ツェーリンゲンの魔女
いきなり求婚してきた縁もゆかりもないレオンハルトのことを、警戒しているのかと思った。冷たい美貌もあいまって、ルーナはいかにも気が強そうな女に見えたし、レオンハルトを歓迎しているようには見えなかった。
しかし、いざ食卓を囲んで食事を始めると、魔女はよく笑った。よく喋り、よく食べた。父親との談笑に楽しそうに笑顔を浮かべ、あろうことかレオンハルトのことも気遣うそぶりを見せた。
「アイレンブルク様、どうされましたか? お食事が進まれていないようですが……」
「えっ」
ルーナに突然話しかけられて、レオンハルトはびくりと肩を揺らした。しまった。手が止まっていた。魔女の挙動に注視しすぎたようだ。怪しまれたか?
「アイレンブルク様、南部の料理が伯爵様のお口に合いませんでしょうか?」
「いえ、そんなことはありません……とても美味しく頂いています」
心配そうに眉を下げるツェーリンゲン公爵に微笑むと、レオンハルトは再びナイフとフォークを動かし始めた。
澄ました顔をしているが、レオンハルトの胸中では混乱の嵐が吹き荒れている。
どういうことだ?
魔女は父親であるツェーリンゲン公爵に幽閉されているのではなかったのか?
幽閉されろくに外にも出してもらえない魔女が、こんな朗らかに育つものだろうか? 二人はレオンハルトの目から見ればかなり仲が良好に思える。
ツェーリンゲン公は神託のあった八年前、王都から追放されるように南部にやって来たと聞く。調査によると、父親は娘をこの南部の屋敷に娘を幽閉し、自分自身は普段ここから数百キロメートル離れた第二の首都とも呼ばれるセレディンにいるはずだ。この一家を取り巻く状況として、親子仲が悪い方がむしろ自然である。親子二人揃って騙しているのだろうか?
混乱と疑いに満ちた食事を終えると、公爵は二人で散歩でもいかがですかと、レオンハルトに提案した。ルーナは幽閉されている身でありながら「案内するわ」と慣れた様子で庭へと飛び出した。
「お嬢様、まだ日が強いので帽子をお被りくださいませ!」
使用人が駆けてきてルーナへと帽子を被せる。使用人にも舐められていないし、仲も良好そうだ。ますます分からなくなってきた。
「では行きましょう、子爵様」
「……えぇ」
レオンハルトは戦争の武勲により、南部の領地とともに子爵の爵位を賜っていた。
伯爵家の次男として生まれ、爵位の継承ができないレオンハルトは、本来なら公爵家の令嬢であるルーナと結婚することなんてあり得なかった。もともとツェーリンゲン公爵家という家門は名門として名高かったのだ。あの神託さえなければ、ルーナは生まれに多少のいわくはあれど、レオンハルトよりももっと高位の貴族と結婚できただろう。
「結婚後は、私はどちらに住まうことになりますの?」
「ローレイヒに。陛下から領地を賜りましたので」
「あら、ローレイヒに? 素敵。何度か行ったことがありますわ」
王女のいる王都から遠く離れた南部にルーナを留めておくというのが理由だったのだが、そんな王室とレオンハルトの思惑をよそにルーナは嬉しそうに笑った。どうやら、レオンハルトへの警戒はいくぶんか解けたように見える。
「子爵様、南部にいらっしゃったことは?」
「実は初めてです」
「あら、それは大変。たくさん見に行くところがありますわよ。王都の華やかさには及びませんけれど、ローレイヒもいいところですの。きっと子爵様も好きになりますわ」
ふふ、とルーナが屈託なく笑った。まるで普通の、貴族の令嬢のように。
「……ルーナ様は、普段から街へ?」
「魔女は屋敷へ幽閉されているはずなのに、と?」
図星だったので何も返せなかった。黙るレオンハルトにルーナは破顔する。
「あははっ子爵様、意外と正直ですわねぇ。ずっと仏頂面してらっしゃるから、もっとつまらない方かと思いましたわ」
「つ、つまらない?」
「えぇ。素晴らしい騎士様でいらっしゃるみたいだし、綺麗なお顔をしてらっしゃいますけど、私退屈な人はあまり好きでないの」
「はぁ……」
「でもよかったわ。子爵様は面白そう」
くすくすと堪えきれないみたいにルーナはレオンハルトを見ながら笑った。バカにされているのだろうか?
これまでレオンハルトは、ルーナのような貴族女性には会ったことがなかった。王都の貴族の女性はこんな風に大口を開けて笑ったりしないし、あけすけにつまらないだの退屈だのと言ったりしない。
最初にルーナを見たときの印象から、ずいぶん違った印象を受ける。ルーナはっとするほど美しいが、近寄りがたいような冷たさがあった。しかし、今のルーナには冷たさなどどこにも見当たらない。
くるくる変わる表情は親しみが持てるし、いたずらめいた上目遣いでレオンハルトを見るのは可愛らしい印象を受ける。……いやいや魔女相手に美しいだの可愛らしいだの、僕は何を言っているんだ。
「私ね、幽閉なんかされたことありませんわ。お父様とも仲がいいですし。それに、こんな田舎では王都の評判なんか届かなくってよ。ここでは私が魔女と呼ばれていることも知られていないのです」
「……そうだったのですか」
それが、この女が朗らかに育った理由だったのか。どこにでもいる、田舎の純真無垢な貴族令嬢。レオンハルトだって何も聞かされていなければ、ルーナを見てそう思うかもしれない。まぁ、どこにでもいる美貌ではないのだが……。
「……お父様には感謝しているんです」
落ち着いた口調で、中庭を見ながらルーナがぽつりとこぼした。ざわざわと木々が揺れ、ルーナの横顔に影がかかりチラチラと揺れる。ふと視線を動かすと、庭園の美しさにはっとさせられた。
「魔女、だなんて言われている私のことを捨てずに、ここまで育てて下さった。さっきはあんなことを言いましたけれど、お父様を安心して差し上げたいの。この国では未婚の女性は土地もお金も相続できませんもの」
その通りだ。もし、ルーナが未婚のままで、彼女の父親が死んでしまったとしたら、ルーナはどうなってしまうのか。
ツェーリンゲン公が本当にルーナを大事にしているのなら、ルーナをなんとしてでも結婚させたいはずだ。
「ですから、子爵様にも感謝していますのよ。貴方様がどうして私に求婚したのか、あなたがどんな人なのか、なにも分からないけれ
ど……なんとなくだけれど、あなたはきっといい方だと思うの」
「……」
やはり、ルーナはただの田舎のお嬢様だ。
初めて会った見ず知らずの怪しい男をいい人だと信じて、まんまと騙されようとしている。この結婚はすべて仕組まれたものだと言うのに。レオンハルトと結婚しても、ルーナは幸せになんてなれない。この結婚は、ルーナを檻に入れるためのものだ。
「私、賭けてみようと思います」
「……賭ける?」
「えぇ。一度きりの人生だもの。この結婚に賭けてみようと思います。私の人生を」
ざぁっ、と強い風が吹いた。暖かい春の日差し。草木の匂い。心地よい風。屈託のない笑顔。
そのどれもが"魔女"には相応しくないが、"ルーナ"にはよく似合っているように思えた。
「ところで子爵様、おいくつですの?」
「え? 今年で十七になりますが……」
「まぁ! 年下でしたのね! どうりで可愛らしいと思いましたわ。……待ってよ、つまり今は十六?!」
「なっ……実際には一つしか離れていないじゃないですか!」
「いいえ! 殿方と女性の年齢の差は一つでも大きくてよ! ましてや今は二つも違うなんて……ひぃ」
「なんの悲鳴です?!」
それから半月後。
レオンハルトとルーナは式を挙げた。家族のみを集めた、貴族の結婚式にしては恐ろしく小さく質素な式であった。まるで結婚したこと自体を隠すみたいだと思うのは、レオンハルトだけだっただろうか。
それでもルーナの父親であるツェーリンゲン公は涙を浮かべて喜んでいた。演技であれば恐怖さえ感じる迫真さである。しかし、もし本心であれば「娘をよろしく頼む」と言うツェーリンゲン公に対して良心が痛んでしまいそうだから、演技だと思いたい。
この結婚は、ルーナを封じ込める為のものであって、ルーナを幸せにする為のものではない。
女王陛下には、ルーナが二十を過ぎて、王女の身に何もなければ離縁して新しい妻を娶っていいと言われている。その際の援助は惜しまないと。そう、三年耐えればいい。例え人々に生贄のようだと揶揄されても、その先のレオンハルトの将来は約束されている。
ナディア王女は、最後にお会いした際に、大粒の涙を流した。
『私のせいで、ごめんなさい……っ』
そう泣く彼女のなんと心優しいことだろうか。レオンハルトは、王女様をお守りする為に存在するというのに。
挙式の最中、レオンハルトの両親は終始冷ややかな表情を浮かべていた。無理もない。悪名高い魔女との結婚だ。この結婚が王命でなければ、魔女との結婚なんて許さなかっただろう。
レオンハルトが女王の信頼を得ているからこその王命といえど、王都の軍部内ではレオンハルトに同情する声も多い。
レオンハルトは先の紛争で勇敢に戦い、自国を勝利に導いた英雄だと言われている。そんな英雄がこんな目に遭うなんて。それが世間の声だ。家族に報告した時も、父は苦悶の表情を浮かべ、母はあまりのショックに気絶してしまった。
誰も幸せにならない結婚だ。そんな結婚に、ルーナは人生を賭けると言った。何も知らずに。
純白のヴェールを上げると、類い稀なる美貌が佇んでいた。魔女の唇に、そっと自分の唇を重ねる。初めての接吻だった。
どれだけ美しい人と口づけをしても、好いている相手でなければ何も感じない。
結婚式で誓ったのは病める時も健やかなる時もルーナを愛することではない。必ずやナディア様をお守りしてみせるということだった。
ルーナとの正式な婚姻を結んだことで、レオンハルトは伯爵の爵位を与えられた。