妻です
もしよかったら軍部に鍛錬の様子を見に来ないか、と夕食時に誘ってみると、ルーナは思った以上に乗り気になってくれた。
花祭りのときのリチャードのこともあり、人前に出ることがトラウマになっていないかと少し心配したが、本人は「何を着て行こうかしら~」と陽気なものだ。
「レオンのお仕事するところを見られるのね」
「そんなに面白いものでもありませんが。団長にルーナを紹介しておきたくて」
「あら、それは私の大仕事ね? 緊張しちゃう」
「いつも通りでいれば大丈夫ですよ。君は良い意味であまり貴族らしくないし……」
平民が圧倒的な数を占める兵士たちは、いかにもな公爵令嬢よりもルーナのような令嬢の方がとっつきやすいだろう。
「それって褒められているのかしら?」
「褒めてますよ」
「まぁ、そういうことにしておきましょう。楽しみにしてるわね!」
にこりと笑うルーナの美しいかんばせを見て、ルーナを見たらドミニク達が腰を抜かしてしまうんじゃないかと心配になった。
――――――――
ルーナがやって来たのはちょうど一週間後の月曜日だった。
朝から軍部ではレオンハルトの妻が来るらしいという話題で持ちきりだ。
「毎週月曜の朝はみんなエミリーの話しかしないってのに、今日は副団長の奥様の話題で持ちきりっすね」
「……僕は団長にだけ会わせればいいと思っていたんだが」
「そんなこと言わないでくださいよ! 俺もすげぇ楽しみにしてたんすから!」
ドミニクがやいやい言ってくるが、レオンハルトは額に手を当ててはぁ、と思わずため息をついてしまった。団長に妻を連れてきます、と伝えた次の日にはもう、兵士全員がそのことを知っていた。こんなに大事にするつもりじゃなかったのに……。
ちょうど偶然にも今日はパン屋の娘が来る日だったが、パン屋の娘が来るまでにルーナには帰ってもらうつもりだ。
「あ、あの馬車奥様のじゃないですか?!」
「ん? あぁ、そうだな」
兵舎へと向かってきた馬車が門で止まる。手続きを終えて、門が開かれ、アイレンブルク家の馬車が敷地内に入ってきた。
レオンハルトは馬車に近付いて、従者にエスコートを代わると申し出る。扉を開けると、中から顔を出したルーナがレオンハルトの顔を見てぱぁと顔を輝かせた。
「レオン!」
「移動お疲れさまでした。気分などは平気ですか」
「ありがとう、平気よ。風景を楽しみましたわ」
ふふ、と笑いながらルーナがレオンハルトの手を取る。馬車を降りたルーナに腕を差し出して、ルーナがそれに掴まった。
「なんだかこうしてエスコートしていただくのは久しぶりじゃなくて?」
「そうですか?」
「レオンってば、私が近付くと逃げるんですもの」
「に、逃げてはないでしょう!」
否定したものの、心当たりがありすぎるためどもってしまった。
「副団長!」
ドミニクがレオンハルトとルーナの元に駆け寄ってくる。
「あぁ、ルーナ。こちらは部下の……」
「ドミニク・ミュラーです! よろしくお願いします!」
声でかっ……。食い気味な挨拶と大きな声、勢いよく折り曲げられた背中にレオンハルトは引いてしまったが、ルーナは「まぁ」と感嘆の声を漏らしている。
「とっても元気の良い方ね。ご挨拶いただきありがとうございます。私はルーナ・アイレンブルク。レオンハルトの妻ですわ。いつも夫がお世話になっております」
「とんでもないです! 副団長の奥様にお会いできて光栄です!」
「まぁ」
……だから声がでかいんだよなぁ。
しかも、なんだか鼻の下が伸びてデレデレしていないか?
「ドミニク、団長はどちらへ?」
「演武場にいらっしゃるかと!」
……やっぱりだらしない顔をしている。僕の質問に答えているはずなのに、ルーナのことばかり見ているし。
それにしても、「いつも夫がお世話になっております」か……。本当に僕はルーナと結婚しているんだな。これからルーナが外に出る時、こうしてレオンハルトの妻として挨拶をすることになる。
そのたび、僕はルーナと結婚したことを実感して、それから、この関係が仮初であることを実感するのだろう。
「レオン? どうしたの?」
「いえ……なんでもありません。団長の元へ行きましょうか」
「えぇ。そういえば皆さんに差し入れを持ってきたの。後で配れるかしら?」
「ありがとうございます。何を持ってきてくれたんですか?」
「石鹸よ。多くの方はここに暮してらっしゃるんでしょう? 意外と入用かと思って」
「なるほど。それはそうかもしれません。ありがとうございます」
レオンハルトとルーナの後ろを、大量の石鹸が入ったバッグを抱えた従者がついてくる。
ふと後ろを見ると、さらにその従者の後ろにぞろぞろと兵士達がついてきていてぎょっとした。
「お前たち、何をしている……?」
「俺たちも演武場に行く途中なんです!」
「そうか……?」
それにしてはなんというか、雰囲気がおよそ今から鍛錬に行く者たちのそれではない。あ、そうだ。浮ついているんだ。
先週はエミリーエミリーとうるさかったくせに、この男たちは女であれば誰でもいいのかとレオンハルトは呆れた。
「ルーナ、危ないので僕から離れないでくださいね」
「危ない……? 分かりましたわ」
こんなところにルーナを一人にするなど、飢えた野犬の群れに兎を放り込むようなものだ。考えただけでぞっとする。
エミリーが一人でここに来ているのを見たときは何も思わなかったのに、ルーナがもしも、と考えると寒気がするくらい心配になる。
「……私、ここに毎週来ようかしら?」
「? なぜです」
「レオンが屋敷にいるときよりも近くて優しいんですもの」
「なっ……いつもは優しくないと言うんですか?」
「そうではないけれど……」
レオンハルトは内心でショックを受けていた。ルーナに自分は優しくないと思われていたのだろうか。
なぜだ。ルーナに言われたように、ルーナから逃げているからだろうか。
だって、それは……。
僕がお慕いしているのは、ナディア王女ただ一人だから。
ルーナに触れられるたび、ドキドキして、笑顔を見るたび嬉しくなってしまう自分を認めたくないから。
『レオンハルト、お前まさか、魔女に惚れたのか?』
あの兄の言葉が否定できなくなりそうで、怖いから。
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