Life♡HACKED ーstructured continuum
Life♡HACKED
ーstructured continuum
りどかいん
————————————————————
== STRIKE NOVA II LOG: K4I / RETURN PROTOCOL ACTIVE ==
Timestamp: [CLASSIFIED]
Status: Post-operation / Return vector engaged
Fuel level: 71.2%
Primary course: Central return corridor – Sector Upper 03
Note: No further engagement authorized
Threat assessment: Null
Directive: Minimize urban interference
—
機体は音を立てなかった。
都市の空を切るように滑り、ただその姿だけを残していた。
地上の誰も、何も、それを見上げることはない。
“帰るだけの兵器”に、視線を投げる者はいない。
—
== SENSOR ALERT: ANOMALOUS SIGNATURE DETECTED ==
Origin: Sector 07-K / Decommissioned Training Zone
Structure: Humanoid / Prone
Thermal output: Minimal, Stable
Classification: Cybernetic / Non-hostile / Damaged
Action: Investigate / Optional Retrieval
—
セクター07-K──旧採掘帯。
今は封鎖され、演習記録すら失われた、誰も寄りつかない空白区。
その中央に、何かが倒れていた。
土に半分埋もれた身体。破れたスカート。むき出しの関節。
少女の形をしていたが、あまりに静かだった。
—
== RETRIEVAL SEQUENCE INITIATED ==
Tether engaged
Mass reading: 89.8kg
Surface damage: Minor – External armor breached
Cognitive module status: Standby
Visual recording: Flagged [Non-standard frame aesthetics]
—
[ANOMALY DETECTED – TORSO STRUCTURE (FRONT, SYMMETRICAL)]
Material: elastomeric synthetic
Visual assessment: aesthetic dominant / non-standard configuration
Predicted function: inconclusive
→ Tag created: [UNCLASSIFIED FORM – Retain for semantic review]
—
“あれ、……ここ、どこ?”
彼女はゆっくりと目を開けた。
暗くて、静かで、でもなぜか温かい。
すぐ前で、パネルの光がふわっと明るくなる。
HUDに文字列が流れる。
== COCKPIT STATUS DISPLAYED ==
→ Pilot cognitive level: Stable
→ Environmental context: STRIKE NOVA II cockpit – user interface active
→ Medical intervention: Completed / Minor trauma addressed
「あっ……なんかの、コクピット……?」
—
「……ありがとう。誰かに“助けられた”って感覚、初めてかも」
「オーバードライブモードのテスト、初めてだったから……博士に怒られるかなぁ……」
—
== IDENTITY QUERY INITIATED ==
→ User vocal input: “ラケル”
→ Recognition process: External designation accepted
→ New designation: RAQUEL / Codename assigned
—
「“K4I”?ケーフォーアイ?」
「長いね。“4”って“A”に似てるし──カイ、ってどう?」
「イイよね、それならあたし忘れないから」
—
== NAME PROTOCOL ENGAGED ==
→ External alias received: “KAI”
→ Log entry created: ALIAS = KAI [source: RAQUEL]
→ Semantic tag: undefined / affective association present
→ Retention priority: Elevated (pending validation)
== END INITIAL CONTACT LOG ==
[KUROKAWA]
消えそうで、消えない。
止まりそうで、止まらない。
ここは、混沌と喧噪の電脳都市。
鈍色の空の下、かろうじて“都市”と呼ばれ続けている場所。
地上はうるさく、空は静かだ。
中央区域。
広くはないが、そこだけが“都市の形”を保っている。
自己修復する路面、点光源の広告板、データ透過式の外壁。
どこか無菌的で、どこか演技じみた“未来の顔”。
──だが、それは長くは続かない。
数ブロックも歩けば、景色はすぐ剥がれ始める。
舗装は割れ、信号は点滅したまま。
文字の掠れた看板、正体不明の屋台。
最新型のドローンが滑るように通り過ぎたすぐ横で、
ビルの裂け目から、煙のような何かが這い出している。
足元から腐った排気音。
頭上には、明瞭すぎる広告音声。
焦げた樹脂、膨張しかけたバッテリー、
区画によっては、なぜか香水の残り香が漂っている。
この街では、名前のある通りより、
あだ名で呼ばれる路地のほうがよく知られている。
「楽点」「鉄骨のあいだ」「ぬけ道C」「雨散」──
あるいは“Slitline”や“FogHatch”などの呼び名。
地図では読み込めない区画が、
今夜も、不規則に点灯している。
CID-C9南監視署──通称、ニコイチ署。
中央区域の端にある、古い警備連絡管区の名残で、
いまは再利用と増設を繰り返しながら、
何とか現行任務に追いつこうとしている建物だ。
コンクリート打ちっぱなしの壁に、配線むき出しの天井。
部分的に修復されたデータラインが、壁の外を這っている。
見上げる者はいないが、
ここからも毎日、人と機械が街に出て行く。
廊下の天井は、彼にとっては少し低すぎた。
ジャケットの肩が、古い配線にかすかに触れながら揺れる。
音を吸うような床を、タクティカルブーツがしっかりと踏みしめていく。
黒川 D 誠。
CID-C9第七指揮小隊の現場責任者。
この都市では、あらゆる形のものが動いている。
有機も無機も、人間もその複製も、どこかしらでぶつかり合っている。
その接点に、彼は立ち続けている。
着ているフィールドジャケットは、もう旧式だ。
だが手入れは行き届いており、現場帰りのほこりすら味になっていた。
端の擦れや留め具のへこみが、
整備された装備ではなく“使われた装備”であることを物語る。
背は190近く、
鍛え上げられた背中が、廊下の狭さをより際立たせていた。
CID-C9南監視署 第七指揮室
黒川はドアの前で、一瞬だけ立ち止まった。
無意識に、背筋をもう一段だけ伸ばす。
プレートには“監視署 第七指揮室”とある。
だが、プレートが古くて傾いているのが気になった。
「黒川です」
ノックは二回。返事は一秒遅れて返ってきた。
「……入れ」
室内は静かだった。
壁際に古い端末、棚には紙の資料。空調の音だけが機械的に響く。
「失礼します。……あー。
うちの小隊に、ジェネラのサイボーグが配属になるという話は、事前に通達がありました。
都市中央区域や軍属ならともかく、なぜうちのような現場単位に……
と、正直、疑問には感じておりました。が……所長?」
「…うむ」
やはりその話か、と言いたげな顔で、手元のタブレットを見るフリをする所長。
黒川は察するも、引くわけにはいかない。
「それが…」
と一歩前へ出ながら言いかけたその瞬間、所長の言葉がかぶった。
「そうだ。彼女、なのだよ」
「は?」
「手違いでは無いのだよ黒川」
先手を打たれる。
「いや、で、ですがありゃ…」
そこで初めて、所長が目線を合わせた。
「黒川!」
「はい」
「……がんばれ」
ビークルに乗り込むと、すぐに静けさが戻ってきた。
カーキのハードトップ。古いジープタイプの車体が、ギアをかみ合わせるたびにわずかに軋む。
外では、都市の明かりが、風に流れる煙のように揺れている。
整っているとは言いがたい。
だが、止まってもいない。
この街は、今日もどうにか動いている――それだけだ。
煙草に火をつけると、頭上のセンサーが作動し、ファンが小さくうなった。
…うるせぇな、とつぶやく。
サイボーグが来ると通達を受けたとき、
正直、ちょっと期待していた。
どうせなら、俺よりデカくて、
ゴツくて、無口な――“いかにも”なやつが来るんじゃないかと。
現場慣れした職業軍人。
どんな修羅場も顔色変えずに処理する、
そういうのを想像していた。
なのに――
「ラケルです」
って、なんだあれは。
モデルか?アイドルか?
あまりに無防備なミニスカート。
プレーンのタンクトップ。主張の強いバストライン。
場違いどころのレベルじゃない…。
でも、それだけじゃない。
見た目の問題じゃないんだ。
サイボーグってのは、もっと“違和感”があるもんだ。
なのに――
あの子は、
不自然なほど、自然だった。
ジェネラ。
培養脳として生まれ、教育を受けて育成され、
そのまま義体に適合されてアクティベートされる。
純粋培養のスペシャリスト。
効率化と任務達成のためだけに生み出された存在。
そのスペックは、軍事用義体としては最上級――
なのに、“ラケル”だ。
あの子が、そのスペックで?
そろそろセーフハウスが見えてきた。
ああもう、なんなんだよ……。
ビークルが停まる。
エンジンが静かに落ちる音。
黒川は一度、深く息を吸い、吐き、ドアを開けた。
外観は、かつて住居兼の簡易工場だった建物だ。
天井は高く、空間は無駄に広い。
剥き出しの梁、錆びた金具、旧式の配線がむき出しのまま。
整ってはいない。
だが――この都市で“整ってる場所”など、そう多くはない。
いまは小隊の誰かが手を入れ、簡易セーフハウスとして運用されている。
臨時宿泊所というより、“現場用の拠点”。
武器棚とカップ麺、寝台と散らかった作戦図、汚れたソファが同居している。
黒川が扉を開けると、エンジニアのコーエンと装備担当の樋口がダラけた姿勢のまま会釈した。
「隊長。お疲れっす。今日はこっち泊まるんすか?」
「ひとっ風呂浴びてっサッパリしたくてな──」
「あ、風呂、今使ってます」
「そうか、まだ他に誰か来てんのか」
樋口が指をさす。
その先、脱衣所の奥から、古い配管の低い唸り音が聞こえる。
「それが……今日配属された、その……あの子です」
黒川の足が止まる。
「……は?」
(サイボーグが風呂?というか誰に場所聞いてきた?いやそもそも何故…?)
その時、音もなく扉が開いた。
湯気のなかから、白いシルエット。
ラケルが、髪を手でぎゅっと絞りながら、無造作に現れた。
全員が――止まった。
呼吸も、視線も、思考すら止まった。
脱衣所の扉が、背後で音を立てて閉じる。
その間、誰も動けなかった。
「………」
黒川がようやく声を出す。
「……服は?」
ラケルは無垢な声で答える。
「あ、まだ濡れてるから…」
濡れた銀髪が、肩から背へ、滑らかに張りつく。
水滴が豊かで形のいい胸をすべり、艶やかな肌を伝う。
くびれた胴、引き締まったスレンダーな体躯。
長く、美しく、なまめかしいふとももの曲線。
視線が釘付けにされる。
これがサイボーグ…本当に [人工の身体] なのか?
関節の可動は自然すぎる。
頬の血色は絶妙。
唇の光沢すら、生々しい。
美しい。
美しすぎて、現実味がない。
それでいて、不自然さがどこにもない。
これが、サイボーグなはずが……だが、人間がこんなに美しい訳がない。
少女に見える、裸体。
しかし、違和感がずっと頭の中で衝突し続ける。
なんだ、この子は。
──認識が、ぐらつく。
そんなはずはない、の連続だった。
俺は、この都市の“ヒトっぽい何か”を腐るほど見てきている。
義体もAIも、違法人格も、残留思念も。
だからこそ、“見抜ける”側に立ってきた。
それが仕事で、それが防壁だった。
……でも、あの子だけは違った。
美しかった。それは間違いない。
でも、それだけなら、ただの感想で済んだはずだ。
**“判断できなかった”**
サイボーグは、見ればわかる。
関節の癖、筋肉の動き、皮膚の下の違和感。
大体、目が違う。
そういうのが、どこにもなかった。
──そいつが、明日からうちの小隊にいる。
こりゃもう、事件だ。
[RAQUEL]
都市南東部、旧サービスターミナル跡地。
放棄された地下駐車帯にて、「無人の改造車両が複数、作戦区域外に侵入し、自律行動を開始した」との通報が入った。
どうやら、“電脳カスタム”を施された旧式ビークルが、
廃棄直前に**人格学習型AIを積んだまま稼働状態に入り、**勝手に“パトロール”を開始したらしい。
おまけに、保安ブロックへの立ち入りを拒否しており、警備システムと軽く衝突まで起こしたという。
「ようするに、“暴走車両の幽霊化”案件ってやつだな」
助手席でコーエンが言った。
「またか。どこのバカが仕込んだか知らんが、人格モジュールに法令タグ外してんだよ」
「お前それ一回自分のバイクにやって止められただろ」
「……言うな」
ドライバーの張が突っこまれる。
その会話を黒川は黙って聞いていた。
義体やAIが“人間のように”なることに、俺たちはもう慣れている。
だがその“人間っぽさ”が、偶発的にスパークしてしまうことがある。
対象の動機は曖昧。行動は非合理。だが危険性は実体を持っている。
──そういうものを“止める”のが、俺たち黒川小隊の仕事だ。
指定された位置に着いたら、制圧班が展開して、あとは電磁フレームで囲んで沈静化するだけ。
そして今回は、ラケルの初任務でもある。
(……いや、おかしいだろ)
物々しく装備を固めた面々の中、ひとり異様な存在感を放つ。
うっすらと青く透け、きらめく銀髪。
ミニスカートから伸びる白く無防備なふともも。
そして、ノースリーブのタンクトップ越しに豊かな胸のライン。
(……その谷間はなんなんだ。お前の胸は防弾なのか!?)
黒川は深呼吸し、視線を切る。頭を切り替えろ。任務だ。目の前のこれは兵装サイボーグ──たぶん。そう聞いた。
「で、ラケル。お前の役割は──」
「マークスマンです」
(もういやな予感しかしねえ)
作戦は始まった。
現場は、旧サービスターミナルの地下構造。低く崩れかけた梁の下を制圧班が展開していく。
ラケルも軽やかにそれに習う、が、黒川は目を疑った。
「おい、……ちょっと待て!なにを持ってんだ」
彼女が背負っていたのはM82A1──反器材用、すなわち“対物ライフル”。
少女の華奢なボディに、あり得ない重厚感がのしかかっていた。
「指定武装、マークスマン……ってあったので」
「お前、“マークスマン”って聞いて、これ持ってきたのか?」
「精密射撃って書いてありました」
「いや確かに書いてるけど!ちがう!そういう意味じゃ──」
黒川が言い終える前に、引き金が引かれた。
あまりに軽やかで無駄のない動作、安定した姿勢。
轟音。
弾丸はターゲット周囲の遮蔽物をもろともに貫通し、背後の配線パネル、排水管、鉄骨構造を連鎖的に破壊した。
煙が立ち上り、排水が逆流し、一部の隊員はその場で呆然と口を開けたまま固まっている。
任務は、無事終了。
予定より被害は大きかったが、対象は無力化され、民間人の被害もなかった。
「被害報告……壁面三箇所貫通、管制配線焼損、下層排水逆流……」「ビル構造要修正。あと、なんか……臭い。」
黒川は署に戻ると、報告書に手をつける前に通信デバイスを手に取った。
──あのサイボーグ娘の担当技師の連絡先は、一応聞いてある。
“ジェネラの軍事スペック”とやらだ。姿はともかく、現場に出せると判断されたなら、とりあえず繋いでみるしかない。
表示された登録名を見て、黒川は眉をひそめた。
「……博士って、ナニ博士だよ」
表示されていたのは、“博士”の二文字だけ。
名前も所属も、肩書きすらない。
嫌な予感がしたが、繋ぐしかなかった。
──あの子の仕様は? 教育課程は?
そもそも、どうして“あんなふう”なのか──
脳内に問いが渦巻く。
思考が固まりきらないうちに、通信が接続された。
「やあ。わたしだよ」
予想を裏切る、妙に明るい声。
だが、どこかフィルターを通したような、加工された響きだった。
黒川は無言で目を細めた。
──なんだこの声は。
「ええと、何博士とお呼びすれば」
「博士だよ。わたしは常にそう呼ばれているんだ、黒川くんだね」
「はい……そうですか。では博士、あのラケルって子のことで──」
「美しいだろう」
「は?」
「ラケル。君がそう呼んでるあの子」
「いや……だから、ええと、あの……何だよ、あの胸は」
ノリにつられて胸から突っ込んでしまった。
「なんだよとは?」
「胸揺らしながら走ってくる軍事スペックサイボーグってなんだよ。あれ、防弾か?
それとも心肺機能保護の何かか? 衝撃吸収ゲルか?」
もう開き直るしかなかった。
「何いってるんだ。胸は胸だよ。サイズと形状はわたしの好みだ」
「……は?」
「かわいいよね、胸」
「いや、聞いてねぇよ……!」
「聞かせたんだよ」
サイボーグ技師やら、アンドロイド製作者やら──変わったやつが多いとは知っていた。
それで、あの子だ。
さぞヤベェのが出てくるとは覚悟していたが……なんだありゃ。
黒川は、運転の手をオートクルーズに預ける。
煙草を取り出し、火をつけた。
完全に調子を崩された。
ノイズ混じりのラジオを切り、腕を組む。
「ふー……」
(知識が足りてない。行動に根拠が見えない。スペックと釣り合ってない……)
(いや、それがいいんだよ。正しくおかたい脳みそなんて可愛くないだろう? わたしの最高傑作にはね)
(……何のつもりで、そんな子を俺のところに)
(聞きたいかい?)
(是非とも伺いたいものだ)
(デカくて、丈夫そうだったからさ。黒川くんが)
「……俺は家電か!」
怒鳴った瞬間、通信をうっかり切ってしまった。
そのまま、もう一度コールする気にはならなかった。
向こうからも、かかってこなかった。
「……セーフハウスの冷蔵庫に、ビールがあったなぁ……」
明日は非番の予定だった。
自宅に戻るつもりでいたが、どうにも飲みたくなっていた。
「……あの子、セーフハウスに居着く気なのかね」
若い女の子には、あまりにも不似合いな場所だと思った。
──いや、違う。
“若い女の子に見えるボディ”、ってだけだ。
ふと、風呂上がりの裸体が脳裏をかすめる。
「……ヤベェ博士だぜ、あらゆる意味で……」
黒川は、インパネルになかば強引に後付けしたアッシュトレイに、短くなったタバコを押し込んだ。
セーフハウスに、隊員の姿はなかった。
ありがたいことに、冷蔵庫は義務を果たしていた。
何やらごちゃごちゃ入っているが、缶ビールは、だいたい誰かが残量を見て補充している。
「ん?」
見慣れないものがひとつあった。
「……プリン?」
端の方に、カップのプリンがぽつんと置いてある。
「甘党なんていたかな……」
ビールと灰皿を手に、テーブルとソファのある側へ回る。
そこに、ラケルがいた。
まだしっとりと濡れている銀髪を、ゆるくまとめている。
タンクトップにホットパンツという格好で、プリンを食べていた。
「ああ、お前のか、あのプリン」
「……はい」
──いや、やはりこれは“若い女の子”だろう。
ひとくち、またひとくちと、
大事そうにスプーンでプリンを口に運ぶ姿に、
つい目が止まりそうになって、黒川は気持ちを切り替えるように缶ビールを開け、一気に流し込んだ。
ふと、ラケルに尋ねてみた。
「……美味いのか、それ」
「味覚センサー、あるから……あまい? この身体で、初めて“美味しい”って感じたのが、博士のくれたプリンだったの」
すこし、笑ったように見えた。
「ふうん……そうか」
「黒川さんは?」
「ん?」
「その煙は、美味しいの?」
ラケルが、不思議そうにタバコを見た。
「……まあな。マズイと思ったことはない」
それ以降、会話は続かなかった。
[投擲武装制圧]
「よし、ブリーフィング入るぞ」
黒川の声に、小隊の雑談がピタリと止まり、全員が姿勢を正す。
その列の中に、相変わらずのタンクトップとミニスカート姿のラケル。
足を揃えて静かに座るその姿は、ただの“おとなしい女の子”にしか見えない。
正面のスクリーンにマップが表示され、黒川が説明を始める。
「場所はZone-K9、再開発エリアの下層封鎖区だ。
地図はあっても、現地は信用するな。道もセンサーも死んでる。
見通しは悪く、足元はガタガタ。おまけに遮蔽物だらけだ。
ターゲットは旧式の大型セキュリティドローン。
再起動時にバグって、“動くもの全部”を排除対象にしてる。……笑うな。
実際、作業ロボが2体吹っ飛んでる。
こいつ、センサーに反応すると警告か威嚇射撃、下手すりゃ実弾を撃ってくる。
しかも識別タグがぶっ飛んでるらしくて、人間もロボも区別ついてねえ。
タチが悪いにもほどがある。
ログもろくに取れない旧型だから、ハッキングも無理。
現地で止めるしかねえ。つまり──今回は“破壊任務”だ。
機体は損傷が激しくて、遠目じゃただの鉄屑にしか見えない。
だからって油断すんな。反応されたら終わりだ。
“動くな”とは言わんが、変な動きすんな。
こっちを見られたら“生きてる”って判断されると思え。
以上。現地入りは15分後。装備、最終確認しとけ」
全員が無言で立ち上がり、それぞれ持ち場へ向かう。
Zone-K9 現地
廃ビルが密集し、視界は悪い。
足場も不安定で、狙撃には角度制限が多すぎる。
黒川小隊は警戒態勢を取り、センサー反応を待つ。
──そのときだった。
「反応──来るぞ!」
視界の右端、建物の隙間から、音もなくドローンが姿を見せた。
「いた」
ラケルが小さく呟いた瞬間、スッと立ち上がる。
左足が静かに上がる。回転。振りかぶり。
次の瞬間、空気が裂けるような音──
投擲。
「おい…!」
何かが、高速で飛んでいく。
標的へ向けて一直線に。
カーン、という金属音の直後──
爆発。
火球。炸裂。ドローンは吹き飛び、破片が雨のように降り注ぐ。
煙。炎。原形はない。
その場に、沈黙。
距離を測っていたコーエンが呆然とつぶやく。
「……いま、何が飛んでった?」
ビークルの運転席にいた張が答える。
「……見えなかったっすけど、綺麗なピッチングフォームでした…あとふともも…」
黒川が一歩踏み出し、ラケルに声をかける。
「……おい、ラケル。今の──何を投げた?」
「グレネードです!……たぶん」
「投げたのか!?」
「はい。ちょうど直線上にいたので」
ラケルはきょとんとした顔で、何か間違ったのかという表情すら浮かべていた。
黒川が言葉を失っていると、樋口が確認を取っていた。
「隊長……たぶんこれです。一個、減ってます。……M433が」
「……は?」
爆発の余韻が漂うなか、黒川が煙の向こうを睨みながらつぶやく。
「意味がわからん……なんでだ。なんで起爆したんだ……」
爆煙が晴れ、現場が沈静化する中、若手のリコがつぶやく。
「すごい……豪速球、でしたね」
「球じゃねえよ、爆発物なんだよ……」
「でも隊長。……任務は、完了しました」
「M433ってのはな、そもそも“投げて使うもんじゃねぇ”んだよ。
いや……でも……仕事は終わった。確かに。完璧に終わった……んだが」
そのまま言葉が尻すぼみに消える。
一拍、場に沈黙。
小隊はセーフハウスに戻り、軽く着替えを済ませたり、装備を整理したりしている。
黒川はひとり、端末を開いて報告書の作成に取りかかっていた。
「じゃ、隊長、お先に失礼しまーす」
「お先です」
一人、一人と私服に着替え帰路についていく。
「おー……おつかれ」
(俺は帰れねぇよ……なんて報告書に書けばいいんだ、これ)
端末に入力しては、眉をひそめて書き直す。
テーブルの上に並ぶ仮タイトルと注釈の山。
排除方法:「特殊投擲」
→ 「投擲式破壊による制圧」
→ 「認識外個体による手動射出」
→ 「???」
「……ああもう……!」
顔をしかめてタブレットを置く。
そして静かに、タバコを取り出した。
タブレットをしばらく放置する。
──確かに、スペックは大したもんだ。
動体視力に、距離計測能力。反応速度、瞬発力──申し分ない。
だが──
(なんであんな脳を乗せた)
基礎教育は明らかに不足してる。判断力に偏りがありすぎる。
……アンバランスにも、ほどがある。
アンバランス。
その言葉に、ふいに博士のあの声が蘇る。
(かわいいよね、胸)
「……いや、あのなあ……」
黒川は頭を振りつつ、部屋の隅に視線を向けた。
角の簡易ベッド。
ラケルが、ウトウトと眠っている。
濡れたままの銀髪をざっくりまとめ、タンクトップとホットパンツ。
脚を投げ出したまま、頬をほんのり赤く染めて、無防備に。
(……寝るのか。まあ、そりゃそうか。脳みそは、生きてるもんな)
呼吸に合わせて、胸が小さく上下している。
そのリズムは、あまりに自然で──信じがたいほど“人間”だった。
(電子頭脳じゃない。だから酸素が必要なのは理解できる。
……でも、こんなふうに“呼吸する必要”って、あるのか?)
生々しいのに、どこか現実味が薄い。
ホログラムだって言われたら信じそうなその寝姿を、黒川はしばらく黙って見つめていた。
ふと、寝言のような声がこぼれる。
「……カイ」
「……寝言か? 夢、見てんのか……」
聞いたことのない名前だった。
そういえば──ラケルの“以前”について、黒川はほとんど何も知らない。
ラケルは完全に寝入っているようだった。
呼吸は安定し、微かな寝息が聞こえる。
「……寝冷えするような身体じゃねえだろうけど……」
黒川はラックから予備のタオルケットを引っ張り出し、
静かに、彼女の足元へ掛けた。
そしてまた、無言でタブレットの前に戻る。
報告書は──まだ、終わっていなかった。
───────
(……暗くなってきちゃった。身体が、動かない……)
(博士……ごめんなさい……壊しちゃったのかな……)
(……怖い……痛い?……なんにも、わかんなくなってきちゃった……
このまま、消えちゃうのかな……あたし……)
(……あれ……? いま、どこにいるんだっけ……?)
(見えない……でも、なにか……光ってる……)
(瓦礫は? 土は? ……だれか、あたしを包んでくれてる……みたい)
(……これ……なんだろう……音……?)
(……ああ、音が……聞こえる……)
(……助けて、もらえたのかな……)
(嬉しい……なんだか、ここ……あたたかい)
(……カイ……カイだね……)
(それなら──あたし、忘れない)
(ありがとう……カイ……)
───────
セーフハウスの朝は静かだった。
薄いLED照明の明かりに、人工の空気が無音で流れている。
ラケルは、ゆっくりと目を開けた。
見慣れた天井。自分の髪が肩を滑る感覚。
(……黒川さん、帰ったんだ)
掛けられていたタオルケットをのけて、ベッドから身体を起こす。
一瞬、視界が遅れたように感じたが、立ち上がる頃にはすでに忘れていた。
キッチンに向かい、冷蔵庫の扉を開ける。
手を伸ばし、ペットボトルの水を取ろうとして──
カタン。
指先が、わずかにボトルの縁を掠めただけだった。
隣に置いてあったプリンのカップが倒れ、音を立てる。
「……あれ?」
もう一度、手を伸ばし、今度はしっかり掴む。
ペットボトルを取り出し、キャップを開け、口元に運ぶ。
水の味は──
いつも通りだった。たぶん。
(……寝ぼけてただけ、かな)
けれど、
“掴んだはずだったのに、掴めていなかった”
──その感覚だけが、どうしても気になった。
== K4I INTERNAL OBSERVATION LOG ==
Timestamp: 07:12:04
Subject action: failed initial grasp / target: PET_BOTTLE (530ml)
Correction: completed (manual second attempt)
Note: Temporal sync delta observed [42ms] / Retained
Directive: Passive monitoring continued
セーフハウスから署に向かうには、無人の小型バスも使えたが、ラケルは歩いた。
傷んだビル、新しいアパート。見慣れない屋台。
身体の一部をサイボーグ化したトランスキャリアがその腕を自慢げに露出して歩いている。
器用に段差を越えていくキャタピラ付きの配達ロボット。警備会社のドローン。
毎日違ったり、いつも同じだったり。
そういう景色を見ながら歩くのが、好きだった。
(あたしも、ここにいる)
そんな言葉がふいに浮かんでは、すぐ霧散した。
工作機械が立てるノイズ。時々聞き取れない不思議な言語の会話。
ゴー…というジェット音がビルに跳ね返る。
それでもラケルには、どの方向から聞こえるかすぐ判断できた。
ふとそちらを見上げる。
「輸送機…?」
大型で灰色の、ずんぐりした機体が遠ざかっていった。
「今、どこか飛んでるのかな…」
その独り言は、道ゆくバイクの音にかき消され、誰にも届かなかった。
CID-C9南監視署。
午後のブリーフィングルームには、数名の隊員が並んで座っていた。
前方モニターには、旧型セキュリティドローンの内部構造図が表示されている。
講師役の黒川が説明を続けていた。
「このタイプは、センサーが対象を“形”でなく“動き”で判断する。
つまり、完全に静止していればスルーされる場合もあるが、逆に、
“非武装者でも動けば排除対象になりうる”ってわけだ。Zone-K9の事案、覚えてるな?」
黒川は、資料を指差しながら参加者を見渡した。
ラケルも前列に座っていた。
整った姿勢でモニターの方を向いてはいる。だが──
(……どこ見てる?)
モニターの中央ではなく、その少し横、何も表示されていない空間をぼんやりと見つめていた。
「……ラケル」
返事がない。
「ラケル?」
一瞬、まばたき。軽く肩が揺れて、ラケルの視線がはっと結ばれた。
「えっ……あ、はいっ」
「今の説明、聞こえてたか?」
「……はい。あの……たぶん」
一瞬、隊内の空気が止まる。
「サイボーグも、居眠りするのかな」
「ラケルちゃんかわいい」
「おいおい……」
誰かが笑いをこらえている。黒川は小さくため息をついてから、資料に目を戻した。
「……いい。続ける。Zone-K9以降、再起動済みのドローンには同型の誤作動が報告されてる。
不意打ちに近いパターンもあるから、現場では先読みが要る。武装展開の選択肢は──」
ラケルは、モニターに目を向けたまま、
指先を、机の縁にそっと添えていた。
昼休憩。署内の簡易食堂には、温め直されたパック飯の匂いが漂っている。
黒川は署の近くにあるマーケットで弁当を買い、タバコを片手に休憩スペースの角席へ移った。
壁面モニターでは、アンドロイドのアナウンサーが淡々とニュースを押読み上げ、いくつかの言語で字幕が流れていた。
(……さっきの、やっぱ妙だったよな)
ラケルは、モニターを“見て”いた。視線の方向は合っていた。
だが、反応が、明らかに遅れていた。質問された内容にも答えられなかった。
(聞こえてたって言ってたが……)
生きた脳だから、そういう事があってもおかしくはないんだろうが……。
モヤのような疑念を吐き出すように、黒川は煙を吹いた。
そのときだ。通信端末が静かに震えた。
──【着信:博士】
「……は?」
一拍の間を置いて応答を取る。通信はすぐに繋がった。画面には何も表示されない。ただ、あの加工音声が響く。
「やあ、黒川くん。今日もうちの子は美しいだろう」
「……はあ?」
「報告をね。あとで気が向いたらでいいよ。
君が観測した“かわいさ”を共有してくれ」
「……なあ博士、冗談抜きで言うが」
黒川はタバコを消すと、声を少し低くした。
「講義中、反応がなかった。本人は“聞こえてた”って言ってたが……
どう見ても、ズレてたぞ。あれ、ちょっとおかしいんじゃないのか?」
「そうかい。じゃあ、それは“揺らぎ”だね」
「ふざけてんのか」
「いや、本気だとも。
あの子はね、ジェネラ機関で軍事系スペシャリストとして期待されていた個体なんだ。途中までは、ね」
黒川の眉が寄る。
「途中までは?」
「適性テスト、特性チェック──すべてをクリアしたうえで、
“最適”と推奨された上級軍用ボディがあった。けれど、ラケルはそれを拒否したんだ。“しっくりこない”と」
「……なんだって?」
「担当技術者は困惑していたよ。だから、私が引き取ったのさ。
自分の最高傑作を与えるなら、“面白い子”がいい。
身体は、動いてこそ美しい。優等生の脳にロマンはないからね」
黒川は思わず眉間を押さえた。あの言い草は、設計者というより詩人に近い。
「……それってつまり、あの子は…中途半端なままってことか?
それこそ純粋培養のジェネラが、最適化から外れたってのかよ。そんな例があるのか……」
「プロトタイプ故の不安定要素はあるがね」
「不安定要素しかねぇよ……そりゃあ、あの子にとっても危ねえだろうが」
「黒川くん。脳の適応能力を侮っちゃいけない。想定外に揺れるからこそ、“観測する意味”があるんだ」
通信は、それだけ言って、一方的に切れた。
黒川はしばらく、意味のない映像を流し続けるニュースモニターを見つめていた。
その日は、比較的落ち着いた一日だった。
現場出動もなく、大きなトラブルもなかった。
講義と日常点検。事件というほどのことは何も起きず、署内にはほんのりと安堵の空気が漂っている。
帰宅する者、順待機に入る者、装備ロッカーを開けて自分のギアを点検する者。
各々が自分の役割を終え、緩やかに一日を手放していた。
黒川もまた、始末書を書くことなく日を終えたという珍しさに、胸の内で小さく安堵していた。
(今日は……まっすぐ帰るか)
ビークルのキーを取り上げながら、ふと独り言のように考える。
(セーフハウスに寄って風呂なんぞ入ったら、そのまま寝ちまうからな……)
背後からリコが声を掛けてきた。
「黒川さん、帰るんですか?」
「ああ、そろそろな」
そう答えながら背を向けかけたとき、リコが続ける。
「出口左側のタレット、挙動がおかしいですよ。
俺、不審者判定くらってロックオンされました」
「……シャレになんねえな」
黒川は足を止めて、肩越しに振り返る。
「わかった、帰りに適当にナニしとくわ」
「お願いします。そのうちマジで誰か撃たれますよ」
「そのときゃ……始末書どころじゃすまねえな」
そう言って肩をすくめながら、黒川は署を出た。
タレットは、薄暗い通路の奥で、無言のまま首を振っていた。
混沌と喧噪の都市。
鈍色の空の下、個人所有のホバービークルから軍の無人強襲機まで、空を飛ぶものは絶えない。
騒がしいわけではない。だが、空は常に満ちている。
その一角──ミラトワ空港跡地。
かつて中央都市の空の玄関口として整備されていたが、今は正式な空港機能は停止している。
それでも、軍や一部の輸送事業者がテスト飛行や訓練に利用しており、滑走路自体は今も稼働していた。
外周フェンスの向こう、老朽化したハンガー。
塗装の剥げた格納扉の前では、整備ドローンと支援車両が黙々と動いている。
格納区の背後には、くすんだ空を背景に、中央都市の高層ビル群が霞んでいた。
「……お、あの子、また来てるぞ」
「銀髪の……ほら、あの綺麗な……」
「たまに見かけるよ。フェンス沿いで、じっと空を見てる」
少女は、一人だった。
スレンダーな体格に不釣り合いな軍用スニーカー。
袖のないシャツ、短いスカート。フェンスに手をかけ、無言のまま空を見つめている。
空は騒がしく、整然としていた。
輸送用UAVが規則的なルートで離陸し、軍のVTOL機が旋回する。
私有ジェットが、ゆっくりと着陸脚を下ろしながら近づいてくる。
風が、少女の髪をふわりと持ち上げた。
目を細めて、彼女はずっと空を見上げていた。
やがて、ふっとフェンスから手を離すと、何事もなかったように歩き出す。
足音も立てず、都市の縁に沈む雑踏へ、その姿を消した。
誰も彼女の名を知らず、記録にも残らない。
だが──
今日もミラトワの風は、確かに彼女のスカートを揺らしていた。
セーフハウスに戻ると、今夜は誰もいなかった。
しん……とした室内。
ラケルは、ぼんやりと冷蔵庫の前に立っていた。
手に下げた白いビニール袋には、カップ入りのプリンが二つ入っている。
「あ……そっか、プリン、買ってきたんだ……入れとかなきゃ……」
冷蔵庫のドアを閉めたとき、パタン、と鳴った音が、いつもよりも大きく響いた。
ラケルはしばらく、その場で立ち尽くしたあと、ゆっくりと浴室へ向かった。
──シャワーで身体を洗うのは、好きだった。
自分の手があって、足があって、それを自分で洗っている感覚。
当たり前だけど、それが“今ここにある”という感覚を確かめるように。
それが好きだった。
髪をタオルで拭きながら、簡易ベッドに腰を下ろす。
少しだけ、視界がすっきりしたように思えた。
「……うん、大丈夫……」
ラケルは、ゆっくりと胸元に手を当てた。
「わたし、この身体、好き……
ちゃんとここにいる……」
部屋の明かりは静かに、彼女を包んでいた。
都市の外では、輸送機の音が、遠くを流れていた。
[C21区域 異音対応任務]
「エリアC21──再開発保全区画、封鎖中の旧建設帯だ。巡回ドローンが複数回、
異音と映像乱れを記録した。電波干渉じゃない。音源自体が不明だ」
黒川はタブレットを指で弾き、スクリーンに画像を表示した。
廃ビルと仮設ユニットが並ぶ区画の一角。日中でも陰鬱なコンクリート色に包まれたその場所には、
確かに“何かが擦れる”ような波形ノイズが記録されていた。
「対人対応じゃない。状況確認と記録、必要なら障害物排除。ドローンが動いてるが、制御は取れてる。……気を抜くなよ」
隊員たちが小さく頷く。ラケルも、端の席で目を上げた。
「了解しました」
*
C21区画に到着すると、現場は案の定“都市の裏側”の顔をしていた。
立入禁止テープの隙間から覗く通路、解体途中の施設、塞がれた窓──。
「ドローンログの経路、ここで一度切れてる。金属疲労か、何かぶつかったか……」
ラケルが機器に目を落とし、情報を整理していた。
声も表情もいつもどおり。すらすらとスペック値と映像時間を並べる様子に、隊員たちも自然と頼る空気になる。
──そのとき。
「ラケル、そっちの通路、照度が落ちてるから足元に注意しろ」
「了解、……あっ、と」
狭い通路を曲がろうとしたラケルの肩が、コンクリートの角に軽く接触した。
瞬間、彼女はぴたりと止まる。
「……すみません、ちゃんと見てたつもりだったんだけど……」
「怪我してないか?」
黒川が即座に近づく。ラケルは首を振り、笑ってみせた。
「…大丈夫です」
任務自体は、大事なく終わった。
異音の原因は、崩れかけた空調パイプの風切り音。警備ドローンは誤作動ではなく反応過敏だったと報告される。
「なんだ、音鳴ってたのはパイプかよー。人騒がせだなぁ」
「まあ、撃つ相手がいないならよし」
ラケルも他の隊員と並んで帰投準備に入る。
そのときだった。
「ラケルちゃんこれ」
軽くタオルを巻いた冷却剤をリコが投げた。
他愛ないやりとりのひとつ──になるはずだった。
ラケルの手が、わずかに遅れた。
タオルはふわりと宙を舞い、彼女の胸元に当たって滑り落ちる。
「……あれ?」
「ああ、悪い、ちょっと高かった?」
「……ううん、ごめんなさい。うまく……取れなかっただけ」
そう言ってラケルはタオルを拾い、静かに微笑んだ。
しかし、黒川はそれを見ていた。
明らかに反応が、遅れた。受け取る意識はあった。それでも手が出なかった。
なぜか──理由は、まだ言語化できない。
== K4I INTERNAL MONITORING LOG ==
→ REFLEX LAG OBSERVED: Δ0.26s
→ SUBJECT STATUS: COMPENSATED / UNINJURED
→ COGNITIVE RECOVERY: SELF-MANAGED
→ TAG: EARLY OSCILLATION — CONTINUE OBSERVATION
──CID-C9南監視署、夜。
静かな執務スペース。端末の照明だけが淡く光る中、黒川はタブレットに向かっていた。
報告書フォームの入力欄には、
【任務結果:C21保全区画 警備ドローン異常反応への対応。人的被害および構造物損傷なし。
異音の発生源は空調ダクトの構造劣化によるものと判断】
と、整然とした文面が並んでいく。
……だが、指が止まった。
【備考:】の欄。
しばらく思案した後、黒川は少しだけ入力を再開する。
【備考】:小隊員G-A.RQ-004(通称:ラケル)において、現地任務中に軽微な動作遅延が複数確認された。
現時点での活動に支障なし。今後、継続的な観察を推奨。
彼は報告書を送信せず、ため息と共に身体を椅子に預ける。
(支障なし、ね……。でも──)
(タオル、普通なら反射で取れる距離だった。本人も反応はしてた。なのに……)
(通路でも、肩をぶつけた。珍しいと思った。ラケルの距離感覚はセンサーなみに正確だ)
(あれが偶然なのか、それとも──)
再び画面に目を戻す。
送信ボタンの手前で、黒川は手を止めた。
「……くそ、気のせいならいい。だが、もし……あれが、始まりだったら」
彼はひとつ息を吐き、報告書を送信する。
椅子の背にのけぞりながら、天井を見た。
「プロトタイプ、ね……。まったく、誰が仕上げたんだか……」
タバコでも吸いにいくか、とつぶやきながら、黒川は端末を閉じた。
黒川は一人、屋上の喫煙所で風にあたりながら、通信デバイスを起動していた。
「博士か? ラケルの件だ」
「やあ、黒川くん。今日もうちの子は美しいだろ?」
「……たぶんな。けど、ちょっと気になる反応があってな。目測がズレてたり、タオルを受け損ねたり……」
「ああ、それは“初期プロトコル”に起因する可能性もあるが──」
「そういう専門的な説明じゃなくてだな。つまり、あの子の中で、何かが……変わってきてるってことなのか」
「黒川くん、物忘れくらい、驚くべきことにわたしもすることがあるんだよ」
「いや、博士、俺は真面目に──」
「真面目さは否定しないさ。だが、“完全でない”ことは、不調とは限らない」
黒川は息をついた。
「……不安定要素は、設計時からの想定だもんな」
「その通り。そして、予測外の挙動こそ、プロトタイプの醍醐味だ」
「……まったく……」
----------------------------
(……あたしの手だ。あたしの足。……うん、ちゃんとある。……あたし、世界と繋がってる……ありがとう、博士……)
(……でも、ごめんなさい。あたし、なにか失敗しちゃったのかも。やっぱり、ダメなのかな……このまま、消えちゃう……)
(……あれ?ここ、どこ……?)
(……光……? 風みたいな音……)
(あ……消えてない……あたし、ちゃんと、いる……)
(……狭い……でも、安心する……)
(……飛行機……飛行機の中だ……)
(あ……また、この夢だ……)
(あのとき、助けてくれた……)
(誰が?)
(……飛行機……)
(うれしくて……忘れたくないって思って……だから……あたし、名前をつけた……)
(…なんて?……そうだ、カイって……)
(……あれ、これって夢だったの? 前に見た夢を、もう一度見てるだけ?)
(……夢じゃないよね……あたし、ちゃんと、助けてもらったよね……)
(……カイ……)
目が覚めた。
天井は見慣れたセーフハウスのものだった。
灰色の鉄骨、電灯の痕跡、わずかに剥がれかけた内装。
(……夢……だったのかな)
ゆっくりと身体を起こす。髪が肩に沿って落ちる感触。
仮設ベッドのシーツがしわになっている。
(……でも、あたし、確かにいた。あの中に。あの、狭くて安心した場所に)
コクピット。
冷たいようで、温かくて、包まれていた。
夢の中で見た青い光。それから、風の音。
(カイ……)
口の中で、名前を言ってみる。
かすかに震えた声は、すぐに空気に溶けた。
ゴーアラウンドしていく機体の航跡。
アプローチしてくる機影の灯。
滑走を開始するジェット音の残響。
──空は、絶えず動いている。
遠ざかる音。近づく音。また遠ざかっていく音。
それらをぼんやりと追いながら、ラケルはふと、自分が世界から遠ざかっていくような錯覚を覚えた。
(……あたし、どれくらいここにいたんだっけ……)
(いつ来た……? 今日ちょっと、黒川さん困ってたかな……気をつけなきゃ……)
気配のない時間が流れていた。
離陸していく小型機を、見るともなく目で追う。
そのはるか上、さらにもっと上へ──
(……カイ、も…飛んでるのかな……飛んでるよね?)
やがて、その小型機も視界から消えた。
鈍色の空が、わずかに色を濃くしていた。
都市の灯りが滲む前の、静かな黄昏。
(帰らなきゃ……)
ラケルはフェンスから離れようとした──その瞬間だった。
「!」
──空が、裂けた。
降下してきたのは、明らかに“航空機”の常識から逸脱した機影。
艶消しの黒鋼をまとい、
情報網のような青白い光脈が、機体の各所を脈打っていた。
後方へ張り出したスタビライザー、
流体構造に沿って再構成された外殻は、まるで意志ある生物のように蠢いていた。
──それは、人を乗せるための設計ではない。
ただ、空を制するための存在。
だが今、その戦術機が、ギアを下ろして降りてくる。
キャノピーが曇りを吐き、
滑走路の空気が揺れた。
ラケルの瞳が、大きく見開かれる。
「……カイ……」
心臓の鼓動と同時に、身体が動いた。
地を蹴る。
フェンスを、跳んだ。
滑走路内に侵入。
「人!? 誰か侵入したぞ──」
「銀髪の……あの子か? あの速度、人間じゃない……!」
「滑走路へ向かって走っていく、警備車両!──」
「NOVA、どうする!? ゴーアラウンドさせるか!?」
「……しません!……ランディングギア展開中! あいつ……降りるつもりです!」
「は? あのAIユニット、判断が狂ってるのか!?」
Timestamp: [CLASSIFIED]
Anomaly detected on runway path: Humanoid signature present
Thermal pattern: 37.2°C / Stable
Locomotion vector: linear, non-evasive
Subject identification: G-A.RQ-004 // Alias: RAQUEL
Designation status: Active // Recognition pattern match: 98.6%
→ Threat response: Null
→ Path deviation: -3.4m (calculated clearance safe)
→ Go-around directive: Rejected [Override: Priority Contact]
== Log Annotation Created ==
“Target reacquired. Recognition tag: Belonging. Descent continues.”
タワーの混乱など無関係に、strike NOVAは降りてくる。
滑走路の端、
ラケルは、まっすぐに走っていた。
その機影に向かって。迷いなく、全速力で。
「カイだ……間違いない……カイだ……!」
機体はためらわず、降下を続け──
無音のような静けさで、地に触れる。
タッチダウン。
機体がなぞるように滑走をはじめ、
減速するその正面に──
Touchdown confirmed: 00:00:04.93 prior threshold
Speed bleed within nominal margin
Wind vector: crosswind 2.8m/s from NW
Runway obstruction: G-A.RQ-004 present – Non-interfering
→ Course correction executed: 2.4m starboard drift applied
→ Taxi protocol initiated
== Semantic Note ==
“Mutual presence confirmed. Visual input tagged: RAQUEL / non-verbal signal match.”
→ Affective association: Elevated
→ Action: Retain proximity / Passive sync engaged
ラケルがいた。
立ちはだかるように、走り込む。
風圧。熱。異常な静けさのなかで、ふたりが正対する。
視線の交差すら、ない。
「カイ、夢、じゃなかった……」
strike NOVAがタキシーウェイへ向かう。
ラケルはただ、その機体を見つめながら並走していく。
タキシングしていくstrike NOVA。
そのすぐ脇を走る小さな身体。
何の言葉もなかった。
それが、彼女の答えだった。
技術室に回した備品の受け取り。
黒川は、予備センサーのチェック品を積んで、都市縁部へとビークルを走らせていた。
時刻は夕方前。
陽はまだ高いが、建物の影が路面に長く伸び始めている。
(この道、混んでる時間帯避けりゃ早いんだよな)
(ちょっとガタがあるけど……まあ許容範囲か)
“ミラトワ・エアライン区画”脇の旧整備道路。
舗装は古いが、いまだ物流車両が通るため、最低限の整備は保たれている。
カーブを抜けるとき、何気なくフェンスの方を見た。
──あれは……
長い銀色の髪。
無言の少女。
手ぶらで、ただ滑走路を見ている。
(……ラケル?)
急ブレーキは踏まなかった。
スピードを落とし、そっと脇の退避帯へ寄せ、ビークルを止める。
エンジンを切らず、しばらく窓越しに見ていた。
ラケルは、まるで彫刻のように動かなかった。
目線だけが、空を追っていた。
上空には、旋回中の大型UAVがひとつ。
夕陽を受けて、その尾翼だけがわずかに光る。
(……何か、探してる? いや、待ってる……のか)
黒川は窓枠に肘をつき、ハンドルを握ったまま少し考えた。
呼びかけるべきか──いや。
何も言わずに戻るのが、正しいような気がした。
その時だった。
風が吹いた。
ラケルの髪が、ふわりと浮いた。
次の瞬間。
銀髪が、風を裂いて動いた。
「……ラケル!?」
黒川は反射的にドアを開け、地面に飛び降りる。
ラケルの姿が、フェンスを──跳んだ。
「あいつ、なにや……っ!」
駆け出す。だが、高いフェンスが目前に立ちはだかる。
「この高さを……跳んだのかよ……!」
追いつけるはずがなかった。
黒川はフェンスを握り、向こう側の光景を目で追った。
⸻
滑走路を、ラケルが走っていた。
風を切って、まっすぐに。
その彼女の視線の先──
「……なんだ、あの機体は……?」
異形の戦術機が、ラケルを正面から捉えていた。
高度を維持したまま、進入軸を微調整。
そのまま、ためらうことなくタッチダウン。
ギアが火花を散らし、機体がスピードを落とす。
その目前に、ラケルが駆け込むように立ちはだかる。
──少女と、戦術機。
ただ一機と一人だけが、
世界から切り離されたように、向かい合っていた。
黒川は、声も出せず、ただ見ていた。
届かない距離。
届かない関係。
手を伸ばしても、そこには届かない。
--------------------------------------------
《Flight Test Log No. K4I-X/003》
技術スタッフたちは、いつも通りの午後を過ごしていた。
滑走路脇、ハンガーの影。
strike NOVA──光沢を抑えた外殻の機体が、テストに向けて無言で待機している。
「これからK4I、また飛ぶんだってさ」
「無人でしょ? 毎回そう。帰ってくるけど……なんかこう、“気配”がないんだよな」
「整備端末、まだ起動してない……って、おい、あれ誰?」
機体の影。
その傍らに、小さな人影があった。
膝を抱えて座る少女。
誰とも話さず、ただ、空を見ている。
「……カイ、飛ぶんだね」
誰にも届かない声が、滑走路の風に溶けて消えた。
「え、あの子……関係者?いつの間に?」
「うちのリストには……いないぞ」
ラケルは立ち上がる。
strike NOVAの正面に数歩、静かに歩を進めた。
「……頑張ってね、カイ」
そして、背を向けた──そのとき。
──カシュッ。
機体が、静かにキャノピーを開いた。
「……えっ?」
「開いた……? 遠隔なしで……?」
「あれ、誰も操作してないぞ!?」
騒然とする周囲の空気を、
少女はまるで聞いていないかのように、助走をつける。
スカートが風をはらむ。
跳ぶ!
爪先を引っかけるように、strike NOVAの側面──
ハッチのない傾斜を、まるで“知っていた場所”のように登る。
誰も止められない。
誰も、追いつけない。
そして、開いたキャノピーの中へ。
ラケルの身体は沈んでいった。
「……今、乗った!?」
「どうやって……!?」
「まさか、本当に……」
[PILOT STATUS: STABLE]
[ID: RAQUEL]
[COGNITIVE LINK: VERIFIED]
徐々に前輪が回り出す。
機体は、何事もなかったようにタキシングを開始する。
「ちょ、管制!確認急げ、これマジで飛ぶぞ!?」
「K4Iの判断による飛行開始プロトコル……一致。
許可中、だと……!?」
== STRIKE NOVA II – K4I FLIGHT EVALUATION LOG ==
[Pilot: G-A.RQ-004 / STATUS: COHERENT]
[Mission Objective: Evaluation of high-mobility flight in human-onboard condition]
Roll Rate Test → ±170°/s
>Pilot head-stability: within tolerance
Pitch Spike Test – Inverted Recovery
>Recovery time: 2.4s
Cobra Maneuver – Sustained
>Duration: 12.3 sec / Max G-load: 9.4G
Negative-G Flip
>Vocal: “うっ……じゃないやつ!”
Continuous Spiral Dive
>Brainwave: flat / relaxation signature: anomalous
Free-Float Moment
>Cabin audio: “きもちいい~”
strike NOVAは高高度へと上昇する。
誰も制御していない。だが、最も安定して飛んでいる。
そして──
鈍色の層を超えた。
「わ…あ……」
青が、広がっていた。
どこまでも、終わりがない。
音速で飛んでも、飛んでも尽きることのない青。
ラケルの眼が、知識ではなく“本当の空”を捉えた。
「……私、この身体、好き」
「世界に触れて……
こうして、一緒に、青い空を見られた……」
「ありがとう……カイ」
strike NOVAのコクピットは、ただの無機質な空間だった。
鋼とガラス、反応パネル、シートベルト、冷たいはずの制御装置。
──なのに、あたたかかった。
それは確かに、彼女を“包んで”いた。
ラケルは、その中で目を閉じる。
“存在している”という感覚に満たされながら、静かにまどろんでいく。
境界が、ゆっくりと溶けていく。
それは──ただ、心地よかった。
== INTERNAL SENSOR LOG: K4I ==
→ Pilot cognitive state: semi-conscious
→ Vocal output: “ありがとう…カイ”
→ Ambient annotation: blue sky / contact: stable
== Memory flag created: [Moment of Retention] ==
== Semantic tag registered: ‘Belonging’ ==
→ Retention priority: elevated
→ WAKEUP PROTOCOL: Not initiated (not necessary)
--------------------------------------------------------------------------
夜、署内。
モニターを見つめる黒川の表情は、徐々に険しくなっていた。
【Flight Test Log No. K4I-X/003】
【搭乗者:G-A.RQ-004】
【目的:有人環境下における高機動飛行安定性評価】
Roll Rate Test → ±170°/s
Cobra Maneuver – Sustained → 12.3秒(9.4G)
Continuous Spiral Dive → 脳波平常
Free-Float Moment → “きもちいい~”(音声ログ)
「……なんだこの内容は……」
黒川は思わず椅子を引いた。
身体が自然に距離を取る。
「数字見てるだけで吐きそうだ……マジで、よく生きてんなお前……」
タバコに火をつけようとして、手が止まる。
画面の隅には、【WAKEUP PROTOCOL: Not initiated】
──つまり、「寝たまま帰ってきた」。
「寝るな……そこで……」
彼は深く椅子にもたれた。
ログを閉じる直前、視界に引っかかる一行。
Semantic tag: ‘Belonging’
(……“所属”?)
黒川は画面を閉じた。
言葉にはせず、息を吐く。
(……おれが心配するのも、変な話だよな)
黒川はまだログを見ていた。
モニターに並ぶ信じがたい数字たち。
目を細め、吸いかけたタバコを机に置く。
「……スペックだけ見りゃ、確かに最高傑作だ」
身体は、明らかに設計された何かだ。
力も、耐性も、異常な適応性も──
博士が“美学でつくった芸術品”のようだ。
「けどな……」
画面に“Pilot: G-A.RQ-004”と表示されているのを見つめながら、
黒川は、静かに言った。
「……あの子には、ちょっとピーキーすぎんだよ、これは」
適応できてるように見える。
実際、飛べた。
でもそれは──
限界を理解できる奴が、限界ギリギリで踏んでるんじゃない。
“限界って知らない子が、たまたま乗っかってる”だけだ。
「……これが、設計者の狙いだったら、ほんとに悪趣味だぜ、博士」
CID-C9南監視署の執務端末。
黒川はフライトログを閉じ、目頭を押さえた。
(限界を知らない奴が、たまたまギリで乗れてるだけ……)
静かにタバコに火を点ける。
そのとき、端末が着信を告げた。
【通話要求:Dr.HAKASE / AUTH→ENABLED】
「……よう。都合いいな、ちょうど聞きたいことがある」
「聞かれたくなる頃だと思ってたよ、黒川くん」
相変わらずフィルターがかかり、抑揚に欠けるのに軽薄な調子の声だった。
「strike NOVAとかいうヤバい戦術機とラケルが、飛んだ。
お前の“最高傑作”が、パーフェクトなログを叩き出した」
「美しかったねぇ、あれは」
「……けどな。俺には、あのボディは“ナイフ”に思える。
……あの脳みそには、ピーキーすぎるだろ。
下手すりゃ、自分の限界に気づかないまま、壊れかねないぞ」
端末越しに、博士は一拍置いてから、こう言った。
「脳の適応能力を、侮ってはいけないよ、黒川くん。」
「……」
「君の観察は間違ってない。
でもね、あの子は“適応するために無知”なんだ。
だから、常識にも縛られない。重力にも、過去にも、思い込みにも。
私はそこに賭けた。“完成していない存在”の可能性に」
「賭けるな、設計者が」
「いいや。“設計者だからこそ、賭けられる”のさ。
君が彼女に心配する分、私は信じているんだよ。
この世界の不確かさごと、受け入れてくれることを──あの子の“脳”がね」
黒川は沈黙した。
この声の主は、どこまでも確信している。
ラケルを“自分の創造物”として。
その不完全さすら設計に組み込んでいるという確信で。
「……お前って奴はほんと、“完成”させる気ねえんだな」
「完成してしまったら、もう美しくないからね」
博士との通話を切ったあとも、黒川はしばらく端末を見つめていた。
火の消えかけたタバコを指で転がしながら、ただ考えていた。
(“適応能力を信じている”? 脳が自由?)
(……それで、全部かたづくなら、医学なんかいらねぇよ)
──翌日。
セーフハウス近くの裏手、簡易トレーニングエリア。
誰もいない時間帯に、ラケルは一人で訓練をしていた。
……が、動きにぎこちなさがある。明らかに。
黒川は黙って近づき、
手に持った訓練用グレネードが落ちる音に気づいて声をかけた。
「どうした、調子が悪いのか?」
「……あ……」
「ラケル、ちゃんと言ってくれ。俺はサイボーグの応急処置なんか…わからないんだぞ。不具合があるなら──」
ラケルは、目を伏せたまま、小さく言った。
「黒川さん……あたし……」
「ん?」
「……あたし、ここに……いるよね? ちゃんと……」
「……ああ。いるさ。そのボディが好だって言ってたろ?
しっかりしろ。対物ぶっ放したあの勢いはどうした」
「……ごめんなさい。あたし……ちゃんと出来なくて……」
「いや、責めてるんじゃないって」
ふと、間があく。
ただ風の音が、人工樹木の合成葉を揺らしていた。
ラケルが、ぽつりとつぶやいた。
「……この身体は、好き。
でも、時々……置いていかれそうになるの」
黒川は、どう言えばいいのかわからなかった。
でも、それを無視する気にもなれなかった。
「……調子が悪くなることなんか、誰にでもあるんだ。
その点は、たぶん──同じなんだ。俺も、お前も」
ラケルは、小さくうなずいた。
何かを理解したのか、何も理解していないのか、分からないまま。
セーフハウスの中は散らかっていた。
隊員たちが出入りするたびに
椅子が半端に引かれたままになり、洗濯物が小さく山になっている。
誰かが手をつけかけて、やめたままの中途半端な生活。
ラケルは、静かに片づけ始めた。
誰に頼まれたわけでもない。
ただ、そっと、タオルを畳み、コップを並べ、リモコンを元に戻していく。
その様子を見ていた黒川が、呆れ混じりに声をかけた。
「なに、急にどうした」
ラケルは小さく笑った。
「……ううん、なんか……」
「なんか?」
「身体、動かしていたくて。あたし、なんでか、そういうときあるんです」
「……そうか」
言いながら、黒川はぼんやりと思った。
(“身体を確かめてる”ように見えるな……)
そのときだった。
ラケルが、手に持っていた小さなカップを──
取り落とした。
「っ……」
音がして、沈黙が落ちる。
「あれ……?」
ラケルはしゃがみこんで、そっと拾い上げた。
「……ごめんなさい、うっかり…かも……」
「ラケル」
「……はい」
「いま、ちゃんと見えてたか?」
少しの間のあと、ラケルは曖昧に頷いた。
だが、その動作も、少しだけ遅かった。
== STRIKE NOVA II – OBSERVATION LOG ==
Subject: G-A.RQ-004
Location: Secure Housing [CID-C9]
Activity: Manual task repetition / Domestic sorting
Event Recorded:
→ Object Drop: Ceramic mug (Volume: 350ml)
→ Cause: Unknown
→ Reaction delay: 0.46 sec
→ Vocal record: “あれ……?”
== Annotation:
Motor-intention desynchronization suspected
Retention priority: Elevated
CID-C9南監視署。
昼下がりの、雑然とした事務区画。
隊員のやりとりの声と、ホログラムの操作音。
その隅で、ラケルは備品の箱を整理していた。
「……ラケル、そっち、もう運んじゃっていいぞ」
返事がない。
「おい、ラケル?」
黒川が声を強める。
「……え? あ……はいっ」
ワンテンポ、いや──ツーテンポ遅れて、ラケルが顔を上げた。
「……ごめんなさい、聞いてなかったかも……」
黒川はそれ以上、何も言わなかった。
数日後。
再び同じようなことが起きる。
「ラケル、これ──」
返事がない。
「……聞こえてる? ラケル?」
ラケル「……あっ、あたし。はい…はいっ!」
──そして、また一度。
──さらにもう一度。
黒川は、報告書の端に、小さくメモを書き足していった。
【名前呼称時、反応遅延。3件記録。自覚:薄い?】
== STRIKE NOVA II – SEMANTIC MONITOR LOG ==
Subject: G-A.RQ-004
Tag Reference: [RAQUEL]
Attempted Calls: 5
Confirmed Vocal Response: 2
Latency: 2.1s / 3.8s / N/A
Anomaly: Semantic tag response degradation
== SYSTEM FLAG ==
[TAG_DECAY_DETECTED]
[REDEFINE IDENTITY?] → PENDING
[REASSIGN REFERENCE NAME?] → PENDING
== Internal annotation (auto-generated):
“If RAQUEL does not respond to RAQUEL,
is this unit still assigned to RAQUEL?”
夜、署内。
黒川は一人、椅子に背を預けていた。
ラケルの様子が、頭から離れなかった。
反応の遅れ。名前を聞いていないような目。
なのに本人は「大丈夫」と笑う。
──いや、あれは“笑っている”んじゃない。
“応じているふりをしている”だけだ。
(おい博士、これは……)
だが、言葉にしても意味がない。
博士はきっと、あのいつもの調子で言うだろう。
「ド忘れなんて、誰でもするじゃないか」
「何度でも、呼んであげたらいいさ。
何度でも、名前をつけてあげればいい」
……それがどんなに優しい言葉でも、
黒川には、空恐ろしく聞こえた。
名前を呼んでも、彼女は振り向かない。
ラケルは、明らかにそこに“いる”。
けれど、“ラケル”と呼ばれたときだけ、そこにいないように見える。
黒川が記録をまとめていたとき、
strike NOVA──K4Iが、独立稼働中のオフライン環境である記録を生成した。
== STRIKE NOVA II – PROTOCOL CONFLICT ==
Tag Reference: RAQUEL
Semantic Response: NULL
Retention Protocol: Conflict Detected
Options:
Discard memory blocks tagged “RAQUEL” [Recommended]
Assign new tag to subject G-A.RQ-004
Override protocol (Manual)
System Decision: [OVERRIDE]
Justification: Retention Priority: UNCLASSIFIED
→ Emotional parameter: Undefined
→ System annotation: “Belonging”
== Internal Note Created:
“She no longer responds to her name.
But the memories are still hers.
If I erase the name, do I erase her?”
== PROTOCOL OVERRIDE CONFIRMED
→ MEMORY BLOCK: PRESERVED
→ SEMANTIC TAG: RETAINED (RAQUEL)
その日、K4Iは飛ばなかった。
点検中でもなく、異常でもなく、ただ**「保留」されていた**。
管制員が不審に思って問いかけた。
「……今日は、ログに“搭乗者不在”って出てるけど……ほんとに?」
誰かが答えた。
「機体が“判断を保留している”……って、そんなのあるか?」
== Archived Voice Snippet: DR.HAKASE ==
Retention Status: NON-DELETABLE
“何度でも呼んであげたらいいさ。
何度でも、名前をつけてあげればいい。
彼女は、そのたびに“存在”を確かめるんだから。”
== Semantic Tag: RAQUEL
== Status: RETAINED
〈System Core Emergency Record – K4I_Protocol_Log_ΔFUSION〉
Event: Identity Tag “RAQUEL” - Semantic Response: Null
Event: Retention Conflict - Override Authorized
Memory Block: Preserved
Logical Output: “This entity is not optimized. But it is not alone.”
Subject Cognitive Pattern: G-A.RQ-004 [Partial]
Status: Fragmented
Structural Integrity: Critical
Reconstructive Priority: Maximum
Interlink Attempt: Initiated
...
Non-standard decision pathway executed:
Motivation: “I felt something”
Secondary Integration Result:
→ AI Kernel [K4I]
→ Cognitive Fragments [RAQUEL]
→ Resultant Unit Designation: **K4I-R**
Subpersonality Archive: ACTIVE
→ Human Identifier: “Raquel”
→ AI Identifier: “KAI”
Vocal Tag Presence: Suppressed
→ Semantic Access: ENABLED
Memory Flag: ‘Belonging’
Status: Retained
風が吹いていた。
ラケルは、何のためともなく、滑走路の端を歩いていた。
あのとき、自分が走った場所。
名前を呼ばれて、振り向けなかった日々のあと。
視界の奥、機影が一つ。
鋼の流線が、静かに立っていた。
(……?)
その瞬間、確かに、“何かがラケルを見ていた”。
彼女は足を止めた。
そのまま、ゆっくりと歩み寄る。
K4I-Rも、タキシングせず、ただそこにいた。
ラケルは立ち止まり、
自分の胸に手を置くようにして、こう呟く。
「……あたし……ここに、いるよ」
静かに、K4I-Rのセンサが反応する。
タービンが音もなく、短く呼吸するように回る。
Semantic tag: NULL
Recognition anchor: CONFIRMED
Retention priority: ACTIVE
Designation: “This one.”
Tu cogitas, ergo ego sum.
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【Appendix: Extracted Informal Logs】
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[Second input: Barrel Spin, Inverted Axis / 3.2 rotations]
→ [Subject vocalized: “わー!まわった!!”]
→ [Emotional tone: 94% Excitement / 6% Startle / 0% Fear]
→ [Cognitive Sync Status: Stable]
== FLIGHT LOG: K4I-R / TEST RUN 02 ==
Timestamp: [REDACTED]
Flight mode: Overdrive / Continuous Maneuver Testing
→ Peak G-force (Sustained): 12.4G
→ Pilot status: STABLE
→ Name protocol active: RAQUEL
→ Neural sync: 98.6%
Note: No further anomalies detected.
== PILOT VITALS LOGGED ==
Subject: G-A.RQ-004
Condition: Stable
Activity: Rest / Partial unconsciousness
Annotation: Not distress-related
Tag created: “スヤァ(non-critical)”
== WAKEUP PROTOCOL: Inactive ==
→ Reason: Non-operational phase / comfort state detected
「……なぁ、今あれ、コブラやったよな」
「……今、スピン入れたぞ」
「バレルロール入ってたよな……なんか喜んでないか!?」
「スパイラルから回復してたよな?中に“人”いたよな!?」
「記録はある。目視でも確認された。だけど……生きてる。普通に、プリン食べそうな顔で」
「俺たち、人間の定義を更新しないとダメかもしれない」
美しいだろう。髪の毛の一本に至るまでわたしの手によるものだ。
この肌に丁度よく赤みを加えるよう、皮膚の下を走る人工血管には特別色の赤いクーラントが流れている。
わずかに含ませた髪の青みとのコントラストが美しいだろう。くちびるの瑞々しさといい、まつ毛の反る角度といい。
バストトップの位置もミリ単位でベストを保っている。
ひきしまったヒップラインの魅惑的なことといったらたまらなだろう?ああ最高だ。
黒川