終わった恋心
件の兵士にどういうことだと詰め寄ろうとしたレオンハルトであったが、その直後にクラウス団長が現れたことで出鼻がくじかれた。
「レオンハルト、王女様がお呼びだ」
勢いを削がれたレオンハルトは、ぐっと拳を握り、部下たちの怪しむような視線を振り切って階段を上った。吹き抜けのロビーの階段の踊り場にてクラウスとすれ違う。
「クラウス団長……先ほどは、ありがとうございました」
「できるだけ早く帰ってやれ。助けが必要なら手伝おう」
「ありがとうございます」
王女の機嫌を損ねずに、できるだけ穏便に。
なるべく早急に屋敷に帰らなくてはいけない。
「失礼します」
扉をノックするとすぐに返事が返って来て、レオンハルトは部屋に入った。
テーブルの上には湯気が立った紅茶が二人分淹れられてある。
「レオが来てくれるのを待っていたんだけど、待ちきれなくて団長さんにお願いしてしまったわ。お仕事の邪魔だったかしら?」
「いえ……あの、ナディア様、僕は急用ですぐ屋敷に戻らないといけないのですが……」
「あら、せっかく久しぶりに会えたのに残念だわ。私、レオに会えるのをとっても楽しみにしていたのよ。お茶の一杯だけでもいいでしょう? ほら、お座りになって?」
ニコリと笑みを浮かべる王女の提案を無下にすることはできなかった。
レオンハルトは仕方なくナディアの向かいの席に座る。
「やっとレオと2人でゆっくり話せるわね」
「はい。今日は慌ただしくてすみませんでした」
「いいのよ。突然押しかけてしまったんだもの。気にしないで」
「あの……どうして、今日は視察へ? 南部は王都から遠く、お越しになるのも大変だったのでは?」
「あら、どうしてか分からないの?」
「……僕の為ですか?」
王女がわざわざこんな田舎へ視察しにやって来たわけ。それはレオンハルトが、きちんと“仕事”をしているのか、抜き打ちで確認しに来たのではないだろうか。
「そうよ。正解よ」
「……きちんと、魔女は監視しています」
「そうね。魔女さんはやっぱり、レオには心を許してしまうのね」
「……やっぱり?」
レオンハルトが王女の言葉を不思議に思い聞き返すと、王女は「レオは素敵な男性だもの」と微笑んだ。
「勘違いしているようだけど……ここに来たのはレオの為に来たのは、レオがちゃんと魔女さんを監視しているか疑っていたわけじゃないわ」
「え?」
「レオに会いたかったから来たのよ」
どういう……意味だろうか?
ナディア王女の真意が分からなくて、レオンハルトは戸惑いながら王女を見た。
「あなたが恋しくてここまで来たの。言ってる意味、分かるでしょう?」
……うそだ。分からない。分かりたくない。
まさか、ナディア王女は今更自分に対して好意を持っているだとでも言うのか?
「分かりません……」
喉がカラカラになる。
ありえないことが起こっていた。
幼い頃から……もう10年以上好きだった王女様が、自分を恋しいと言っている。
「私、お母様にお願いしたの。レオが、魔女さんと別れたら……」
「別れたら……?」
「レオンハルトと結婚したいって」
息が一瞬止まるような衝撃だった。
先ほど兵士が言っていたのは、本当のことだったのだ。
ナディア王女はレオンハルトと結婚するつもりでいる。
「なにを……無理ですよ、そんなの。王女様と僕では釣り合いません……」
だってそうじゃないか。
かたや国の王女、かたや平民出身で妾腹の伯爵家の次男坊だ。ナディア王女を心から慕っていたとき、結婚を夢見ては何度も身分差という現実の壁にぶち当たり、いつの日か夢さえ見なくなった。それにルーナと結婚したレオンハルトは、仮にナディア王女と結婚したとして、その時すでに初婚ではない。大国の王でもあるまいし、そんな男がナディア王女と結婚できるわけがないのに。
「大丈夫よ。心配しないで。お母様はお許しくださったし、魔女さんとお別れしたあとに私と結婚すれば、皆事情を分かってくれるもの。私からも言うわ。レオは私の為に望まぬ結婚をしたのだと」
「……っ」
反射的に、「嫌だ」と思った。
ルーナと結婚したことが、まるで罪かのように国民に知れ渡るのが嫌だ。王女との結婚がその免罪符になることも嫌だ。レオンハルトにとってルーナと結婚したことがまるでなかったことみたいになるのが嫌だ。
「そんな、どうして急に……」
途方に暮れるとはまさにこのことだ。ルーナと別れたくない。分かれることを前提に未来を語られたくない。しかも、相手がナディア王女だなんて……。頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。
「私ね……レオが他の女性と結婚して、ようやく気が付いたの。私はレオのことが好きだったのだと……」
好き……?
ナディア王女が、僕のことを?
レオンハルトはわずかに開いた口の隙間から、乾いた笑いを小さく漏らした。できることなら、このまま大声で笑いだしてしまいたかった。
「……王女様、それは勘違いです」
……もっと、嬉しいものだと想像していた。ずっと想っていた相手と気持ちを通わせた瞬間というのは。
ナディア王女の為に生きてきた。これまでも、これからもそう生きていくつもりだった。
ルーナを好きになるまでは。
違う。こんなの全然違う。
ルーナとナディア王女は、あまりにも違う。
何もかも失ってしまったレオンハルトに、生きる理由をくれたのはナディア王女だった。
死んでしまうかもしれないような戦地に送り出されても、他の女と結婚しろと言われても、全部ナディア王女を守る為だと思ったらなんともなかった。
「勘違い?」
ナディア王女は、レオンハルトが戦争から帰ってきたら笑顔で出迎えてくれた。ルーナと結婚しろと言われた時、私のせいでと泣いた。でも、彼女はいつも、傍から見ているだけだった。
「ナディア王女様は、僕のことを好きなわけではありません」
だけどルーナは、侮辱されるレオンハルトを庇う為にリチャードをぶった。
何度拒絶しても手を差し伸べてくれた。母の話を聞かせた初めての人だった。サンドイッチを作ってくれた。膝で眠らせてくれた。
「好き」とは、こういうことじゃないんだろうか?
「じゃあ、私のこの気持ちはなんだと?」
「お気に入りのおもちゃを取られて、惜しくなったのかと」
「……バカにしているの?」
王女様の口角が歪む。
ルーナと別れない為には、ナディア王女の機嫌を損ねないようにしなければいけないと思っていた。
だけどそうすることで、結局ルーナと別れ、ナディア王女と結婚しないといけないのならば。もう、取り繕うことに何の意味もない。
レオンハルトはその場で立ち上がった。ナディア王女が驚いた表情でレオンハルトを見上げる。
「ナディア様。僕はあなたに忠誠を誓っています。この国の為に、日々働いています。けれどそれは、王女様と結婚がしたかったからではありません。王女様との結婚は、国の為にも、王女様の為にもならず、また、僕の為にもならないのです。僕の褒美にと考えてくださったのはとても光栄なことですが、ご自身の一時の気の迷いで、国益を損じないでください」
言い切って、レオンハルトは深く身を折り曲げて頭を下げた。
ナディア王女は何も言わず、しばらく沈黙が続く。
「……もういいわ。顔を上げて」
恐る恐る体を起こすと、ナディア王女は特に怒った様子もなく、いつもと変わらない優しい雰囲気を纏ってレオンハルトを見つめていた。
「ごめんなさい。いやね。私、一人で舞い上がっちゃって、レオの気持ちもちゃんと確かめずに……。レオも同じ気持ちだと、勝手に思っていたの」
「ナディア様……」
いつからか分からないが、ナディア王女はレオンハルトの気持ちを知っていたのだ。気付いていたからこその、褒美だったのだろう。
レオンハルトは、心の中で「あと半年早くそれを言われていたら、どうなっていたのだろう」と思った。
「……好きなの? 魔女さんのことが」
「…………それは」
「別に罰したりしないから教えてちょうだい。いくら私でも、まだ何の罪も犯していない国民を処刑したりはできないって知ってるわよね?」
さすがにここまで言われて、それでも隠すのは逆に悪手だろう。
レオンハルトの気持ちはたぶん、王女はもうすでに察しているだろうし。
「……はい。王女様の宿敵だと神託があった女性を好きになるのは、謀反だと捉えられても仕方ないことかと思います。しかしこの半年間彼女と過ごして、彼女には王家に対する敵意や、王女様への殺意は無いものだと判断しました」
「そう……そうなのね。私、魔女さんのことをずっと怖い方だと思っていたけれど……レオがそう言うのなら、良い方なのかもしれないわね」
「王女様……」
立ち上がり、王女へ意見したときからバクバクと飛び出しそうだった心臓がやっと落ち着いてきた。
王女の言う通り、裁判もなしに王族の権限で裁かれたり処刑されるということはないだろうが、王族に意見するというのはとてもリスキーなことである。
だけど、王女が優しく微笑むのを見て、あぁ、正直に言ってよかったと思った。
それと同時に、自分の中の王女への恋心は完全に死んで、新たな感情……忠誠心だとか、親愛だとかへと生まれ変わっていたのだということが分かって、少しだけ切ない気持ちになった。




