エミリー
休日が終わり、いつもの通りに軍部へ出勤した。……のだが、軍部の雰囲気が少し変だ。なんというか、浮き足立っている……?
レオンハルトは疑惑を胸に抱えつつ、訓練を見守り、自分自身も部下を相手に剣を取って鍛錬に励む。
「うわっ!」
部下の持っていた剣が飛んで、部下が倒れ込んだ。部下と言っても、レオンハルトよりも年上で上背もある。何度も鍛錬の相手をしたことがあるが、どうにもらしくない失敗だ。
「おい、集中しないか。実戦だったら死んでいるぞ」
「副団長、すみませんっ……!」
恐縮する部下にため息をついていると、後ろからハッハッと豪快な笑い声が近付いてくる。
「ドミニクは今日を特に楽しみにしてたもんなぁ」
「団長」
レオンハルトの上司にあたり、長年南部軍の団長を務めてきたクラウスがレオンハルトの隣に並び立つ。
「今日は一体何があるんですか?」
「あれ、レオンハルトは知らないのか?」
そうは言われても、何を知らないのかを知らない状態だ。
「副団長はまだ会ったことがないかと」
ドミニクが立ち上がりながら言った。……会う?
そのときちょうど、「こんにちはー」と、頭上から声が聞こえた。
レオンハルトはその声を聞いて驚いた。軍部にいるはずのない、女の声がしたからだ。
「あ! エミリーだ!」
「エミリー!」
兵士たちが声を上ずらせて口々に女の名前らしきものを呼んだ。
見上げると、見知らぬ女が演武場を2階のバルコニーから見下ろしている。
……誰だ? なぜ軍部に入ってきている?
訝しげな顔をして女を見るレオンハルトに、クラウス団長が横から声を掛ける。
「あれはパン屋のエミリーだ。毎週月曜にパンを卸しに来るついでに、差し入れも持ってきてくれるんだよ」
「へぇ……」
「おや、さすが新婚様だ。まるで興味が無さそうだな。うちの兵士達のマドンナなんだがな」
まさか、朝から皆がどこか浮ついていたのは、この女のせいだったのか……?
レオンハルトは思わずため息をつきそうになった。なんて情けない理由だと。
「団長。あの女は出入り禁止にした方が良いのでは? 皆の集中の妨げのようですし」
「おっと、怖いこと言うなよ。そんなことしたら暴動が起きちまうぜ」
暴動?
不可解な返答に言葉を失って横を見ると、団長がやれやれと呆れ気味に笑った。
「お前の言いたいことも分かるが、軍人なんかみんな女に飢えてるからな。お前みたいに若い時に家同士の事情でさっさと結婚しちまうようなお貴族様は軍にいること自体珍しい」
「…………」
「あ、嫌味じゃないぜ? つまりこいつらからしたら結婚どころか女と話すこともなかなか楽じゃねぇってこった。週一の僅かな時間でモチベーションが高まるならむしろ良いことだと俺は思ってる」
僕だってルーナと結婚するまで、ナディア王女様以外の女性とろくに話したことがなかったけれど……。と思ったけれど、口をつぐんで件の女性を見た。
エミリーと呼ばれていた女性は兵士に囲まれながら、差し入れの焼き菓子を配っている。視線を送っていると、はたと目が合った。
なぜかエミリーは手を止めて、男達の輪を抜け出しレオンハルトの元へとやって来る。
「あなたが新しい副団長様ですか?」
「……そうですが」
「私エミリーと言います! 毎週ここにパンを届けに来ていて……あの、これよかったらどうぞ! お店で出してる焼き菓子なんですけど、私が作りました!」
「はぁ、どうも」
流れで差し出された焼き菓子を受け取ってしまった。甘いものはあまり食べないのだが……ルーナにあげるか。
「あの……副団長様、かなりお若いですよね? いくつなんですか?」
「17です」
「! そうなんですね、私と同い年です!」
「そうですか」
「同い年で副団長なんてすごい! 尊敬しちゃいます!」
「はぁ……」
レオンハルトはエミリーと世間話をしたくて視線を送っていたわけではないのだが、なぜかエミリーはレオンハルトにあれやこれやと話しかけてくる。
周りの男たちからはじっとりとした視線を送られているし、鍛錬の続きがしたいから話を切り上げたいのに、なかなかエミリーは会話を終わらせようとしない。どうしたものかと思っていると、団長が助け舟を出してくれた。
「エミリー、レオンハルトの奥方もお前と年が近いんだ。いつか会って話ができるといいな」
「……副団長様、まさか結婚してらっしゃるの……?」
「? はい。結婚しています」
レオンハルトがそう言った瞬間、目に見えてエミリーのテンションが下がったのが分かった。
「はは……そうだったんですね。では、また来週もパンを届けに来ますね……」
エミリーはくるりと踵を返してレオンハルトに背を向ける。兵士たちが「エミリー元気出して!」「俺は独身だよエミリー!」とエミリーを追いかけていった。
「……何だったんだ?」
「イケメンは大変だなぁ」
「何がです?」
「……お前の奥方も大変だ」
何が何やらで、全然意味がわからない。
それよりも早くエミリーには帰ってもらいたい。兵士たちが一刻も早く訓練に戻る為に。




