忠告
兄が今回南部にやってきたのは仕事の為だという。事業の取引があり、その仕事が終わったので、顔を見に来たらしい。
兄は二人で話をしようとレオンハルトを誘い、二人はレオンハルトの執務室へ向かった。
「応接室でなくてよかったのですか? 茶もいらないだなんて」
「あぁ。大丈夫だ。お前以外には聞かせたくない話だから」
レオンハルトはすっと体温が下がるのを感じた。
てっきり実家のことや王都の様子、とりとめのない兄弟水入らずでの会話をするのかと思っていたが、どうやら違うようだった。
「……ルーナの話ですか?」
ディーデリヒはゆっくりと頷いた。
「魔女とはずいぶんと仲良くしているようだな」
魔女。ルーナを指すその言葉が、喉に引っかかる魚の骨のように気になった。
「……ルーナです」
「レオンハルト」
叱責するような呼びかけにレオンハルトはそっと目を伏せる。
ディーデリヒは信じられない、とでも言いたげに目を見開きレオンハルトに詰め寄った。
「まさか魔法にかけられているんじゃないだろうな」
「魔法はもう滅びました」
「魔女なら使えるだろう」
「使えません。……兄様、ルーナは人間です」
その瞬間、兄が信じられないものを見るような目でレオンハルトを見た。
「自分が何を言っているのか分かっているのか?」
「……そもそも、神託でルーナが魔女と言われたわけではありません。ルーナを魔女だと呼ぶのは民衆だけではないですか。神託で告げられたのは、ルーナが王女様の命を危ぶむかもしれないと……」
「"かも"ではない。危ぶむんだ。あの女は、我が国の宝であるナディア王女を殺す女なんだぞ。なぜ王女様の騎士であるお前が魔女の肩を持つ?!」
「……っ兄様もルーナといっしょに暮せばわかります! ルーナは魔法も使えなければ呪う方法も分からない! 僕にはルーナがただの年頃の令嬢にしか見えません!」
バシッ! という音がして、次の瞬間感じたのは頬の熱さだった。兄に平手で打たれたようだ。
驚いて目を見開き、口をぽかんと開けて兄を見上げた。
「それ以上言うなら次は拳で殴る」
レオンハルトは驚きで声も出なかった。兄とは長い年月を、同じ屋敷でともに過ごしてきた。妾腹の異母兄弟であるレオンハルトが父母に疎まれるなか、兄だけはレオンハルトに優しく接してくれていた。兄に手を出されたことなんか一度もなかったのに。
「レオンハルト、どうしてしまったんだ。魔女を庇うなんて。たとえ王命だったとはいえお前を魔女と結婚させたのは悪かったと思っている。ただ、たった三年だ。三年の辛抱ののち、魔女とは別れてお前は新たな人生を歩むことができるんだ。王女様をお守りすれば、お前には輝かしい未来が待っている」
その通りだ。レオンハルトは王女を守るため、王命に従ってルーナと結婚した。レオンハルトの目的はルーナから王女を守ることだった。ディーデリヒが言っていることは正しい。なのになぜ素直に頷くことができないのだろうか。
「ルーナは……」
ルーナと離婚したあと、レオンハルトはきっと王家から数々の褒美を賜りアイレンブルクだってその恩恵を受けるはずだ。レオンハルトがこの結婚を承諾したのも、それが分かっているからでもあった。王女様のために、アイレンブルクのために。でも、でも……。
「レオンハルト、お前まさか、魔女に惚れたのか?」
「まさかっ……!」
レオンハルトは弾かれたように顔を上げた。僕が慕っているのはナディア王女だけだ。ルーナに惚れたなんて、そんなことはあってはならない。
「レオンハルト、お前が忠誠を誓っているのは誰だ?」
「……ナディア王女です」
「王女の騎士に任命されたお前が、魔女にうつつを抜かしていると知ったら王女様はどんなに悲しまれるだろうな」
「兄様、そうではありません。僕はただ……」
「いいか、お前に課せられた使命は魔女から王女様を守ることだ。田舎に引っ込んで夫婦ごっこをしている間にずいぶんとのんきになったようだが、本来の目的を忘れるな。魔女に隙を見せるな、心を開くな」
「……はい」
やっとの思いで声を絞り出すと、兄はようやく納得したようで部屋を出ていった。取り残されたレオンハルトは、しばらくその場に立ち尽くしたまま動けなかった。
まさか魔女に惚れたのか? という兄の言葉が頭にずっと残っていて、ナディア王女とルーナの顔が交互に浮かんでいた。