寝落ち電話に誘ったはずが、なぜか幼馴染が寝間着で部屋凸してきた。
「いやあ、俺もな? 最初はそんなことをする意味あるのかー? とか思ってたんだけどさ。意外とやってみるとこれが良くってさー!」
うへへへ、と。絶妙に気持ちの悪い笑みを浮かべながらにそう自慢をしてくる親友。高校生にして絶賛青春を謳歌している彼は、どうやら昨晩彼女と寝落ち電話をしていたらしい。
「しかし、寝落ち電話っつっても、電話するだけじゃねえのか?」
「寝落ちもちもち、な」
「……お前がそここだわるのかよ」
いわく、最初はコイツ自身もなんでそんな呼び方をするのかと疑問に思っていたらしいのだが、こやつの彼女がやけに寝落ちもちもちという呼称に固執していたらしく、そのうちになんだか愛着が湧いたのだとか。
ちなみに、なぜもちもちなのかというと説は色々あるらしいが「もしもし」が変化した、というのが個人的には一番納得がいった。
最初に聞いたときは枕でも触ってるのかと思ったが。
「そもそも、電話ってのがいいんだよ。今時連絡はメッセージで済ませることが多いけど、電話ってのは思ってる以上に声が耳に近いんだよ」
「ほう」
「それが、すぐそばにいるような感じがして、こう、すごくいいっていうか。それに、後まで起きてたら、相手の寝息が聞こえてくるのが、それはそれで、こう、来るものがあるっていうか」
「……ふーん」
「あー、信用してないな、お前!」
なんとも言い難い、絶妙なラインの表現だったのはひとまず置いておくとして、まあ、声が近いというのは事実だろう。その先のことについては、ちょっと触れたくない。少なくとも親友がそんな様を繰り広げている様子を想像したくない。微妙にキツい。
「ともかく、お前も一回やってみれば良さがわかるから。な?」
半ばゴリ押し気味にオススメをされる。
まあ、要はコイツとしてはこういうところがいいよな、ということを語らいたいのであろう。
いちおう、コイツ個人の事情に付き合ってやる必要性はないといえばないんだけども。その一方で、最近あんまり電話をしないな、というのもあって、少し興味がないでもない。
ただ、じゃあなにも問題がないのかというと、そういうわけでもなく。
「……どうしたものか」
帰路につきながら、俺はうんうんと唸っていた。
無論、考えているのは寝落ち電話、もとい寝落ちもちもちのことである。
興味がないでもないからやってみること自体はやぶさかではないのだが。その一方で、寝落ちもちもちは電話である。
そう、電話なのだ。
つまり、相手がいなければ成立がしない。
いちおう親友に対して打診はしてみたものの、どうやら今晩も彼女と寝落ちもちもちのご予定らしい。お熱いことでなによりである。
ついでにそのとき「男同士でってのはちょっと」とも言われた。俺としても苦肉の策での提案なんだよ察しろ。お前がやれって言ったんだろ寝落ちもちもち。
とはいえ、寝落ちもちもちのためだけに新たに誰かと仲良くなるというのも、それはそれで不誠実だしなあ。
「あら、湿気た顔してなにを悩んでるのかしら」
「……なんだ、お前かよ」
俺がそう返すと、いつの間にやら隣に並んでいた彼女がニシシッと笑ってみせる。
彼女は俺の幼馴染。隣の家に住んでいて、子供の頃からの付き合いの相手ではある。
中学の頃までは良くも悪くも悪友という感じでつるめていたのだが、最近では嫌でもはっきりとしてきてしまう性差で、どうしても少し接し方が難しくなってしまっていたが。
「まあ、なんだ。友人から寝落ちもちもちなるものはいいぞ、ってそう勧められたんだが。相手がいないなってことに気づいてない」
「寝落ち、もちもち?」
どうやら彼女は寝落ちもちもちを知らない様子。
とりあえず説明をしてやろうとは思うものの、夕方でお腹が空いていることに加えて、先程までの思考にリソースを持っていかれていたこともあって「どっちかが寝落ちするまで、ふたりでもちもちするんだよ」という究極に脳が溶けている回答をしてしまう。
「そ、そんなのがあるんだね」
なぜか、彼女が少しばかり挙動不審になっている。
「……あ、そうか。お前とやればいいのか、寝落ちもちもち」
「はえっ!?」
彼女は驚いているが、これは中々名案ではないだろうか。
わざわざ新たな交友関係を結ぶ必要もないし、元々電話番号も知っている。
幼馴染相手ということもあって、多少は気が楽であろう。
ついでに、相手が同性じゃないので、虚しさが少ないというのもグッド。まあ、幼馴染ではあるのだが。
「お前さえよけりゃ、今晩にやりたいんだが。いいか?」
「今晩に!? そ、そんな急に……いろいろと準備とか……」
「そんな大層な準備いらないだろ。寝落ちするまでもちもちするだけなんだなら」
「いるよ、大層な準備!」
いやまあ、寝落ち前提だから、それには備えておく必要はあるかもだけど。そこまでか?
「まあ、なんかいろいろあるみたいだし。準備できたらお前の方からやってくれたらいいから」
ちょうど、家に着いたタイミングである。
俺はそう言うと「待ってるぞー」と言いながら、軽く手をひらひらと振りながらに家の中に入っていく。
「ちょっ、ちょっと!」
バタン、と閉じられた玄関の扉。アイツがなにか言っていたような気もするけど、まあ、大丈夫だろ。
なにか大切なことだったら寝落ち電話のときに言ってくれるだろうし。
「……遅いな」
そろそろ夜の十一時になろうかという頃合い。なにやら準備があるとは言っていたが、思ったよりも時間がかかっている様子。
それとも、もしかして忘れて寝落ちたとか?
まあ、とりあえず一度電話をかけてみるか。まだ準備が終わってないなら、後でかけ直すように言えばいいだろうし、と。
そんなことを思いかけた、そのとき。
「――――」
「――――!」
なにやら、玄関の方が少しばかり騒がしい。あらあら、とか。ふふふ、といった母さんの声が遠巻きに聞こえてくる。
こんな夜更けに来客とは珍しいな、なんてそんなことを思いながら。とりあえず母さんが対応してくれているだろうし、俺はアイツに電話を。
「ほうら、入るわよ!」
「うわあっ!? 母さん、急に入ってくるなよ!?」
「なにか変なことをしてるわけでもなしに、大丈夫でしょ。それより、あんたこそ約束をしてたのに部屋に閉じこもってるんじゃないわよ」
「……約束?」
たしかに寝落ち電話の約束はしていたが、むしろ部屋に閉じこもってやるものでは? と、そんなことを考えていると。
なぜか、母さんの後ろから、寝間着に着替えた幼馴染が姿を表す。
……なぜ?
「全く、あんたも隅には置けないね。とりあえず今日は認めてあげるけど、変なことはするんじゃないわよ?」
「えっ、と?」
まずい、起こっていることがなにひとつ理解できない。
「それじゃ、不甲斐ない息子だけど、よろしくね」
状況を荒らすだけ荒らした母さんは、なぜかいい仕事をしたとでも言いたげな背中を見せつけながらに廊下に消えていった。
そして、部屋の中には俺と彼女のふたりだけが残される。
「ええっと、それで、なにをしに俺の部屋に?」
「あ、あなたが言ったんでしょう! その、ね、寝落ちもちもちをしようって」
「えっ、まあ。言ったが……って、え?」
つまり、コイツは寝落ちもちもちをするために俺の部屋にやってきたことになる。……寝落ち電話をするためにわざわざ同じ部屋に?
「いや、自分の部屋でもできただろ」
「どうやってやるのよ!? 手の届く距離じゃないとほっぺたもちもちできないじゃない!」
「ん?」
「えっ?」
おや、今、とてつもない認識の齟齬があった気がするんだが。
いや、俺、言ったよな。たしかに、寝落ちもちもちをやろうって。
……待て。たしかに言ったが、寝落ちもちもちが寝落ち電話であるとは言ってない気がする。
思考が溶けてたこともあって、寝落ちするまでもちもちするとかいう頭の悪すぎる回答しかしてない気がする。
そして今の現状。……なるほど、これは、俺が悪いな。
「あー。俺の言葉足らずだったってのは大前提では置いておくが。ちなみに一応伝えておくと、寝落ちもちもちってのは、寝落ち電話のことだ」
「寝落ち、電話……? 寝落ち電話、寝落ち、もちもち。寝落ち、もち、も……」
瞬間、ボッ、と。彼女の顔が茹で蛸に負けるとも劣らずなほどに真っ赤に染まる。
そして、溢れ出てくる恥ずかしさが行きどころを失って、バタバタと床に転がりながら悶ていた。……ごめん。
しかし、なるほど。準備が必要と言っていた理由に合点が行く。寝る前にわざわざ身だしなみを整えることになるだろうし。それを抜きにしても、心の準備とかが必要であろう。
幼馴染相手とはいえ、曲がりなりにも異性のところに行くのである。
「うう、私は……私は……」
地面に倒れ込んだままの彼女を見ると、申し訳なさが勝ってしまう。とはいえ、どう声をかけたものか。
「と、とりあえず、帰るか?」
もはや気を取り直して、というのは無理な話かもしれないが。勘違いであった以上、このままふたりで一緒にいるというのは気まずすぎるし。
とりあえず、諸々を仕切り直すためにも、一回帰って貰っ――、
「帰らない」
「……へ?」
「帰ら、ない。寝落ちもちもち、する」
「いや、寝落ち電話するにしても、同じ部屋でやる意味もないだろうし。一旦仕切り直すのも含めて帰るほうが」
「寝落ち電話は、しない。寝落ちもちもち、する」
「……ん?」
話の流れが、見えてこない。
寝落ち電話をしないけど、寝落ちもちもちを、する?
意味不明なことをつぶやいたかと思うと、彼女はぬるりと立ち上がると、俺の方へと近寄ってきて。
「あ、あの。いったい、なにを?」
その圧に思わず敬語になってしまいながら身構えるも。
「決まってる。寝落ちもちもち」
彼女の白くて細い指が俺に向けて伸びてきて――、
もちもち、もちもち。
気持ちいいような、少しくすぐったいような感覚が頬を刺激する。
「思ったよりも、もちもちしてる」
「……えっ、と?」
「私だけもちもちするのも不公平だから。もちもちしていいよ」
ええっと、つまり、ほっぺたをもちもちしろと?
女子の? ほっぺたを?
幼馴染とはいえ、異性のほっぺたを?
マジ?
「ほら早く」
ずいっ、と近づいてくる顔。ああ、くそ、無駄にかわいい顔しやがって。
しかし、完全に諸々が吹っ切れた様子の彼女は、もはや止まる気がしない。
ああ、もう。こうなったらヤケクソだ。
おそるおそるといった手付きで、ゆっくりと彼女の頬に手を伸ばす。
ぷに、と。指先に、きめ細やかで柔らかな肌が触れる。
「ひゃっ」
「わ、悪い」
彼女の漏らした声に、思わずてを引っ込めようとして。
しかし、その手を彼女に掴まれて、止められる。
「大丈夫。ただ、びっくりしただけだから」
「いや、でも」
「いいから。もちもちしなさい」
もち、もち。
言われるままに彼女の頬をもちもちする。定期的に反応されるのが、地味にやりにくい。こう、気持ち的な側面で。
「あの……これでいいです、か?」
「ええ。このままベッドに入るわよ」
「わかっ――は?」
今、なんと?
「だって、寝落ちもちもちなのよ。このまま、寝るのよ」
「いやいやいやいや、さすがに無理があるって――いや、力強っ」
ぐぐぐぐ、と。そのまま彼女に力づくでベッドに押し倒されていく。おい、母さん戻ってきてくれ。息子のいろいろなアレがピンチだぞ、それでいいのか。
って、くそう、そういえば母さんもなんかノリノリだったから公認じゃねえかチクショウ。
そのまま、彼女に組み伏せられ。彼女はリモコンで部屋の電気を消すと、ふたりしてベッドに横になる。
どこか満足そうにした彼女は、そのまま頬のもちもちを再開する。
「ほら、あなたも」
「……はい」
もはや、諦めた。さっきの力量差を考えると抵抗しようが無意味である。男なのに情けない話だが。
言われるままに、彼女のほっぺたをもちもちする。
都合、見つめ合う形になってしまうので、恥ずかしさで心臓がバクバクと大騒ぎする。
「ふふ、これが寝落ちもちもちなのね」
「絶対に違うと思うぞ」
「でも、存外にいいものね」
「……否定はしない」
たしかに。こそばゆさはどうしてもありはするものの、気持ちよさもやっぱりあって。そしてなにより、すぐそばに彼女のぬくもりがあるというのが、どうにも安心できる。
まあ、それによって与えられる落ち着きより、心拍の興奮のほうが圧倒的に強くて眠れる気がしないんだが。
「それじゃ、ここからどっちか先に寝ちゃうか、だっけ?」
「正直、寝れる気がしてないから、負ける気はしてないんだが」
「あら、私だって負ける気はしてないわよ?」
「……要するに、お前も恥ずかしいんじゃないか」
「う、うるさいわね!」
暗闇の中ではあるけれど、彼女は顔を真っ赤に染めているのがわかる。
「……でも、こうやって一緒に寝るの、いつぶりかしら」
「さあ。小学校くらいか? って言っても、あのときですら、別の布団だったが」
それが、同じベッドに入りながらな謎に頬を触り合っているとは、なにがどうなったらこうなるんだ。
「でも、意外だったわね。……勘違いがあったとはいえ、あなたの方から、こんなことを持ちかけてくれるなんて」
「別に意外なんてことはないだろ。幼馴染なんだし」
「それはそうだけど。ほら、最近避けられてるような気がしてたから」
「うっ、悪い」
ちょっとばかし、自覚があるからなんとも言いにくい。
別に、嫌ってるわけじゃないし。むしろ、
「安心しろよ、お前のことは好きだからよ」
「へっ? ひゃっ、えっと。その、私も好――」
「どれだけ長いこと一緒だったと思ってるんだよ。唯一無二、最高の幼馴染だよ」
へへっ、と。笑いながらに俺はそう言う。
しばらくぽかんとしていた彼女は。しかし、なぜかムッとした表情を浮かべながら。
「やっぱり、嫌いかもしれない」
「なんで!? って、あだあっ!」
ぐいーっ、と。ほっぺたをつねられながらに、そう言われる。痛い。
「まあ、冗談よ。あなたは間違いなく私の幼馴染よ」
そう言うと、彼女は小さく笑う。
……いったいなんだったんだよ。
「でも、ちょっとムカつくからもちもちするわね」
「そうでなくてもやってるだろさっきから!」
マジでなんだったんだよ、全く。
そのまま、しばらくの間、互いにほっぺたをもちもちしながら、時折言葉を交わしたりしながら。
俺個人としては全く眠れる気がしていなかったのだが、どうやら意外と彼女はそんなこともなかったらしく、だんだんと頬を触る指の力が弱まってきたかと思うと。ゆっくりと頬をなでながらに、その手が滑り落ちていく。
すぅ、すぅ、と。規則正しい寝息を立てる彼女に。俺もゆっくりと頬から手を離す。
「むぅ……また、昔、みたいに……」
いったいどんな夢を見てるのやら。そんな寝言を漏らす彼女に。
「ああ、また昔みたいに。だな」
どこか、毛恥ずかしい気持ちもするけれど。やっぱり彼女か近くにいるということの大切さを、偶然とはいえ改めて認識することができたからこそ。
でも、とりあえず、今は。
「おやすみ」
そっ、と。彼女の髪を優しくなでながらに、俺も、目を伏せる。
……あんまり、眠れる気はしなかっけれど。
そんなに、悪い気もしなかった。
「よう、眠そうな面してるな」
翌日、親友が前の席にドカッと座ると、振り返りながらにそんなことを言ってくる。
「まあ、ちょっと昨日は夜更ししちまってな。寝不足気味なんだ」
「へえ。お前にしては珍しいな」
お前が遠因だ、とは言わないでおく。下手に突っ込み返されてどうだったか、とか、相手が誰か、とか聞かれるのがめんどくさい。
「そうそう、寝不足といえば俺も昨日寝落ちもちもちしてたから寝るのが遅く――」
「あら、おはよう」
俺たちの会話に割り込んでくるようにして、幼馴染がやってくる。
今朝からいろいろとドタバタがあったというのに。随分と涼しい顔をしてやがる。俺は眠気があるおかげでもはや一周回って落ち着いてるが。
「ああ、そうそう。今日も寝落ちもちもちしてもいいかしら」
「……は?」
「お?」
おま。てめ。なにも今ここで言うことじゃなかっただろ。絶対。
「それじゃ、待っててね。昨日と同じくらいに行くから」
「あ、ああ」
って、勢いに任せて了承しちまったが、ちょっと待――、
「おい、お前。つまり寝不足なのは」
「だあっ、とりあえず今はお前に構ってる場合じゃねえんだよ!」
スタスタと歩いていく幼馴染を追いかけようとするも、親友が質問に答えるまで逃がすものかと捕まえてくる。ああ、くそ。
「ふふっ。いいものね、寝落ちもちもち」
いたずらっぽい笑みを浮かべながらにそう言ってくる彼女。
「……まあ、な」
どうやら、今晩も寝不足になりそうである。




