残滓
ウィルナスのギルドの建物はまるで時が止まったかのような佇まいだった。辺りに人影はなく、周りの倉庫街に溶け込んだレンガ作りの建物がひっそりと建っている。
入口の横に雫瓶を表す細長い菱形の紋と、その下にウィルナスのギルドを表す水仙の紋章が無ければ、どこかの商家の使われていない倉庫の様にしか見えない。正面の大きな扉は閉まっており、ランドがファサード横の通用口を押すと、それは小さな軋みを音をたてて開いた。
天井近くにある明かり窓から差し込む昼前の高い日差しと、何処から差し込んでくるのか、黄色や緑など様々な色が床の敷居を染めている。中には人の気配はない。
ランドが頭を上げて背後を振り返ると、そこには水仙の黄色い花とその細長い緑の葉の美しいステンドグラスが、かつてのこのギルドの隆盛の名残を表していた。
入って右手には大きなパネルがあり、そこにはいくつかの依頼票が依頼の内容に分けて貼られてある。だがその数は決して多くはない上に、一体いつからそこに存在するのか、依頼票の中には端が茶色く変色してしまっているのもあった。
ランドはその中で比較的新しいように見える一枚の依頼票に目を止めた。
「依頼主:エトガル村の村長 村で発生した厄災(発生期)の駆除。規模:一種 種類:祠型 報酬;-」
貼られたのは少し前だが、誰の目にも止まらなかったらしい。一種の厄災というのは他の厄災から飛び火した様なもので、それを撃つこと自体はさほど難しくない。だが問題はその払があまりにも安かった。
あの死んだモグリの雫師が関わったのはこの件のように思えた。村はギルドからの支援を諦めて、あの男達に依頼したのだ。
「依頼ならこちらの受付で依頼票を書いておくれ。」
天井から入る強い日差しの影になっている奥の方から、女性のものらしき声が響いた。依頼板を眺めていたランドの事を依頼人だと思ったらしい。
「依頼料はギルドへの手数料を引いた金額になる。」
続けて声が上がった。ギルドに依頼した場合、先ずはギルドに払う手数料というものがかかる。ランドはその依頼票の安すぎる金額を眺めた。山間の寒村にしてみれば、その手数料だけでもかなりの額だ。結果として依頼料として払う分はほとんど残らなかったのだろう。
それでも彼らからしてみれば、色々なところから無理をしてかき集めた金だったに違いない。村にいる若い娘などは、この依頼の為にもうどこかに売られてしまっているのかもしれない。ランドの頭に、自分の故郷にいた少女達の姿が浮んだ。
「なんだい、雫師の方かい。」
再び声がして、奥の影から一人の中年、いや初老に手がかかってそうな少し太めの女性が現れた。その黒い髪には白いものが目立つ。
「どこから来たのかは知らないが、ここには大した依頼はないよ。どこかに潜るつもりなら、もっと南、ウィルトルの辺りに行った方がいい。」
その女性がランドに向かってそう告げた。そしてランドの胸元にあるギルドの所属を表す金属の票を見ると、少し首を傾げて見せた。
「おや、あんたはウィルトルから来たのかい。どういう風の吹き回しだい。あそこは今は成長期だろう。それにあんたはどう見ても駆け出しには見えないしね。」
「ウィルトル所属のランドです。今日は引き受け人としての用事があって、こちらにお邪魔させてもらいました。」
ランドは初対面の他所のギルドの相手に対して、普段あまり使い慣れていない丁寧な言葉で答えた。
「あんたの『手』の身内でも亡くなったのかい?」
「いや違います。ここ出身の雫師の遺品を見つけて、引き受け人に指定されました。」
「成長期の潜りをほったらかしにして、身内でもない死んだ者の為にこんなところまで来たのかい?」
女性の顔に呆れた様な表情が浮かんだ。
「こちらにウィルトルのギルド長のブライスさんに書いてもらった紹介状があります。ギルド長にお会いしたいのですが、どちらにおいででしょうか?」
「私はイネス・コロスコというものだ。ここのギルド長は私だよ。」
「貴方が?これは大変失礼いたしました。」
ランドは思わず口から出てしまった自分の言葉を詫びた。普通、ギルド長というのはノエルの様に引退した雫師、それもそれなりの腕を持っていた者がなる。だがランドから見て、この女性は雫師の様には全く見えなかった。
「厄災持ちの他所とは違うだろうね。前にここのギルド長をやっていた夫の後をついだだけだ。もっとも、ここの正規の職員は私しかいない。後は留守番と掃除を頼むぐらいの臨時の職員が数人いるだけだよ。」
「それしか居ないのですか?」
「そうだよ。最もここ数年の間はここの周囲には飛び火の様なものぐらいしかないから、仕事と言っても他に依頼をつなぐぐらいだ。まともな雫師もほとんどいない。あんたみたいに、たまに何かの情報を得るために顔を出す人がいるぐらいかね。」
ランドはイネスに向かって頷いて見せた。大きな厄災、それも比較的安定した厄災があるところにギルドの支部は作られる。だがその厄災が駆除されてもされなくても、厄災と共にギルドはその使命を終える。ウィルトルのギルドもそうだ。
だが大きな街に置かれたギルドの場合、厄災が駆除できても残る場合があった。周辺で飛び火として発生する小さな厄災への対応や、新しく雫師として登録するものの受付、既存の書類の保管、あるいはギルド間の情報伝達のためだ。ここウィルナスのギルドも、本来のギルドとしての役割は、厄災が駆除された事によって、何年か前には終わっていた。
「それで、誰の情報を見たいんだね?」
そう言うとイネスは胸元のポケットから小さなメガネを出すと、奥にある受付の板を跳ね上げて、その中へと入った。ランドも彼女の後を追うように受付の方へと進む。
「ドルフ・フレミングという男性です。年齢は40近くでした。」
ランドはウィルトルのギルドで写したベテランのメモをイネスに差し出した。ここには彼の登録書類がある。彼に家族のようなものが居れば、ここの書類で分かるはずだ。
「ドルフ、ドルフ・フレミングね。心当たりがない名前だね。年も行っているからここで登録したのは随分前かね。」
イネスは受付の背後にある大きな棚の方へ向かった。そして受付の背後から取り出した鍵でその棚を開けながら、そこにある紙の束を抑えつつ書類を覗き込んでいる。
「ドルフ、ドルフ。これかね。いやこれはちょっと年齢が合わないね。」
「その綴りはあっているのかい?」
「正直なところ、本人の本当の名前を知ったのも最近の話です。」
「訳ありのやつかい?」
イネスのメガネの奥の目が光る。彼女は「狐」の事を言っていた。国が雫師達を密かに取り締まる為にあちらこちらに派遣している者達だ。雫師の持つ力はそれなりに大きい。そのようなものがまとまって国に反抗することがないように見張りを送り込んでいた。
「違うと思います。メモにある通り、ウィルトルに来たのは3〜4年ぐらい前だったと思います。ウィルトルでは『ベテランさん』で通っていました。皆そうとしか呼ばないので、誰も本名を知らなかっただけです。」
「ベテラン?聞いたことがあるね。なんでも駆け出しにやたら親切なやつだそうじゃないか。まあ碌なもんじゃないね。」
「碌なもんじゃない?」
「そうさ。そもそも雫師というのはお互いがライバルだ。それが手の仲間でもないものに親切にするというのは、何かがおかしいのさ。」
「そういうものでしょうか?」
「そういうもんだよ。うちの主人がよく言っていた。ところで、ここに書いてある事以外に何か情報はないのかい?」
「これ以外だと遺留品しかないですね。」
「見せてもらってもいいかい。時期的にはここの厄災が駆除される前の様だから、装備に見覚えがあれば誰か分かるかもしれない。」
「もちろんです。と言っても、遺留品として見つかったのは装備の一部だけですが…」
ランドはイネスにそう告げると、背中の背嚢を下ろして、そこから麻の袋を取り出した。それを受付のカウンターへと置く。中にはランドが見つけた薄い金属の兜に、バックラー付きの小手が入っているだけだ。
「ベテランと言う割には持ち物は随分と安物だね。駆け出しが最初に買う、大量生産品のお下がりの様なもんじゃないか。」
イネスは麻の袋を開けると、そこから顔を覗かせた小手の一部を見てそう言葉を漏らした。
「こんなものは小鬼相手ぐらいじゃないと、役に立たないんじゃないのかい?」
「浅い階層しか潜りませんでしたからね。」
「浅い階層だけ?」
ランドの言葉にイネスが少し怪訝そうな顔をした。そしてその小手とその下にあった傷だらけのバックラーに目をやる。
「これの持ち主は本当に雫師かい?まるでその辺の雇われ剣士の様な使い方だね。」
そして最後に袋の一番底にあった、少し歪みのある薄手の兜を取り出した。そして少し驚いた様な顔をすると、その兜の左側についてあるくぼみを指で撫でた。
「ランドさんと言ったっけ。」
「はい。」
「あんたが誰の引き受け人になったのか分かったよ。」
イネスはそう告げると、顔からメガネを外して、ランドの顔をじっと見た。
サブタイトルを「ギルド」から「残滓」に変更しました。