血赤の女王と神の番人
雪原のごとき石の床。かよわげな足でかろやかに踏み、近づく。瞭然、零す彩り。ひどく鮮やかに眩暈を誘う、いっそ美々しい酸鼻の残滓。艶めく銀糸の髪から滴り、乳色をした裾から垂れ落ち、点々、しかと居残って、己が白さを解さぬ白に遠い孤独を偲ばせる。
純白、孤独も忘れ純白。孤独も世界も忘れ純白。燃えゆく華を煮詰めた蜜より濃い色に触れ世界に触れる。いちど触れれば二度と戻れぬ、たとえ皮相が凍っていようと、絡め取られて引きずり込まれ、煮え滾る底に沈んでとかされ────
「わたくしを王にせよ」
透き通る声は獰猛だった。彼女は、獰猛で純真だった。華奢な身体に血色を纏わせ、何人も染めること能わざる白き神殿を侵しながらも、彼女はいまだ純真だった。
血塗れの細くしなやかな手に、血の伝う剣が握られようと。その胸元を、しめやかに飾る若葉の刺繍が血に濡れようと。袖が破れてさらされる、たおやかな腕に血の蛇が這い、星滑る色の巻き毛がまだらに、血色に梳られていようと。すべらかな頬と涼しい目元、丸い花弁に似た唇に、くっきり血色が刷かれていようと。彼女は、いまだ純真だった。燦爛輝く瞳がさながら、落日に映える血溜まりでもなお。
「わたくしを王にせよ」
彼女は王の娘であった。たったひとりの王女であった。その声はやはり澄み切っており、やはり命を刈るも厭わぬ冷えた激しさを帯びており。そして王女は姿勢をぶらさずすっと右手を前へ出す。血色をはじき煌めく剣の研ぎ澄まされた切っ先が、王女の正面に立つ者に向かい直ぐにひたりと、向けられる。
「そなた。神の番人よ」
岩の的さえ穿つかのような鋭い剣とまなざしの先。神の番人は、佇んでいた。
純白の長い衣を身につけ背後にたっぷり裾を引きずり、兎の毛に似た純白の髪を緩やかに束ね背中に垂らし、無造作なふうに目元へも流しその隙間から王女を捉える。瞳は日の差す泉へ潜って、見あげる水面の色をしている。その目のはらむ半端な冷気に、王女はすでに気がついていた。奥まで冷え切ることはなく、どこか王女を見くだしている。
「そなたのことぞ。番人よ」
王女の声に血色が滲む。すれば番人は口をひらいた。
「わたくしを、王にせよ……」
番人は、そう言った。王女の言葉をただ繰り返した。
視線と同じ温度の声に王女の眉が顰められると、番人の薄い唇に、いっそ軽薄な笑みがのぼった。
「わたくしを王にせよと。そのようにおっしゃいましたか。おっしゃいましたね、王女殿下」
番人はやや気怠い様子で、唇の端をつりあげる。
王女はやわい唇を染める血潮をちろりと舌で舐ると、血に浸かった足を踏み出し玲瓏と声を響かせた。
「いかにもそうだ。番人よ。疾くわたくしを王にせよ」
聞いて番人は、肩をすくめると斜め下に目をくれ笑った。
「恐れながら、王女殿下。なにゆえそのようなことを、わたくしめに仰せになるのでしょうか。確かに、確かにわたくしめは神殿の長ではありますし、神の番人などというふうに呼ばれているのではありますが。王にするとかしないとか、そのようなことはよくわからぬ。わたくしめはおろか神殿にすら関わりなきことにござりますれば────」
番人のなめらかな口上を、王女は間合いを詰めて遮る。ごくごく微細な血飛沫が、番人の足のすぐそばに降る。なにか興をそがれた様子で番人が口を閉ざしたところで、王女はその目を睨み据え、低く蜜蜂のようにうなった。
「黙れ。しらばくれるのではない。この国の王を認めるは、当代の神殿の長、神の番人たる者であろうが。今はそなたが神の番人、つまりはそなたが認める者が、この国の王になるということ」
この国の、正統なる王に。
王女が厳かに言い切れば。
おやっと首を傾げる番人、純白の髪が肩先を滑る。
「それは、いつのお話でしょうか。王女殿下におかれましては、たいへんお若くていらっしゃるのに昔のことにお詳しいようで。ずいぶんと勉学に励まれたご様子」
「そなた、わたくしを愚弄するのか」
「いいえ、滅相もないことです」
くすくすとそよぐ番人へ血の降る剣を突きつけたまま、王女はまばたきひとつもしない。剣を掲げる細腕は、震えも揺らぎも見せてはいない。そんな様子に気がついたのか番人がふと目を丸めれば、王女は片頬を少し動かしうっすらと、得意げな表情をつくる。
「確かに、昔のことではあるな。昔、神の番人は、王となる者、王である者につき王の座にふさわしいのか否か、神託として意見を述べた」
どの権力にも与することなくただ人々の声を集めて。
「だが、わたくしが詳しく知るのは昔のことばかりではない。ずいぶんと勉学に励んでいるゆえ。それはそなたも、同じではないのか。たいへんお若いなどと申すが、そなたの歳はわたくしと、さほど変わらぬではないか」
そなたの歳も、生まれた村も、父母の名もわたくしは知っている。もちろんそなたのほんとうの名も、そなたが番人となった日付も。勉学に、励んでいるゆえな。不敵な笑みを浮かべる王女を、番人は不遜にせせら笑った。
「さすが、さすがは王女殿下だ。なんでもご存じでいらっしゃる。貴女さまの父君も、その父君もその父君も、国王などとは呼ばれたけれどもこの神殿に来ていないのに。わたくしめの先代も、先代の先代もその前も、父君などの戴冠の際は王宮にお呼びつけいただきまして、それでわざわざありがたく、出向かせていただいたのですから、そう。先王陛下どもというのは否の神託も聞こえぬほどにまっすぐ王座を目指されたうえ、神殿の成し奉ることは新しき王を認めることのみと、たいへん理解しやすいように改革をしてくださった。民や神殿のためを思って無い御心を砕かれたのだと、わたくしめなどは考えるたび打ち震えるほど感激し、もはや煮えくり返るのですが────」
それはそうと、王女殿下。いったい、どういう成り行きで、かように辺鄙なところへわざわざ、いきなりおいでになったのでしょう。
水面の瞳を揺らがせて、番人は口調かろやかに問うた。すれば王女は鼻を鳴らした。血溜まりじみた瞳がふいに、夕日のように和らいだ。
「わたくしに二度も言わせるか。しらばくれるものでは、ないぞ」
番人は、かすかに眉を顰める。王女は血が付き固まっている長い睫毛をまたたかせると、番人に向けた剣を下ろした。
「どういう成り行きなのかと、問うたな。おおかた察しているくせに」
番人は、表情を止めた。王女はくすりとほのかに笑んだ。
「わたくしの、このけがれた姿、そなたどのように考えている。神に仕える番人は婦女子の服装など知らぬので、これが尋常と考えるのか。そのようなことはないだろう、そなたは十になるまでは、神殿暮らしではなかったのだから。婦女子くらい見たことがあるはず」
「番人を愚弄なさいますか」
「いや、違う。そのつもりはない。すこしからかったつもりだった、そなたを」
王女は、腕で頬をこすった。柔肌に血を擦り込んだのち、小さく首を傾ける。
「なあ、神の番人よ。このように血にけがれた者をみすみす神の領域に入れ、その最奥まで許すとは。これは果たして何事なのか。そのうえ番人直々に、向き合い相手をするというのは。だれにもその身を守らせぬのは。わたくしを追い出そうとせぬのはなぜだ。わかっているからではないのか。ゆえに『先王』と申したのでは。いつか、だれかが────だれかがやると、密かに待っていたのではないか。そうであろう、では敢えて問おうか」
わたくしはこのような姿になって、いったい、なにをしてきたと思う。
ふわり、風に吹かれるように、王女は番人に歩み寄る。彼の瞳に血色が映る。うつる。移る。染められるのか。彼女は彼の瞳を見あげ、悪戯を耳打ちするように。
「無い御心を砕く王を────父をこの手で殺してきたのだ」
民の暮らしをかえりみずひたすら戦に精を出し、王宮と身内側近ばかりを豪奢に飾り立てるを好み、少しでも、意に添わぬことあれば即刻命も刈り取る王を。己が傀儡であることにすら気がつくことのできない王を。
頭を撫でて微笑んでくれた、抱きあげて、笑わせてくれた父を。血を分けた実の父親を。
「この手で殺した。ついさきほどだ。なにを言おうとなにをしようと、ちりほども届かぬようだったゆえ」
聞く番人は、無言であった。
「わたくしは今まで甘すぎた。ゆえにこのような姿になった。このような姿で神殿に乗り込みあまつさえ神の番人に、このような剣を向ける有り様」
王女は返り血を零しながらも、衣と剣と身体の重さを露も気取らせぬ軽い身ごなし、ひらりと裾を翻し、番人から距離を取る。銀糸の髪がさらりと揺らぎ、彼に馥郁の血の香を届ける。
「わたくしに協力する者らはいる、そなたも知っているのだろう。しかし後ろ盾としては、やや、弱いとも言えるのだ────」
王女に、すでに笑みはなく、淡然としたその声色は徐々に凍りつく泉を思わせ、そして血色の瞳にも、涙のかわりに薄い氷がみるみる張っていくようだった。
「このままではわたくしも、わたくしに与する者たちも、そう長くはもたぬであろう。つぎは返り血ばかりではなく己の血に濡れ斃れるであろう」
感慨もなさげに口にしたのち、王女は瞳で番人を捕らえ。
「それでは、なにも変わらない。わたくしは強くならねばならない。やれることは、すべてやる」
決めているのだ、もう決めたのだと。
「神殿も、番人も、以前よりは権威が弱いな。だが、いにしえより受け継がれてきた信仰心はたやすく消えない。なるべくならば争いたくない、大手を振って敵にはなれぬと、考える者がいまだ多数だ。『先王ども』すら畏れは拭えず、いつもどこかに怯えがあった。ゆえにわたくしは利用する。神と神殿、神の番人、それらへの畏怖を利用する」
言い切る瞳はすでに凍って、生血に塗れたかんばせにふたつ硬い血の玉をはめ込んだよう。彼は血色の滲む瞳で凍てつくそれをただ、ただ見つめる。
「そなた、『先王』もその取り巻きらも、たいへん、おおいに好かぬのだろう。そなたは血族を奪われた。『先王』の気まぐれのために、あっという間に奪われたのだ。そなたが神殿に入ったのはそのあと。それから十年経ってそなたは、神の番人となったのだ」
彼女の目元がわずか震える。一瞬を彼は見逃せず。
「だからなどと、言うつもりはない。そうであろうとなかろうと、今のわたくしに関わりなきこと。そなた、神殿とそなたの神ごとわたくしの後ろ盾となれ」
王女は神の番人に命ず。
「今すぐここで、このわたくしを、新しき王と認めるのだ。このわたくしが正統の王だと、神の御前に宣誓し民にあまねく知らしめるのだ。神の番人よ、拒む余地はない。さあ、わたくしを王にせよ」
やはり、獰猛、獰猛だった。
獰猛でやはり、純真だった。
それがどうして麗しかった。
ああ、なんと、麗しい、
麗しい救いようのない────救いようのない、女王陛下だ。
純白の神の番人は、父王殺しの血赤の王女を新しき王としたのであった。それは、国を変えるため。厭世も、神聖も遁世もなく、血濡れになることすら厭わずに、ただ、己からすべて奪った、腐った国を変えてゆくため。否。或いは、あるいは否。
雪原のごとき石の床。かよわげな足でかろやかに踏み、近づく。瞭然、零す彩り。ひどく鮮やかに眩暈を誘う、いっそ美々しい酸鼻の残滓。艶めく銀糸の髪から滴り、乳色をした裾から垂れ落ち、点々、しかと居残って、己が白さを解さぬ白に遠い孤独を偲ばせる。
純白、孤独も忘れ純白。孤独も世界も忘れ純白。燃えゆく華を煮詰めた蜜より濃い色に触れ彼女に触れる。いちど触れれば二度と戻れぬ、たとえ皮相が凍っていようと、絡め取られて引きずり込まれ、煮え滾る底に沈んでとかされ────ただ、ただ、それだけのこと…………
(了)




