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記憶  作者: ハシモト
1/8

厄災

 「厄災」と呼ばれるものが作り出した、竪穴の奥にポッカリと空いた横穴の中で、ランドは目を瞑ってじっとしていた。最も明かりも何もつけていないので、目を開けたところで何かが見える訳ではない。


 この横穴はまるで蟻の巣のように先で枝別れしている。だが新しい階層ではない。故にそれがどのように繋がっているかは、ランドの頭の中に全て入っている。


 いや、それは単なる記憶の断片や地図のようなものではなく、まるで昼間の日の光の中で見えているかの様に、ランドの頭の中に映し出されていた。


「お前の前世は間違いなく蝙蝠だな。いや人の姿をした蝙蝠か?」


 昔に誰かがランドにかけた言葉を思い出す。その通りだった。わずかな空気の流れや、天井から落ちてくる雫が床に跳ねる音の反射。そのような僅かな手がかりの一つ一つが、ランドの頭の中にまるで見えているかのような情景を映し出していた。


 見えているというのは間違いかもしれない。それは人の目でこの横穴を覗いているのではなく、まるでその上に浮かんで、洞窟を輪切りにした姿を眺めている、俯瞰とでも言った方が正しい。


『小鬼か?』


 ランドの右手の奥の細い通路の方で、何かが蠢いているのが分かる。大きくはない。だが二匹いる。おそらくは小鬼と呼ばれる厄災が生み出した魔だ。どうやらこの階層は他の「手」、雫師達のパーティーが探索を終えたばかりらしい。目ぼしい獲物は何もない。


 ランドは素直に竪穴から地表に戻ろうかと考えたが、小鬼達の動きがおかしいのが気になった。それは移動する訳でもなく、一箇所に留まっている。


『待ち伏せか?』


 しかし何かを待ち受けようとじっとしている訳でもなかった。ランドは地面に軽く触れていた手を離すと、ゆっくりと上体を起こした。そして明かりもつけずに、まるで木の上をいく猿のような俊敏な動きで、右手の細い通路へと向かっていく。


「ガチャ、カチャ、カチャ、、」


 小鬼がいる辺りから、金属が触れ合う様な音がする。どうやら小鬼は何か、それも人の手による何かを漁っているらしい。つまりそこに誰か犠牲者が居るということだ。


 ランドは僅かに右へと曲がる通路の途中で足を止めた。ランドの先にはぼんやりとした微かな明かりが見える。小鬼がもつ蛍光草が放つ淡い緑の光だ。その光に何かが反射している。鎧?いやそんな上等なものではない。どうやら小手と、それにつける小さく丸い盾。バックラーだ。


 ランドは胸元の皮のベルトから投擲用の小刀を引き抜くと、それを小鬼の延髄目掛けて投げた。小鬼相手で奇襲がかけられる状況であれば、わざわざ貴重な雫を使う必要はない。それはまるで糸で引かれているかのように、小鬼の滑りがある肌の首筋へと突き刺さった。


 小鬼の上体がのけぞる。もう一匹が慌てて棍棒のようなものを持ち上げようとしたが遅い。既に投げられた小刀がもう一匹の首筋にも突き刺さる。


「グエ!」


 小鬼は小さな叫びをあげると、一匹目と同様にその骸を通路の上に晒した。蛍光草の淡い光だけがその姿を映している。ランドはそこで初めて腰につけたランタンに火を付けた。覆いを落としてあるそれからは、黄色い光がランドの足元を照らす。ランドはその光で小鬼が仕掛けた罠の様なものがないか確認しながら、その骸のところまで足を進めた。


 そこにあったのは、あまり上等とは言えない防具。小手にバックラー、それに兜だった。小手の内側にその持ち主の痕跡。赤く黒い何かがこびりついている。それはこの持ち主が既にこの世のものではないことも示していた。


『これは?』


 ランドは心の中で疑問の声を上げた。この防具にはどこか見覚えがある。ランドが跪いてそれを持ち上げようとした時だった。うなじの辺りに何かピリピリとした静電気の様なものを感じた。


 防具に伸ばしていた手を止めて精神を集中する。ランドの心の中に、自分が来た通路の天井の方から何かが降りてこようとしているのを感じた。それもこの小鬼の様な小物ではない。


 ランドは床に落ちていた蛍光草を手に取ると、それを通路の奥の方へ素早く投げた。淡い緑色の光を放つそれは通路の奥へと着地し、辺りをぼんやりと照らす。そこでは水滴、いやもっと粘性の高いものが天井から床へと滴り落ちている。


 その水滴の落ちてくる元には、何やらとても尖ったものが見えた。長くそして鋭い牙だ。それだけではない。奥には小刀を並べたような多くの牙が並んでいるのも見える。そしてその上には、鱗に覆われた口と赤く光る目が見えた。


 牙蛇だ。それも5m近くもある相当な大物だ。昨日今日現れたようなものではない。天井側で洞窟と同化して身を潜めていたらしい。ランドの観察力を持ってしても、動き出すまで気配が探れなかったくらいの成熟さを持っている。本来ならこんな上の階層にいるような存在ではない。


『そう言うことか…』


 ランドはこの厄災が作り出したダンジョンに入って以来、自分が感じていた違和感についてその理由が分かった様な気がした。


 他のパーティーが根こそぎ探索したのではない。こいつが下から上がってきた事で、この層にいた小物達が皆駆逐されたということだ。そしてこいつの存在に気がつけた連中は一目散に地上へと逃げ帰り、気がつけなかった者はそこで生を終えたということだ。


 牙蛇は張り付いていた天井からゆっくりと頭をこちらの方へ下ろしてくる。この狭い通路では逃げ場はない。奥も行き止まりだ。やつはそれを分かっている。普通の者ならば自分の油断と迂闊さに呪いの言葉を吐くか、恐怖にただ打ち震えるかのどちらかだろう。


 だがランドはそのどちらでもなかった。ランドは胸元に縫い付けられた雫留めから小さな小瓶というより、ガラスの棒の様な物を素早く取り出すと、それを親指と中指で弾いた。


 瓶のくびれているところが折れて、そこから中の液体が流れ出す。血のような真っ赤な液体だ。それはランドの手の中で、強い蒸留酒のように気化すると、赤いもやとなってランドの左手の周りに纏わりついた。そして蛍光草の光の様に、ランドの左手の周りで鈍く赤い光を放っている。


「やはり成熟体だな。」


 ランドの口から言葉が漏れた。ランドの手にある赤い光を見ても、牙蛇に動じる様子はない。この狭い通路では、それはあまり役に立たないということを知っているのだ。


 だがランドは今度は右手で雫留めから雫瓶、先ほどのガラスの棒の様なものをもう一つ取り出した。そして同じように指で弾く。今度はそこからは新緑色の液体が漏れた。それは緑色の霞となってランドの右手に纏わりつく。


「ブォーーー!」


 牙蛇の口から盛大に息が漏れた。それはランドの体を打ち倒しそうなぐらいの突風となって向かってくる。牙蛇が目の前にいる相手が只者ではないことに気がついた証拠だ。そして一気にランドに向かおうと首を縮めて見せた。


「遅い。」


 ランドの左手で赤い光が輝き、そこから炎の柱の様なものが上がった。そして右手は牙蛇の吐いた息を押し留めている。その右手の先では小さな旋風の様なものが渦巻いているのが見えた。ランドはおもむろに両手を前へと差し出した。


 両手の先で炎と旋風が混じり合い、炎の竜巻となって通路の先へと伸びていく。ランドが腕を上にあげると、それはまるで全てが幻であったかのように消えさった。だがその熱気と、それで焼かれたものの煤が通路の中を舞っているのが見える。


 ランドの視線の先には、黒く焦げたかつては牙蛇だったものが通路の上へと横たわり、ランドの鼻は生臭い何かが焦げる匂いで満たされた。駆け出しだったら、胃の中の全てを吐き出すような匂いだ。


 ランドが腰にあるランタンを前に差し出すと、炭と化した牙蛇の顔があった辺りで、何かがキラリと光った。雫の元になる「核」だ。あの雫が作り出した業火の中でも、それだけは何の影響も受けていないかのようにキラキラと輝いている。ランドはそれを拾い上げると辺りを見回した。


 あの小鬼の骸はどこかに吹き飛んでしまったらしく、どこにも見えない。だが壁側で何かが角灯の光を反射しているのが見えた。


 ランドは通路を少し戻ると、壁から出っぱっていた岩に引っかかっていたそれを持ち上げた。バックラーつきの小手とあまり役に立ちそうにない薄手の兜。


 それの一部は先ほどの衝撃のせいか、それとも持ち主を最後まで守ろうとしたせいか、少し凹んで見える。ランドはそれをまだ空だった背嚢の中へと仕舞い込んだ。そして通路の奥をじっと見る。


「どうやら、相が変わってしまった様だな。」


 ここでの暮らしももうすぐ終わりのようだ。そんな思いがランドの頭をよぎる。だがそれは今考える事ではない。雫酔いでふらつきそうになる体に気合を入れ直すと、再び精神を集中して辺りを探った。この層にはもう何も居ない。


 ランドは自分が降りてきた縦穴の方へと、暗闇の中を歩み始めた。

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