【69】あの日あの後。
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数日前、聖誕祝祭会場にて。
給仕が注いだ二杯目のワインを口に運ぼうとすると、突然ソフィがラルークの手からグラスを奪った。何の意図があって奪ったのか理解出来ずぽかんとしているうちに、ソフィは奪ったワインを一気に飲み込む。ガラスが割れる音がして視線をそちらへ移すと、先程グラスにワインを注いだ給仕が怯えた表情で立っていた。その様子を見て、ラルークは何故ソフィがこのような行動を取ったのかを理解する。慌てて彼女の腕を掴むが既に飲み込んだ後で、ソフィは口を手で押さえながらその場に崩れ落ちた。嘔吐くように咳き込みながら苦しげな呼吸を繰り返すソフィの口からは血が出ていて、ドレスに染みを作る。
すぐに応急処置をしなければとラルークは彼女の頬に触れる。意識が朦朧としているのか、ソフィの瞳は虚ろだ。光が無く、焦点が合っていない。誰か人を呼ばなければと思ったところで、ソフィが小さく口を開いた。声は殆ど聞き取れないほど弱々しいものだったが、微かに聞こえたものと今日一日の彼女とのやり取りから、ソフィのピアスに魔力を流し込めば彼女の護衛に伝わるのだったと思い出す。ラルークはソフィの耳元に手を当て、魔力を流し込むと少しして彼女の瞼が落ちていく。ちらと辺りを見渡すと、徐々に人が集まってくる。それにハッとしたのか、給仕が慌ててその場から立ち去ろうとしているのが見えたが、毒に倒れたソフィの傍を離れられずせめて向かった方向だけでもとじっと見ていると、ラシェルが息を切らしながらこちらへ駆けてきた。
「お嬢様! ……ハルベルト卿、これは一体……」
「状況は後で説明します、すみませんが赤髪で細身の、少し背丈の低い給仕を探してください! あちらの方へ逃げたのは見えたのですが……」
ソフィに治癒魔法をかけながらそう言うと、ラシェルは戸惑いながらもすぐに探してきますとラルークが指した方へ走り出した。毒なのは明白だが、何が使われているのか分からず応急処置程度の魔法しか使えない自分の無力さにラルークは歯噛みする。
(さすがの僕でも、光特化じゃないから万能な治癒魔法は使えない。……なんで僕は魔法研究所でずっと勉強してきたのに、こんなに大事なところで何も出来ないんだ)
ラルークは自身の魔力量の多さと魔法への興味から魔法研究所へ入るほど知識も実力もあるが、生まれ持った特化属性まで変えることは出来ない。全属性扱うことが出来ても、その各属性のレベルはそれぞれ特化の人より劣ってしまう。特に光と闇と無は特化の人間でないと高度な魔法は扱えない。
(僕が火特化じゃなくて光だったら……いや、こういうのを考えるのはやめよう。万能治癒は出来なくても、並の治癒が使えるだけまだマシだ)
暫くソフィに治癒魔法をかけ続けているとラシェルが戻ってきた。その手にはあの給仕の女が抱えられている。
「お嬢様の容態は」
「毒の成分が分からないから応急処置程度しか出来てないけど、生きてはいる。すぐにみてもらわないと」
「毒、? ……この女が盛ったのですか!」
「詳しい話は会場を出てから、二人でしましょう」
「あ、あのっ、すみません、ソフィ様が倒れていらっしゃるのを見かけてさっき、公爵家の馬車を探して呼んできました!」
そう言いながらこちらへ来たのは、陛下が会場に来た時ソフィと一緒に会話をしていた令嬢――アリスだった。
「すみません、ありがとうございます。とても助かります」
ラルークはソフィを抱え、ラシェルは給仕の女を担ぎ会場の出口へ向かう。アリスが呼んでくれたおかげで近くに公爵家の馬車が止まっていて、中からソフィの侍女が飛び出してきた。
「お嬢様が倒れたと侯爵家の令嬢から聞きましたが……どういう状況なのですか」
ラシェルが抱える見覚えのない女を見て、屋敷に医者は手配しましたがそちらの方は……と侍女が心配そうな顔で言う。挨拶はそこそこに馬車へ乗り込み、屋敷へ走り出したところでラルークは一連の流れを説明した。
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あれから屋敷に着くと、医者が来るまでラルークはセドリックと共に毒の成分の推測をしながらソフィの看病をした。そして医者が来た今、セドリックとラルークはソフィの寝ている部屋で向かい合って座っている。
毒は致死性はないみたいだが何度も食らうと危険な即効性のあるものだったらしい。治癒魔法のおかげでスムーズに解毒処理を行え、特に命に別状はなさそうだと医者は言った。
「ハルベルト卿が居て助かりました。僕は初歩的な治癒魔法程度しか使えないので……」
「僕は何も……。それより、いつもお姫様を危険な目にあわせてしまって、本当に申し訳ありません」
ラルークはセドリックに深々と頭を下げる。セドリックはいえ……と小さく呟き、少し俯いた。
「あの日のこと、気にしてないといえば嘘になりますけど……結果として今ソフィが生きているのはハルベルト卿のおかげでもあるので」
セドリックの言葉を聞いてラルークは更に深く頭を下げた。
あの時のことは今でも後悔している。高位精霊と契約したからとはいえ、当時八歳の子が連れていかれるのがおかしいのだが、もっと早く、彼女を巻き込む前に禁忌魔法を使っていたら。……もっとも、それ以前に禁忌魔法を使わずに勝てていたなら。そんな考えばかり浮かんでは消えていく。
しばらく沈黙が続き、セドリックがぽつりと口を開いた。
「……ハルベルト卿と居る時のソフィは、なんだか楽しそうだから、その……。だから僕は――」
そこまで言うとセドリックは口をつぐみ、また黙ってしまった。なんだろうと思っているうちに、部屋の扉が開きラシェルが入ってきた。どうやら一度会場へ戻り、聖誕祝祭の方の後処理を済ませて屋敷へ戻ってきたみたいだ。結局ラルークはセドリックの言葉の続きを聞けずじまいになってしまった。




