16 ヤバい、遅れた…ダッシュ!
午前9時30分。
高尾秀介は駅前の時計のところで、愛のことを待っていた。
結局、愛の説得に応じた。
まあ、あれは説得というものではなかったが…。
なにせずっと秀介が首を縦にふるまで見つめ続けるという、なんともはた迷惑な方法を取ってきたからだ。
最初の方はどうせすぐに諦めるだろうと思い、放置していたのだが、思いの外、今回は頑張っていた。
帰り道、夕食前、その間、更には風呂の中まで入ってこようとしたので流石に首を縦に振ったというわけだ。
嫌がらせを止め、秀介に予定を伝えた愛は絶対に時間に遅れるなというセリフを最後に吐き捨てて行った。
…しかし…。
「…。」
待ち合わせの時間になっても、愛は現れない。
連絡を取ろうとするが、電源が入っていないという言葉が帰ってくるのみ。
仕方がないので大人しく待っていると、不意に視界に知り合いの姿が映った。
その人物をナンパ目的と思しき男二人が絡んでいた。
困った様子だったので、秀介はそこに脚を向けた。
―
ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい!
準備をしっかりと整えてはやり直し、整えてはやり直しを繰り返し、ようやく納得のいく準備ができた愛が時間を確認すると、顔の血の気は引いていった。
後から思えば、電話なりをして連絡をすれば傷口が広がらずに済んだのだが、愛は生来そのような行いを得意としていない。
そのため、やることは一つ。
荷物を持つと、すぐさま玄関を出て鍵を閉める。
そして…愛は全力で走り始めた。
息を切らし、汗を流し。
その様はデートに向かう女の子としてあるまじき姿であるが、美少女補正というやつでそれを見た人物たちはどこか目を奪われていた。
失礼がすぎるが、その行いはスポーツ美少女の練習かのように。
そんなこととはいざ知らず、愛はようやく駅の近くまでたどり着く。
ラストスパートをかけ、時計の前にたどり着くと、そこには誰もいなかった。
時間は9時35分。
ヤバい、ヤバい。
もしかして帰っちゃったのかと思い、周りを見渡すと、秀介の存在を確認した。
お〜いと手を振ろうとすると、秀介の側に誰かがいるのがわかった。
…それは女の子だった。
長い黒髪で小柄な女の子。
遠目だが、可愛らしい容姿なのは間違いない。
ふつふつと怒りが湧いてくるのがわかった。
秀介もどうやらこちらに気がついたようで、こっちに向かって走ってくる。
すると、秀介が何かを言う前に愛は秀介を引っ張っていってしまう。
そして改札を通ると、ちょうど良く来ていた電車へと乗る。
なぜかはわからないが、あのままあそこにいたくはなかった。
電車が発進すると、どこか落ち着いた気がした。
その雰囲気を察したのか、秀介が聞いてくる。
「愛、どうかしたのか?」
「ん?…ああ…別に。
遅れちゃってごめんね、秀ちゃんだいぶ待ったでしょ?」
「まあな。」
その言葉に落ち着きかけた心が再びざわめき出す。
「あはは、ごめんごめん…でも、それでもよかったんじゃない?」
「なんで?」
「だって、あんなに可愛い娘とお近づきになれたわけだし〜。それって私が遅れたおかげじゃないかな〜?」
「…はあ…。」
「秀ちゃん、なにか文句ある?」
ため息を吐き面倒臭そうにこっちを見てきた秀介にジト目でそんなことを言ってしまう愛。
「…いや、まあ、悪かったな。」
「…ふん!」
素直に謝る秀介にどこかバツが悪くなったのか、顔を背ける。
いくらデート?とはいえ、その直前にナンパなんてものをされてしまっては、流石の愛としても面白くなかった。
たとえ電話にも出ず30分以上も遅れてきて、これってもしかしてデートの予定違う日じゃないんじゃ…と勘違いするようなムーブをしてしまったのは自分だとは言え、モヤモヤが溢れ出てしまった。
乙女心は複雑というやつである。
「…なにか奢り…これで許してあげる。」
「まあ、別にいいけど。」
この後、気を逸らすために携帯を確認し、むしろ奢らせてくださいと平謝りする愛と秀介はコントのようで見る者に小さな笑いと微笑ましさを与えた。