41話 愛の魔王
オカヤマ城・天守最上階。酒宴の後、金吾はそこにいた。廻縁で一人佇み、酒を啜りながら夜の街並みを眺めている。黄昏るように。
そして……溜め息。戦勝の喜びは既になく、心の中のシコリを撫で回すばかり。完全に諦めていたようで、実はただ封じていただけの責務を見返していた。
それは亡き養父からの願い。
彼が想起しているのは太閤秀吉との会話だ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
慶長三年(十五九八年)・春。京・伏見城。
この日、小早川金吾は天下の中枢、伏見城の廊下を歩いて……いや闊歩していた。弱冠一六歳とは思えぬ堂々とした振る舞いに、誰もが目を見張っている。豊臣政権の二番手、徳川家康とてここまでは振舞えないだろう。しかも、これから叱られると言うのに。
「金吾殿、その振る舞いを改めなされ」
だから、彼を先導する石田三成は苦言を呈した。尤も、金吾にとってはどこ吹く風だが。
「息子が父親に呼ばれる。ただそれだけのことに、何を改める必要がある? 親父様は気にしないさ」
「殿下とお呼びなされ。太閤殿下は貴公にご立腹なのですぞ」
「まぁ、父親に息子を叱らせるのも親孝行の一つだな」
やがて通されたのは絢爛豪華な一室。そこにいたのは五歳の秀頼とその母淀殿、及びお付きの女房たち。そして太閤秀吉である。
「やっと来たか、金吾」
「お久しゅうございます、親父様」
上段の間の秀吉に金吾は腰を下ろして頭を下げた。ただ、その挨拶ぶりに脇に控えていた淀殿が眉間に皺を寄せた。だが、金吾は構わず、秀吉も許す。
「相変わらずだな、金吾。再三帰国を命じただろう。何をしていた?」
「いや、正直言うと、親父様が床に伏したと聞いてね。……弱った親父様は見たくなかった。けれど、思っていた以上に元気そうで嬉しいよ」
再び吐かれる礼を失した言葉に、女房たちにも緊張が走った。その呼び方の上、見たくなかったという暴言まで……。そんなことを吐けば、たとえ大名であっても改易、打ち首は免れない。何せ、相手は戦国乱世を制した天下人なのだから。
それでも、その天下人はまた許すのだった。それはその人柄を愛していたからであろう。しかも、金吾の横柄ぶりは留まるところを知らない。
「おお、秀頼も大きくなったな。来い、来い」
淀殿の傍にいた秀頼を手招きで呼び寄せると、愛おしそうに抱き上げる。
「重っ! これは将来デカくなるぞ。楽しみだ」
そして何と、そのまま立ち上がり、自身を軸に秀頼をグルグルと回し始めたではないか。
「ちょ、き、金吾殿! 危ない! お止めなさい!」
未来の天下人が振り回され、淀殿は顔面蒼白。片や金吾は笑い、秀頼は大笑い。
「そう取り乱すな、淀殿。ただの兄弟遊びではないか。秀頼は将来、全国の武士の上に立つ男ぞ。逞しく育つには身体を使って遊ばんとな」
「殿下もお止めください!」
「ふっ、小一郎とのことを思い出したわ」
淀殿の嘆願を他所に、秀吉も遂には笑ってしまった。因みに、小一郎とは秀吉の弟豊臣秀長のことである。既に亡くなっているが、彼も昔はあのように弟と遊んだものだった。……それに今の老いた秀吉では、最早ああやって遊んでやることも敵わないだろう。彼にはもう時間がなかった。
「女たちは席を外せ。男だけで話をしたい」
そう命じ、淀殿たちを追い出す。秀頼を連れて出て行こう彼女を「秀頼もだ」と、咎めまでした。
そして、男三人になると改めて親子の対面を迎えた。秀頼を膝の上に座らせた秀吉は一息置くと金吾にこう薦める。
「お主、関白にならんか?」
「ならない」
「何故だぁ!?」
渾身の褒美を即答で拒否され、秀吉はつい声を荒げてしまった。
「いや、関白って忙しそうだし、責任も圧し掛かるし……。俺には天下を差配する才能もその気もない。人生短くとも楽に塗れて生きたいんだ」
「秀頼が成人するまでの繋ぎだ。我が豊臣一門で頼れるのは、最早お前しかおらぬのだぞ」
「そう言われても、元々長生きするつもりはなかったから繋ぎすら出来ないと思うよ」
「酒か……。お前、まだ酒を控えていないようだな。ねねが困っていたぞ」
「酒は楽しい。心を豊かにしてくれる」
「それで身体を害されたら困るのだ。……儂が死ねば、次に天下を獲るのは家康だろう。そして、あの狸爺は必ずこの秀頼を害そうとするはずだ。儂の子たちは皆早死にだった。せめてこの子だけは天寿を全うして欲しい」
「……」
「分かった。では中納言(金吾)よ、秀頼に天寿を全うさせるために、お前ならどうする?」
それは養父ではなく主君としての問いだった。ならば金吾も臣下として答えざるを得ない。座り直し態度を改めると、ハッキリした声で答える。
「内府(徳川家康)は狡猾です。殿下が亡き後は、某が関白になったところで止められはしない。古の鎌倉幕府の摂家将軍のようなお飾りにしてもらうことも考えましたが、内府はその存在すら許さないでしょう。ここは大人しく天下を譲り、秀頼公には一公家として生きて頂くのが最善かと」
「成る程」
「されど、一番の問題は内府ではございません。それを良しとしない身内です。特に、石田治部(三成)と淀殿は到底それを受け入れないでしょう。治部の忠義は本物です。本物過ぎて、殿下の命をも拒んで秀頼公を天下人に付けようとするでしょう。内府に天下を懸けた戦いを挑むのは明白。されど戦上手の内府に敵わず敗れ、逆に内府の権力を増長させてしまいましょう。結果、秀頼公の立場をより危うくしてしまいます」
「……尤もだ。ならばその時お前はどうする?」
「某は、その天下分け目の戦で内府に与します。そして、内府を勝利に導く一番の大功を挙げます。そうなれば内府も某の言葉を無碍には出来ないはず。某が秀頼公を一公家にする方策にも頷かざるを得なくなるでしょう。その一方で、得た大封において早急に普請に励み、力を蓄えます。徳川との一戦も辞さない覚悟も見せるために」
「しかし、大きな問題があるぞ。天下分け目の戦ならば、歴戦の兵たちが参じるはず。その中で、若いお前がどうやって一番の大功を得るというのだ? 儂とて自信はないぞ」
その戦場には、戦国の世を駆け抜けた日ノ本中の名将たちが集うはずである。十六歳の金吾ではあまりにも荷が重いだろう。だが、彼には秘策があった。忌むべき秘策が。
「簡単です。治部を後ろから討てばいい」
それには戦の天才秀吉をもってしても驚きを隠せなかった。
「……戦場で寝返るのか?」
「恐らく、明智光秀に並ぶ天下の裏切り者となりましょう」
悪名をものともしないその胆力は、とても子供とは思えなかった。
「何たる謀略家か……。十六歳の子供が考えることではない。お前があと十年早く生まれていれば、あの家康にも立ち向かえただろうに」
「十年早く生まれようとも天下には興味ありません。それより、殿下こそあと十年は長生きして下され。殿下の健康こそが秀頼公の幸せでございます」
最後に金吾は平伏して締めた。これが父と弟にしてやれる彼の出来る限りの奉公である。
それに父は感服していた。この息子を誇らしくも思っていた。そして託そうとも。
「金吾、一先ず再三の召還命令を無視した罰を与えなければならん。お前を北ノ庄十五万石に減封する。ただ、儂が死んだらすぐに元に戻すよう命じておこう。……あとはお前次第だ」
こうして彼もまた頭を下げた。
「金吾、秀頼を頼む」
これが金吾と秀吉、最後の会話だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
だが、その約束は果たせなかった。
異郷の地に来た金吾は、その約束を忘れるべく徹底的に娯楽に走ったが、それでも結局消すことはかなわなかった。いや、消せないのは分かっていた。だから彼女に手を差し伸べてしまったのだろう。
「お酒、足りてる?」
ふと金吾の耳に入ってきたのは麗しくも優しい声。振り返ってみれば、そこにいたのは酒瓶を持ったファルティス。しかめっ面をしていた彼も彼女を見てつい頬を緩ませてしまった。
「丁度切れるところだった」
「それは良かった」
彼女の酌で一杯いくと、金吾の顔は更に綻んだ。
「ありがとう、ファルティス」
「そんな改まってお礼なんて……」
「いや、お前と一緒にいると慰められる」
「金吾……」
そして彼は口も綻ばせた。
「俺は日ノ本で養父から遺言を託されていた。弟、秀頼を頼むとな。……だが叶わず、俺も寿命を迎えてしまった。だから、未練なく諦めるつもりだったんだが、どうやらそこまで器用ではなかったらしい。俺が専ら娯楽を望んでいたのは、その遺言を忘れようとしていたからかもしれない」
次いで、心まで。
「だが、俺の前にその心残りを叶えてくれる者が現れた。それがお前だ。偉大な魔王を継ぐべく健気に頑張っているお前を見ていると、天下人の後継者である幼い秀頼と被ったんだ。だから、代わりにお前を救うことにしたんだ」
それがファルティスを支える理由だった。真実を知った彼女もその誓いを真摯に受け止める。
「それじゃ、金吾のためにもしっかり魔王を務めないとね」
「そうだな。しかし、俺から打ち明けちまうとはな……。きっと、お前の性のせいだ。お前と一緒にいると正直になってしまう」
「私の?」
「俺は関ヶ原で治部を裏切って以来、天下の裏切り者として日ノ本中から嫌われていた。諸大名や民草は勿論、家臣からもな。秀頼を護るために誰からも愛されなくなったんだ……。そんな俺に純粋に手を差し伸べてくれたのがファルティス、お前だった」
「金吾……」
「お前は平和の性でも嫉妬の性でもない……。俺がお前に惹かれたのはその『愛の性』のためだろう」
「『愛の性』……。うん、いい、それ」
ファルティスは金吾に寄り掛かって、身も心もそれを受け入れた。愛が彼を呼び寄せ、愛が彼を慰め、愛がこの世界を一つにする。彼女は己の性を愛したのだ。そして今、自分自身も愛によって幸せになっている。
「俺がお前を誰からも愛される天下一の魔王にしてやる。実に面白そうな挑戦じゃないか」
改めてファルティスに忠誠を誓う金吾にもう未練はない。柵が消えた彼の天下布武の道は真っ直ぐな正道となり、純真な彼女を敬愛される魔王へと導く。
「そしてそんなお前を支える俺は……関白。今日から俺は豊臣朝臣関白羽柴秀秋だ」
こうして、新たな主君のために新たな職を得た金吾は、異世界において最高の娯楽を見出したのであった。
― 第 一 章 完 ―
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