引き受け人
「こいつだ。」
ランドを呼び止めたグレッグは、カウンターの下から何やら包みを抱えると、それをランドの前においた。それは麻の袋に入れられた少し嵩張る荷物で、袋の口はやはり麻の荒縄で縛られている。そこには鉄でできた小さな札がついていた。その札の端には、このウィルトルのギルドの紋章であるユリの花の絵柄がある。
「あんたが厄災から回収してきたものだ。俺のところに回ってきた。」
「どう言うことだ?」
「どうやらあのおっさんは、勝手に俺の事を引き受け人に指定していたらしい。まあちょっとばかりツケが溜まった時に、引き受け人にしとけと冗談の一つぐらい言った様な気もするが、いずれにせよ俺には何の価値もないものだ。」
ランドはグレッグが「あのおっさん」と呼んだときに、それが誰の事かは直ぐに理解できた。
「やはり、ベテランさんのだったのか?」
「そうだ。知り合いに寝床に行ってもらったが、やはりあの日以来戻っていないらしい。残念だがやっぱり穴の中でいっちまった様だ。」
グレッグは、ランドの前にグラスを置くと、少しばかり強い酒をそこに注いだ。そして自分の前にも置く。
「相が変わった時に丁度居合わせるとは運がなかったな。」
ランドはグレッグにそう言ったが、おそらくそれは運だけの問題ではないとも思っていた。先に気がついた奴がいた。そいつはただ逃げ帰るだけで、何の警告もしなかったのだ。ランドは背後で馬鹿騒ぎをするブライアンの方をチラリと見た。おそらく犠牲者は一人ではないだろう。
「あのおっさんに。」「ベテランさんに。」
二人は小さく杯を前に掲げると、それを一息で飲み干した。ランドの喉と胃を蒸留酒の強い酒分が焼いていく。
「事後報告で悪いが、ギルドに行って引き受け人をあんたに変更させてもらった。」
グレッグの言葉に、ランドは飲みかけの酒を吹き出しそうになった。
「おい、グレッグ!」
「あんたしか思い付かなかった。それに見つけたのもあんただ。これも何かの縁だろう。さっきも言った通り、俺には何の価値もない。元々価値などないかもしれないがな。あんたは雫師だ。これをどう扱うかについては俺よりも知っているはずだろう?好きにしてくれ。」
そう言うと、グレッグはその袋をランドの方へそっと押した。
「分かった。とりあえず俺の方で預からせてもらう。」
ランドはそう告げると、麻袋の上にそっと手を置いた。袋の中からは金属が触れ合う音がかすかに響く。あの厄災の中で見つけた防具だ。おそらくそれしか入っていない。つまりあの男にはこれ以外、何も残したものはないということだ。
だがランドとて同じようなものだ。ギルドに預けてある金を除けば、厄災に潜るための道具以外は何もない。肌着を含めて着ているものすら、それは全て厄災に潜るためのものだ。
「それから、これもあんたに預ける。」
そう言うと、グレッグはカウンターの下から小さな皮袋を差し出した。グレッグがそれをカウンターの上に置くと、袋からは小さく金属同士が触れ合う音がする。
「ベテランのおっさんに世話になったと言って、駆け出しの何人かが金を持ってきた。墓を建てるときの足しにしてほしいそうだ。」
中にはさほどの金は入っていないだろう。だが雫師になるための一歩を踏み出したばかりの連中にとって、決して少ない金ではないはずだ。
「これはあんたが預かった方がいいんじゃないのか?俺は墓の面倒までは見れないぞ。」
「さっきも言った通り、引き受け人はあんただ。それに墓はギルドが建てる。最も奴等はそれぐらいしか役に立たない連中だけどな。」
グレッグがランドに向かってニヤリと笑って見せた。彼としても肩の荷が降りた思いなのだろう。ランドとしては引き受け人をやるほど年寄りじゃないという思いもあったが、グレッグに向かってとりあえずは素直に頷いて見せた。
確かに引き受け人との間には全く縁がない訳ではない。遺品を見つけたのは自分だ。それに休暇中に何をするか考えていた身としては、これも一つの宿命として受け入れるべきかもしれないと思い始めていた。それにこの仕事についた理由にも無関係な訳ではない……。
「分かった、一緒に預からせてもらう。では休ませて…」
「まだもう一つある。」
「もう一つ!?まだあるのか?」
ランドはグレッグに向かって、少しばかりうんざりした顔をして見せた。
「別の誰かの引き受け人をやれというのじゃないだろうな?」
「こっちは俺のお願いだ。むしろこちらが本命だよ。」
そう言うと、グレッグはチラリと厨房の方を覗いた。そしてカウンターの上に身を預けて、ランドに向かってその大きな体をにじり寄せた。
「サマンサのことだ。」
グレッグが小声で呟く。
「サマンサ?」
「ランド、声がでかいぞ。あいつに聞かれるとまずい。」
そう言うと、グレッグは神経質そうに再び厨房の方を覗いた。そしてサマンサが何も気が付かないで料理をする姿を眺めると、小さくため息をついて見せる。
「そうだ。サマンサをここから連れ出すのをあんたに頼みたい。」
「おい、グレッグ。冗談はよせ。俺は雫師で口利き屋じゃない。」
「本気だよ。左の下腹部にしこりがある。前は梅ぐらいの大きさだった。最近は小さなリンゴぐらいの大きさになりやがった。それに朝には微熱もある。だから腰が痛いとか理由をつけて、厨房をサマンサに押し付けているんだ。嫁さんもそうだった。だから俺があとどれくらい生きられるのかは自分で分かる。」
「そうか。大事な時に残念だな。だけど俺なんかじゃなくて自分の親戚を頼れ。」
「みんな厄災に追われてここを出て行った者達だ。そしてここに残った俺の事を裏切り者だと思っている。少なくとも出て行った奴らからみれば、ここで雫師を相手に宿屋をしている俺は、自分達より全く苦労をしていないと思っているさ。嫉妬だよ。そんなところにサマンサが行ったら、どんな目に会うかなんて簡単に想像がつく。」
「だからと言って…」
「あんたに嫁にもらってくれとは言わない。別に嫁にしてくれてもいいがな。あんたが結婚なんてものが似合わない男だと言う事は、俺もサマンサもよく分かっている。あんたの下女でいい。あんただって身の周りの世話をしてくれる女の一人ぐらいいてもいいだろう。別にそれで子種を仕込んだりしても、化けて出たりはせんよ。あんたの子がもらえたら、たとえあんたに捨てられても、あれは立派に育てようとするだろう。」
「おい、冗談にしても自分の娘に関して、父親が言うセリフじゃないぞ。」
「真剣だ。あんたと一緒なら、サマンサは俺を置いてでもここから出ていける。あれはあんたに惚れている、いや違う。憧れているんだ。他の誰かと行けと言っても、決して出て行かないだろうな。死にかけの俺と一緒にここで娘を死なす訳には行かない。あれの母親が化けて出てくるどころの騒ぎじゃない。これは一生に一度、それは嫁さんに結婚を申し込むときに使っちまった。だが俺の命懸けのお願いだ。」
「グレッグ、それはお願いじゃなくて脅迫だよ。それにそんな途方もないお願いに、すぐに『はい』とか答えられるか!」
「それはそうだ。今この場で答えろとは言わないよ。だが破滅の前には答えを貰わないといけない。あんたの見立てではどんな感じだ?」
「誰にも分からない話だ。」
「そんな事はない。あんたには大体の予想はついているはずだ。俺だって伊達にここで大勢の雫師を見てきたんじゃない。」
「一月以内ということはないと思う。だが三ヶ月は決して持たない。一月半〜二月というところだな。」
「そうか。よかった。」
グレッグはそう告げると、さも安心したような表情を見せた。
「何がだ。」
「二ヶ月なら俺の命は持つ。」
* * *
ランドは自分が借りている部屋の机の上に置かれた麻の袋をじっと見つめた。それは小さな油灯の黄色い光の中で、茶色い岩のように映し出されている。
ベテランは変わった男だった。見かけはこれと言って特徴のない中年男で、しかも厄災に一人で潜る男だった。正直なところ、ランドの見立てでは雫師としての腕は大したことはない。確か黄色の属性持ちで、わずかな捕縛の力が使える程度。むしろこれまで無事だったのが不思議なくらいだった。
ランドはギルドの職員の一人が彼を称して、「死にたいのか、生き残りたいのか、全く持って分からない奴。」と呟いたのを聞いたことがある。その言葉を聞いて、その通りだと思ったのを思い出した。
実際のところ、ベテランは雫の力をほとんど使っていなかったように思える。持ち歩いていたメイスで叩き潰すことが可能な相手、小鬼だったり、暗蟲だったりといった小物が出る上階層しか潜らなかった。
おそらく、死んだ時もそのつもりだったのだろう。だが厄災の相が変わり、普段はもっと深部にいるはずのものが上階層に現れた。彼のメイスやバックラーでは相手にならない。
ベテランが変わっていたのはそこだけでは無かった。彼はここにきたばかりの新人達に対して、とても親切な男だった。右も左も分からず右往左往しているような者に、自分から声を書けることすらあった。普通に考えればむしろ怪しいぐらいだ。
だが彼は別に新人を騙してそこから何か儲けを上げようと言うところはなかった。彼は自分が知っている知識の一つ一つを丁寧に教えて、決して無理をするなと説いた。時には貴重な雫を分けてやることすらあったらしい。ある意味、ベテランの存在が駆け出しを騙す様な奴を排除していた。
ここに初めて来たものは直ぐに二つに分けられる。厄災に潜ってすぐに死ぬ奴と、すぐには死なない奴だ。すぐに死ななかった運がいいやつ、あるいは雫師として少しは才能があったやつは、すぐにベテランを追い越していった。
そうして成長した駆け出しのパーティーの一部はベテランへの恩返しのつもりか、自分達の「手」に入らないかと誘ったこともあったらしい。だが、ベテランは頑なに危険な一人での潜りに拘った。それでいて決して無理はしない。浅い階層で自分が狩れる範囲の探索のみに終始していた。
ランドはベテランと直接に口を聞いたことはない。だがこの食堂の隅で、ベテラン自身が決して裕福でないというか、ほとんどカツカツだったにも関わらず、ここにきたばかりの駆け出し達に食事を奢りながら、真剣に厄災の中での振る舞い方を説いていた姿を見ることぐらいはあった。それを見た時にランドは、グレッグにそっと彼らの食事分にと多めに払っていた。その程度だ。
寝台の上に座ってその麻袋をじっと見ていたランドは、休暇中に自分がやるべきことを心に決めると、立ち上がって机の上の油灯の火を落とした。どうやら明日は久しぶりにギルドに顔を出すことになる。そう思いながらランドは寝台の上へとその身を横たえた。