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童貞だったのか


 執務室にて、レオンハルトは叫びだしそうな衝動を抑えて悶絶していた。ルーナ関連になると、悶絶してばかりだ――じゃなくて、これは、これはいくらなんでも……


「レオンハルト? いるか? 入るぞー」


 何の前触れもなく、執務室に人が入ってきた。

 副団長にそんなことをできるのは、一人しかいない。


「クラウス団長……」

「おぉ……? なんだ、そんな真っ赤な顔して」


 レオンハルトの執務室に入ってきたクラウス団長は、尋常でなさそうなレオンハルトの様子に戸惑っているようだった。


「い、いえなんでも……」

「ん? 本読んでたのか。なんだぁ? よっぽどやらしい本だったのか?」

「……」

「……やらしい本なのか?」


 否定しないレオンハルトを見てクラウス団長の顔色が変わる。

 ……そうだ、そうなのだ。エミリーからなかば奪うようにして手に入れたこの本は、恋愛小説と名を冠しており、内容も甘いラブストーリーなのだが、そういう、いわゆる男女の……ごにょごにょの描写がやけに細かい本なのだった。


 レオンハルトもさすがに分厚いこの本を全部読もうとは思わず、あらすじを読んで、パラパラとページをめくり適当に開いたところがもう“そう”だった。

 たしかに、男はハンサムで優秀な騎士で、女は美しく聡明な美女が身分の差に苦しみながらも愛し合うという、ベタなラブストーリーなのだが、いかんせん事細かに描かれすぎている。しかもよっぽど官能的に!


 クラウスが近付いてきて、レオンハルトが開きっぱなしの本を覗き見た。


「ほう……」

「……」

「おぉ……おお……」

「……」

「すごいな……」

 

 クラウス団長の感嘆の声に、レオンハルトが居た堪れない気持ちになる。

 ある程度読み終えたらしいクラウス団長が顔を上げてレオンハルトを見た。


「お前のか?」

「っ違います! エミリーのです!」


 言ってから、あれ、言わない方がよかったのか? と思ったが時すでに遅しだった。


「エミリーの……へぇえ」

「……巷で女性に人気の恋愛小説らしいです。手に入れるのも大変だと……」

「へぇえ……世の女ってのはませてるねぇ……」


 クラウス団長の言う通りだ。

 レオンハルトは本当にびっくりしたのだ。まさかルーナがあんな涼しい顔でこんな内容の本を読んでいるなんて。


「まぁでもたしかに、女向けの文体ではあるな。ちっと表現なんかが綺麗すぎるっていうか……キラキラしてて現実感が薄いというか」

「えぇ?! そうなんですか?!」

「なんだよそんな驚いて……童貞でもあるまいし」


 クラウス団長の言葉にレオンハルトはびくりと肩を震わせた。二人の間に静かな沈黙が積もる。


「……童貞だったのか」

「……」

「結婚、してるよな……?」

「……」


 その通りである。

 結婚しているイコール初夜を迎えているはずで、初夜は結婚した男女の最初の仕事であり、貴族としても義務である。

 しかし、ルーナと結婚した当初、レオンハルトはその義務を果たすつもりがまったくなく、ルーナとはいっしょに寝たことすらない。それに関して、ルーナも何かを言ったことなかった。


「まー、まだお前たち、若いもんな」


 ゆっくり進めばいいよな、と言いながらクラウス団長は開かれていた本をパタンと閉じた。


「……ルーナが読んでいたんです、この本を」

「ほぉ?」

「僕は、ルーナが愛読している恋愛小説なら、もしかしたらルーナを喜ばせる参考になるかもと思って……」

「お前……可愛いなおい」

「クラウス団長……ルーナは、もしかして……こういう、こういうのが理想なんでしょうか?」

「いや、俺に聞くなよ……」


 それはそうである。

 クラウス団長は見たことがないくらい、困った顔をしていた。


 一体上官に向かってなんてことを聞いているのだろうか、と我に返ったレオンハルトは静かに「すみません……」と謝った。穴が会ったら入りたいくらい恥ずかしい。兵舎の床に穴なんて開いているわけがないので、今から掘ろうか。掘りながら埋まるのがいいかもしれない。


「あー……俺は貴族のどうこうは知らんが……昔聞いたのは、貴族の奥様っつーのは、旦那からのどれだけ寵愛されてるかで屋敷での立場が変わるとか聞いたぞ。使用人から舐められるとかなんとか……」

「えっ」


 そうだったのか!?

 貴族でありながら、まともに貴族の常識を知らないレオンハルトにとってそれは初耳だった。レオンハルトがルーナと同衾しないことで、ルーナの屋敷での立場が悪くなるのか?!


「まぁ、お前らのところは俺から見ても仲が良さそうだしその心配はないだろうな」


 そんなクラウスの言葉はもう、レオンハルトには届いていなかった。

 レオンハルトの頭にはもう、一刻もはやくルーナと同衾しなければ! という考えしかなかったのだ。


 ――――――――


 帰りの馬車の中、レオンハルトはうーんと苦悩していた。

 ……どうやってルーナをベッドに誘おう? ……ん?


「っちがう! 僕は、そういう意味じゃなくて、ルーナの立場を想って!」


 誰に聞かせるわけでもない言い訳をごねながら、頭を抱えた。

 今までなんにもなかったのにいきなりいっしょに寝ようだなんて、絶対変に思われる! 


 それに、レオンハルトはルーナとそういう行為がしたいわけじゃない。いや、したいかしたくないかで言えばしたいけれど、今じゃないというか、そんなことをすれば今度こそ心臓が口から出てしまうというか、もっと心の準備をする期間が必要というか!


「あ"ーーー」


 ついにレオンハルトは体を折り曲げて、うずくまり馬車の中で顔を両手で覆ってしまう。

 しかしちょうど馬車が止まり、従者が扉をコンコンとノックしたので、その音で即座にピシッと背筋を正したのだった。


 



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