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62話 嘆きの咆哮

 夕方、オカヤマ内のガイゼルバッハ邸。金吾から与えられたばかりのこの屋敷の屋根の上で、サルベイダら三人は佇んでいた。屋敷の中に入らないのは、人間文化へのせめてもの抵抗からだろう。


 マベッシュが苦虫を噛み締めたような顔で言う。


「他の魔王たちも不服や野心を抱えての偽りの臣従だと思っていたが、どうやら本気でファルティスに屈しているようだな。大きな計算違いだ。表向きは恭順しつつ、他の魔王たちと手を組んでファルティスに叛乱はんらんするという策、このままでは水の泡だぞ」


「……」


「他の魔王といえば、ネトレイダーは自ら臣従した腰抜け。ベリアルドゥは正体不明の上、勢力も小さい。どれも心許ないぞ。やはり、ヴァルサルドルムとラーダマーヤの力は必要だ」


「……」


「もう一度説得しよう。今度は本人に直談判するんだ」


「……」


「どうする? サルベイダ。反オカヤマ同盟の策は、お前が献策けんさくし、主に認められたんだぞ」


「……」


「サルベイダ!」


 マベッシュ、怒鳴る。一方、そのサルベイダはというと、ただただ街を眺めていた。陽が暮れ、あちらこちらに明かりが灯る光景を、彼はしみじみと見つめ続けている。……そして、こう言った。


「もう駄目かもな」


「何だと!?」


「ジーグリーンの言う通りだ。どういう形であれ、小早川金吾はヴァルサルドルムもラーダマーヤも恭順させ、僅か半年で魔界の覇者となった。奴こそ魔界の王なんだ」


「何を寝ぼけたことを! お前までこの幻にやれたのか!?」


「この光景は幻ではなく現実だ。認めたくないが現実なのだ! こんなものを生み出した金吾の策略は、俺たちの上を行っている。下手に事を起こそうとすれば、叩き潰される口実を作るだけだ。……俺は我が主にオカヤマ入りを進言する。今はただ耐え忍んで欲しいと……」


「やめろ! 馬鹿なことを言うな! 魔王ガイゼルバッハが屈することなど、あってはならない!」


「俺だってそうあって欲しいと思っている」


「サルベイダ、お前はただ命欲しさに怖気づいただけだ!」


 そう叫んだ瞬間、マベッシュは吹っ飛んだ。殴り飛ばされたのだ。倒れたマベッシュは、殴られた頬の痛みを感じながらサルベイダの憤怒の表情を見上げる。その彼が吼え返す。


「お前に何が分かる! 俺は四百年前、乱世が始まった時から我が主と一緒だったんだ」


「っ……」


「あの頃はまだ名前で呼び合い、仲間も五人しかいなかった。ガイゼルバッハ自身、弱小魔族の一人でしかなかったんだ。それでもアイツは次代の魔王になると言い続けていた。初めは誰もが笑って本気にしなかった。だが、アイツはそれを証明するために常に己より強い者と戦い、数多の自称魔王たちを倒していったんだ。何度死に掛けても決して諦めず、誰もが恐れる最強の魔族ヴァルサルドルムにも片目を失いながら挑み続けていた。勇敢、不屈、剛毅ごうき……。これらを体現した男だった。そして、今では六大魔王の一人に数えられるまでになったんだ。アイツこそ……アイツこそ次代の魔王になるべきなんだ」


「サルベイダ……」


「なのに、ここに来て……。ここに来て……」


 しかし、その声も弱々しく震え出した。


「これまであらゆる困難を打ち破ってきたが、今度ばかりは危うい。俺はガイゼルバッハに魔王になって欲しい。だが、それ以上に死んで欲しくないんだ……」


 その心情はマベッシュから反論を奪い、寡黙かもくなシルンシの顔を心痛で歪めさせてしまう。


 そして、サルベイダは今最も正しいことをすることにした。


「俺はガイゼルバッハを諌める。今はただ耐え忍び、機会を待てと……。アイツは聞き届けないだろうが、この命を懸けてもいさめる」


 全ては主のため……。そこまで言われると、マベッシュとてもう何も言えなかった。……ただ、それでも受け入れられないでいたが。


「分かった」


 マベッシュはそう答えると立ち去っていった。


 街の中へ消えていく彼を見送るシルンシ。次いで、サルベイダへ視線を移せば、彼は天を見上げていた。


 戦乱の末、より強者の魔族に敗れたのなら臣従も納得もしよう。しかし、相手は人間。しかも戦いによってではないのだ。


 四百年の乱世が、このような形で幕を閉じるとは全く予想していなかった。だから、サルベイダは嘆いた。


 嘆き、


 嘆き、


 嘆き、


 嘆きの末、夜空に咆哮する。


 このような残酷な結末を与えた天に怒りをぶつけるかのように……。




 マベッシュは夜の街を歩いていた。魔族と人間が行き交う異様な光景は未だ馴れず、おのぼりさんのように辺りを見回すばかり。すぐ目の前を若い女が通り過ぎたが、やはり彼を恐れる素振りはしない。逆に、彼には自分を恐れない人間たちの方が不気味に感じられてしまった。


 ふと、傍を通り掛った酒場を覗けば、やはり魔族がたくさんいる。


 人間のウエイターが注いだ酒を美味そうに飲む魔族。人間の女を侍らす魔族。人間相手にカード遊びに興じる魔族……。


 誰も彼も人間文化を満喫しているようだ。マベッシュの目には幸せそうに映っている。……だが、彼の心はそう捉えることは出来なかった。


 これは幻。魔族たちは惑わされているのだと……。


 人間たちが与える悦楽に惚けた顔を晒す魔族たち。マベッシュには、それがまるで牙を抜かれた家畜のように見えたのだ。


 その非情な現実を前に、彼は拳を握り、歯を食い縛り、天を仰いだ。


 ……そして、決心したのだった。


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