ポゥコンテスト
ポゥコンテスト。
初めは一部のスポーツ競技などで導入された。新ルールの常か、強く反発する人も少なくなかった。
「ふざけている」
「行き過ぎたタイパ主義だ」
「こんなの競技じゃない」
ルールによっては導入後も延々と言われ続ける事もある。
だがポゥコンテストに関しては比較的早く、殆どの人々に受け入れられた。
理由は単純だ。
皆引き分けが一番嫌いなのだ。
どんな競技を観戦する人も、その根本にあるのは競技愛というより勝ち負けが明確に決まる様を見たいという欲求だ。勝者に自分を重ね合わせる。敗者を憐れみ、上から目線で拍手する。その快感は誰をも魅了してやまない。
引き分けにはその快感が無い。
当然どんな競技の関係者も分かっているから、それぞれ工夫してきた。ただ彼等は真面目過ぎた。
真剣に競技と向き合うならば、甲乙つけがたい、という場合は必ず発生してしまう。
素直に引き分け扱いにしても、無理やりその競技っぽいルールで勝敗を決めても、運任せにじゃんけんなどさせてみても、観客の欲求を完全に満たす事は出来ていなかった。
そんな隙間にポゥコンテストはぬるりと入り込んだ。ポゥコンテストには一定のエンタメ性があり、勝負の駆け引きもあり、短時間に確実で明確に勝敗が決まる。
そうは言ってもポゥコンテストそのものが単体でコンテンツとして成立するほどの競技性を備えているわけではない。ただ、ある競技の手に汗握る熱戦を見た後の満足感に空いた隙間。観客の心の一番奥にある、勝者に己を重ねたい、敗者を憐れみたいという根源的欲求。
それを埋めるのには丁度よかった。丁度よすぎた。
ポゥコンテストはほどなく、あらゆる競技に普及していった。かつて強く反発していた人もすっかり忘れたふりをしてポゥコンテストの合理性を称えた。
パブロフの雌犬、という言葉がある。ある単純な刺激と共に報酬を与える事を繰り返すと、単純な刺激を与えただけで報酬を得たのと同様に快感を感じるように調教されてしまうという哀れな性を表す。
競技の隙間に普及し尽くしたポゥコンテストが、全人類を静かに、確実にパブロフの雌犬に変えていた。
ポゥコンテストだけを取り出した動画はかなり早期から投稿サイトに見られたが、ある時期までは元々数字を持っている人の動画しか伸びる事は無かった。
潮目が変わった。
ポゥコンテストそのものに着目する者が急増した。これまで必須だった投稿者のひと工夫やネームバリューはむしろ邪魔になった。ある競技の後のポゥコンテストを無断で映したり、お行儀のよいものは自らポゥコンテスティングして、無編集でそのまま上げる動画だけが億バズするようになった。
前者は当然色々と怒られが発生したので、直ぐに自らポゥコンテスティングする者ばかりになった。
供給が増えれば一つ一つの動画のバズは減る。だがポゥコンテストには一種の平等性があった。特別な容姿や才能が無くてもポゥコンテスティングしているというだけでバズの夢を見る事ができる。
そうして多くの者がポゥコンテストの観戦者から実践者に変わった。するとパブロフの雌犬が浅ましさを増すが如く、ポゥコンテスティングする事それ自体に喜びを見出す人も出てきた。そして多数派になった。
全世界の統治機構すら動かした。
ポゥコンテストは如何なる統治形態や宗教の国家でも認められた。認めなければ国民がかつてない規模の暴動を起こす事は明白だったからだ。
人類はポゥコンテストになった。
切なさを感じないかと言えば嘘になる。でも、これはこれで良かったんじゃないかな、とも思っている。




