【85】秘密のダンスと焦り。
(……飲みすぎたかも)
パーティも終わりに近付き、もう帰るだけだしと思い飲んだ数杯が徐々に効いてきていた。少しふわふわしてきて気分が良い。
足元が覚束無いほどではないが、ちょっと気を付けて歩かないと転んでしまいそうだ。もう飲むのはやめておこうとワインの代わりに水を貰う。それを持ってテラスの方に出ると先客がいた。
「クロム」
「あぁ……お嬢さん」
クロムは私を見ると小さく笑った。私は隣に立って一緒に空を見上げる。燃えるような夕日に照らされた庭は昼間とはまた違った雰囲気を醸し出していた。
こんなところで何をしているのだろう。セドリックと一緒だと思ったが、クロム一人だ。
「まだ誰ともダンスしてないか?」
クロムはそう言って私に手を差し伸べる。お酒飲みたかったからダンスしてないの、と言えば、クロムの顔が近付いてきて確かに顔が赤いなと呟いて頬を撫でた。
「足踏んじゃうかも」
「構わん」
差し出された手を取るとクロムは優しく私を引き寄せた。
「ここで踊るの?」
「ホールで踊ると他の男にも申し込まれるだろう、それは気に食わんな」
クロムの言葉も一理ある。戻って踊れば他の人とも踊らないといけないだろうし、酔いかけてる身体には負担かもしれない。ここでも音楽は聞こえるしいいかと思いそのままステップを踏み始める。
クロムとのダンスは初めてではないけれど、こうしてちゃんとした形で踊るのは初めてかもしれない。クロムのファンティスタのときに踊ったが、怪しい人物を探すのに気を取られていて集中出来なかった。
音楽に合わせてくるりと回ると、クロムの腕が私の腰を支えた。
「お嬢さんのファンティスタのとき、踊れなかったからな」
「あ……ごめん。あの時既に色々あって、疲れちゃってた。手まで取ったのに」
せっかく来てくれたのに、と謝ると、今踊っているからそれでいいと返ってきた。
曲が終わり手を離す。ありがとうと言ってそばから離れようとしたときだった。クロムに腕を強く引かれて身体が密着した。
「すまない、今だけ……」
クロムの声が耳元で響く。突然のことに心臓が跳ね上がった。クロムは切なげに眉根を寄せ、苦しげな表情をしている。どうしてそんな表情をするのだろう。密着したまま離れないクロムの体温を感じながら、私は動けずにいた。
「クロム、どうしたの」
私が問いかけてもクロムは何も答えなかった。ただ私を強く抱き締めている。
クロムが何故こんなことをするのか分からない。今まで特にこういうことをされたことが無かったし、彼にとって私がそういった対象だと考えたこともなかった。いつもの気まぐれなのだろうかと、そう思うにはやけに身体が熱い。
だから余計に困惑している。いつもならすぐにでも振り払えるはずなのに、何故かそれが出来ないのだ。彼の胸を押し返すこともせず、かといって抱きしめられるままになっている自分も不思議で仕方がなかった。
「お嬢さん、妃にならないか? あの時は話が流れたが……。お嬢さんが成人するまで待って……いや、違うな、焦っているな。俺は」
ようやく口を開いたクロムが発したのは想像していなかった言葉だった。彼は真剣な目をしていた。冗談ではなさそうだと直感的に感じる。あの時……といえば、クロムの戴冠式の日のことだろうか。確かにそんな話をちらっとした気はするが、こんなに真剣に話していなかったはずなのに。それに昔は、私と結婚したらセドリックと義兄弟になるとか、そういうニュアンスでしか言っていなかったはずだ。
「焦っているって、どういうこと?」
聞き返したがクロムは返事をしなかった。代わりに私を抱き寄せる力が強くなっただけだった。この人は一体何を考えてるんだろう。
しばらくして、クロムはゆっくりと口を開く。
「今お嬢さんに言わないと、他の誰かに奪われてしまうと、焦ってしまった」
クロムはそう言うと私を解放させた。そしてその手で自分の髪をくしゃりと掴む。
「……想っている奴がいるのか」
「えっ」
クロムは顔を背けてそう言った。何と返せばいいのか分からない。何も言わない私を見て、クロムはボソリと呟いた。
「ハルベルト卿か」
その名前を聞いて思わず顔を上げると、クロムと目が合った。クロムは私の反応を伺うようにこちらを見つめていたが、やがて視線を外す。
「っくそ……、気に食わん。あいつは、俺から何個奪えば気が済むんだ……」
「クロム?」
クロムは苦虫を噛み潰したような表情をして何か言っている。心配になってクロムの服の裾を引くとクロムはハッとしてすまない、と言った。
「冷静さを欠いていた、すまない。……場所を変えて、少し話せないか?」
クロムの言葉を受けて私はこくりと首を縦に振る。
空き部屋に入り扉を閉めると、音楽は僅かにしか聞こえず静かに感じた。椅子に座って向かい合うと、クロムはふぅと息をつく。しばらく黙っていたが、意を決したように口を開いた。
先程の求婚について改めて聞かれるかと思ったが、クロムが口にしたのは意外なことだった。
「俺は正真正銘父上の息子だが、父上のようにはなれない。特化魔法を完璧に継がなかったんだ」
「それってどういう……」
クロムの突然の話の内容に疑問を持つも、それを遮るようにクロムは続ける。
「第二書室でお嬢さんが読んでいた本にも書いてあっただろう。特化魔法は産む間隔でも受け継ぐ精度にばらつきが出る。俺は……皇族の特化魔法である、予知が完璧ではない」
クロムは淡々と話し続ける。そこでふと疑問を抱く。クロムはベルク陛下の一人息子のはずだ。なのに何故、特化魔法が完璧に継げないのだろう。私も継げていないからなんとも言えないが、私は母の身体が弱いしそもそもこの世界の人間じゃないし分かるのだが、クロムの母であるロレティ陛下はベルク陛下の代わりに式典などによく出席していたし、普通に元気そうだったと思う。私が不思議そうな顔をしているのに気付いたクロムは少し言うのを躊躇ったのか、間を置いてから間を置いてから続けた。
「……腹違いの兄姉がいるんだ」
私はその言葉を聞いて思わず固まってしまった。
「それって……陛下が側室を娶ってたってこと? ロレティ陛下しかみたことないけど……」
そう聞くと、クロムは側室ではない、と首を振った。
「母上の前に別の皇后が居たようだ。戦争で亡くなった」
「あ……ってことは、クロムが生まれる前、その……前皇后と陛下の間に子供がいたってこと……か」
クロムは肯定するように小さく首肯する。でもそれがどうしたのだろう。今私に話すような内容なのだろうかと首を傾げる。初めて聞いた話だし、極秘にされているような情報だと思うのだが。
……もしかして、その前皇后の子供が生きていて、その子が特化魔法を完璧に継いでいるのだろうか。その人が皇宮に入れば、クロムより年上で特化魔法も継いでいるから、皇位継承権を手にすると心配しているのだろうか。早く皇后候補を見つけないとその人に皇帝の座を譲らないといけないのだろうか。私はそんなことを考えながらクロムを見る。
「最初知った時は特に何も思わなかった。特化魔法も俺が人一倍努力すればどうにでもなると思ってやってきた。だが……歳をとるにつれて、父上のように出来ない自分に焦りを感じたし、苛立ちもあった。だからその兄姉が生きているのか何処にいるのか、色々調べた」
クロムはそこまで言って言葉を切った。私はただ黙ってクロムの言葉を待つ。
「……今日確信した、そいつは……ハルベルト卿で間違いないと……」
絞り出すように出された声には悔しさのような、苦しみのような感情が滲んでいた。




