1日目 昼間皇也① 『始まりの光』
ゆっくりと目を開けて、見慣れた天井を数秒間だけ見つめて布団をどかしベッドから降りる。
4時13分とカーテンの隙間から入る光の具合を見て予想してから時計を見ると、時計の針は4時39分を差していた。
「16分のズレ」
呟いて昨日のうちに出してハンガーにかけておいたジャージに着替え、顔を洗ってから足音を立てずに玄関までに行き、鍵を開けて外に出る。
鍵を開けた時に少し音が鳴ったが、流石に姉さんは起きることはないだろうと判断して音を立てずに戸を閉める。
屈伸、伸脚、アキレス腱と下半身の柔軟運動をして走り出す。走るコースは時間があるので昨日と同じ1時間のコース。
戻ってきた時には汗が全身を濡らして、脚からは余計な力が抜ける。相変わらず疲労感よりも達成感の方が大きく、スマホのストップウォッチ機能を遅まきながら止めて、今日のタイムを見る。
大体12キロのコースで今日は56分4秒13、1分間で約200メートルといったところ。
最高のタイムが55分47分27だったから少し遅い。
家の中に入ると、リビングのソファの上で自分の左腕を枕とし、カラスの濡羽のような黒髪を数本、薄紅色で見るからに柔らかそうで血色のいい唇にはさみ、体を丸めて寝ている天使を認識する。
時計を確認して今が5時38分だということを確定させてからして、最近のその天使の起床時間を思い出す。
その全てで6時20分をすぎており、こんな早い時間に起きることは珍しい。
まさか何か不調があったのか、悪夢などでも見てしまったのかと思い慌てるが、天使の幸せそうな寝顔を見て即座に連写する。
「マジ天使。女神だわ。本当に癒しだ」
自分にすら聞こえない声で呟きながらしばらく姉さんの寝顔を眺めていると「ぅにゅぅ」と可愛らしい鈴の音のような声を響かせ、ゆっくりと瞼を瞼を持ち上げ、体を起こす。
まだ寝惚けているのかボーと前を見て、細くしなやかで色白な指で瞳を擦る。
それでも覚醒せず、ソファの背もたれに寄りかかりトロンと緩んだ目の瞼を再び閉じ、静かな寝息を立てる。
その天使を見て涙腺が緩み、危うく涙がこぼれそうになるが堪えて、天使の姿を常に捉え続けることのできる位置にスマホを設置し、風呂に入りに行く。
本当であれば己の肉眼のみでその姿を捉え続けていたかったが、残念ながら持っている能力ではそんなことできないので断腸の思い、真綿で首を絞めらるみたいな優しき死ほどの苦しみに心を痛めながら諦めたのだ。
天使が今度こそ目を覚まし、俺の存在を認識し、汗臭いと言われた日には全てのことに手がつかなくなるり、死んでしまうことを悩むほどの苦痛を味わうのだから、それを避けるための懸命な判断だ。
それに今日はいつもと違うことが起こると俺と同じクラスであるならばすぐにわかるような日だ。
必ず天使の元へと変えるために万全を期さねばならない。
湯船には浸からず、シャワーだけにして、きちんと体も頭も洗い、万が一にも汗臭いなどと言われないようにする。
ラフな服に着替えて、リビングに戻ると、ちょうど天使が起きるところだったようで「うにゅぅぅ」と可愛らしい声を響かせ伸びをしているところだった。
「ふにゅぅ」と言う、顔の緩みを止まらせなくする声を出している天使の元へと顔を締まらせ、スマホを回収し、それから「おはよう、姉さん」と声をかける。
そう、俺の天使、又は女神は実の姉、昼間由花なのだ。
ふつう天使として言うのはよくて妹だろうと言う向きもあるだろうが、姉さんは12万分に天使として見ることができる。
なぜなら
「ふにゃう!おぉぉはよう!皇也!良い天気だね!」
カーテンを開けていない部屋の中、近くにあるカーテンに姉さんは背を向け、外の天気を見ていないはずなのにそう言って、驚きに若葉色の瞳を白黒させる。
相変わらず綺麗な瞳をしているなぁ、そう思い緩む頬をそのままに「良い天気だね。姉さん」と返事をして、その艶めく黒髪に触れそうになる己の欲望を理性で押しつぶす。
姉さんのような純粋で、混じり気のない白色のような存在に、お前のように汚いだけの物体が触れて良いわけないだろ。
そう己を戒め「姉さん。何か飲み物はいる?」と震えそうになる声を抑えながら訊く。
「うにぃ〜。だぁい丈夫。うん。今はいいかな」
「そう、わかった。食べたいものはある?」
「たまご〜」
万歳をしてへらぁと笑う姉さんを天使と呼ばない人間は人間じゃない。そんな奴は人生を損している。
姉さんの注文どうり卵を使って朝ごはんを作る。卵焼きを作り、作り置きの味噌汁に2個分の卵を溶いたものを入れて味噌汁は完成。
簡単なものだが朝食には十分。
卵がけご飯にするかは姉さんに決めてもらう。
2人でご飯を食べ終えた頃に父が帰ってきて、「お父さんおかえりなさい」と控えめな声で言う姉さんに何も言わずに自室に戻る。
姉さんが悲しそうに俯いて、テーブルの上に食べこぼした卵の絡みついた米を手で取り、口に運ぶ。
「・・・・・・・・・・・・・」
黒い感情が止まることを知らずに湧き上がり、思わずシンクの中にある包丁をとって刺しに行ってやろうかと真剣に思考するが、そんなことをすれば姉さんが涙を流してしまう。
それはダメだ。
そう思考して刺し殺す案は無くし、おしぼりで机を拭いて、皿を下げて洗う。
「姉さん。これで口周り拭きな」
そう言って手渡した新しいおしぼりを姉さんは見て、
「こうやぁ、ふいてぇ」
と顔を近づけて姉さんが甘い声で甘えてくる。
そんなことをしてもいいのか。
最初にそう思考し、姉さんの頼みなのだからと震える手を動かし、乾いた喉を唾で潤し、姉さんの色白の柔肌におしぼり越しに触れる。
それすらも俺にとっては涙が溢れそうになるほどに尊い行いで、実際に涙を流しては姉さんを不安がらせてしまうので我慢する。
時間にして5秒以下。
それだけで今日1日で起こった1番幸せな出来事が確定する。
たとえ今日宝くじの一等から3等までを3枚の宝くじで独占できたとしてもこの幸せに届くことはない。
「じゃあ姉さん。着替えようか、そろそろ準備しないと」
時計はもう6時20分。姉さんがいつも起きている時間だ。
姉さんが部屋に入るのを見送ってから自分の部屋に入り、いつも通り、5分で制服に着替える。
教科書などは昨日姉さんが寝た後に準備しておいた。
部屋を出ると姉さんが制服を本当に着た状態で待っていた。
学校指定のスカートは手で持っていて、
「どうしたの?姉さん」
そう訊くと、
「きせて」
と姉さんが甘えてきた。
今日は俺の命日なのか?
真剣に考えたが、そんな俺のくだらない思考よりもやるべきことがある。
姉さんからスカートを受け取り、しゃがみ、スカートを開いて足を入れやすくする。
姉さんが肩に手を置いて片足ずつスカートに通し、スカートを上に上げてホックを閉める。
セーラー服の方も、姉さんの形のいい(かどうかは実際には見ていないからわからないが、世界で最も美しい姉さんの肉体が美しくないはずがない)胸を包み込む下着を世にはびこるクズどもに晒さないように、1番上のボタンを閉めて、スカーフを巻き蝶々結びにする。
これで今日の幸福は完結したかと思ったのだが、とてとて走りながら向かった先で何かを手中に収め、戻ってきてその手の中のものを俺に見せ
「かみやって」
と言って俺の手に櫛を乗せる。
どうやら今日俺は死ぬらしい。
いやまだ死ぬわけにはいかない。俺は死ぬ時には姉さんが死んでから後を追うと決めているのだ。姉さんよりも先に死ぬわけにはいかない。
姉さんが椅子に座って、俺は手を震えさせながら櫛を通す。
その黒髪は一切の抵抗を示さず、櫛を通す必要すらないほどに柔らかで、その髪の手触りの良さに永遠に触っていたくなるが、時間がそれを許さない。
櫛を通すのをやめて「これでいい?」と訊くと姉さんは大きく頷き、部屋に戻って黒色のカラーコンタクトをつけて戻ってきた。
時間は6時50分を少しすぎたところで、8時までにはまだ時間があるが学校に行くのに20分以上はかかるからここで終わり、姉さんはこれから街歩きに行くから、それと同時に出る。一応カバンの中を確認し、スマホ、充電器が5個入っていることを確認する。
家を出る際、姉さんが「いってきます」と言っていたので俺も言って、そこで別れる。
まだそばにいたいのだが、まさしくこの世に降臨した女神のような笑みを向けられ「行ってらっしゃい!」と言われたら行くしかないだろう。
数歩歩いて振り向くと、姉さんがまだ俺のことを見ていて、手を振ると、手を振りかえしてくれた。
今日は1日警戒して過ごそう。
そう心に決めた。
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「おはよう、みんな」
挨拶しながらクラスに入り、目視で20人近く集まっているのを見る。
聞こえてきた返事の声は大体15。
まあそれはいつも通りだからいいとして、中にいる人を確認する。
生咲 美練と羅漢 冬馬、波屋 アリスの3人が楽しそうにゲームの話をしていて、岡崎 涼介と沖本 和樹、堀内 朔真、藤原 圭介たちは学校だりーとか言って笑っている。鬼鐘 睡蓮と鬼鐘 水仙の双子と、佐紀 塊と武蔵 錐、目高 銘の5人はメイクの練習をしているし(左紀がメイクの練習をしているのは制服を見てもわかる通り女装趣味だから)、風見 康一と柴崎 未来の熟年夫婦の如きカップルは両隣の席で本を読んでいて、厄時 尋と悠芽根 草木、宵闇 業鬼の仲良し3人組は、学校に持ってくることを禁止されているお菓子を食べている。その仲良し度は厄時が悠芽根と宵闇にお菓子を食べさせていることからもわかる。日比谷 胡桃と長澤 緋の俺と同じクラス委員の2人は連絡を回してきた先生に何か言われてないかと訊いてくる。それに知らないと答えて自分の席に座る。
時刻は7時15分ほどで、8時までには全員くるだろう。
出席番号1番の朝金 奇異と出席番号33番の和夜 假偽はくるかどうかはわからないが。
朝金の方は悪意がどうとか言ってこないかもしれないし、あの人見知りで常にビクビクと周りを見ていた和夜は来ないかもしれない。
そう一瞬だけ考えて、それはないなと判断する。
今日来なければ自分の恥ずかしい秘密をバラされるのだ。
このクラスの担任で、冗談の一つもわからないルールに従うことを生きる目的としているような英霊石 歪先生がそんなことをするとは思えないのだが、実際そうおどす文が送られてきたのだ。
送られてきたのは3日前で、今日がその日。
徐々に人が集まってきて、3番目に和夜が来た。
体を丸めて腕を胸の前で組み、挙動不審に入ってきて、キョロキョロと周りを見てドアの前で立ち止まる。
なんで止まったんだ?そう思っていると宵闇が近づいていき「もしかして自分の席がわかんねぇの?」と訊く。
和夜は一瞬体を震わせてから刻々と頷いて、それを見た宵闇が和夜に席を教える。
わからなかった。
俺がわからなかったことにすぐに気づけた宵闇のことを素直にすごいと思う。
姉さんの心根が移ってきているのだろう。俺も素直な人間になってきた。
宵闇の元へと行き「ありがとう、本当なら俺が気付くべきだったことだ」そう言うと「いいっていいってきにすんな」とにこやかに笑いながら宵闇が手を振る。
その言葉を聞いて背を向けて、背中に警戒心たっぷりの視線を浴びながら自分の席に戻る。
相変わらず仲が良すぎる。そして警戒が強すぎる。あいつらに何があったのかは知らないが、何かはあったのだろう。
そのやりとりの間に4人の人が入ってきていて、10分の間にまた4人登校してきていた。そして7時56分に朝金が教室に入ってくる。
ほとんど全員が席に座っているのを見て「はっ、みんないい子ちゃんばっかりで誇らしいわぁ」と言って俺の隣にある自分の席に座る。
口ではああ言っていたが、朝金の格好は白寄りのグレーで、服装のどこをとっても校則を逸脱していない。
そして学校指定のカバンの中からは今日の午前中にやる授業の分だけの教科書を出して机の中に入れる、1番上に数学と書かれたノートが見え、そのほかにも古文、英文、生物、地学などとそれぞれの教科でノートを使い分けていて、授業の阻害をすることもなく、居眠りや落書きをしているところも見たことがなく、毎日ぎりぎりであるものの遅刻したことのない真面目な生徒ことをクラスの全員が知っている。
そして、煉瓦井 千惹が「なんかセンセー遅くね?」と言ったところに英霊石先生が真面目な大人と言った格好ので、鼻息を荒くしながら入ってくる。それとほぼ同時に息を切らしながら天童 天秤と手鞠 嬉戯が入ってくる。
先生と天童達の額には玉の汗がいくつも流れ、それを先生と手鞠がハンカチで拭い、天童が袖で拭う。
「ふぅ〜、皆さん、おはようございます。本日のことで皆さんに送られたクラス一斉メールのことですが、この3年4組以外には送られておらず、校長先生に確認した限りではメールを送るように指示してはいないと言っていました。
もし誰か悪戯でやったのであればそれはダメですが、何かしらの理由があり必要に迫られてやったというのであれば話を聞いてから対処の仕方を決めます。この中でやった人はいますか?」
息切れしている中で長台詞をいい、何度か深呼吸している間に「私でーす」と朝金が手を上げる。
「本当ですか?」
「ほんとーでーす、せんせぇ人を疑うんですか?」
「あなたはそれだけ嘘をついたのです、本当にやったんだとしたら証拠を見せてください」
「ありませーんやってませんもん」
「そうですか、よかったです」
意地の悪い顔で嘘をついた朝金に英霊石先生は安心した表情で言って、「それではこのクラスにはいないということでいいですか?」と全員に問いかけ、そして「よかったです。悪戯でもダメなことはダメです」と口癖のように言っているダメですを言ったところで、目の前で光が爆発する。
否、本当に光が爆発したわけではない。だがそう感じるほどの白光が瞳に突き刺さる。
瞼を閉じているはずなのに、直接ライトの光を見ていると錯覚するほどの明るさを感じながら、1秒、2秒と数え、5秒を数えたところで白光が下火になり、その反動で何も見えない暗闇となる。
もしや目が潰れたのかと思ったが、薄く開いた視界の先に白や赤、光を反射する金を見て潰れていないことを確認して、違和感に襲われる。
学校のクラスの中に金色をしているものはない。
そして、足の裏に全体重が掛かっている。
さっきまで座っていたはずなのに。
目を開き、自分の足を見て立っていることを感覚ではなく知覚して、前を見て異常を確認する。
目の前にいるのは前の席にいた生徒と、白を基調とし、ところどころに赤い花の刺繍をあしらった服を着て、右手には水晶のようなものが乗った杖を握り、金色に光り輝く肘掛けに腕を乗せ、赤い見るからに上質な背もたれに背を預けることなく背筋を伸ばしている男。
緑色の瞳に抜けていると思わせることのない毛髪、整えられた白い髭、そしていくつも刻み込まれた深い皺のある老年の男だった。
その男の役職が王だと理解するのはさして苦労せず、瞳だけを動かして見える範囲内にいる人の中には生徒越しにもっと老年の者がいるのが見え、3段ほど高い位置にある唯一一つだけの椅子に座り、その白髪の上には金色の細かい造形がびっしりと刻まれ、買うならば千万を余裕で超え、一億にも手が届きそうな大きさのダイヤモンドがその王冠に嵌めらているから。
その横には質素な装いをしながら品定めをするような目線を向けてくる男と、中世の頃にあったような甲冑を兜をつけずに着て、帯刀しているガタイのいい男が横に控えている。
さて、可能性を考えよう。
あの光が5秒で止んだとしたならこれだけの人を5秒で配置し、部屋も変えることは可能か。
当然否。
どうやって転ばないように椅子を抜き、知覚させずに立たせたかという疑問と、教室はこれほどに広くはなかったという事実がある。
次に、光を浴びている時間は本当はとても長く、場所を移動させられた。
これも一つ目と同じ理由で否。
次、光っているように見えたのは夢で本当は気づかない間に眠らされ、クラス全員、先生含めて誘拐された。
これも否。寝ている間に立つことはできないはず。
やや根拠に欠けるが間違いではないはず。
ならば超常の現象が起こった可能性。
いついかなる時でも完全に否定できないこの可能性が答えなのか。
「オホン、お主ら、突然のことで驚いているだのだろう。だがそれは一度収め、余の言葉を聞くといい。余の名はサンミル・インドラ・クルメリア3世。このクルメリア王国の国王である」
疑問の答えは目の前の男から与えられた。
言葉だけであったならただの演技の上手い役者集団と仮定することもできたが、目の前で2頭の炎で作られた竜を出され、その竜が爆ぜてカラフルな雪が降ったのだから超常の世界であることが証明されたようなものだ。
どうやら、しばらくは姉さんに会えないらしい。
そう自分の精神がいつまで持つかわからない結論を出してため息をついた。