【81.5】カティアナの記憶。下
「お待ちしておりました、ヤディレント様。応接室へとご案内いたします。旦那様から別々に面会するよう仰せつかりましたので、カティアナ様はこちらへ。屋敷の庭園をご案内いたします」
ぺこりと頭を下げると、女性の使用人がこちらへどうぞ、と庭園の方へ案内してくれた。
しばらく歩くと綺麗に整えられた花壇が見えてくる。色とりどりの花が咲き乱れており、とても美しい光景だ。こんな状況じゃなかったらもっと楽しめたのに。そう思っていると、使用人は立ち止まり振り返って口を開いた。
「きっと緊張されているだろうとの事で旦那様がお庭を散策するように提案なさいまして。慣れない場所で落ち着かないかと思いますが、どうか寛いでください」
時間が来ましたらお呼びします、と言い残して女性は去っていく。一瞬困惑したが、言われた通り花の香りや景色を楽しむことにした。
さすが公爵家の庭園と言ったところだろうか、手入れの行き届いた花はどれも美しく咲いている。そんなことを考えながら歩いていると、どこからか薔薇の良い香りがした。その匂いのする方へ行くと、赤い薔薇が凛とした佇まいで花を咲かせていた。私はそっと手を伸ばし、棘に触れないように気をつけながら花弁に触れる。
(……良い香り)
思わず笑みがこぼれる。花を見ていたら緊張も落ち着いてきたようで、先程まで感じていた憂鬱感も消えていった。
暫く薔薇に囲まれ、時々花びらを撫でたりしながら過ごしていると、バサバサと物音が聞こえてそちらに目を向ける。そこには銀髪に緑の瞳の男性が立っていた。
(あ……お姉様と、同じ色)
銀髪が風に揺れ、太陽の光に当たって輝いている。お姉様と兄妹だと言われると信じてしまいそうなほど似ているが、そこに纏う雰囲気はまるで違っていた。だが、お姉様と同じくらい綺麗だと、そう思った。
この方が公爵子息だろうか。でも今お父様は公爵と応接室にいるはずだし、そうなったらそこに公爵子息もいるだろう。別の方だろうかと首を傾げつつもぺこりとお辞儀をする。するとその人は地面に落ちた本を拾わず、一直線に私の元へ走ってきて目の前で膝をついた。
「一目惚れしました。もし婚約者がいないのであれば俺と結婚してください!」
突然の告白。驚いて目を丸くして固まってしまった。まさか初対面の男性からプロポーズされるとは思ってもいなかったからだ。
「えぇっと……その、私……本日ヴィラール様との縁談で来たのですが……」
「ということは、貴女がカティアナ嬢ですね。俺は運がいいな……惚れた女性が婚約者になるわけだ」
彼はそう言って立ち上がり、私の手を両手で包み込む。キラキラと輝く緑色の瞳は真っ直ぐに私を見つめていて、頬は少し紅潮していた。あれ、ということは……。
「あっ、あなたがヴィラール様?」
「えぇ。早速父上のところへ行きましょう。お手をどうぞ」
そう言いつつ私に手を差し伸べる。彼の表情はとても嬉しそうだった。
応接室に着き、中に入るとお父様と公爵が驚いたような顔をしてこちらを見た。そして二人とも口をあんぐりと開けている。それもそうだ、部屋に入ってすぐに彼は婚約すると公爵に告げたのだ。
「ヴィラールがそれでいいのなら俺は構わないが……カティアナ嬢は本当にいいのか? まだ会って間もないだろう」
「み、身に余る光栄に存じます……っ」
慌てて頭を下げると、ヴィラール様に手を取られる。
「せっかくなので親睦を深めるために二人でお茶でもしてきます。構いませんよね?」
カティアナ嬢もいいですよね、と聞かれコクコクと首を振る。というより、縦に振る以外の選択肢はない訳だが。そのまま半ば強引に外へ連れ出され、庭園が見えるテラス席へと座った。
向かい合って座ると、使用人がお茶とお菓子を出してくれる。彼は使用人を下がらせると、すみません、と呟いた。
「無理やり連れてきてしまってすみません。はやく二人になりたくて……」
そう言うと恥ずかしそうに頭を掻く。その姿がなんだか可愛らしくて、ドキンと胸が高鳴った。
「いえ……。その、婚約の件なのですが」
「ええ、しましょう、今すぐに。元より今日婚約するかどうかの話をするためにお越しいただいたのですから、婚約して何の問題も無いでしょう?」
そう言われてしまえばそうなのだが、急すぎて頭がついていかない。とりあえず出された紅茶を一口飲む。緊張しているせいか味があまり分からなかった。
「その……私、生憎聖女の力は受け継いでいなくて……。今までもそれを理由に縁談をお断りされてきたのですが」
そう伝えると、彼は一瞬ぽかんとした顔をした後、吹き出した。
何か変なことを言っただろうかと思い首を傾げると、彼は口を開く。
「そんなもの必要ないですよ。聖女の力がないと駄目な程、公爵家は困窮していないですし。薔薇を愛でる貴女を見て、俺には貴女しか居ないと、そう直感しました。それに……紅茶を飲む所作も綺麗だし、その髪も瞳も声も、全て素敵です。もっと貴女のことを知りたい」
そんな事を言われると思っていなかったから、一気に顔が熱くなる。褒められた事が嬉しくてつい照れてしまうと、彼は微笑んで私の手を取った。
「公爵家の嫡男としてたくさんの女性と出会いましたが……こんな気持ちになったのは貴女が初めてです。今すぐ返事を貰いたいところですが、その前にお互いのことを知るところから始めましょう」
彼の言葉が胸に響く。私はずっとお姉様と比べられて生きてきた。だから自分のことなんて好きになれなかったけど、この人なら私自身を見てくれている気がする。
自然と笑みがこぼれ、小さくはい、と答えた。




