窪み
「こいつの持ち主の名前はドルフじゃない。ゴドレフだよ。」
イネスはランドの顔をじろりと見るとそう告げた。
「ゴドレフ?その人物から譲り受けたということですか?」
ランドはイネスに向かって問いかけた。
「雫師だろ、ちゃんと人の話を聞いていたのかい?私はあんたが誰の引き受け人になったか分かったと言ったんだよ。」
「ですが、ギルドの書類にはドルフって書いてあります。」
「この兜の傷を私が見間違う訳はないよ。これはうちの旦那が、あの野郎をぶん殴った時につけたものだ。」
「そのゴドレフという男から譲られただけでは?」
「黒毛に黒目で、ともかくこれといって目立つ特徴はない男だろう。だからぱっと見は人畜無害に見える。そして雫師としての腕なんてほとんど持ち合わせていない。武器はメイスだ。それで何とかなる浅いところだけを潜っている。どこか違っているところはあるかい?」
「いえ、その通りです。」
名前こそ違うが、イネスの言った言葉はどれ一つとしてベテランに関して外れたものはない。いや、間違いなくベテランの事を語っているとしか思えなかった。
「ですが、どうやってギルドの書類を偽造出来たのですか?」
ギルドの書類にはギルドの紋章の印とギルド長の署名が入る。それに書類自体も紙ではなく、厄災から収穫される牙蛇の脱皮した革を使った物だ。その辺で手に入る物ではない。
「さあ、どうやって騙したのかは知らないよ。ここはこの辺りじゃ比較的大きな街のギルドだったからね。今はこの通りに開店休業中だが、厄災が掛かっていた時には結構人数もいたんだ。」
そう言うと、イネスはそれを懐かしむ様に、背後にあるステンドグラスの方を見上げた。
「事務員も多かったし、出入りもそれなりにあった。それに威張っているだけで、何の役にも立たない王都から派遣されて来た奴も居たからね。きっとそいつら辺りが小金か何か握らされて居たんだろうさ。」
そう言うと、灰色のショールを着た肩をすくめて見せた。
「何れにせよ、間違いなくここにいた時の名前はゴドレフだ。生きていたんだね。名前は変えても、やっていたことはここに居た時と同じじゃないか。」
「同じ?ここでも駆け出しの面倒を見ていたのですか?」
ランドの言葉にイネスの顔に当惑の色が浮んだ。そして直ぐにそれは嫌悪の表情へと変わる。
「面倒?逆だよ。駆け出し達を騙してはいいように使ってやがったのさ。特に後腐れが無い様に、最初の潜りで死ぬような奴らをカモにしていた。質が悪いことに、最初はとても親切に手とり足取り教えて信用させる。まさに人間のクズと言う奴だ。」
「えっ!」
ランドの口から思わず驚きの叫びが漏れた。
「でも世の中には神様ってものがいるからね。おそらく何らかの金に困って、駆け出しを中に置いてけぼりにするのを、間をおかずに連続してやったんだ。その中の一人に雫師としては才能があった奴が居てね。そいつは生き延びて、ここに戻って来ると奴の悪行を暴いたのさ。」
「それでどうなったんですか?」
「ゴドレフ、あんたがドルフと呼んだ男は神妙な顔をして、いけしゃあしゃあとここに戻ってきた。自分の力不足だったとかほざいてだよ。だがこちらはもう奴の正体が分かっていた。それでうちの旦那が手にした薪で殴りつけてやったんだ。あいつはここから依頼板の辺りまで飛んでいったね。」
そう告げると、イネスはランドに入り口の辺りを指差してみせた。
「でも、それが間違いだったんだよ。」
「間違い?」
「そうさ。奴を油断させるべきだった。ゴドレフはうちの旦那の横に生き残った駆け出しが居るのを見て、それで全てを理解したのさ。それにいつもメイスでやり合っていたせいかね、うまく一撃をそらして脳震盪を起こすこともなかった。昔は依頼板の反対側に装具置き場の棚があってね。奴はそれをひっくり返して、入り口から逃げやがった。」
「逃げられたのですか?」
当時、ここに居たのは現役の雫師達だ。その集団から逃げると言うのは並大抵の事ではない。
「そうさ。今でも悔やむよ。剣やら槍やらがひっくり返った挙句に、それが扉を押さえちまった。当時は裏口は防犯のために施条しててね。それを開けるのにも時間がかかりすぎた。鍵なんか気にしないで、扉ごとふっ飛ばせば良かったのさ。それにもう夜で、あいつを見失ってしまった。ここで私らがあいつの身柄を押さえていれば、あんなことは起きなかったのにね。」
イネスはそこで大きくため息をついた。
「後で詳しく調べてみたら、どうやら他のギルドでも同じような事があったらしい。あいつかどうかは分からなかったけどね。あいつの手には雫紋がほとんどなかった。だからここで登録した時に、かなり薹が立っていたけど、駆け出しだと信じこまされたのさ。単に雫を使っていなかっただけだと分かっても、後の祭りだ。」
イネスは兜についた窪みをじっと見つめた。
「だけど死んだはずだったよ。」
「死んだはず?」
「あんたがそれをここに持ち込むまでは死んだとばかり思っていたからね。去年遠いところに行った旦那もそう思っていた。生前はあんな奴は二度と登録なんてさせちゃダメだとよく言っていたよ。だから厄災が駆除された後も、根無草の様な奴の登録は全部断っていたぐらいだ。」
「正直なところ、まだ信じられません。」
ランドは正直に自分の感想をイネスに告げた。
「まあ、信じるかどうかはあんた次第だけどさ。まさかウィルトルに流れて行って、そこで同じような事をしているとは思わなかったよ。」
「同じ様なこと?」
「そうだよ。おとなしくしていたのだって、ここでのほとぼりが冷めるのを待っていただけさ。それと同時に、せっせと信用をつけるために種を蒔いていたんだよ。それだけの事をやれる男だ。」
「そうでしょうか?」
「そうだ。私の言うことが信じられないと言うのなら、あそこに行くがいい。やっと再建されたらしいけどね。ゴドレフがやったことは、何かが新しくなったくらいじゃ消えやしない。あの男が何をしたかは、そこが教えてくれると思うよ。」
「どこに行けば?」
「この街の孤児院だ。そこにも奴の爪痕がある。」
そう言うと、イネスは再び兜についた窪みにそっと触れた。
サブタイトルを「傷」から「窪み」に変更させて頂きまし
た。




