父と母
私は幼い頃に生家から、遠縁のアイレンブルク家へ養子に出された。アイレンブルク家には跡継ぎがいなかったからだ。
田舎から王都へ引っ越してきて入った学校で出会ったのが、後にレオンハルトの母となるアマリアだった。
アマリアは下級貴族の娘であったが、アマリアの家は貴族とは名ばかりで、永らく商いをして食い扶持を繋いでいるようだった。
私はアマリアの美しい容姿と明るく優しい性格に惹かれ、アマリアも私のことを好いてくれた。私たちは在学中からの恋仲であった。
貴族には皆それぞれ幼い頃から許嫁がいて然るべきであり、学校で出会った級友の多くがすでに許嫁を持っていたが、私とアマリアに限ってそれは例外だった。
かたや田舎から養子に出されてきた少年と、かたやほとんど商家の没落貴族の娘。自分達が貴族であるという自覚がなかったのだ。
アイレンブルクに養子に出されたということは、跡継ぎになるのは必然だったのに、私は愚かだった。貴族たる自覚も、覚悟もないままに、アマリアと清い仲ではありながらも自由恋愛をしているつもりだった。
学校を卒業する年のことだった。養父に許嫁ができたと告げられた。もちろん拒否権などはなかった。
アマリアと行くつもりだった卒業記念のパーティーも、許嫁と行った。
しかし私はそのとき、話せば分かってもらえると思っていた。アマリアにも、許嫁にも、養父にも。
だから別れましょうと泣くアマリアを説得した。絶対にどうにかするから待っていてくれと言った。実際にはどうにかなんてできるはずもなかった。
話をしようと思って足を運んだ卒業パーティーの夜、私は許嫁と一夜を共にした。酒に酔った果ての愚行だった。
衣服を着ていない許嫁が同じベッドに横たわっているのを見たとき、全てを諦めて、心の中でアマリアに懺悔した。
私は養父の決めた許嫁と結婚した。アマリアは怒らなかった。ただ諦めたように笑った。とても恥ずかしくて、情けない気持ちが溢れて、下げた頭を上げられなかった。
しかし結婚してから数年が経ったのち、私はある驚くべき事実を知った。
卒業パーティーでの私の失態は、妻が仕組んだことだった。妻は私の酒に薬を入れ、意識のない私の服を脱がし、行為があったかのように私に見せかけたというのだ。
あろうことか、それを知らせてきたのは妻の浮気相手の従者だった。
アマリアを失い、妻にも裏切られていた私は失意の果てにあてもなく街を歩いた。そして、ある衣服店で針子として働いていたアマリアと偶然にも再会した。
間違っているとは分かっていた。知らないふりをして、なんでもない顔をして素通りするべきだったと。しかし、運命だと思ってしまった。もう二度と会えないと思っていた初恋の人をもう一度見つけられたのは運命なんだと。
もちろん妻とは離縁しようと思った。妻の不貞と婚姻前の卑劣な行いを理由に。しかし妻は離縁に応じず、あろうことか、もし離縁すればアマリアの実家に圧力をかけて潰すと脅しをかけてきた。
私は妻と別れられなかった。だが妻は自分との子を先に成せばアマリアと会い続けてもいいと言った。だから私は長男が生まれてからもアマリアの元へ通い、そしてついに、アマリアにも子が宿った。
「……それが僕ですか」
レオンハルトの言葉に父は頷いた。義母がレオンハルトを嫌うのは、たんに妾の子だからという理由ではなかったようだ。
「あの家は、お前が生まれる前にアマリアとお前の為に建てたものだ。針仕事で生計を立てていたアマリアから仕事を奪い、森の中にお前たちを閉じ込めた。そうでもしないと、お前たちが殺されてしまうと思ったんだ」
「…………」
「妻はアマリアを憎んでいた。おそらく、長男が生まれれば私の関心が子へ移ると思ったのだろう。……私は跡取りが欲しかったわけでも、富や名声が欲しかったわけでもないのだがな」
そう呟いた父の横顔に影が落ちた。母のことを思い出しているのだろうか。こんな……寂しそうな子をしているのは初めて見た。なんだか見てはいけないようなものを見てしまった気分だ。
レオンハルトは、己の決めつけが間違いであったことを知った。
父は、母のことを愛していた。それも正妻よりもいっそう……。もしかしたら、今も。
「お前が生まれてから、お前の顔を何度も見に行ったさ。柄にもなく浮かれていた。だから魔が差してしまったのだ。懲りもせずに、またアマリアと本当の家族になりたいと思ってしまった」
やはり父はあの家に来ていたんだ……。レオンハルトは記憶の中に父を思い出そうとしたが、頭にもやがかかったようにぼんやりとしか思い出せなかった。しかし頭痛の中で見た父は今とは違う、穏やかな顔で母に向かって笑っていた。
「……なぜなれなかったんですか。本当の家族に」
「妻の母は女王陛下の叔母にあたる。妻にとって女王陛下は従妹だ」
義母の実家は聖28貴族の中でも上位の家門で、義母はわざわざ格下のアイレンブルク家に嫁いできたのだ。
薬を盛ってでも父と結婚したかったのは、義母は本当に父のことが好きだったのだろう。……そんな義母が簡単に父を手放すわけがないか。
「絶対に離縁しないと言われた。だが私はあきらめなかった。……そのせいで、アマリアが殺された」
「な……っ!」
「リクベルト家は王家の犬。そんな相手には警察は役に立たない。アマリアを殺したのはお前の言った通り、その写真に写る私の級友だ。アマリアの級友でもあった」
「そんな……」
レオンハルトは闇の中で見た鋭い目つきを思い出した。思い出すだけでも足がすくみそうなほどの恐怖が蘇る。あの男が母様の級友だったなんて。母様はかつての友人に殺されてしまったなんて……。
「犯人はすぐに分かった。リクベルトを責めたところで悪びれもしなかった」
「……母様は王室に殺されたのですか。女王陛下に……? そんな……そんな理由でわざわざ……」
言ってみれば痴情のもつれだ。王家の犬とは、そんなことの為に行使される必要悪なのか……?
崩れ落ちそうなレオンハルトに、父は「いや……」と言葉を濁らせた。
「リクベルトはお前を誘拐しようとしたのだろう」
「……? えぇ、連れて行くと……たしかに言っていました」
「だがお前は連れ去られなかった。思い出せ。お前はあのとき、リクベルトを何らかの方法で追い払ったんじゃないか?」
「え……?」
「倒れているアマリアとお前が発見されたのはその日の明け方だった。リクベルトがお前を攫うのに十分な時間があったんだ。リクベルトは何も言わなかったが……それも不可解だ」
「僕がリクベルトを……? でも、僕は母が刺されたのを見てそれきり……」
レオンハルトは混乱していた。たしかに父の言う通りだ。なぜリクベルトは母を殺した後、レオンハルトを連れ去らなかった? 連れて行くと言ったのに、レオンハルトは誘拐されなかった。
僕がなにかしたのか? だが、あんな小さな子供が一体どうやって大人の、訓練された殺し屋を打ち負かすことができるんだろう。
「……言うつもりはなかった。しかしもう、言うしかあるまい」
「なんでしょう……」
「レオンハルト、お前の魔女との結婚は、お前がこの家に来た時にはすでに決まっていた」
レオンハルトは驚きに目を見開いた。
父はレオンハルトをまっすぐ見つめ、言葉を続ける。
「王室の目当てはお前だ。リクベルトを使ってお前を誘拐しようとしたのも、女王陛下がわざわざ首を突っ込んできたのも、全部狙いはお前にあると、私は考えている」
「そんな……どうして僕を……?」
「分からない……だが、」
「じゃあ、母様は僕のせいで死んでしまったのですか……?」
「聞け、レオンハルト。私が言いたいのはそうではなく……」
「……だから、父上は僕を嫌っていたんですね」
は、と口から息が漏れた。
あぁ、そうか。父が愛する女の息子に興味や関心を一切示さなかった理由がようやく分かった。
母様は、僕のせいで殺されたんだ。




