目覚め
寝返りを打った時、隣に母の気配がなかった。
「お母様……?」
眠い目を擦りながらレオンハルトは起き上がる。なんとなく胸騒ぎがして、温かいベッドから降りて冷たい床に足を下ろした。
ひっかけただけの靴を引きずって寝室を出ると、狭い家なので、寝室の扉を開けるとすぐに居間に繋がる。
その居間の方から話し声が聞こえてきた。母の声だ。
「そこにいるの……? お母様……」
母の声につられて寝室の扉を開けた。
居間から繋がる玄関の扉を開けたまま、母が誰かと話していた。
「っレオン、来ちゃダメ! 寝てなさい!」
「お母様……誰と話してるの?」
月が明るい夜だった。母の顔がハッキリ見えた。相手は母より大きい。服装や背格好から男だろうと思った。
「その人誰……? お母様……」
「レオンハルト、いいから部屋に帰りなさい」
男は沈黙している。母は焦ったような顔をして、レオンハルトをしきりに寝室へ戻るよう急かした。
こんな時間の突然な来訪に加えて、母の異様な焦り方。緊張と不安、それから恐怖を纏った雰囲気。
それらが合わさった状況で母を置いて寝室に逃げることなどできない。
レオンハルトはじりじりと母の元へ近付いた。母は「来ちゃダメと言ってるでしょう!」と怒ったが、レオンハルトが母の腕につかまると、母はレオンハルトを背に庇うようにした。
「……来てもらおうか」
男が初めて言葉を発した。低くて抑揚のない、底冷えのするような声だ。男はレオンハルトを見ていた。
「この子はどこにも行かせません!」
「お前が決めることじゃない」
男がレオンハルトに伸ばした手を母が振り払う。男が母を打って母が床に倒れ込んだ。
「お母様!」
駆け寄るレオンハルトの襟首を男が掴んで、レオンハルトは首が絞められる苦しさに唸り動きを止めた。
「レオンハルト!」
母が悲痛な声を上げた。レオンハルトは男に持ち上げられて、意図も容易く抱えられた。
このままじゃ連れて行かれる!
そう思ったレオンハルトは咄嗟にそばにあった男の腕に噛みつき、手足を思い切りバタつかせ、男を殴り蹴りした。
「このクソガキ……っ!」
レオンハルトの暴れさせた腕が男の顎に入って、男はレオンハルトを落とした。
床に落とされたレオンハルトは男にそのまま踏まれ、蹴られ、両腕で頭を庇うことしかできない。
痛い! お母様、お母様……助けて……!
いつのまにか母が台所から光るものを取ってきて、レオンハルトを蹴り続ける男へと突進してきた。迷いのない動きだった。
「お母様っ……!」
母が男を刺すのだと思った。
けれど、男の腰にはもっと長くて鋭い刃がかかってあったのだ。
床に這いつくばったレオンハルトの瞳には、一連の一瞬の出来事が、全てがスローモーションに映った。
母が男に向かって走る。男が腰の剣を抜いて母に向かって振り下ろす――――。
母が後ろへ倒れていく。血を噴き出しながら、絶望した目で、視線を移してレオンハルトを見た。死にゆく母と目が合ったのだ。
「……おか、ぁ、さま…………」
倒れた母を見ても、うまく声が出なかった。体も動かない。男に負わされた傷がズキズキと痛んで、全身が痛かった。
お母様――――。
レオンハルトは倒れて動かなくなった母を目に焼き付けながら、意識を失った。
――――――
手が温かい。右手を誰かが握っている。レオンハルトの手の甲を摩ったり、指先で撫でたりしている。
心地良い。レオンハルトは握ってくれている手を握り返そうと指先を動かした。
「……レオン? レオン、起きたの?」
誰だ……知っている。この声の持ち主を知っている。けれどこんなに弱々しくない。いつもはもっと溌剌とした明るい声で……。
レオンハルトは浮上していく意識と共に、ゆっくりと目を開けた。
「レオン……! レオン、起きたのね?!」
そばでガタッと音がして、薄目を開けるレオンハルトの顔を覗き込んでいる人物と目が合った。
「……ルーナ?」
声がうまく出なくて掠れてしまった。ほとんど音にもならなかった言葉をルーナは理解したようで、うんうんと激しく首を縦に振った。
「レオン……! よかった……! よかったわ……!」
ルーナが震える声でぎゅうと強くレオンハルトの手を握る。あぁそうか、ずっと手を握ってくれていたのはルーナだったのか。
そういえばルーナを連れ戻す途中、何者かに襲われて、そうだ。斬られたのか。
死ぬのかと思ったが、どうやら生き残ったらしい。
つまり、今まで僕は夢を見ていたのか……。
「もう3日も起きなかったのよ! レオンが死んでしまったら私、私……!」
言葉に詰まるルーナの頬にそっと手を伸ばした。金色の瞳の縁に、涙がうるうる溜まっていく。
「……無事で良かった」
「バカね……っ! あなたの心配をしているのに!」
うわぁああんと声を上げてルーナが寝ているレオンハルトの胸の上に伏せる。その頭を撫でていると、慌てた様子のハンナが「奥様! どうされましたか?!」と部屋に入ってきた。
それからは屋敷中が大騒ぎで、メルケンがやってきて医者がやってきて、使用人達がかわるがわる様子を見にやってきた。
聞いた話によると、レオンハルトが斬られた夜。
あの後、ルーナの悲鳴を聞きつけて近くにいた使用人がすぐに駆けつけて、レオンハルトを大慌てで医者に見せたらしい。
処置が早く出来たおかげでレオンハルトは一命を取り留めたが、それでも出血多量で危ない状態が続き、ある方法を試したと言う。
「……ルーナの血を僕に?」
「えぇ、危険もあるから、一か八かだと言われたのだけど、このままだとレオンは死んでしまうと言われたの……勝手にごめんなさい」
「そんな……謝らないでください。謝るのは僕の方です……ルーナの大事な血をいただいて、僕は生かしてもらったんですね」
話には聞いたことがあったが、他人の血を体内に入れる輸血という治療法を身近で行った人物はいなかったため、レオンハルトはまさか自分がその対象になるとは、と驚いた。
「ルーナは平気なんですか? 血をたくさん抜かれたのでは?」
「私は全然平気よ! 瀉血したと思えば調子が良いくらいだわ!」
「そういうものじゃないと思うけど……」
レオンハルトの言葉にあははと大口を開けて笑うルーナを、レオンハルトは手を伸ばして抱きしめた。
「レオン?」
「……いえ、帰ってきたんだと思って」
「どこか行っていたの?」
「えぇ、色々と……」
色んなものを見た。あの夢について、レオンハルトは考えないといけないだろう。
だけど今は、ルーナを抱きしめて、生きているという実感を噛み締めたかった。




