嵐の前の晩餐会
時は少々遡り、ネメスの商館で宴の準備を始めた頃、商館長メンゲルベルクは非常に疲労感を覚えていた。というのも、グレイシア帝国の闇ギルドのパーティーのひとつである『ディープアサシン』が東コーサリア株式会社の不正取引を握られた上で、イレニア公との取引停止を迫っていたのである。しかし、既に会社に潜入していたイレニア情報部がその情報を嗅ぎ付け貿易事務に関わってる事務官から『ディープアサシン』との駆け引きを無視するよう脅してきた。イレニアとグレイシア帝国とで板挟みになっていた。特に『ディープアサシン』は悪名高いパーティーで、凶悪犯罪やテロ、他国のギルドを崩壊させた過去がある。仮にディープアサシンによって、不正取引の横行が他国にしれわたった場合、そして何より、コーサリアにおいてそれが漏れた場合、会社の寿命に関わる。しかし、イレニア側は反乱の貸しを作った上で、見返りとして反乱が革命へと昇華すれば主要貿易相手として利益が出る可能性がある。
メンゲルベルクは晩餐会で再度グレイシアの国賊と交渉しようとしていた。
晩餐会のためにコウヤらは日が半分ほど沈んだ夕刻に商館の前に集まった。補佐のアルバートは少し戦闘で乱れた服装を整えた程度であったが、情報部トップのエセルは黒いドレス姿で、普段の業務時の服装からは離れていた。
基本的にI2Aのトップであるので、そうそう表立っての活動はなく、基本的にコウヤがエセルと会う時は制服か擬装用の私服であったから、一層めずらしく見えた。
エセルは基本的にそう言った派手な服を着ないので、内心は若干恥ずかしがっているが、諜報部門のトップなだけあって、それを隠すことは容易で有り、周辺に隠れてコウヤ一行の安全を見守っている諜報員ですらそれを見抜くことは不可能であった。
当然、コウヤやアルバートも気づく訳がなく、むしろコウヤの方がエセルのその服装の意外さに頬を若干ピンクにされていたのであった。
「その…エセルも似合ってるぞ?派手な姿は意外だと思ったが。」
不意にもコウヤに自身の服装を褒められ、ついエセルは顔に出た。
「…!殿下に褒められるとは至極恭悦でございます!」
一方で老いのアルバートは2人の様子を若気の至りだなぁと昔の自分を回想するかの如く感心していた。
そうこうしているうちに、メンゲルベルクが商館から門にやってきた。
メンゲルベルクは昼にイレニア代表と交渉した時とは異なり白い正装でザ・紳士と言ったよくある西洋の服であった。
「改めて、今回の晩餐会への参加を嬉しく思う。さあ、こちらに。」
と、彼に促されてコウヤ一行は晩餐会会場に案内された。
メンゲルベルクらが商館の中へ入ってまもなく、扉が扉の左右で待機していたメイドらしき女中(メンゲルベルクの住込私用人)によって閉められると、メンゲルベルクが玄関ホールに向かって大きな声をあげた。
「皆さん!本日は改めて晩餐会にご参加いただき礼を申す!本日はゆっくり食事とダンスを楽しんでいってください」
商館の玄関ホールには大勢の貴族らしい紳士服をまとった人たちがグラスを酌み交わしたり、バイキング形式の料理(風土料理もあるが、植民地の料理もあ)を楽しんだりしている。
メンゲルベルクが挨拶をすると、大勢がコウヤらの方を向き、盛大な拍手で迎えられた。
そうこうして食事を楽しんでいる最中、エセルの背中からメイド服で銀色のトレーを持った給仕係から紙切れが渡された。
エセルはそれを受け取り、内容を確認した。
その紙にはイレニア情報部が独自に設定している(無論コウヤですらその解読は不能の情報部専用の内部の)暗号文字コードで書かれており、エセルはそれを解読した。
今晩餐会のスタッフにグレイシア本土の工作員あり、という内容であった。
エセルはコウヤにそれをそのまま小声で伝達、了解との返事をした。
東コーサリア株式会社の商館厨房、ここでは晩餐会で出される料理を調理していた。
イレニア情報部の諜報員、帝国本土の闇ギルドから派遣された工作員、本当の会社の従業員(調理師)がそれぞれで調理をしている。
かといって、イレニアも闇ギルドも従業員になりすましているので、商館職員からすれば見分けることは不可能であった。
イレニアの工作員は極めて諜報活動の練度が高く、闇ギルドの工作員はイレニアの工作員であることを見抜けなかったが、イレニア情報部は闇ギルド側の人間の基本四情報(氏名、生年月日、住居、性別)から性格や特徴まで把握しきっており、挙動不審を見せずとも判別可能であった。
だが闇ギルド側の工作員の訓練が足りていないのだろう、見分ける術がなければ挙動不審と見抜くことは不可能だが、工作員にしてはレベルの低い挙動不審が現れていた。
厨房は玄関ホールに繋がる廊下への扉を正面に左側に流しがあり、商館の本物スタッフが2名、真ん中の料理台にイレニア工作員と闇ギルド側の工作員が2名ずつ、向き合うかたちで卵をといだりしている。そして、その奥で火を使って調理している商館スタッフと闇ギルド工作員1名ずつ配置されている。
左手奥に休憩スペースがあり、そこに闇ギルド工作員が3名控えていた。
そこで闇ギルド工作員らはベッドにに隠していた拳銃(といってもこの時代は小型のマスケット銃)をズボンにつけてるホルダーに身に付け、黒いコートで見えないようにした。
そして互いに頷きあって、まさに作戦開始と言わんばかりに休憩室から繋がってる別の廊下に進んでいった。
晩餐会から開始1時間程たった頃、食事もある程度落ち着き、貴族らは商館保有の楽団による演奏で躍りを踊り始めていた。商館の照明(といっても現代のように電気ではなく、シャンデリア等の火を使った明かりなので元々薄暗いが)を弱めていたため、コウヤはバレエを見ているような気分を味わっていた。
「ヴィッヘンラントにはバレエみたいな貴族文化があるんだなぁ」
「これはフレナドールという民間舞踊です。」
コウヤが感嘆していると、ワインの入ったグラスを片手にアルバートが説明をした。
「元々、ヴィッヘンラントに純血の貴族はおりません。ここにいるのも、東コーサリア株式会社の株で成り上がった言わば、成金貴族というべき人たちばかりです。なので、民間舞踊なんかが社交の場で踊られます。」
なるほど、とコウヤは思った。
舞踊の形式だけ、貴族風に改まっている。躍りの要所要所に大衆的な舞踊の痕跡と思われる部分が見受けられた。まるで、どこかの宗教の祭事のような。
コウヤがそんなヴィッヘンラントの文化を楽しんでいたところ、事件が起きた。
黒いコートをきた謎の集団3、4人が階段に続くメイン通路の脇から出てきて、突然貴族らに向けて発砲をしたのだ。