一目惚れ/新しい恋
一ヶ月程いっしょに暮らして、ルーナについて分かったことがある。
ルーナはレオンハルトが思っていた以上にお喋りで、それでいてマイペースで勝手気ままであるということだ。
「レオン! 昼食の時間ですわよ!」
「ノックくらいしたらどうです……」
「えぇ、そうね。今度からノックするわ」
しかしその誓いが守られたことは一度たりともない。すでにこの会話はもう飽きるほどした。何度言ってもルーナはレオンハルトの執務室の扉を勝手に開いて、こんな風に仕事中のレオンハルトの邪魔をするのだ。
「せっかくお家にいらっしゃるんだもの。食事は絶対いっしょに摂りたいわ! 普段は昼食は兵舎で摂られるから寂しいの」
というのが彼女の言い分だった。なら友達でも呼べばいいと言いかけて、魔女に友達なんかいるわけがないかと思い直した。しかしいつまでもこの調子でいられると困る。
「使用人を連れて街へ買い物でも行かれたらいかがです?」
「街へ? そうねぇ……あ、そうだわ! そうね! それってとっても素敵だわ!」
ルーナはぱぁと顔を輝かせて、急に踵を返してレオンハルトの部屋を出て行ってしまった。
「……嵐のような女だな」
おしとやかなナディア王女とは大違いだ。あの女は魔女のくせに騒がしすぎる。
レオンハルトはふぅとため息をついて、再び書類と向き合った。ルーナの興味は街へと移ったようだ。これでようやく落ち着いて仕事に向き合えるだろう。
しかし、レオンハルトの思惑は大きく外れることとなるのだ。数時間後、またルーナがいきなり扉を開けて飛び込んできた。
「レオン!」
「だからノックを……」
「ねぇレオン、いっしょに花祭りへ行きましょう!」
――――――――――――
レオンハルトとルーナが住む南部最大の都市ローレイヒではこの時期、一年を通して最大の祭りが催される。
ローレイヒは特に、花の栽培が有名な都市だ。一年の豊作への感謝とさらなる豊穣を願って祭りを行う。街中を花で飾り、参加者達も花をモチーフにした衣裳を纏う。というのは、つい数時間前にルーナに聞かされるまでレオンハルトは知らなかった。
落ち着かない。賑やかな街、華やかな装い、腕に絡みつく女性もといルーナの細い手。
貴族でありながら幼い頃から軍部に属しているレオンハルトには、このような催し物は無縁だった。社交界にもろくに顔を出したことがないから、女性をエスコートしたこともほとんどない。ナディア王女を除いて。
ルーナは白の薔薇を模した装飾を散りばめた黄色いドレスに、同じく黄色の帽子を着けていた。帽子には生花のミモザやクリーム色のスイートピー、白や黄緑のラナンキュラスなどが散りばめられているらしい。馬車の中で聞いてもいないのに事細かに説明された。
レオンハルトはどれがラナンキュラスなのかも分からないが、そんな素人の目から見てもドレスの装飾のセンスはよく、ルーナに似合っていると思う。
「まぁすごいわ。綺麗だわ。花祭りがこんなにも華やかで賑やかな祭りだったなんて」
ルーナは色とりどりの花が飾られた街中をキョロキョロと見渡しながら、ぎゅっとレオンハルトの腕にしがみついている。
ち、近い……。ルーナはいい匂いがして、柔らかくて温かかった。変な汗が手に平に滲む。これではルーナを意識しているみたいだ。相手は魔女で、王女様の敵で、僕は王女様をお慕いしていて……。どぎまぎしている場合じゃない。離れねば!
「ねぇレオン! あっちに行ってみましょうよ!」
「あの、ルーナ……もう少し離れてくれませんか……」
「なに? 聞こえないわ!」
こっそりルーナと距離を取ろうとしたが、そんなレオンハルトの思惑を知ってか知らずかルーナはぐいぐい距離を詰めてレオンハルトにくっついてくる。
なんでこんなに平気で距離を詰めてくるんだ! 魔女と言えど、うら若き淑女が恥じらいもなく、よくも知らない男にすり寄るなんて……! いや、男といえど、僕は名目上夫なのだからよくも知らない男ではないのか……?
「きゃっ」
「! 危ないっ」
人ごみに押されて、ルーナが躓いた。咄嗟にレオンハルトは腕を伸ばしてルーナを抱きかかえる。さっきよりももっと、ち、近い……!
「はぁ驚いたわ……レオン、ありがとう」
「い、いえ……」
迂闊だった。レオンハルトは知らなかったのだ。まさか、まさに今! 街では祭りが行われていることなんて。花祭りにまさかこんなに人が多いだなんて! 知っていたら街へ出かけては? なんて言わなかったのに。
花祭りに行こうと言われ、レオンハルトはもちろん最初は断った。けれどルーナが「ならずっとここにいます」とレオンハルトの執務室に居座ろうとしたため、今後は仕事の邪魔をしないという約束で祭りに行くことにしたのだ。まさか花祭り用の衣装を準備してくるとは思いもしなかったが……。
「今まで来たことはなかったんですか?」
「えぇ、初めてよ。ずっと来てみたかったんですの。ローレイヒの花祭りってとっても有名ですもの!」
王都育ちのレオンハルトは知らなかったが、南部の人間にとっては有名な祭りだったらしい。道理で人が多いわけだ。ローレイヒは大きな都市ではあるが、王都に比べるとのどかで、一歩郊外に出るとすぐにのどかな田園風景が広がる。とてもこんな人数の人間が住んでいるとは考えられない。きっと遠方からも多く観光客が来ているのだろう。
「ねぇレオン、あれが近くで見たいわ」
ルーナが指差した方向には飴細工の屋台があって、店の男がパフォーマンスで飴を加工していた。
飴を器用に伸ばしたり丸めたりして、男は猫の形をした飴細工を作った。そしてその飴細工を、キラキラと目を輝かせてパフォーマンスを見ていたルーナに差し出したのだ。
「綺麗なお嬢さん。プレゼントです」
「まぁ……! いいの? ありがとう!」
ルーナが心の底から嬉しそうな声を出した。綺麗なお嬢さん。その通りだ。ルーナは傍から見ると、美しい貴族の令嬢だろう。
レオンハルトは周りの大勢の人々を見渡して感慨に耽った。
ルーナと初めて会った日にルーナが言っていたのは本当だった。この土地ではルーナが王都で忌み嫌われている「魔女」だなんて、誰も知らないのだ。「魔女」の存在は知っているのかもしれないが、その「魔女」がルーナであるなんて、誰も知らないし、わかりっこない。
猫の飴を持ちながらご機嫌なルーナを見ていると、ごく普通の少女と変わらなく思える。
このあどけない少女が、王女の命を奪うと言われているなんて。きっと飴屋の主人に言っても鼻で笑われるだけだろう。
ふいにルーナがレオンハルトを見て、飴を見せながらにこりと笑った。急なことで驚いたのか、レオンハルトの心臓がどくんと音を立てる。
……なんだ今のは?
そうだ。驚いただけだ。
「綺麗な奥様をお連れの旦那様、こちらのお花を奥様にいかがですか?」
胸を抑えるレオンハルトの前に花売りの少女が現れた。
花祭りでは、恋人同士や夫婦、友人同士など親しい間柄の人間で互いに花を贈り合うらしい。ちら、とルーナを見ると、目をうるうるさせて「絶対に欲しい」と無言でレオンハルトに訴えかけていた。
「…………。もらおうか」
はぁ、とため息をついてレオンハルトは財布を取り出した。なぜかいつもルーナの圧力に屈している気がする。
ルーナの分の金も払おうとすると、ルーナは自分で払いたいと言い、「どれにしようかしら~」と声を弾ませながら籠の中の花を選んでいる。ルーナが選んだのは白の薔薇だった。
「さぁ、レオンも選んでくださいな」
花なんてよくわからないし別にどれでもいいと思ったが、それを言うと怒られそうだ。
レオンハルトは仕方なく、籠の中の花を物色した。女性に花を贈るのなんか初めてのことで、何が正解なのかまったく分からないし、期待に満ちたルーナに視線が痛い。
悩んだ挙句、レオンハルトは白のチューリップを選んだ。ルーナの黄色いドレスと帽子によく合いそうだと思ったからだ。
それにルーナは一見すると、薔薇のように棘がある美しさが似合うと思われそうだが、いざ内面を知ると、薔薇というよりチューリップの方が似合う気がした。
お互いにプレゼントする為にそれぞれが金を出すなんて不効率極まりないな……と思いながらも軽くラッピングされたチューリップを受け取り、ルーナに渡す。ルーナは嬉しそうにお礼を言った後、レオンハルトに白い薔薇を渡した。
花売りの少女はにこにこ笑いながら二人に「新婚ですか?」と聞いてきた。ルーナがまぁと驚く。
「どうして分かったの?」
「私、花占いができるんです」
「あら、すごいわねぇ!」
「ふふ、ごめんなさい。嘘です」
「えぇ?!」
レオンハルトは思わず吹き出してしまった。魔女が子供にからかわれていると思うとおかしかったのだ。
「レオン! 笑わないでくださる?! あなたもひどいわ! 嘘をつくなんて!」
「奥様があまりに可愛らしくて、ごめんなさい。でも、お二人が選んだ花の花言葉は知っています! その意味合いもあって新婚なのかと思ったんです!」
「花言葉?」
「えぇ。花言葉は本数によって意味が変わったりするんですよ。白の薔薇を一本贈る意味は……」
「意味は?」
「"一目惚れ"」
「あら」
どぎまぎとしたのはレオンハルトの方だ。なんだその情報は。ただの花言葉にしても、それを贈られた側は妙な気まずさを感じる。
勝手に気まずくなっているレオンハルトと打って変わって、ルーナはけろりとした態度で「じゃあ白いチューリップの花言葉はなんですの?」と聞いた。
「白のチューリップの花言葉は……」
「花言葉は?」
「新しい恋、です」
新しい恋。
つまりナディア王女への恋慕を終わらせて、ルーナへ新しく恋をするということか……? そんなバカな。
いや、いやいや。ただの言葉遊びを真に受けてどうするんだ。それに僕は一生涯ナディア王女をお慕いして守ってみせると決めているんだ。
少女が去って、ルーナと二人きりになった。
「花言葉って面白いですわね」
「そうですか?」
「えぇ。だってあながち間違っていませんもの」
「そうですか……え?!」
今なんと? レオンハルトが驚いてルーナを見ると、やはりルーナはけろりとしていて、あっけらかんとした様子で言葉を放った。
「レオンに初めて会ったときに私言ったじゃないですか。いい男、と」
「え……あ……?」
「あ! 見てくださいな! あれは何かしら? 行ってみましょう」
「あ、ちょっとルーナ! 急に走っては危ないですよ!」
急に興味を惹かれるものを見つけたルーナが走り出す。まるで子供みたいだ。レオンハルトはルーナを追いかけながら、胸がばくばくとうるさく鳴るのを聞いていた。
どういうことだ? たしかに最初「いい男」と言われたが、それは一目惚れという意味だったのか?
それにしてもどうして、ルーナは恥じらいもせずにあんなにあっけらかんとしているんだ。僕がなぜ、こんなに振り回されて……これじゃ思い切り魔女のペースじゃないか!
その後、案の定迷子になってしまったルーナを、レオンハルトは必死になって探したという。