。それなら美舟がどんだけすごいカメラで武装していたとしても、俺は勝てる。

 なにしろフィルムの場合は三十六枚が最大だ。これを三十六発の実弾を込めたライフルに例えるなら、ギガ単位のコンパクトフラッシュを差したデジタルカメラは数百発は余裕でショットできるマシンガン。

 そこにキャノン砲のような望遠レンズを装着すれば撮れない被写体はない。

「まあ、そう簡単に決定的瞬間なんて撮れるわけないからな」

「そういうジブンはすでに何枚か撮られたみたいやもんな。ウチかていつ撮られて、それをネタになにさせられるかわからん。そうなる前に先制攻撃や。うまくしたらスポーツ新聞部は明日からウチのもんになるかもわからんで」

「とりあえず場所を移動しよう。望遠レンズをつけたカメラを持って自宅前をうろうろする俺たちの姿を見られたくないし、おまえの真っ黒な野望を八剣編集長に聞かれたら殺されるかもしれん。俺としては、おまえが殺されても知ったことではないが、巻き添えにされたらたまらんからな」

 美舟も同じ気持ちのようで、俺の言葉を最後まで聞かないうちに背を向けて歩き出した。少し離れた公園までいく。

 初夏といってもいいような暑いくらいの陽気だが、周囲の道路では木陰にタクシーをとめて仮眠している運転手が何人かいるだけで、広い公園に人影はない。美舟はベンチにちょこんと腰かけた。

「自宅の写真を撮ってたみたいやね」

「撮ったけど、そういうつもりじゃない。被写体として魅力的だったから撮っただけだ」

 大金持ちのお嬢さまとはとてもいえない、むしろ正反対の自宅を見て、どうやら美舟もアパートの写真だけで武器として使えると気づいたのだろう。

 だが、それはしない。

「本人の弱味なら容赦なく突くけど、住んでる家は親の事情だし」

「お嬢さまだと主張してるんは本人やけど……まあ、なんとのうフェアやない気がするわな――それでも使わなかんこともあるかもしれんさかいに、ウチも何枚か撮ったけどな」

「なんだよ、ソレ。途中までは常識人の発言だったのに、いきなり暗黒面が噴出したぞ」

「誰でも持ってるもんや」

「いや、持ってないと思うな。たとえ持ってても、おまえほどではない」

「人がよすぎるんやな……そのうち人生がどういう仕組みになってるかわかる日がきっとくるよ。首くくる寸前になってわかっても、かなーり手遅れなんやけど」

「頼む、そんな不気味な予言はするな」

「いつかは確定しとらんが、必ずくる未来や。インチキな予言とちゃうで」

「やめろよ、本当に……」

「まあ、ウチの人生やないし、かまわんけど。それより、あの家だと訪ねていったら迷惑がられるよなぁ……遊びにいきたいとお願いしても断られそうや、まいった」

「たぶん訪ねてきて欲しくはないだろうけど……しかし、自宅に遊びにいきたいと思うほど八剣編集長と仲がよかったか?」

「例のネタのことや」

「黒川部長がスポーツ新聞部の復活に使ったという噂のアレか? まだ探してたのかよ」

「もともとウチの目的はそれやし。でもなあ……部室のほうにはないんや。隅々まで探したし」

「最近、やけに掃除に熱心で、先輩たちが帰ったあとも一人で居残ってると思ったら、そんなことしてたのか」

「部員で、ちゃんと理由があれば、いくらでも部室に出入りできるやから、そこは乱用せんとあかんところやろ」

「で、乱用してみた結果、部室が綺麗になりましたとさ。お疲れ様でした!」

「ここにはないという結論を導き出すことができたんや、ぜんぜん無駄やないし。それに、ウチは綺麗な部屋のほうが好きや」

「そうだね、その通りですね」

「哀れみに満ちた目で見んな!」

「しかし、それがもしあったとして、部室でないなら自宅だよな。つか、俺が学校側の弱味を握ったなら校内に隠したりはしないぞ。だって、校長ならクラブハウスのマスターキーだって手に入るだろうし、夜中、絶対に生徒がいない時間にゆっくり探すことだってできるもんな」

「まあ、そう思ってもいちおうや、いちおう確認せんとな……そやから、哀れみに満ちた目はやめ! これからは自宅を探す」

「どうやって?」

 それは無理だろう。部室と違って、鍵なんか簡単に貸してもらえるわけがない。こっそり借りて合鍵を作るとか、もはや犯罪だし、それを使って勝手に家の中に入ったら、それも犯罪だ――美舟なら平気でやってしまうそうなところが怖いが。

「普通に訪ねていけばいいんやないか? 後輩が先輩の自宅に遊びにいってあかんことないやろ……と思ったわけや」

「例え八剣編集長が遊びにおいでと誘ってくれたとしても、家捜しはできないだろう?」

「後輩が遊びにきたら茶の一杯も出すやろ。隙見て先輩の茶碗に睡眠薬でも放り込んだらよろし」

「す、睡眠薬?」

「スタンガンでビリビリやって気絶しとる間に探す手もないことはないが、それは最後の手段や」

「とっくに最後を通り越した手段に聞こえるんだが……だいたいスタンガンとか睡眠薬とか、おまえ持ってるのかよ」

「ん? いつもバックの中や。なんかあったときのために常備しとるよ、普通の女子は」

「普通の女子の常備薬はリップクリームとか、アスピリンくらいだろう」

「それは見解の相違ちゅうやつやな、まあ、いいわ。それより、これからどうするつもりや?」

「俺の写真を撮ったり、パソコンの中身を覗き見したのは、どうやら渾沌先輩が中心になってやったみたいだからな。今日のところは八剣編集長は許してやろうと思う」

 つぎに渾沌先輩の家にいくと言ったら、美舟も一緒にいくとベンチから立ち上がった。こっちは住所からすると名古屋でも高級なほうの住宅街だし、番地までで部屋番号がないところからするとアパートやマンションではなく一軒家みたいだ。

 つか、この住所からすると美舟の家の近所じゃないか? 俺の家とちょうど反対方向に徒歩数分というところだろう。

「場所はわかるよな?」

「ウチが知るわけないやろ」

「近所なのに?」

「そうなん? 二年生やけど渾沌先輩は役職なしやから可能性としては一番薄いやろと思って、いままでノーマークやったからなぁ。まあ、それでもちゃんと確認せんといかんけどな。しかし、同じようなことは校長も考えるだろうし、逆を突くという意味で案外とアリな気もせんことないか。放っておいたらずっと黙っとるし、友達いなさそうやし、秘密を守るのが簡単というところもプラス要因や」

「おまえは歩いてきたのか? どうするかな、俺も自転車を引いて歩こうか、二人乗りでいくか」

「おまわりはんがおらんくて、ジブンが漕ぐほうでええなら二人乗りやろ。そのほうが楽やし、早い」

「そんな重そうじゃないし、二人乗りでいくか」

「上から下までじろじろ見るのは禁止」

「待て待て、いつの間にやら俺は変態になっていないか? 乗せて漕げるか考えてただけだろ!」

「変態やん。もしかしてジブン自覚ない? パンツの写真を撮らせろとか、胸のサイズを測らせろとか」

「あれは取材」

「抱き枕でなんかしたのは?」

「……すみません。俺が漕ぎますから、ぜひ後ろの席でゆっくりくつろいでください」

「わかればええんや」

 ちょこんと美舟はママチャリの荷台に腰に座って、俺の腰に手をそえた。

 グッと力と体重をかけてペダルを踏み込むが、思ったよりもスムーズに自転車は走り出した。どちらかといえば小柄な美舟だが、実際に体重も軽いのだろう。

 中学のときに近所のホームセンターで買ってもらった安物で、ろくに整備もしてないからチェーンがキーキーと鳴いていて、いつもオイルを塗ろうと思っているのだが、なぜか毎回自転車を降りた瞬間に忘れてしまうのだ。

 そのツケがまわってきたようで、渾沌先輩の自宅にむかう道はゆったりとした登り坂が延々と続いていて、三段変速の一番軽いギアにしてあるのだが、だんだんと太腿に乳酸がたまっていくのがわかる。

「最近は暖かい日が多くなってきたから、こうやって走っとると風が気持ちええな」

「俺のほうは汗が止まらん感じなのだが」

「まあ、ネット通販で変な人形ばっかり買っとることを、あの三人の先輩方に知られたわけやから、冷汗くらい出るわな」

「どっちかというと、うしろの荷物が重くて汗が出てるような気がしないでもないけどな」

「そんなん気のせいや。ウチかてジブンの趣味を教室でバラすこともできるんやで。それなのに、いまのところ部室内のみにとどまっとるのがどういうことか、ちゃんと考えんとあかんところやろ」

「……そうだな、たしかに気のせいだ」

「熱いネタはそのまま放り出すより、ちょっと寝かせたほうがおもろいから」

「ちょっと待て、なにを考えてるんだ?」

「さっきのボロアパートの写真もそうやけど、こういうのは相手の出方しだいちゃう? 味方か、せめて中立なら問題ないとしても、敵にまわって、しかも手加減できんくらいやられまくったら手段なんか選んどれん」

「いつ俺が敵にまわったんだ?」

「未来かな」

「いつもいつもそんな不気味な未来予測ばかりしているが、おまえは空想で未来の日記を書く趣味でもあるのか? しかも、悪いほうへ悪いほうへ転がったバージョンで」

「さすがに未来日記は書いたことないけど、例えば十年単位でいろいろ考えとくのは悪くないと思うよ。そのために必要なことをいまやっとく。準備をはじめるのに、早すぎるということはないさかいにな」

「いまから十年後というと二十五、六か……普通なら就職して少しは仕事に慣れてきたころになるのかな?」

「その就職先をちゃんと世間に名前が通る一流企業にしたいと思うとるなら、いまは勉強をがんばって一流大学を目指すと、ちゃんと十年後に実現しとる可能性が高なるとかな」

「当たり前の結論だな」

「結論は当たり前やし、こんなん誰でも考えつくことやけど、ところが実行できるヤツはあんまりおらんな。なかなかリアルに想像しにくい未来のために勉強するより、いま流行っとるゲームでもやっとったほうが楽しいもん」

「それも常識的な話だな」

「えらい奇抜な十年後を計画しとるなら、もっと変な話になるけどな」

「例えば悪の秘密結社を作ろうとか?」

「なんや、それ。そんなしょーもないもん作ってどないするんや?」

「おまえの十年後だろ。まずスポーツ新聞部を乗っ取り、それを足がかりにして学校を意のままに操り……という感じで十年後には悪の秘密結社の女総帥。全世界の敵だ」

「アホなこと言いなさんな。たった十年で世界中を敵にまわして戦えるレベルの秘密結社ができますかいな。それは三十年後の予定や」

「それ、本気ですか? ツッコミ待ちですか?」

「ははははははははは」

 くだらない話をしているうちに長い坂道をやっと登りきり、今度は反対に緩やかな傾斜をおりていく。

「ところで、本格的なベストやな。プロみたいやん。胸のところにブラッドタイプAだったかBだったか、そんなん書いてあったんやなかったかな、それ。メンズのブランドは詳しないから知らんけど、有名なブランドだったりするんか?」

「製造メーカーの名前じゃなくて、普通に血液型と訳せばいいよ。自分の血液型を表示しておくと、なにかあったときスムーズに輸血してもらえるだろ? たとえば戦場で取材してて撃たれたときとか」

「いつ戦場に取材にいくんや?」

「いや、いまのところそういう予定はないが、砂漠で目立たないように色もデザートタンを選んだんだよね」

「そやから、いつイラクやアフガニスタンにいくんや?」

「そんな熱くハジけた地域に本当にいったら危ないだろ。シリアで亡くなった日本人ジャーナリストもいるんだし。だから……なんつーの? 気分の問題だよ。光と影を相手に格闘する俺からすれば、この街だって戦場だ」

「まあ、先輩たちの恥ずかしい写真を撮りにいくやから、これは一種の戦いといってもええかもわからんな」

「美舟のカメラだって、戦場に持っていっても働いてくれるプロ用カメラじゃないか」

「ただの借り物やけど」

「父から娘へというところにドラマがあるかもしれないぞ。世代を超えて受け継がれ、この世界を四角く切り取り続けるニコンのF4って、なんかいいじゃないか」

「ジブン、おもろすぎるわ。いろいろ言うても先輩たちと似たところがあるな」

「どこが?」

「わからんなら、ええわ。ほんまおもろい」

 ははははは、と笑い声がうしろからする。

「人が真剣な話をしてるときに笑うな。だいたい自転車が揺れて危ないじゃないか!」

「それより、渾沌先輩の家はここらへんやないか?」

「住所からすると、どうもそうみたいだな。この周辺のことは知ってるか? よさそうな撮影ポイントがあるなら教えてくれ」

「引っ越してきて、まだ一月やからな。ここらが近所だということはなんとのうわかるが、あんまり詳しないなぁ……ウチの一番の目的は黒川部長の遺産や。まだ本人か握ったままかもしれんが、いずれは引き継がれるしな。そうなると編集長か次期部長かというところで、八剣先輩と上社先輩は何度か張り込みや尾行したことあんねん。でも、さっきも言うたように渾沌先輩はいままでノーマークや」

「張り込みだけでなく、尾行までしたことあるのか」

「顔見知りはバレたときごまかしが効かんから、そない何度もやったわけやないけどな。それより渾沌先輩の自宅の前までいくわけにもあかんやろ。適当に覗きができるとこ探そ」

「覗きができるというのも大胆な表現だな」

「言葉を飾ったところで、ウチらがやるのは覗きやん」

 なにがおもしろいのか、またしても美舟の笑い声がうしろから聞こえてくる。そして、顔の横から指が伸びてきて、ひときわ大きなマンションを指した。

「あの屋上は?」

「とりあえずいってみよう」

 この周辺は名古屋市内でも高級なほうの住宅街だから、敷地をゆったりととり、立派で洒落た建物が多い。俺たちが目をつけたマンションも実際にはコンクリートでできているのだろうが、その表面に茶色いレンガ風のものが貼りつけてあり、全体的な印象では重厚なレンガ造りのように見えた。

 エントランスを見ると、もちろんオートロックで、それどころか管理人も常駐しているようだ。

「あかんな」

「もしかしたら、ここらへんのマンションはみんなこんなふうなんじゃないのか?」

「ここらに限らず、おおむね日本全国的に高級なマンションならオートロックくらいはついとるやろな」

「とりあえず渾沌先輩の家の周辺をぐるっとまわってみようか」

 俺はふたたび自転車を漕ぎ出し、まず渾沌先輩の家の前までいってみた。古いが、なかなか立派な家で、キャッチボールくらいならできそうな庭は芝生になっていて、車が三台は止められそうな広いガレージもあった。八剣編集長は過去形のお嬢さまだが、渾沌先輩は現在形でお嬢さまのようだ。

 俺からすれば充分豪邸に見えた美舟の家より、さらに敷地が広いんだからな。

 ただ塀は低く、うまい場所を見つけることができれば建物の中を撮影するのは難しくなさそうだ。

 周囲の建物を調べていく。個人の家は問題外だし、マンションはオートロックや管理人がいるようなところばかりで、なかには『セールス、勧誘、チラシの投函禁止 無断進入は警察に通報します』とイヤな感じに目立つ看板が出てるところまであった。

 だが、裏手のほうに山とか森というには狭いが、ちょうど小高い丘のようになっている場所があった。自転車を道路の脇に止めておいて、苔で緑色の絨毯を敷き詰めたようになっている石の階段を上っていくと、大きな鳥居がある。

 鞄から地図を出して確認すると、神社とともに城址となっているので、戦国時代にでも小さな城があったのだろう。戦乱の時代が終わると廃城となり、かわって神社が建てられ、まわりが住宅地になっていっても残されて現在に至る、という感じだろうか。

 どんな理由にしても、俺たちの目的にはちょうどよさそうだ。

 林の中に入ると、丘の中腹あたりに見晴らしがいい場所があって、ちょうど眼下に渾沌先輩の自宅があった。

「ここだな」

「ええやん、先輩の部屋はどこやろ。二階の窓は見えそうやな。でも、一階やったら覗けんか」

「ダメなら、もう少し下でいい場所を探すだけさ」

 俺はカメラのボディに二倍のテレコンと二百ミリのレンズを装着した。そうすると焦点距離が二倍になるから四百ミリになる。さらに、このデジカメは撮影素子が三十五ミリのフィルムカメラより小さいから、四百ミリを一・五倍して、六〇〇ミリ相当の望遠レンズとして使えるわけだ。

 しかも、そのレンズは俺が持っている中でもっとも信頼できるもの。一九七〇年代に製造されたゾナー二百ミリ。その設計の源流は一九三六年のベルリンオリンピックを撮影するために当時世界最高の光学機器メーカーだったツァイスが総力を挙げて設計した百八十ミリの高速望遠レンズ『オリンピア・ゾナー』に辿り着くという由緒正しい銘玉なのだが、たまたま廃業するカメラ屋の中古品コーナーに転がっていたのを捨て値で拾ってきた。

 いまやカメラを買うのはカメラ屋ではなく電気屋なのだから、こういう伝説のレンズも失われていくのかもしれない。しかし、アダプターを使えば最新のデジタルカメラに装着することができるし、オートフォーカスには対応してないが、俺の腕ならマニュアルだってピントが立ちまくった写真が撮れる。

 さっそくファインダーを覗いてみると、なんとか窓から室内がわかった。しかし、手持ちではブレる。三脚は持ってないので近くの木の幹にレンズの横面を押しつけるようにして固定した。

「どこが渾沌先輩の部屋だ?」

「女の子らしい部屋を探せばええんちゃう?」

 美舟のほうはF4についていた五十ミリのレンズを外して、かわりに五〇〇ミリのレンズをつけていた。

「どっちかというと、お香を焚いたり、ロウソクを灯したり、変な祭壇とかありそうだけどな」

「案外ピンクの壁紙に、ぬいぐるみいっぱいかもしれへんで」

「かわいいぬいぐるみと一緒に寝てたり? ソレ撮れたら抱き枕の反撃材料だな」

「男子高校生の等身大アニメキャラ抱き枕と、女子高校生のぬいぐるみを同じ扱いにしたらあかん」

「いや、おまえみたいなのがぬいぐるみと一緒に寝てるならOKだが、あの渾沌先輩だぜ。理科室にあるような骨格標本と一緒に寝てるなら、いかにもソレっぽいけど」

 そのとき、うしろから冷たい声がした。

「期待に背いて申し訳ないが、我輩にそんな下劣な趣味はないな」

 いつの間にか、背後に渾沌先輩が。純黒のスーツに――マント。マントだぞ? しかも表が黒で、裏が真っ赤。

 あまりにも渾沌先輩らしい私服ではあるが……普段は学校でしか会わないわけだから、いままで制服姿しか見たことがなく、渾沌先輩がいかなる私服を持っているのか謎だったが、こんなことなら永遠に解かれない謎のままにしておいたほうがよかった。

「どうしてここに?」

「この世のすべてを九飛眼で見て、九飛耳で聞いておる我輩ゆえ、貴様のくだらぬ企みはとっくに丸ごと筒抜けになっておるわ」

 非常に冷静というか、感情のこもらない声だったが、渾沌先輩はいつもこんな調子だから本当は激怒している可能性もある。まあ、後輩が覗きをしようとしていたのだから、楽しかったり、うれしかったりするわけないが。

「明日の編集会議を期待して待っておるがよい。我輩が素敵な提案をするつもりだ。バストの次であるからヒップでよかろう。タイトルはどうしたものかな? 例えば『学校一の美尻を探せ!』になるか。いよいよ貴様は変態としての名を高めるであろう」

 なにか言い返したいところだが、なにも言葉が出ねえ。美舟も黙ったままだ――あれ? いつの間にか美舟の姿が消えている。

 いつの間にか、俺は一人で渾沌先輩と対峙していた。

 どうする?

 戦うのか?

 えー、天才カメラマンの大活躍をコメディタッチで描くのはここまでで、ここからは打ち切りにされそうな週刊少年漫画のテコ入れっぽい感じに、いきなりバトル方面にシフトしていきます!

 ――本当に戦うのか、俺?

 シャッターを切ったら謎ビームがレンズから発射されるカメラとか持ってねえし。

 肉弾戦なら勝てるかもしれないけど、女の子を相手にゲンコツを振り回して「コノヤロー! ブッコロス!」というのも、どうだろう?

 と俺が悩みに悩みまくっていたら、いきなり渾沌先輩はマントを翻しながら、さっさと森の中を歩いていってしまった。

 その姿が見えなくなったところで、美舟が木の陰から出てきた。

 コイツ、俺を見捨てて一人だけ隠れやがったな。

 まあ、いい。ここはそれを追求するより、もっと前向きな対策を立てる場面だ。

「美舟、一つ頼みがあるんだが聞いてくれないか?」

「一つどころか、どうも毎回頼まれてる気がせえへんこともないけど、まあ、ええわ。言うてみ」

「なんとか反撃の方法を考えてくれ」

「そんなとこやと思ったわ。しかし、なんも難しく考えることあらへん。攻撃プランと防衛プランの二つある。まずは守りや。ジブン、明日から渾沌先輩の写真を撮りまくったれ。別に恥ずかしい写真限定ではなくて、むしろかわいい表情のがええな」

 その写真を大きくプリントして自分の部屋の壁に貼れ、と美舟は言った。パソコンの壁紙とか、ハードディスクの中身も渾沌先輩の画像で一杯にする。

「覗かれることを防げないのなら、覗かれても問題ないようにしておくんや。八剣編集長になにかネタを出せと言われたら渾沌先輩も困るやろ。我輩のことを好きらしいなんて、まさか編集会議で言うわけにもあかんし」

「確かに、それは言えないな。しかし、真っ赤になってキョドってる混沌先輩か………………自爆テロみたいな防衛手段だが。まあ、恥はかくだけかいたからいいけど」

「そして攻撃のほうやけどな、明日の編集会議にジブンも対抗して超シブい企画を出せばええやん、ギョエー、なんじゃこりゃ? と八剣編集長が引っくり返るようなヤツ」

 ニヤリと美舟は笑った。

 美舟千波腹黒モード発動中。

 どんなスゴい企画だろうと、ギョエーと叫んだり、引っくり返る八剣編集長なんか想像すらできないが、まあ、いまの美舟ならなんとかするかだろう。


 翌日の編集会議は冒頭から渾沌先輩が出した『学校一の美尻を探せ!』という企画に八剣編集長が乗り気になり、俺にヒップの計測と、トップテンにランクされた女子生徒の写真を撮ってこい命令する展開となった。二番煎じのネタではあるが、やはりエロは一定の需要が見込めることが先週の売り上げデータからはっきりわかっているし。

 ここまでは予想通りである。

 だから、俺はそれを拒否するのではなく、もっとおもしろい企画があるから検討してもらいたいと返事した。美舟の知恵を借りた二つの計画のうち、防衛プランのほうは仕込み中だから、今日は攻め。

 攻撃プランを実行する日である。

 高らかに進軍ラッパを吹き鳴らして突撃だ!

「先週の『学校一の巨乳を探せ!』は学校側からクレームがついたらしいじゃないですか」

「学校側からクレームですって? 生徒会からは予算を減らすと通告されて、年百円が五十円になったのよ。そんな小銭いらないわ! 新聞部からは同じ学校で新聞を出しているのが恥ずかしいと嫌味を言われるし。このわたくし八剣美琴が編集長をつとめる『名スポ』に対して、何様のつもりかしら!」

「女性蔑視だとか、セクハラだとか、ひどい言われようだったと聞いてます」

「思い出させないで頂戴、また腹が立ってくるわ」

「ですから、今度は男子で企画を立てたらどうかと思うのです。それなら男女のバランスが取れるでしょう? 少なくとも女性蔑視にならない」

 まあ、男女平等にセクハラしてしまうわけで、それを平等と言ってしまうのは少々――いや、かなり強引なんだけどな。

 さらにダメ押しに、バストからヒップという流れはわかりやすいとしても、ヒップを実測して意味があるのかと八剣編集長に問いかけてみた。ヒップは大きければいいというものではないし、美尻というものはメジャーで計測できるものではない、だって美しさは数値化できないでしょう、と俺は熱く語る――全部美舟の受け売りなんだけどな。

「それはそうかもしれませんが……男子で企画を立ててバランスをとるのも論理的だし、ヒップを実測しても意味が薄いというのも正論だとしても、だからといって男子の巨乳なんて需要あるのかしら?」

「たくましい胸、いいじゃないですか。私は賛成! 男子の胸はなかなか注目されないけど、本当は素敵なものなのです。もちろん、華奢な胸はそれで悪くないけどね。色白の美少年の乳首がピンクだったら、それだけでメチャクチャに犯したくなるし」

 すぐに上社副部長が食いついた。鼻息が荒くなって、縁なし眼鏡が白く曇る。

 ここまでは美舟の計算通り。すかさず俺は上社副部長に質問した。

「いえ、副部長みたいな特殊な性癖な人だけが喜ぶような企画では部数が出ません。女子が巨乳というなら、男子はどこが大きいのがエライでしょう?」

「も、も、も……もしかして?」

「もしかしなくても『学校一の巨根を探せ!』ですよね」

 カクカクカクと壊れたマリオネットのように、上社副部長は首を上下に振った。腰まである長い三つ編みがブンブンと激しく揺れた。

 そこに八剣編集長が待ったをかける。

「売れないでしょう、そんなもの。このわたくし八剣美琴には購買層がさっぱり見えませんわ」

「そんなことないですよ。たとえば俺が学校一の巨根と『名スポ』に書かれたら、二十部や三十部は絶対に買ってしまいます。学校新聞で一番だと書かれちゃったよ、と表面上は困惑したような顔をしつつ内心では大威張りで友達に自慢しまくりながら配ってまわりますね。ベストテンまで掲載するとして、少なめにみて一人平均で十部だとしても合計百部。友達の多いヤツなら三十部とか五十部の大口予約を入れるかも。もちろん一般の生徒が買う分もあるから、少なくとも三百は余裕でハケます。いつもは特別なスクープでもない限り七十部から八十部が実売ですよね? その四倍ですよ」

「確かに男はバカだから、つまらぬ自慢をしたがるかもしれぬて。貴様が測ってくるなら、よいのではないか?」

「いえ、渾沌先輩にも手伝っていただきますよ」

「なんだと! 我輩に測れと?」

「だって、先輩たちは常々『名スポ』のためならなんでもやると公言してるじゃないですか、だからオマエもやれ! って感じに。もちろん今回も見習い編集員として雑用は俺がやります。測るのも基本的には俺がやります。しかし、もし相手がどうしても先輩たちに測ってもらいたいと強く希望した場合にはお願いしたいのですが……」

「先輩たち? もしかして、このわたくし八剣美琴にもあんなものを測れと?」

「相手が強く希望したときのみですね。先週にしても、俺が測るから嫌がられたところはあると思うんですよ。もし先輩たちが測るのなら、女の子同士ですから、もっと簡単に測らせてもらえたかもしれないと、あとで反省したわけで」

「私は測る。測る。絶対測る。美琴も渾沌もいいじゃない。希望者がいるなら、その望みをかなえてあげれば? 売れる記事になるんだし」

「……そう言われれば、バストを測るにしても、見習いより、わたくしたちのほうが抵抗が少なかったかもしれませんね。今回は男子生徒ですから見習いが測るほうがいいのでしょうが、もし――もしですよ。どうしても、どうしても、どうしてもという大変に強い希望がありましたら、まあ、いいでしょう」

 八剣編集長はしぶしぶ了承した。そして、黒川部長はよほどのトラブルが予想される場合を除いて、基本的に後輩たちの好きなようにさせる方針だ。この日も編集会議には参加していたが、ストップはかけなかった。

 ただし、俺のほうを見てニッと笑う。

 もしかして……見抜かれてる?

 実質的には引退している人だから計測担当には入れてない。美舟の予測だと、この人は一部から熱狂的な支持がある――あたかも神を崇拝するごとく、この奇跡のような合法ロリな外見を崇め奉っている連中がいるというのだ。

 しかし、黒川部長はなにも言わなかった。自分は計測担当から外されているし、おもしろそうな企画だと思ったのだろう。八剣編集長とかわらない部数アップ絶対主義者であり、おもしろければなんでもいーじゃんという適当精神の持ち主だから知らない顔をしておくつもりなのだ。


 ここまでは計画したとおりに進行している。まったく美舟のヤツは恐ろしい。他の人間と対立することはあっても、あいつだけは敵にまわさないと心にかたく誓った。本当に未来日記を書くのが美舟の趣味だったとしても、本当の未来で俺があいつと対立することはないだろう。

 しかし、いまのところ半分くらいだ。残り半分がうまくいくかどうかは放送文化研究部にかかっている。そして、こっちのほうが難しいというか……美舟はうまくいくと計算しているようだが、俺のほうはどんな公式にあてはめれば成功という答えを導き出せるんだ? と少し――いや、かなり懐疑的。

 だって、アレを人前にさらして計測させた上に、その結果を新聞で公表するんだぜ?

 無理。

 無理。

 俺だったら、もうね絶対無理。

 どんな露出狂だ、という話だよな……しかし、その露出狂の変態さんが何人かいないと企画が成立しないのも確かなんだ。

 おもしろそうだなと学校中の男子は興味を持つかもしれないが、それでは俺も参加しようと手をあげるのは数人だろうか? 五人か、十人も集まれば上社副編集長はともかく、八剣編集長や渾沌先輩には結構なダメージを与えることができるはずなんだけど……編集会議ではトップテンまで発表といったけど、あれは企画にOKをもらうためで、本当はトップテンを選出しようにも、そもそも十人もの露出狂変態男子がこの学校にいるのだろうか。

 難しい……と思う。

 せめて数人は集めたいんだが……学校中で一番変態が集まっている部活は放送文化研究部だ。

 部室を訪ねて上田に頼み、部長に紹介してもらった。すると部長は大喜びで俺を部室内に迎え入れたのだった。

「上田が箸を入手したからと、俺に一本わけてくれたんだ。もしかして今日もいい話をもってきてくれたのか?」

「いい話だと思うんですけど……とりあえず聞いてもらえますか?」

 全校女子のバストサイズのデータと引きかえに黒川部長の箸を要求され、そのデータは結局ボツだったわけだが、約束は約束だ。

 学校前のコンビニのゴミ箱から拾ってきた箸だから、絶対に黒川部長の使用済割箸ではなく、それどころか大盛りチキンカツ弁当の空箱と一緒に捨てられていた箸だから、女性が使った箸である可能性もほとんどないわけだが……しゃぶったりしたんだろうな、この人たち。

 なんか心が痛む。

 まあ、いい。今回は騙すわけではなく変態さん大喜びの企画なのだ。

 一通りの説明をして、測る相手を指名できるというところを強調した。美舟の計画だと、うちの部の先輩たちは性格に難のある人ばかりだが、外見は美人といってもいい人でもあるので、うまくいくのではないかと予測していた。

「質問していいか?」

 ずっと黙って説明を聞いていた部長がやっと口を開いた。

「なんでしょう?」

「あー………………なんというか…………………………………………発射はありか?」

「そのぉ……………………発射というのが一般的に想像される事態であるのならば、さすがにマズいのではないかと」

「しかし………………その……なんというか………………………………………………暴発した場合はしかたないよな?」

「発射するつもりはなかったのに、測っているということは、さわるということでもあるわけで、つい、うっかり……という事態は当然ありそうですが、先週の『学校一の巨乳を捜せ!』は関係各方面からクレームの嵐だったそうですから、今回暴発の嵐だったりすると……」

「暴発くらいするだろ、男の子だもの! したくてするんじゃない、どうにもならないことだって、この世の中にはあるんだよ」

 なんか部長がすごい勢いで立ち上がって力説した。こんなことで逆ギレされても困る。

 つか、計らせるほうは、すでにOKをもらったと思っていいのか? 計測した具体的な数字を新聞で公表しても問題なかったりするのか?

 俺からすれば女の子に計らせるなんて、どんな羞恥プレーだよと思うのだが、この人は逆に新手の風俗みたいに感じているような……もし料金を請求したのなら、いくらでも払ってくれそうな雰囲気でもある。

 すげえ勇者様だ!

 パンツを撮影させてくれと土下座した俺なんか、まだまだ修行が足りないな。

 いや、まあ、だからといって上を目指して修行する気はないが。

「………………わざとやるのは禁止ですよ?」

 しかし、その勇者様には釘を一本打っておかなければならない。

 だが、勇者様はまっすぐ見据える俺の視線を避けるように、なんだか目がふらふらと定まらず泳いでいる。

「例えばですよ、八剣編集長の顔面にぶっかけたとするじゃないですか」

「顔面にぶっかけ!」

 俺の言葉に異様なほど食いつき、泳いでいた目が俺をまっすぐに見据える。そして、心なしか……頬のあたりが赤くなっていく。

 ひょっとして、いま想像してる? ぶっかけられた八剣編集長の顔面がどんな感じになるか詳細にシュミレートしちゃってます?

「すごく冷たい目で睨まれますよ」

「おお! 美少女に軽蔑の眼を向けられる、最高のご褒美じゃないか」

「で、そのあと激怒した八剣編集長はカッターナイフでスパッと……」

「スパッ?」

「切り落されると思いますけど」

「……………………わかった」

 そのあとの惨劇も想像してしまったのだろう、真っ赤になっていた放送文化研究部の部長は真っ青になった。

 もし、そんなことがあれば……八剣編集長はやるな。確実に切り落す。

「わかってくれましたか?」

「確かに八剣なら、平気でやりかねない。男として、体の一部が失われるとしても、ここだけは絶対に勘弁してもらいたいと願う大切なところだからな」

 というわけで、参加はOK、ぶっかけはNGで決まった。

 しかし、絶対に無理だと思っていた交渉が、こんな簡単にまとまるとは……本当の本当の本当に他人に計らせるのか? アレを。

 女の子の前でパンツをおろすなんて、俺はどうやってもできねぇ。

 そんなの恥ずかしすぎるもんな。

 しかし、美舟は参加者がいるはずだと計算したわけだ。改めて恐ろしいと思う。

 部長一人だけでもダメージを与えることができるし、放送文化部には他に何人か露出狂の変態さんが在籍しているようで、大喜びでのりそうな連中に声をかけてくれると約束までしてくれた。

 うまく十人……は無理かもしれないが、さすがにそんな変態がいるわけないしな。しかし、その半分でも集まってくれて、あの先輩たちに測らせることができれば反撃としては充分だろう。いつもやられっぱなしの雑魚キャラではないというところをガツンと強烈に頭に叩き込んでやる。


 翌日の放課後にはクラブハウス旧館の前に行列ができた。もちろん、スポーツ新聞部の部室から長く続いているのだ。

 一年から三年まで合計で男子生徒が五百人くらい在籍しているから、五人か十人も集まれば大成功だと思っていたが……そんなレベルじゃねえぞ。ざっと五十人近い男子生徒がニヤニヤしながら並んでやがる。

 ち、ちょっと待て。嘘だろ、コレ。

 どこかの部が別のイベントをやっているとか……クラブハウス旧館はどこも不人気で部員の少ない地味な部活ばかりだから、そんな可能性はまったくないわけだが。

 それに、なぜか列に並んだ野郎どもは一様にポケットに手を突っ込んでいる。しかも、それは手が寒いからという理由ではなく、股間のあたりでシコシコと手を動かしているのを隠すためらしい。

 できるだけ大きな状態で計測してもらいたいという……なんということだ。

 県内でもそこそこの進学校のはずなのに……変態だ。変態ばっか。

 俺が仕掛けたことだが、これはありえねぇ。

 その変態の代表である放送文化研究部の部長や上田はもちろん、ほとんどの部員が顔をそろえているようだ。なんだか脳内がピンクになっていそうなヤツもいれば、体格がよくて本気で学校一の巨根の座を狙いにきている様子の先輩もいる。

 そして、なぜか生徒会長の三之丸と新聞部部長の崎谷も並んでいた。しかも先頭から四番目と五番目という、かなり早い順番だ。

「於野浦くんだったね」

 と、三之丸が声をかけてきた。さらさらの髪をかきあげ、なんとなーくっかこよさげなポーズ――チンコ計測の行列に嬉々として並んでるくせに。

「どうやら、またしても『名スポ』がなにかくだらない特集をやろうとしているようだが?」

「なにか企んでいるのはわかっているんだ。問題があるか調査にきた」

 事前に学校側に漏れると中止させられてしまう可能性があるということで、俺と放送文化研究部部長の意見が一致し、口のかたいヤツだけ誘うことにしたのだ。それでも多少は噂になるだろうと覚悟していたが、まさか生徒会長がみずから列に並ぶとは……。

 しかし、いまところ企画の内容まではバレてないらしい。知ってればこんな行列に並んでないで、さっさと部室に乗り込んで中止を言い渡すはずだ。

 たぶん生徒たちが集まっていると聞いて駆けつけてきたが、行列している連中は頑として口を割らなかったということだろう――すげー変態パワーだ。

 いくら生徒会にしてもなにをやっているのかもわからず、したがって根拠も証拠もなくスポーツ新聞部の活動を中止させるわけにはいかないはず。

 ここまでバレなかったということは、きっと行列に並んでいる途中でなにをやっているか気づくということはないと思う。そして部室内に入ってしまえばなんとかできる。まさか校内で「おにゃのこにチンコを測ってもらえる、わーい。おにゃのこに自慢の逸物を自慢できる、わーい」なんて脳ミソが修復不可能にイカれてる変態がこんなにいるとは生徒会長だって想像もできないだろう。

 仕掛けた俺だって想像できなかったもんな。

 正直ドン引き。

 まあ、中止させられたらそのときに考えるとして、俺は部室に向かった。その扉の前にいたのは鈴堂極。俺のクラスメイトにして、野球部のエース。あの美舟が三位だった『今年の気になる新入生』で堂々の一位をとった、この学校でもっとも注目されている男だ。

 その鈴堂が一番に並んでいる。

 なに!

 一番先頭がコイツ?

「おまえ、なんでこんなところに?」

「ん? 以前、美琴さんの大ファンだと言わなかったか?」

「いや……それは……聞いた記憶はあるが……」

 クラスでもそれなりに仲のいいほうだから、話をすることも多いが、そのときに八剣編集長が好きだと言っていた――が、あの八剣編集長だぞ? ネタか罰ゲームだろ、ソレ。

 まったく、これっぽっちも本気にしなかったが、あれはマジネタだったのかよ!

「あの、いつもは高みから見下ろしているような美琴さんが、俺の前だけデレてみろよ。最高だと思わないか?」

「いや、他人の夢を壊すのは心苦しいが、あの人はツンデレじゃないから。完璧なるツンツン。ツン以外の有効成分はゼロだ」

「それは、おまえのことをなんとも思ってないからだ。あれで好きな男の前ではデレデレになるに決まってる」

「もしかして八剣編集長に測ってもらいたくて?」

「俺は速球を投げさせたら日本でもトップクラスの高校生だが、超高校級と呼ばれているのは、いろいろ普通の高校生を超えてるからなんだ。そこはぜひ八剣さんに見てもらわないと!」

「……すごい、と言ってもらえるといいねー」

 熱くなってる鈴堂に対して、おもいきり棒読みで返事してみる。

 中学のときからの付き合いだから結構長いんだが、こんなヤツだとは知らなかったな。普段は冗談どころか、あまり口をきかない、とっつきにくい印象の男なのだが。かんばって冗談を言ったわけではなく、どうやら本気みたいだし。

 部室のドアを開けて部室に入ると、二人の先輩が不安そうな顔を寄せ合っているところだった。しかし、俺の姿を見た瞬間に、八剣編集長は強気に眉を上げ、渾沌先輩は表情を消した。

 一人だけ上社副部長はうれしそうにしている。

 今日は編集会議はないから黒川部長は休み。というか、避難してもらった。俺としても、黒川部長にはまったく恨みはないし。

 美舟も休み。自分で立てた計画だから成否を見届けたい気持ちはあったのかもしれないが、結果だけ知らせて欲しいと頼まれた。さすがに立ち会うのは、ねえ……。

 もし、この二人も顔を出すということだったら、もっと行列は長くなっていたかもしれない。なにしろ合法ロリと、猫耳少女だもんな。

「どういうことなの、これは? そこのマヌケ、このわたくし八剣美琴にすぐ状況を説明しなさい」

「みんな協力的で『学校一の巨根を探せ!』という特集をやると言ったら、ぜひ測ってくれと押しかけてきてるんです。それで、みんな先輩たちにぜひ測ってもらいたいと大変に強い希望でして」

「わぁい! おちんちんランドがはじまるよーっ」

「なにかの間違いであろう。よもや我輩を指名する者はおらぬはず」

「わ、わ、わたくし? このわたしく八剣美琴に測れと?」

「スポーツ新聞部のためなら、なんでもやるんでしょう? 大変に強い希望があればやると約束しましたよね?」

 強い口調を念を押す。

 そう言われて「やれない」と素直に頭をさげることができわけがない八剣編集長は「もちろんよ!」と超強気に叫んで自滅の道を選んだのであった。


 二時間後、屍になった三人の先輩たち。真っ白に燃え尽きちまった……あんなに楽しみにしていたらしい上社副部長すら魂が抜けた状態になるほど、濃い時間だったようだ。

「このわたくし八剣美琴には……スポーツ新聞部を……守る義務が……あるのです」

「……我輩の呪いを……受けるがよい」

「モノではなくストーリーです……そのものではなく……それがどう使われるか妄想するのが楽しいということが……よくわかりました」

 事前に釘を刺しておいたおかげか、これ見よがしに机の上によく切れそうなカッターナイフを置いておいたおかげか、みんなの自慢の息子は行儀がよくて暴発事故は一件もなく、希望者全員の計測ができた。部室内に一人ずつ呼び、入ってきた男子生徒が指名し、指名された先輩が顔を引きつらせ……計測した数値を俺がノートに書いていく。

 文字にすればそれだけの話なのだが、一ミリでもいい数値が出るようにポケットに手を突っ込むふりをしてシコシコと刺激を与え続けてるヤツなんかが普通にいるわけだ。

 それがベロンと目の前に出てきた瞬間、先輩たちが「うっ」とか「ひっ」とか小さな悲鳴を上げていたり、震える指先でなんとかつかんで定規を当ててみたり。

 三之丸については自分から並んだくせに、部室内に入ってパンツを降ろすように言うと、慌てて回れ右するから、俺がうしろからズボンをつかんで一気に引き降ろして脱がしてやった。八剣編集長が代表して計測しようとすると「やめろー」とか叫んで、なんか涙目になるんだ。

「とってもかわいい、ルーズな子ですね」

 と、はじまったばかりで余裕があった上社副部長がとどめを刺すと、号泣しながら部室から逃げ出した。

 すぐに崎谷が顔色を変えて部室に飛び込んできて「三乃丸なにをやったんだ?」と怒鳴ったので、やっぱり俺がうしろにこっそりまわってスボンを降ろすと、必死になって逃げようとしたが、人間は膝までズボンを下ろされると走れないんだな。

 そのせいかどうか、いつものように俺が早朝から『名スポ』を売ろうと机を用意していたら、生徒会長がやってきて全部売れと言われた。しかし、この展開を八剣編集長は予測していて千部も印刷していたのだった。

「全校生徒と同じ部数を刷ったのか?」

 俺が全部お買い上げなら五万円ですが? と答えると、生徒会長はポケットから財布を出しかけたまま凍りついた。

 ニヤリと笑いかける。

「全校生徒が買ってくれそうなんですよ。なにしろ、みんなに大人気の生徒会長に関する、とても興味深い記事が載ってますから。なんなら、少し立ち読みしてみますか? ベスト十よりもワースト三のところが超絶おもしろい」

「く、くそっ……足元を見やがって……」

「いや、なにも俺は無理に買ってくれとは言ってないですけど」

「いい、買う」

「ありがとうございました」

 売り上げは五万円なり。

 いつもは七十部から八十部前後で、スクープ記事が載ったって百部を超えるかどうか。先週の巨乳ランキングは大変好評だったが、それでも二百部がやっとだった。

 しかし、今週は千部。

 それも一瞬で完売。

 新記録だ!

 俺はちょっとだけ感動しつつ、満足感で一杯になっていたのだが……隣の人はこの結果でさえ満足できないらしい。

「確かインクも用紙も在庫あったな? 追加で五百部……そんな弱気じゃあかん。もう千部いこか。さっさと部室に戻るんやー!」

「いいのか、勝手に増刷して。しかも千部ってどういうことだよ」

「こんなチャンスを見逃すのはアホや。八剣編集長もまさか生徒会長が千部まるまる買占めるとは思わんかったんやろ。普通は五万も現金を学校に持ってくる生徒はおらんし」

「それはそうだが……だからといって、さらに追加で千部?」

「あいつの財布にはまだ何枚か万札が残っとったのが見えたんや。千部刷っても、あいつ、まとめて全部買うやろ」

「万札が何枚かって……二枚だったらどうするんだ? 四百部は売りつけれるとしても、六百部もあまってしまうんだぞ」

「知らん、賭けや。負けたら墓に花でも供えてや」

「別に命がけというほどのものでも……」

 美舟と一緒に部室に走る。ポケットから鍵を取り出そうとしたとき、室内から音が聞こえてくるのに気づいた。

 聞き慣れたスポーツ新聞部の備品である古いプリンターの作動音だ。

 ドアをあける。

「全部ハケたぁ?」

 そこにいたのは黒川部長だった。まるで最初から決まっていたかのように増刷の作業に入っている。俺たちが特設販売所となる机と、昨日の放課後に刷った『名スポ』を運んだときには他に人はいなかったから、その直後にやってきたのだろう。

「美琴ちゃんも編集長として貫禄が出てきたし、優希ちゃんには安心して部長のイスをいつでも譲れるし、緋奈子ちゃんの売り上げデータの集計と予測はかなりの的中率なんだけど……こういうイレギュラーな事態には弱いよねぇ。ちなみに玄紀くんと千波ちゃんは何部増刷すればいいと思う?」

「千部はいけそうやと」

「俺は……あまり勝手なことをすると怒られそうなので、別に増刷しようと思ってませんでしたが………………もし増刷するなら百部くらいですかね」

「千波ちゃんはどうしてあと千部も売れると思ったのかなぁ?」

「支払いのとき、生徒会長の財布をちょっと覗いたら、もう何万か入っとったんです。こっちが何部刷るかは生徒会長にはわかりゃしませんから、たぶん余裕をみて十万円くらいは用意したんやないでしょうか。そんなら、もう千部売りつけることもできるんやないかと……」

「玄紀くんはぁ?」

「俺は財布は見てなかったです。ただ常識的にこの内容なら三百部くらいは売れるんじゃないかと編集会議のときに言いましたし、いまでもそう思ってますが、売れ残ったら困るので少なめに……すでに千部も売って、いつも以上に利益が出てるのに、売れ残りのリスクを抱えて大量印刷なんてバカげてますよ」

「いくらでも印刷できるものを無限に買わせるのは難しいと思うよぉ。恐喝だって延々と強請り続けてれば、逮捕か殺されるか、ろくな結末にならないもんねぇ。なので千部は却下。でも、百部とか二百部は弱気すぎるよぉ。それで三百部印刷してみたから、ちゃんと売ってきてねぇ」

 A三の両面印刷で、しかもプリンターが古いから時間がかかる。三百部も刷ってから校門の前で売ろうとしても、始業時間になってしまっているだろう。だが、黒川部長が片面だけは印刷しておいてくれたので、反対側を印刷しつつ、五十部ほどたまったところで俺はそれを持って校門前に走った。

「本日発売、一部五十円! 『名スポ』の発売日ですよ、一部五十円、五十円!」

 登校してくる生徒たちに声をかける。

 しばらくして、その五十部がなくなりそうになったとき美舟がさらに追加の百部を持って駆けてきた。

 腹黒キャラには似合わない、両手を大きく振っての全力疾走だが……フォームは綺麗でも、速度的には遅い。勉強は学年トップを争っていても、運動は苦手なのかも。

「かわってくれ、残りは俺が運ぶから」

「頼んだわ。もし間に合わんかったら欲しい人のクラスと名前を聞いておくさかいに、あとでクラスまで売りにいこか」

「それでこいう」

 俺は全力で部室まで走り、印刷ができた分だけ黒川部長から受けとると、ふたたび校門に走るというピストン輸送を始業時間までやることになったが、どんどん売れていくんだ。疲れたといえば疲れたんだが、なんというか心地よい疲労感だな。

 そして、休憩時間は各教室まで出張販売。

 ちゃんと追加の三百部を売り切った。

 たとえ生徒会長だろうと、どんだけ金を持っていようと、都合の悪い記事を買占めて握り潰すそうなんて、ちょっと『名スポ』を舐めすぎてるぜ。

 こうして全校生徒で一番という生徒会長の伝説がひとつ誕生した……ワーストのほうだけどな。

 男子生徒たちからは気の毒な人を見るような目で同情を寄せられて、ベストの入った校内十傑からは「がんばれよ」などと適当すぎる言葉をかけられていた。

 女子生徒で『名スポ』を毎週欠かさず買ってくれる愛読者は少ないのだが、その少数の読者は同時に上社副部長の熱烈なファンで――つまり脳内が腐っちゃった傾向にある方々なわけで、今回の記事は大いに支持され、一般の女子生徒にも噂となって広がったから、とても残念な人と、やっぱり同情されていた。

 でもさ、こういうことって同情されるほうが、かえって辛いというか……これで生徒会がスポーツ新聞部にからんでくるのをやめてくれるといいんだけどな。

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