絶賛修羅場中の親友とその彼女の仲裁を何故か俺の家ですることになった話
気まずい…。
俺、鰐塚京太郎はもの凄く悩んでいた。悩みの種は今正に目の前のテーブルの両隣に座っている男女のことだ。男女はカップルなのだが、テーブルについてからずっと沈黙を続けている。
時折目が合ってはお互い鋭い睨みを利かせて、すぐに視線を反らすことを繰り返していた。そんな状態がかれこれ一時間ほど続いており、二人の間に挟まれた俺はどうしたらいいのか分からず、ただ早く此処から解放されることを祈っていた。
「なあ…開人」
「ああっ?」
「い、いや…ごめん。その…明里さん…」
「ええ??」
「…すみません」
はあ、全くどうしたら良いのか皆目見当がつかない。いっそこの場から逃げ出したいのだが、どうすることもできないのは此処が俺の家だからだ。家を出たところで行く当てはないし、下手に出てしまったら戻るに戻れない。何とももどかしい状況である。
その内に奥の台所からエプロンを付けた女性が土鍋を持ってリビングへ入ってきた。このいたたまれない空気を感じていないのか呑気にテーブルの上に鎮座した鍋敷きに土鍋を乗せると、にこやかにテーブルに座る俺達に話しかけた。
「さあ出来たよ。冷めない内に召し上がれ」
女性が土鍋の蓋をパカッと開けた。中身は美味しそうな魚介類や野菜がぎっしりと詰まった海鮮鍋だ。磯の香りがリビングに充満し、空腹の胃袋を刺激する。しかし普段であれば我先にと箸を鍋に突っ込むはずだが、この状況ではとても食欲が湧いてこない。
「ごめん、ちょっと」
「?何、京太郎」
「どういうことだよ」
俺は沈黙を続ける男女をリビングに残して、鍋を持ってきた女性と台所へ向かった。ちなみにこの女性は俺の妻である鰐塚リナだ。台所で俺に詰められたリナはキョトンとしている。
「へ?何のこと?」
「何のことって…このいたたまれない空気が読めないのか?とてもじゃないけど、あそこで飯を食べる余裕も勇気もないぞ?」
「そうかなぁ…割りと二人共美味しそうに食べてるけど?」
リナの発言に驚いた俺は慌ててリビングへ目を向ける。なるほど二人は黙ったまま、リナの持ってきた海鮮鍋を突いている。ただ只管黙々と食べているので美味しそうなのかまでは分からない。
「京太郎は何をそんなに悩んでいるの?」
「何って…そりゃあの二人のことだよ。このまま放っとく訳にもいかないし…かといって下手に割り込んだら此方まで飛び火しそうで…」
「いいじゃん、単刀直入にさっさと聞いてみれば」
「いやいやいや!そういう問題じゃないだろ?」
「しょうがないなぁ。私から聞いてみれば問題ない?」
「えっ、しかし…」
「ねえねえ二人共、ちょっといいかな~」
俺の動揺を他所にリナはとっととリビングへと戻る。やれやれどうしてこういう事態になったのか。
一から順を追って説明しなくてはいけない。
まずテーブルの俺の席から右隣に座っている男は中学校時代からの親友である門野開人。見た目は童顔で身長も小柄であることから実年齢よりも5歳以上幼く見える。未だに10代と間違われるくらいで色々と説明が面倒臭いらしく、正直本人もうんざりしているフシがある。そんな開人の好みは自分よりも年下の女性と常々公言しており、その理由は自身の外見によるコンプレックスから来ているらしい。
ちなみに俺だけではなく、同じ学校だったリナとも開人は付き合いは長いので社会人となった今も夫婦揃って交流は続いていた。
そして俺の席から左隣に座る女性は開人の今の彼女である日向明里さん。明里さんは元陸上競技のアスリートで開人とは対照的に大柄でシャープな体型をしている。元々短髪だったが、アスリート引退後は髪を肩まで伸ばして爽やかな印象を受ける。
明里さんはリナの職場の同僚で、リナ経由で開人と知り合い交際を始めたそうだ。俺は明里さんのことをよく知らないが、リナ曰く面倒見の良い姉御肌で職場からの信頼も厚いのだという。開人もそんな明里さんの飾らない性格がどストライクだったそうで見た目こそ凸凹なカップルではあるが、誰もが認めるお似合いカップルだった。
ところがここ最近雲行きが怪しくなってきており、ついに先日お互いの感情が爆発。口論の末に修羅場へと発展してしまった。喧嘩の原因はお互いに「相手が嘘を付いていた」といっている。
とにかく二人を仲直りさせようとリナに相談を持ち掛けたところ、いきなり二人を自宅に呼んで一緒にご飯を食べようという流れになった。絶対に断られるだろうと踏んでいたが、どういう訳だかリナの誘いには二人共快諾して俺の家にやってきた。ただし家に付いてからは前述の通り、二人は会話すらしていない。お互いにいないものと見ているのだろうか。
自宅をこのような空気にしておきながら言い出しっぺのリナはというとマイペースに鍋を作り出した。その間俺はこの二人の相手をする羽目になった…というのが今までの流れである。
では此処で現在に戻るとしよう。
リナに声を掛けられた二人は同時に箸を止め、リナと俺の方に振り向いた。二人の表情は何とも形容しがたいくらいで、かなり無理をして笑顔を取り繕っている。不思議ではあるが、リナと俺とで話し掛けた時の態度が違い過ぎないだろうか。
「二人は何で喧嘩してるの?いつもなら周囲が引くくらいラブラブだったじゃん」
「えっ?俺が?明里と?冗談じゃない!」
「はあ?誰がこんな嘘つき浮気野郎と?」
「おい、ちょっと待て…嘘つきはともかく浮気野郎というのは聞き捨てならないぞ!」
「フン、事実をいったまでですぅ〜」
明里さんが口を尖らせて開人を挑発する。対して開人の方は怒りが先行しているのか、拳を握り締めてプルプル震えていた。俺は慌てて開人を羽交い締めにする。
「止めるな、京太郎!今日こそはこの女にどっちが嘘つきかを分からせてやる!」
「だからといって暴力は駄目だ!少しは落ち着け!」
「フン、図星だから言い逃れできないんでしょ?」
「な〜に〜!!じゃあこれは何だ!?説明してみろ!」
開人は床に置いた自分のカバンから茶封筒を取り出すと、勢い良くその中身を明里さんの前にぶちまけた。中身は明里さんの顔写真が入った書類…免許証やら住民票やらのコピーといった色々な個人情報である。開人はそれらを指差して明里さんに向かって問い詰めた。
「これが何か分かるな?」
「……ま、まさか…」
先程まで余裕で開人を挑発していた明里さんの態度が一変した。書類の内容を見て何かに気づいたのかみるみる内に顔が青ざめていく。開人は此処ぞとばかりに詰め寄る。
「明里!サバを読んでいたな!!俺より年下と言っておきながら実際には5歳以上も年上のアラサーじゃないか!」
「な、な、何のことかしらん…?」
「目が泳いでるぞ…図星だな」
開人がドヤ顔で書類を指差す。そんな二人の緊迫したやり取りに対して俺とリナは完全に置いてけぼりを食ってしまい、未だに呆然としている。何?明里さんの嘘ってサバを読んでいたことなの?もっと深刻なことじゃないの?
「そんなことで喧嘩したの?超絶下らないじゃない」
俺が思っていることを代弁するかのようにリナが口を開いた。それに対して開人が反論する。
「追手門は俺のタイプのことは知ってるだろ?俺は昔から年下好きで年下しか付き合わないって決めてるんだ。なのに…年上だったなんて…」
「はあ…開人君。あんたにとって明里さんはその程度の人だったの?別に年上だろうが年下だろうが好きであることに変わりはなかったんでしょ?あと私のこと旧姓で呼ぶのはやめて」
開人のいう追手門とはリナの旧姓のことだ。本人曰く結婚したのだから今の姓で呼んでほしいらしい。
「…まあ、そうだけど。でもそれなら付き合う前に言ってほしかったよ」
「あのね、開人君。もし先に明里さんが開人君よりも年上だよって伝えたらお付き合いした?」
「う、それは…その…」
「…………ごめんなさい!確かに私はサバを読みました」
開人とリナの応酬に明里さんが割り込んできた。先程までの氷のような態度とは違い、目に涙を浮かべ顔が少し赤くなっている。自分のしてしまった行為について反省しているような印象だ。
「明里……そ、そうだよな!だから嘘つきはお前だって…」
「開人に嫌われたくなかったの。もし本当のことを言ったら絶対に避けられる。そう思ったの。だからリナと協力して少しサバを読んだの…」
「明里さん…」
「だから騙してごめんなさい。でも開人のことは好きなんだよ?!この気持ちは嘘じゃない!」
「あ、明里…」
「お願い…嫌いにならないで」
明里さんの目からポロポロと涙がこぼれ落ちる。俺が慌ててティッシュを渡そうとするよりも先に開人の手が明里さんの顔を擦った。開人は先程までのイジワルな顔とは打って変わって精悍な顔つきになっている。
「ごめん、俺も言い過ぎた。確かに追手門や明里の言う通りだ。好きという気持ちがあれば年上だろうが年下だろうが関係ない。俺の方が意固地になってた」
「開人…」
「明里、正直に謝ってくれてありがとう。お陰で胸のつかえが取れたよ」
「うん…」
開人が明里さんを優しく抱き締める。身長差があるのでアンバランスではあるが、美しい光景だ。完全に俺は蚊帳の外になってしまったが、とりあえず二人は落ち着いたようだ。リナも小さく拍手している。
「よし。それじゃ二人共仲直りということで、改めて飯でも…」
「ちょっと待った!!」
俺が丸く収めようとした矢先に突如待ったが掛かる。声の主は先程まで開人の腕の中で泣いていた明里さんであった。皆ア然とする中、明里さんは今度は自分の番とばかりに生き生きとした顔つきに変わる。
「えっ…どういうこと???」
「此処までは開人のターンだよ。まさか私の言い分も聞かずにこの喧嘩を終わらせようと思ってた?」
「えええー!!」
開人の絶叫を他所に明里さんは自分のバッグからスマホと女性の物の下着らしきものを取り出し、先程の開人よろしくテーブルの上にぶちまけた。今度はこれを見た開人がみるみる内に青ざめていく。完全に形勢逆転のようだ。
「さっき私いったよね?この嘘つき浮気野郎って。これがその証拠よ!キッチリ納得いくように説明してちょうだい!」
「え?え?え?」
明里さんの追求に開人がしどろもどろになる。明里さんの出したものに対してどう説明したら良いのか開人の目があちこちに泳ぎ出してきている。つい数分前までの空気との落差が激し過ぎて俺もリナもついて行けていない。
「な、な、何でこれを明里が持ってるんだ…??」
「認めるのよね?貴方の部屋にあったものだって」
「開人、お前…」
「これって…明里さんへのプレゼントとかじゃなくて?」
「リナ、悪いけど違うよ。だって私のサイズより全然小さいもの!明らかに他の女のものよ!しかも使用した形跡まであるもん!」
「「!!!」」
俺もリナも明里さんの言葉に絶句した。開人よ…お前まさか本当に浮気してたのか?開人は完全狼狽して落ち着きを失くしている。俺達が味方についたと思ったのか明里さんが更に開人へ畳み掛ける。
「さあさあさあ!此処まで来たら後は決定的な証拠よね」
「えええー…まだあるのかよ…」
既にオーバーキル気味ではあるが、明里さんはとどめを刺すかの如くスマホの画像を開人の眼前に突き付けた。画像には開人の部屋に入ろうとしている茶髪の小柄な女性の後ろ姿が写し出されていた。しかも買い物袋とお泊りグッズらしきボストンバッグまで手にしている。この画像を見た開人は息の根を止められたかのように真っ白になって、その場に崩れ落ちた。
「見損なったわ、開人。私というものがありながら他の女に手を出すなんて…」
「開人君、さすがにこれは引くわ…」
「開人…そろそろ楽になった方がいいんじゃないか?」
自分の彼女と親友、そして親友の嫁から責められ四面楚歌となった開人は体中から脂汗が吹き出している。しばらく沈黙が続いた後、突然開人は土下座をした。まるで床にめり込むくらいに頭を下げている。
「す、すみませんでしたーーー!!!」
開人の謝罪に俺も含めた全員が鋭い視線を開人に送る。特に女性陣二人の視線の冷たさといったらない。おいおいおい、まじかよ開人よ。
「認めるのね…自分の過ちを」
「はい…でも一つだけ弁解させてください」
「弁解?今更??」
「はい…その女性、今から此処に連れて来るので一度見てみて下さい」
「はあああ!?」
明里さんよりリナの方が開人に対して怒りを向けている。開人は一体何を考えているのだ?女性陣二人の怒りのボルテージが更に上がっていく。明里さんはバッグから護身用の棍棒のような物を取り出して開人に向かって振りかぶろうとまでしている。
「言わせておけば何を…」
「あ、明里さん!落ち着いて!」
「ごめん、京太郎!脱衣所を借りる!」
「へ?脱衣所??」
俺が明里さんを押さえている隙に開人は荷物一式を抱えて逃げるように脱衣所に入る。リナが追いかけたが、内鍵を閉められた。
「チッ、篭城したか」
「リナ、脱衣所から外へは出られる?」
「大丈夫。この部屋は3階だし、簡単には逃げられない」
「よーし、開人。いつまで粘れるか勝負よ」
明里さんとリナが臨戦態勢に入った。やれやれ、いつになったらこの不毛な争いは終わるだろうか。俺が頭を抱えていたとき、不意に脱衣所のドアが開いた。そして中から現れた人物を見て全員の動きが止まる。
「え?え?え?」
「あ、あの…どちら様ですか??」
「あ、あれ?開人…は?どこ?」
脱衣所から出てきたのは茶髪の小柄な女性…先程明里さんが見せてくれた画像の姿そのものだった。いきなり現れた女性に全員の思考が止まる。
「お、俺だよ…開人だよ」
「え?………えええー!!??」
女性から発せられた声は確かに開人のものだった。あまりにも衝撃的な光景に俺達全員が呆気にとられる。俺達のリアクションを見た開人は溜め息をつくともう一度深々と頭を下げた。
「ご覧の通りです。あの画像の女性は俺です。明里が持ってきた下着は俺が身に着けていたものです…」
そういうと開人が服を捲り上げた。なるほど確かに明里さんが持ってきた下着のサイズと開人の体型はぴったりだ。
「ごめんなさい…ずっと言えなかったんだ。こんな趣味があると知られたら絶対に引くし、振られるだろうって」
「お、俺もお前と付き合い長いけど、そんな趣味があるなんて知らなかったぞ!?」
「当たり前だ。言えるわけないだろ?最初はコスプレから入ったけど、遊び半分でネットに画像を上げたらバズったんだ。それから調子に乗って色々な女装に手を出しまくって…ついには外に出る時まで女装をするようになったんだ」
「じゃあ…私が部屋で見つけた下着も全部開人の私物だったの?」
「はい…そうです」
開人は正座して俺達全員の追求に大人しく答えている。俺としては怒るよりも衝撃の方が強く、どう返すべきか思考が追い付かない。リナも動揺して言葉を出せない状況だ。対する明里さんは…
「開人!」
「はい!!」
開人は明里さんの声に体をビクリと震わせ、目を閉じる。てっきりビンタされるものと覚悟しているようだった。だが、明里さんは女装している開人を逆に優しく抱き締めた。予想外の反応に開人も俺もリナも固まる。
「なーんだ、そんなことだったの。最初から言ってくれれば悩まなかったのに」
「えっ…この姿を見て引かないの?」
「そりゃビックリはしたよ。でもよく見ると可愛いし、案外お似合いじゃない。寧ろ一緒にデートしたいくらい」
「明里…」
「でも開人の方が可愛いからナンパされちゃうかもね。それだと嫉妬するし、ショックだなー私」
「そ、そんなことはない!明里は素晴らしい女性だ。俺が保証する!」
「開人……」
良くは分からないが、やっと丸く収まったらしい。気づけば二人の世界に行ってしまっているようだ。俺は二人を引き戻すべくわざとらしく大きな咳払いをした。二人が一斉に俺を見る。だが、その表情は申し訳なさよりも邪魔するなといった方が正しいかもしれない。俺の扱いがリナに比べて悪すぎやしないか?
「さ、二人共仲直りしたということで改めてご飯でも…」
「ごめん、京太郎。鍋冷めちゃった。温め直すね」
リナが俺の横から土鍋を取って台所へ温め直しに行く。俺は呆然として開人と明里さんの方を見たが、俺を差し置いて再び二人は自分たちの世界へトリップしてしまったようだった。
「おーい、俺を忘れないでくれ…」
「京太郎、こういう時は空気を読まなきゃダメだよ」
「だから此処、俺の家…」
リナに諭されて俺もまた台所へと連れ込まれる。やれやれ、今日はもう少し長い一日なりそうだ。
ご一読ありがとうございました。