【70.5】クロムの記憶。下
あれから数ヶ月、色々な人間と関わり、知見を広めていった。勉強を進めていたせいか、同年代とはあまり話が合わず、年上の人とばかり話すようになった気がする。相変わらず友人らしい友人は出来ていないが、上手く扱えそうな人間は何人か見つけておいた。
今日は午前に帝王学、午後は馬術と剣術の授業だけで比較的楽な日だ。
座学を済ませ、休憩がてら庭に出る。池のある方へ行こうと足を向ければ、そこには既に先客がいた。短い銀髪が風に揺れる。イリフィリス公爵の所の子供だろうか。じっと庭を見つめる後ろ姿は何処か寂しげに見える。
「お前、父上が言っていた者の子供かなにかか?」
声をかければ、驚いたように振り返った。緑色の瞳が大きく見開かれる。顔や身体付きは確かに男なのに、儚げで目を離すと消えてしまいそうな、そんな雰囲気を持っていた。
「ぼくは、セドリック・イリフィリスです。今日は、父上の付き添いで来ました。ええと、殿下……でしょうか」
あまりにも緊張した様子で思わず笑ってしまいそうになるのを堪え、じっと目の前の男を見る。
「なるほど、セドリックと言うのか。俺はクロムという。殿下なんて堅苦しい呼び方はよしてくれ。クロムでいい」
俺がそう言うと、彼はぱちぱちと瞬きした後、嬉しそうに微笑む。手を差し出すと、おずおずと握られた。
それからしばらく話したが、人見知りをしているのか、セドリックは物静かな少年であまり自分からは喋らなかった。ただ、話を振ればきちんと答えるので礼儀作法には問題なさそうだ。それにしても、俺が話すことを興味深そうに聞いていて、表情がコロコロと変わるのが面白い。
「ぼく、まだ六歳になったばかりなんだ。ぼくも勉強はしてるけど、クロムには敵わないな」
突然セドリックはそう呟いた。そう言えば父上とイリフィリス卿が俺と同い年だと言っていたような。ちらと表情を窺えば、そこから悪意などは感じ取れず、クロムはすごいね、と感心しているようだった。
どうやらセドリックは素直な性格らしい。今まで会った貴族の人間たちはプライドが高く、面倒な奴が多かったから新鮮だ。それに比べてセドリックは、とても謙虚だと思う。
「セドリックも六なのか。俺と一緒だな。……俺は、日々勉強と魔法の練習をしている。そう簡単にセドリックに負けては困るな」
ふと笑うと、セドリックがすごいねとひたすら褒めるものだから少し照れくさくなる。
そのあと、他にも色々と話をしていると、あっという間に時間が過ぎた。セドリックなら友人と呼べる関係性になれるだろうかと、そう思いながら別れを告げた。
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「妹が六歳になるんだ。都合が合えばパーティに来てよ」
ある休日、セドリックが俺の所へ来てそういった。彼は去年騎士団に入団希望を出し、身体付きも背丈も初めて出会った時に比べてかなり大きくなり、あの時の儚げで消えてしまいそうな雰囲気は少し残しつつも、凛々しさを感じるようになっていた。
そういえば確かに最近は妹の話題が多かった。五歳で既にセドリックが習っている勉強を始めていて、魔力量もかなり高いらしい。
「お前もいるのか?」
「当たり前でしょ、騎士団の練習も休み届出したよ」
「そうか。それでパーティはいつだ?」
俺がそう聞くと、セドリックが日程を教えてくれた。その日は特に予定もないから、と承諾する。セドリックも出ると言うことは、公爵もいるだろう。父上にも声をかけておく、と言うと、セドリックはよろしくねと微笑んだ。
「ソフィ、多分クロムが思ってるより可愛いと思うよ」
「俺がどんな姿で想像していると思ってるんだ? お前の妹ならそれなりの容姿だろう」
「はは……僕には似てないよ。母上には似てるけど」
「そうか、楽しみにしておこう」
そんな会話を交わしていると、気付けば魔法の講師が来る時間になっていた。セドリックと居ると時間が経つのが早い気がする。別れを告げてセドリックと別れた後、部屋へと戻った。
(妹……兄妹か。俺ももし、前皇后の子供が生きていたら兄か姉がいた訳だが……あんなに楽しそうに妹のことを話すセドリックを見ていると、そういうのも悪くないのかと思うな。まぁ、皇族だとまた話が違ってくるのかもしれないが)
先程のセドリックの様子を思い出し、ぼんやりと頭の中で考える。……あれから、あの部屋には行ってないし父上と前皇后の話もしていない。きっと振れば答えてくれるのだろうが、聞く気にもなれなかった。
(俺は、どうしたいのだろうか。見つけて一緒に暮らしたいのか、殺したいのか、それともずっと知らないふりで過ごしていくのか)
分からない。こういうことは考えるだけ無駄だと分かっているのに、ずっと頭の中でぐるぐると考えてしまう。
ズキリ、頭が痛む。予知が来た。途切れ途切れに見える映像は、白黒でぼんやりとしている。
(……クソ、まだ、完璧に見えない)
――短い期間で産んでしまうと特化魔法が上手く引き継げなくなる。
ぴたり、手が止まる。前皇后の日記にも書いてあり、父上も、そう言っていた。
(……ということは、この俺の複雑な感情は、妬みや恨みになるのだろうか)
もし俺が産まれる前に前皇后が身篭っていなければ……俺は完璧に特化魔法を使えたのかもしれない。
今まで一度もそう考えなかったかと言われるとそうでは無い。ちらと浮かんでは消していた。顔も見た事のない人間を、生きているかも分からない人間を勝手に恨むのは都合が良すぎる。俺が人一倍努力して結果を出せばいいだけ。……だが。
(……もう、十三。父上は、この歳には皇帝として国をまとめていた。それなのに、俺はまだ、未完成な特化魔法しか使えない)
ふう、と長く息をつく。最近、あまり眠れていないせいか疲れが取れず体が重い。だからこんなに余計なことを考えてしまうのだろうか。
ぼんやりと魔法の講師の話を聞き流しながら、どんよりと曇り始めた窓の外を眺めた。




