出発
レオンハルトが目覚めてから、早3ヶ月が経った。
すっかり傷はよくなり、騎士としての仕事にもなんら支障はない。傷の感染や後遺症などが起こらなかったのは運が良かった。
そして今、レオンハルトとルーナはローレイヒから馬車で少し走った先の、南部で一番大きな駅に来ていた。
人も多く騒々しい駅舎の中をルーナがるんるんと駆ける。貴族の淑女にあるまじき行動だ。
「レオン! 見てー! 汽車よ! とっても大きいわ!」
しかしレオンハルトはたとえ妻が貴族らしく振る舞わなくとも呆れたり怒ったりなどしない。ただ、心配だから止めるのだ。
「ルーナ! 走ると危ない!」
「きゃっ」
言った側から、ルーナがよろけた。ハッと息を呑むも、ルーナの腰を支えるにはあと少し手が届かない。
青ざめるレオンハルトの目の前で、ルーナが他の男に腰を支えられ、転ぶのを免れた。
「……っカイ!」
「危ないな……ルーナ、大丈夫?」
「なっ……」
ルーナをの腰を手で支え、抱き抱えるようにして受け止めたのはルーナの幼馴染で今は南部騎士団で料理人をしているカイだった。
なんでこの男が駅にいるんだ?!
「なんでカイがここにいるの?」
「王都へ帰省するんだよ」
「まぁ、偶然ね! 私たちも今から王都へ行くのよ! ねぇ、レオン!」
呼びかけられたレオンハルトは気を取り直して、ズカズカと2人の目の前まで進み、ルーナの腰に手を添えたままのカイの手を払って、自分の手をそこに添えた。
「妻を助けてくれた礼は言うが、この手はもう必要ないだろう」
「……失礼しました」
「カイ、助けてくれてありがとう」
「ルーナ……だから走らないでと言ったのに」
ルーナが転ばなくても済んだのは良いことだが、それを助けたのがこの男なのは気に食わない。
「だって、私初めて駅に来たんだもの! 汽車なんて乗るの初めてよ! 楽しみだわ!」
キラキラした瞳でそう言われると、強く出られなくなってしまう。これが惚れた弱みなのだろうか。
レオンハルトは小さくため息をついてから、ルーナの腰をぐいと引いた。
「その楽しみな汽車に乗り遅れそうだ。もう行こう」
「あら、ハンナたちは?」
「先に汽車の中に。僕たちとは乗る等級が違うから」
「ふーん。あ、カイ! またね!」
「あぁ……ルーナ、また!」
また……。また会う前提なのがイラッとくるが、無我の境地でルーナを連れ去っていく。
カイも一等車には乗らないはずだから、ここからはルーナと2人になれる。
「ねぇねぇ、焼き栗が売っているわ。買いましょうよ」
「それはいいけど……あまり浮かれて体力を消耗しないように。旅は疲れるから」
「分かったわ!」
本当に分かっているのだろうか。
レオンハルトは呆れながら焼き栗を買った。売店の婦人が「可愛い夫婦だこと」と言っておまけをしてくれた。
レオンハルトが王都に行く理由は、仕事ではない。まとまった休暇をわざわざ取って、私的な理由で遠路はるばる王都へ向かうのだ。
というのも、レオンハルトが重傷を負って寝込んでいる間に見た夢に思うところがあるからだった。
レオンハルトが見た母の夢。あれは、レオンハルトの記憶だ。忘れたことも忘れていたような幼い頃の記憶がそのまま夢として現れたのだ。
――母は病死ではなかった。
母は流行病で死んだのではない。レオンハルトの目の前で、見知らぬ男に殺されたのだ。
どうして今まで忘れていたのだろう。
憶測できる理由としては、あまりに衝撃的な光景を目にしたレオンハルトは、自らの心を守る為に辛い記憶を忘れてしまったのかもしれない、というものだ。
そして父は、そんなレオンハルトに嘘をついた。それは、レオンハルトの為か、それとも――。
ことの真相を知りたい。その為には、父に会う必要があった。王都騎士団の団長で、レオンハルトの上司にあたる、アイレンブルク家当主の父にだ。
だからレオンハルトは王都に行くことにした。わざわざ休みを取って、ルーナを連れて。
レオンハルトとルーナを襲った謎の男は、ルーナに切りかかろうとしていた。
わずかな手がかりは得たものの、犯人は未だ見つかっておらず捜索中だ。
そんな状況の中ルーナを置いていくことなどできるわけがない。
しかし……ルーナを王都へ連れてくるのは正解だったんだろうか?
王都は南部よりも女神信仰が強い。それだけ"魔女"を嫌悪する人間も多いのだ。レオンハルトがそばに居るからと言って、ルーナへ悪意をぶつけてくる人間がいないとも限らない。
ルーナへも、王都に行きたくなければ行かなくていいとは伝えた。その場合は、南部騎士団の一部に屋敷を警護してもらうよう団長に頼むつもりだった。
そうそう、南部騎士団と言えば。
あの後、王女様が帰ってから、まるで人が変わったようにあの日ルーナを馬鹿にした態度をとったその全員が、あの日の態度を後悔して、ルーナへの謝罪を口にしていた。
レオンハルトとて許したわけではないが、かと言って力になることは事実だ。ルーナも心情的に微妙かもしれないが、警備はしてもらうべきだ。
そう思っていたけれど、ルーナはレオンハルトに絶対着いていくと言って聞かなかった。
「新婚旅行みたいで楽しいわね」
一等車の個室で、向かい側に座って栗を割り、ニコニコ笑うルーナにレオンハルトは口を緩ませた。
「暖かくなったら本当にどこか新婚旅行へ行こうか?」
「本当?! 約束よ!」
「うん、約束しよう」
差し出された小指に、可愛いなと思いながら自分の小指を絡める。ルーナは嬉しそうに頬を染めて微笑んだ。




