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記憶  作者: ハシモト
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爪跡

 ランドの周りでは畦道に伸び始めた草が、水が貼られた田に少し長い影をゆらゆらと描いている。


 ランドがイネスから教えてもらった場所は、ウィルナスの中心から少し離れた田園地帯の中にあった。ランドは馬を宿屋に預かってもらって、少し道を尋ねたりしながら徒歩で向かったため、近くまで来たときには日差しはすでに夕方の気配を示していた。


『自分の村とは大違いだな。』


 その平和な光景を見ながら、ランドは心の中で羨望、いや嫉妬とすら言える感情を抱いていた。同じ辺境領と言っても、街道筋にあたるウィルナス子爵領の辺りは平坦で水にも恵まれている。湿度が高いこの辺りでは、平地なら稲作が出来た。


 自分が育った、あの山の斜面にへばりつくようにあった寒村とは大違いだ。そこでは僅かな麦と雑穀しか取れない。そんな場所まで助けの手を伸ばしてくれるものなど誰もいない。厄災によって、その猫の額の様な僅かな地ですら全てが失われたのだ。


 ランドの視線の先、田園の広がりの先には、木立に囲まれた少し小高くなった場所が見えた。銀杏だろうか?その中心に、真っ直ぐ伸びる大きな木が一本あるのが見える。雷にでも打たれたのだろうか?その木の上部は焼け落ちていた。


 ランドはその小さな丘の林の中へと歩みを進めると、銀杏の幹に手を添えた。下から見上げると、幹の下の方では細い枝が伸びていて、芽からは小さな葉が顔を出しているのが見える。


 この木は一体どれだけの間、この地を見下ろしていたのだろうか?老いた身でその半分を失いながらも、それは若木に負けずに必死に生き延びようとしている。ランドにはその姿が、この辺境の地で生きている自分達の姿の様にも思えた。


「ご寄付の方でしょうか?」


 不意に大木の背後から声が上がった。若い女性の声だ。


『寄付?』


 振り返ったランドの視線の先に、袖も裾も長い黒い道士服を着た、小柄な女性が立っているのが見えた。年は自分より少し若そうだが、少女という年齢ではない。だがフードから覗く女性の髪は真っ白だった。それが彼女の年齢をより不明にしている。


「もしかして違いましたでしょうか?すいません、本日は『ノエミ・ドルゥテ記念孤児院』の設立式だったので、そちらに来られた方かと勘違いしてしまいました。」


 女性がランドに頭を下げた。その声はどこか聞き覚えがあるような気もしたが、そもそもランドには若い女性の知り合いなどいない。きっと気のせいだろう。


「『ノエミ・ドルゥテ』ですか?」


「はい。今回孤児院を再建するにあたって、子供達を庇って亡くなられた、先代の養育係のノエミ様の名前を冠する事ができました。ウィルナス孤児院なんて名前でなくて、本当によかったです。あっ、これは子爵家や、王都から来ているお役人達には内緒でお願いします。」


 女性はそう告げると、フードを首の方へ跳ね上げ、ランドににっこりと微笑んでみせた。上品な顔立ちをした、真っ白な肌の貴族のご令嬢みたいな女性だ。その目は黒目だったが、木漏れ日を受けると、少し赤みを帯びているようにも見える。髪も含めて生まれつきだろうか?


「あっ、もしかして子爵家の関係者の方でしょうか?」


 女性が少し心配そうな表情をして、ランドの顔を覗き込んだ。


「いえ、違います。ランドと申します。ウィルトルからこちらまで尋ねてきたものです。」


 そこで女性が口に手を当てると、ハッとした表情を見せる。


「すいません、名乗るのを忘れていました。グレタと申します。まあ、随分と遠くからいらっしゃったんですね。そうでした。今はこの辺りでは雫師の方が必要な案件はありませんしね。」


 そう言うと、グレタと名乗った女性は何を納得したのかは分からなかったが、ランドに向かって小さく頷いてみせた。ランドは自分の上着に目を落とした。そこには雫留めに雫瓶がさしてあるのが見える。何処からどう見ても雫師にしか見えない。


「もしかして、道にでも迷われましたでしょうか?」


 確かに厄災も無いのに、雫師がこの辺りをうろうろしているのはおかしな事かもしれない。だが彼女から見て、自分は道に迷うような男に見えるのだろうか?ランドは思わず苦笑してしまった。


「いえ、道に迷った訳ではありません。ウィルナスのギルド長のイネスさんに紹介していただいて、こちらの孤児院に寄らせていただきました。」


「あ、やっぱり寄付に来ていただいた方なのですね。こちらは裏側になります。どうぞ表にいらしてください。あっ、すいません。」


「はい。何でしょうか?」


「再建式はお昼に終わってしまいまして、お祝いに用意した食事などはもう残っていないかもしれません。何分、子供達は…」


「お構いなく。お昼はウィルナスの街でいただきました。」


「そうですか。でもお茶ぐらいのご用意は出来ると思います。この裏手で取れるハーブを乾燥させたものだそうで、とても香りがいいんです。」


「本当にお構いなく…」


 だがそのグレタという女性はランドの手を握ると、そのまま木立の先へとランドを引っ張っていく。


『なんだ?』


 ランドは目の前を行く、グレタの蝋のように白い頸を見ながら、自分の手を握る彼女の掌に違和感を感じた。女性の手を握り慣れている訳ではないが、言葉にできない不思議な感触がする。


「こちらです。」


 ランドがそれについて何かを問いかける前に、グレタは背丈ほどの藪を抜けると、ランドに前方にある建物を指し示した。それは二階建ての質素な木の建物だった。まだ建てられたばかりらしく、肌色の木目が遅い午後の日差しに明るく光っている。ランドの鼻に、その建材が放つ爽やかな木の香りが漂ってきた。


 その横にある開けた草地になっているところでは、何人かの幼い子供が追いかけっこの様な遊びをしている。子供達の相手をしていたらしい、自分よりは年齢は上であるが、まだそれほど年がいっている訳ではない女性がグレタに手を振ると、こちらに向かって歩いてきた。一人のまだ幼い少女がその裾にまとわりついている。


「あら、グレタさん。そちらはどなたですか?」


「はい、ランドさんという方で、街のギルドの紹介でこちらに来られたそうです。」


「そうですか、わざわざこちらまでおいで頂きましてありがとうございます。私はこの孤児院の世話をさせていただいています、アデラと申します。」


「アデラ院長さんです。」


「グレタさん、そんな呼び方をされると、とても年寄りになった気になるからやめてください。」


「でも本当の事ですし…」


 女性の言葉に、グレタが少し当惑したような表情を浮かべる。


「そう言えば、野草を取りに行っていたのでは?」


「はい、ふきのとうがカゴいっぱいありました。あれ、籠?」


 グレタが辺りをキョロキョロと見回す。


「林の中に忘れてきました!取ってきます!」


 そう言うと、先程出てきた藪の方へと駆け出していく。


「あの、一人で大丈夫なのでしょうか?」


 その後ろ姿を見ながら、ランドはアデラに問いかけた。木立の中は薄暗い。女性が一人でいる様な場所ではない。


「グレタさんです。心配はいりません。」


 ランドの頭に盗賊達に襲われたモグリの雫師の死に顔が一瞬浮かんだ。だがアデラは藪の方をチラリと見たが、特に心配しているような様子はない。厄災も特にないこの辺りは、ウィルトルの辺りと違って、流民崩れの盗賊などもいなくて、治安がいいのかもしれない。


「ギルドからの紹介だそうですが、お知り合いの方の子供がこちらにいるとかお聞きしたのでしょうか?雫師の方の遺児が孤児院に引き取られる場合はあるのですが、この孤児院には特に雫師の方の…」


「いえ、そういう訳ではありません。ここでの3年ほど前の事故の件についてです。ウィルトルのギルドで引き受け人に指名された男に関して、お伺いさせていただきました。」


「三年前?火災の件でしょうか?」


「そうお聞きしています。」


「どなたかお知り合いの子供でも、亡くなられたのでしょうか?」


「違います。その男が三年前の火災に絡んでいると話を聞いてきました。男の名前はドルフ。一週間ほど前にウィルトルの厄災で亡くなりました。」


「ドルフさん?」


 アデラは少し頭を傾げて見せた。


「すいません。そのお名前に特に心当たりはありません。当時の書類などもほとんど火事で焼けてしまったのですが、一部だけ寄付者などの名簿が残っています。そちらにその方の名前が載っているかもしれません。」


「それはウィルトルで名乗っていた時の名前です。最もウィルトルでも、彼をその名前で呼ぶものは居ませんでした。みんな彼のことは『ベテラン』と呼んでいました。」


「あだ名でしょうか?」


「そうです。そして3年前、その火災が起きた時の名前は別です。」


「別?」


「はい。当時、彼はここでは『ゴドレフ』と名乗っていました。」


「ゴドレフ?」


 アデラの顔色が一瞬変わる。そして直ぐに先ほどドルフの名前を聞いた時と同様に、首を傾げて見せた。だが雫師としてのランドの目は、その一瞬の表情の変化を見逃さなかった。


「私はウィルナスのギルド長のイネスさんから、その火災の原因を作ったのがゴドレフだとお聞きして、引受人としてこちらにお伺いさせていただきました。」


 ランドのはっきりとした態度に誤魔化せないと思ったのだろうか、アデラは小さくため息をつくと、ランドに向かって口を開いた。


「丁度私はその時にここを離れていて、難を逃れたのです。生き残ったのは、ノエミが命がけで逃した小さな子供が数名だけです。ですから直接に何かを知っている訳ではありません。なので全ては噂や憶測で、本当の事は誰にも分かってはいないのです。」


 そう言うと、アデラはかがみ込んで、裾に纏わりついていた少女の手を握りしめた。その子の手は小さく震えているようにも見える。


「ルフィナ、大丈夫よ。グレタさんのお知り合いですもの。少しお客さんとお話しさせてもらってもいいかしら。」


 少女はとても心配そうな目でアデラを見た。だがアデラがそっと頭を撫でると、諦めたように頷いて、ランドから逃げるかのように野原で遊んでいる子供達の元へと駆け去って行った。


「ご挨拶ができなくてすいません。」


「子供のすることですから。」


「実はルフィナは口がきけないんです。」


「生まれつきでしょうか?」


「いえ、耳は聞こえます。それに喉が悪い訳でもありません。3年前の事故で唯一人、今日まで生き残った子です。事故以来、口がきけなくなりました。」


 アデラはそう告げると、立ち上がって道士服についた土を払った。


「私が知っている噂話でよければお話しします。その前に一つお聞きしたいことがあります。ウィルトルでドルフと名乗っていた方は、本当にゴドルフだったのでしょうか?」


「はい。少なくともイネスギルド長はそう判断しています。そして私もそう思います。」


 アデラは諦めたように頷いた。そしてランドに自分についてくるように合図をすると、新築の孤児院の建物の方へ向かって歩き始めた。ランドはアデラの背中について歩きながら、何処かから自分を見ている強い視線の存在に気がついた。


 辺りを見渡すと、草の影から小さな顔がこちらをじっと見つめて居るのが見える。アデラがルフィナと呼んだ子だ。それは小さな子供の視線ではあったが、ランドにはまるで自分を呪い殺すかの様にすら感じられた。


 ランドはさりげなくルフィナから視線を外すと、自分が歩む草原を見た。それは土の黒さだけにしては少し黒すぎるように思える。ランドはつま先で表土をわずかに抉って見た。その下から炭化した地面が顔を覗かせる。そしてそこにはキラキラと輝く何かが見えた。熱でできたガラスの粒だ。


 ここは建物や木があった場所ではない。その火災の時もせいぜいこのような草が生えていたぐらいだろう。建物の一つが燃えたぐらいで、広範囲の地面が炭化するほどの火が起きるだろうか?いや、起きたりなどはしない。


 これを成すとすればただ一つ。それは雫師が放つ制御された炎だけだ。それも赤の属性持ちの高階位の熟連者が放つ炎だけ。


 イネスはここに来れば、ランドにゴドルフの罪の爪痕が見れると告げた。だがランドの見る限り、ここにあるのは雫師が放った炎の爪痕にしか見えなかった。

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