13話 王女の夜
夜のオカヤマは暗く、静かで、寒々しい空気が漂っていた。だから、金吾には酒が欠かせず、また酌をしてくれる相手も必要だった。
その夜、彼がオカヤマ城の暗い廊下を進んで辿り着いたのは、奥の間と呼ばれる一室。そこにいるのはセルメイルの賓客だ。
金吾がその部屋に入ると、ティエリアはあからさまに顰め面を晒した。元々嫌っていた相手の上、真夜中の来訪である。当然の反応だった。また、彼女には十人の侍女が付き添っていたのだが、休んでいるのか今ここにいる侍女は一人だけ。その一人が彼をこう窘める。
「金吾様、このような夜更けに訪れるなど不作法でござます。今夜はお引取りを」
が……、
「ここは人間の世界ではない。人間の作法など通じないと心得よ」
金吾、取り合わず。勝手にソファに腰掛けると、ティエリアを手招きした。
「お前の歓迎の宴をしていなかったと思ってな。酒でも酌み交わそう」
「誰が……。貴方とだけは死んでもごめんよ」
「何で?」
「何でって……分からないの? 人間の癖に魔族に寝返ったクズだからよ!」
彼女の不機嫌な理由は金吾の想像通りのものだった。
「ティエリア、お前いくつだ?」
「……十六よ」
ただ、人間性が幼過ぎる。これと比べれば、日ノ本大名の十歳児の子息の方がずっと大人びていた。金吾も甘やかされて育った身だが、これほど態度が悪かったことはない。一応、彼女のために苦言を呈する。
「そろそろ、その態度を改めたらどうだ?」
「うるさい」
「お前の態度次第でセルメイルに血の雨が降るかもしれないんだぞ」
「っ!」
その言葉でティエリアはやっと己の立場を理解した。口を噤むと、彼の対面に腰掛ける。
「随分甘やかされて育てられたようだな。さぁ、酌でもしろ」
持ってきた酒瓶と杯を彼女に差し出す金吾。……が、無視される。それを見た侍女が、慌ててその代わりを務めた。彼も感心。
「王女より侍女の方が良い教育を受けているようだ。名は?」
「ユリエラと申します」
ティエリアより年上のようだがまだ十代だろう。王女の傍で仕えるだけあって、美しく気品があった。優秀さも感じられる。その証拠に、廃墟同然だったこの部屋も綺麗に整えられ、居心地の良いものになっていた。
「言った通り雨漏りはしないだろう? いずれこの城も大規模な補修に入るから、それまでの辛抱だ」
「どんなに綺麗になっても魔族と一緒なら地獄よ。人質ならバスタルドの方がずっとマシだったわ」
ティエリアもユリエラに酒を注いでもらうと、愚痴を零しながら口にした。
「バスタルドからも人質を要求されていたのか? 昔から関係が悪かったらしいな」
「何でそんなことを知ってるのよ?」
「オカヤマに人間を引き込んだのは、その情報網を得るためでもある」
「いやらしい」
「まぁ、これまでの魔族では出来ない芸当だろうな」
魔界では弱小勢力故に人間の力を必要とするオカヤマだが、当然、反魔族思想のティエリアはそれが気に食わなかった。金吾を見る目に敵意を込める。
「貴方は私たち人間を利用する気だろうけど、残念ながらそうはいかないわ。人間の魔族への反感は生半可なものではない」
「……」
「いずれ武器を取って、魔族の圧制に立ち向かうわ」
「……」
「それに、お父様も軍を整えたら助けに来て下さる。貴方の暴政もそこまでよ」
「……」
「人間でありながら魔族に与する天下の裏切り者なんかに、決して神の祝福は与えられない!」
またまた己の立場を忘れたかのような暴言の数々。戦争で捕虜になったという経緯ならまだ分かるが、彼女はオカヤマとセルメイルの協定のためにここに置かれているのだ。両国の不仲にするような真似はご法度のはずなのに……。
「……他に人質候補はいなかったのか?」
黙って聞いていた金吾は、つい控えていたユリエラにそう問うてしまうと……、
「あとは、まだ十歳の王太子しかおられなかったもので」
彼女も同情しながら答えてしまった。
「ちょっと、ユリエラぁ!」とティエリアが抗議をしていると、そこに突然ルドラーンが入室してきた。急に現れた魔族に怯える少女二人。金吾もこの部屋に魔族を寄らせないよう言い聞かせていたが、冷静沈着なルドラーンがそれを承知で入ってきたのだ。金吾もただ事でないとそれを追認すると、彼から耳打ちを受ける。
ティエリアが「ち、ちょっと、その魔族早く追い出してよ」とまたまた抗議しているが、金吾は無視。代わりにこう答えた。
「確かに、お前はバスタルドに行った方が良かったかもしれないな」
「え?」
「バスタルドがセルメイルを攻めたようだ」
「っ!」
それは十分ありえることだった。オカヤマと協定を結ぶためにバスタルドの要求を跳ね除けたセルメイルは、魔族の代わりに人間の侵攻を受けることになったのである。王都ラムレドの会議室では、エルゼンが再び家臣たちと共に対策を練っていた。
「現在侵攻中のバスタルド軍は大まかに分けて三部隊。先鋒を務めるのはバスタルドが誇る猛将ドランの五千で、もうすぐブレネイの街に迫るでしょう。後方の全軍合わせれば二万に達するかと思われます」
メルタニーは額に脂汗を浮かせながら報告した。エルゼンも危機的な状況だということは理解している。だから、こう決断した。
「ブレネイは北方の要地だ。落とされるわけにはいかない。私が直々に兵を率い救援に赴く」
君主が率いれば否応にも兵の士気は上がる。今は勝率が上がるなら何でもしなければならない。だが、メルタニーは当然の如く反対。
「なりません。あまりにも危険です。今動員出来る兵力でも護り切れるか分からないのです。お留まり下さい」
「本隊が来襲する前に先鋒を撃破しなければ、勝利はない。今は全力でドランを撃破し、万全な態勢で本隊を迎え撃つのだ」
「……いえ、陛下、それよりも確実な手がございます。バスタルドに詫びを入れるのです」
「侘びだと?」
「改めてバスタルドの要求を呑むのです。密かに王女をオカヤマから引き上げさせ、婚姻同盟を結びましょう。それしか救国の道はありません」
「オカヤマを裏切れと言うのか? 私に道義に背けと言うのか?」
「そもそも、魔族と協定を結ぶこと自体が道義に反していたのです。人間と魔族は別の生き物。人間と犬が対等ではないように、いずれ人間は犬のように魔族に従属させられましょう」
メルタニーのそれは理解出来た。他の家臣たちも賛同の声を上げる。一度断っているが、それでもまだ詫びを入れる方が国を護れるかもしれない。
しかし、それ以前に筋が通っていないことがある。
「バスタルドに攻められることは、要求を断った時点で予期していたこと。今更降伏を選ぶことこそ問題外ではないか!」
エルゼンは家臣たちの臆病ぶりを叱った。更に、その憤怒が彼を立ち上がらせる。
「魔族には屈したくないが、人間には屈しても構わない。そう考えているのか!? 貴様らの矜持はそれほど歪んでいるのか!?」
信頼を得なければ安寧など成せない。
「魔族に攻められ、人間を捨てて協定を結んだ。今度は人間に攻められ、魔族を捨てて協定を結ぶと言うのか? 蝙蝠外交ほど醜いものはない。人間にも魔族にも信用されないぞ。そんな不誠実な国家が生き延びられると思っているのか!?」
信念を貫けなければ大業など成せない。
「我々は魔族を選んだ。ならば、最後までそれを貫くまでだ。出陣の準備を整えろ。私が行く!」
この英傑が最も嫌うのは醜い精神だ。覚悟を決したなら、翻してはならない。何故なら、信頼の下に結束することこそが、魔族にはない人間の強さなのだから。
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