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愛しの王女様


 一年ぶりの故郷だった。

 国境付近での隣国との戦いは中々決着が付かず、多くの同胞を失い、また自分自身も何度も命を落としかけた。

 こうしてここに帰って来られたのは、どうしても帰って来たい理由があったからだ。

 

 関門をくぐると、わぁと歓声が上がった。王都の市民達が国を守った英雄達を歓迎しているのだ。

 レオンハルトはまっすぐ前を見た。輝かしいシェザーレ王国の象徴である王宮があった。騎士団を出迎える群衆の先、あの城の中にあの方がいると思うと胸がいっぱいになった。

 やっとだ。やっと会える。僕が戦う理由。もはや生きる理由と言っても差し支えないほど大事な、王女様にーー。

 

 ――――――

 

「レオ、おかえりなさい」


 待ち望んでいた瞬間だった。

 王宮へ入ったレオンハルト一行を出迎えたのは、この国の王女であるナディアだ。一年ぶりに会ったレオンハルトの想い人である彼女は、記憶の中の姿と相違なく、いや、記憶の中の彼女よりももっと美しくレオンハルトの目に映る。


「レオンハルト・アイレンブルク、ただ今帰還致しました」

「よかった……無事に帰って来てくれて……」

 

 うっすら目に涙を溜めてレオンハルトを見つめるこの王女こそが、レオンハルトがなんとしてでも故郷に帰ってきたかった理由だった。

 一番に会いたかった人が、一番に出迎えてくれる。それだけで、この一年の苦労など吹き飛ぶような気さえした。

 顔を上げてくださいと促され、深く折り曲げていたゆっくり体を起こす。

 

「女王陛下からお話があるそうです。私といっしょに行きましょう。エスコートしてくださいますか?」

「もちろんです」


 差し出した右腕に王女の細く白い左手がかかる。その体温を感じるだけでも切なくなるくらいだ。脚を踏み出し、歩くたびにふわりと彼女の髪からいい香りが漂い鼻をくすぐる。

 あぁ、どうしようもなく焦がれている。この国のもっとも高貴なお方で有らせられる王女様に、一介の騎士が――。


 幼い頃から騎士団の長である父親に、王女をお守りしろと言われ続けてきた。王女は実際にレオンハルトを騎士に選び、レオンハルトは幼少のみぎりから王女に忠誠を誓い王女のそばで仕えてきた。

 父に言われなくとも、レオンハルトにとって王女は大事な存在で、何に代えても守りたいお方だった。


 脳裏に浮かぶのは初めて王女と会った日のこと。もう何度も思い返しているから、あの日の記憶の引き出しを開けるのは簡単なことだ。

 あの日、王女と初めてお会いした日。王女は今と変わらぬ優しく可憐な笑顔でレオンハルトに笑いかけた。


『あなたが私の騎士になってくださいな』


 王女がレオンハルトにそう微笑んだあの瞬間、レオンハルトは厚かましくも恋に落ちたのだ。

 小さく可憐な、しかし優雅で気品溢れる王女様。このお方を生涯お守りすると決めた。


「レオンハルト、よくぞご無事で帰られましたね」


 レオンハルトを出迎えた女王陛下はうっそりと微笑んだ。

 レオンハルトは跪き頭を垂れながら思う。王女もいつか、女王となりあの椅子に座るのだろうか。そのとき、王女の隣には彼女の夫の高位貴族が座っているかもしれない。それはレオンハルトの知っている人物だろうか。もしかしたら、他国の王族と結婚するかもしれない。その時自分は、一体どんな気持ちになってしまうのか……なんて。


「この度は本当にご苦労様でした。あなたのおかげでこの国は救われました。心から感謝致します」

「もったいなきお言葉でございます」

「南の領地を与えます。ゆっくりと休んでください」

「感謝致します」

「レオンハルト。帰ってきて早々ですが、あなたに折り入ってお願いがあります」

「は。なんなりと」

「ツェーリンゲン家はご存知?」

「……? はい、もちろん……存じ上げておりますが……」


 レオンハルトは小さく肩を揺らした。ツェーリンゲンといえば南部の公爵家の家門だ。なぜ突拍子もなく、そんなことを聞かれるのだろうか。しかも、その家門には噂の"魔女"がいるのでは――。


「ツェーリンゲン公爵家にはご令嬢がいらしてね。いい人を探していらっしゃいますの」


 ぞくり。背筋を寒気が通り過ぎた。嫌な予感がする。


「レオンハルト、あなた婚約者はいらっしゃらなかったわね」

「……はい」

「ツェーリンゲン家のご令嬢と結婚なさい」


 ……あぁ。嫌な予感は的中してしまった。レオンハルトの心を真っ黒い雲がゆっくりと覆っていく。ガラガラと突然足場が崩れていくような、やりこめない絶望感に囚われていく。


「……結婚、ですか」

「えぇ。あなたも結婚するのにいいお年頃ですしね。……と言うのは建前で、守って欲しいの。あの魔女からナディアを」

「……公爵家のご令嬢のことですね」


 ツェーリンゲン公爵家。レオンハルトがその家門に聞き覚えがあるのは単に公爵家だからという理由だけではない。

 貴族社会で、悪名高いツェーリンゲンの「魔女」を知らない者はいない。女王陛下は、命懸けで国を守った騎士に、よりにもよって誰もが忌み嫌う魔女と結婚しろというのか。領地をいただくという褒賞があったとしてもあんまりな扱いだ。


 魔女。その名をルーナ・ツェーリンゲンという。彼女は嵐の夜に生まれた。この世に生を受けたと同時に産みの母を亡くし、噂の域を出ないが、赤子のルーナは炎に包まれて産まれてきたそうだ。

 それだけで「魔女」と呼ばれているわけではない。彼女が生まれた日、光の女神の神殿で神託があったからだ。彼女はなんと王女の命を危ぶむ存在として示唆されたのだった。

 

 神託は決まった周期で出現するものでなく、魔女に関する神託以来十八年間、黙ったきりだ。

 魔女は生家の公爵家が持つ南部の田舎町で幽閉されているという噂だった。まさに生まれながらにして呪われた存在。人々は、そんな彼女のことを「ツェーリンゲンの魔女」と呼んだ。古代に、この国に危機をもたらしたという魔女になぞらえてーー。


 女王陛下は国の英雄に魔女と結婚しろと言う。普通なら耐えられない屈辱だろう。しかし、それも王女のためというのなら。この結婚によって王女が救えるのなら。拒む理由はどこにもなかった。


「……一介の伯爵家の次男坊が、公爵家のご令嬢と結婚など、身に余る僥倖です。ありがたく引き受けさせていただきます」

「まぁ、ありがとう。こんなことを任せられるのはレオンハルト、あなたしか居ないと思ったの。神託によると、魔女がナディアに害をなすのは魔女が二十歳の頃というでしょう。わたくし、日ごとに心配で心配で眠れなくなるほどなの」


 魔女は今、たしか十八だったか……。約二年。二十になる年を合わせると、三年か。魔女を監視して、王女が命を失うなんて、そんな未来は起こらないようにしろということなのだろう。


「必ずや王女様をお守りすると誓います」


 近くに佇む王女を横目でちらりと見た。叶うなら、どこか悲痛な面持ちの彼女の肩を抱いて大丈夫だと言ってやりたい。しかしレオンハルトは王女に触れることもできない身分だ。しかし王女の為なら、魔女と結婚することもまったく辛くないのだと分かってほしい。

 

 ーーでも。もし、私と彼女が騎士と王族でなかったら。

 

 視線を落とし、綺麗に磨かれた王宮の床を見つめる。そんなたらればはとっくの昔に考え飽きたと思っていたのに。



――――――――――


 麗しく可憐なこの国の第一王女ナディア様。金の絹のような長い髪に、抜けるような白い肌、薔薇色にうっすら染まる頬に、宝石のように輝くペリドットの瞳。

 美しいのは容姿だけではない。彼女は王族にふさわしい気品を持ちながら、柔らかな物腰で下賤の者にも暖かく微笑んでくれる。国民を愛し、国民に愛される素晴らしい人格の持ち主だ。 


 幼い頃は彼女といつか結ばれる未来を思い描いたりもした。しかし、伯爵家の爵位すら継げない次男坊が第一王女様と結婚なんて夢見るだけで恥ずかしいことなのだとすぐに気が付いた。

 ならばせめて、生涯彼女の騎士でいようとそう思ったのだ。

 例え結婚する相手が誰であろうが、レオンハルトが一番に尽くすのはナディア王女ただ一人。だから誰と結婚しようが関係ない。たとえ相手が魔女であろうが。


 レオンハルトはすぅ、と深く息を吸い込んだ。相手が誰であろうが……とは言ったが、さすがにその相手が魔女と呼ばれる相手であれば多少なりとも緊張するものだろう。


 求婚状を送って一ヶ月。

 ツェーリンゲン公爵はこれまで何の交流もなかったアイレンブルク家のレオンハルトからの求婚にあっさりと許可を出し、婚約祝いにぜひ晩餐をとレオンハルトを招待した。

 そしてレオンハルトは今、王都から遠く離れた南部のツェーリンゲン公爵邸にいる。

 

 一体魔女はどんな容姿をしているのだろうか。結婚の命が出てから魔女について調べたが容姿について、何の情報も得られなかった。そもそも社交界にも出ていないのだ。姿形を見た者などほとんどいないだろう。

 だのに巷では老婆のようにシワシワで干からびた顔だとか、とんでもない大女だとか、脚が三本あるだとか、めちゃくちゃな噂が飛び交っている。そんなのほとんど化け物じゃないか。


「お待たせ致しました。ルーナお嬢様がご到着です」


 使用人の言葉にはっと我に帰る。ちょうど扉が開いて、魔女が現れた。

 

 その姿を認めた瞬間、ドクンと心臓が大きく跳ねる。平然を装ってみたが、わずかに目を見開いてしまった。

 艶々と光る黒髪に、意思の強そうな吊り目がちの大きな瞳。その虹彩は怪しく黄金に輝き、透けてしまいそうなほど白い肌に赤い口紅がよく映えている。身長は高い方だろう。ほっそりとした体に細身のシンプルなドレスがよく似合っている。


 ――これが魔女? 本当に? 

 美しいと思ってしまった。背筋をしゃんと伸ばして凛と佇む姿はまるで、その名の通り月の女神のようだと。


 これは予想外だった。偽の結婚に、相手の容姿など関係ないと思っていたがーー。驚いて何を言うべきか思いつかない。レオンハルトが言葉に迷ったその一瞬だった。


「無愛想ね。けどいい男」


 引き結ばれていた形の良い唇がほどかれて、魔女が言葉を放った。

 ……ん? 今この女はなんと?

 

「こらルーナ! 無礼なことを言うな! それにまずは挨拶をせんか! アイレンブルク様が驚いているだろう!」

「あら失礼。アイレンブルク様、お初にお目にかかります。私ルーナ・ツェーリンゲンと申します。アイレンブルク様もご存知の通り、"ツェーリンゲンの魔女"ですわ」


 にっこり。

 綺麗に塗られた赤が弧を描く。あまりにもなご挨拶に、レオンハルトが固まっていると、彼女の父親であるツェーリンゲン公爵が青筋を立てて「こらーーー!」と大声を上げた。


「なによ! 事実じゃないですか!」

「そんな挨拶があるものか! アイレンブルク様は貰い手のないお前に唯一求婚してくださった素晴らしいお方だと言うのに……!」

「別に頼んでいませんわ! 私一生ここで閉じこもって暮らしてもよろしくてよ!」

「ルーナ!!」


 レオンハルトは口を開けたまま、目の前で行われている親子喧嘩をぽかんと見つめることしかできなかった。

 魔女だなんて呼ばれているから、どんな女がやってくるのだろうと思っていたが……。何だ? この女は。いきなり求婚に現れたレオンハルトを警戒しているのかもしれないが……なんていう態度だ。貴族の娘が声を荒げて、ましてや父親に反抗して、客人の前で大暴れだなんて。普通じゃ考えられない。

 

 レオンハルトは思わず頭を抱えた。

 王女様。二年後、この女が貴方に危害を加えるのだそうです。私は必ずや魔女から貴方様を守ってみせます。例え命に替えても、魔女の凶行から貴方様を救ってみせると誓いましょう。しかし。しかし……目の前にいる"魔女"は……


「ただのじゃじゃ馬じゃないか…………」


 運命の日まで、あと二年。


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