【68】熱と夢。
ラシェルはしばらくすると落ち着いたようで、目を真っ赤に腫らしながら顔を上げる。
「……わたし、やっぱり、護衛、辞めます」
やっぱりそうなるだろうな、と内心ため息をつく。ラシェルは真面目だし優しい子だ。私にこれ以上迷惑をかけられないと気を使っているのだろう。でも、私は彼女に側にいて欲しいと思っている。私のためではなくラシェルのために。
「……ラシェルが、私の護衛が嫌で辞めるなら、止めないけど。違うよね?」
ラシェルは私の問い掛けに驚いたように目を見開く。そして少し俯き気味に視線を落とすと小さな声でぽつりと答えた。
「けど、もう、これ以上迷惑かけたくありません……、お嬢様なら、私よりももっと、優秀な護衛をつけることだってできるはずです」
「でも、ラシェルの代わりは居ないよ。ラシェルはラシェル一人だけでしょ」
苦笑いを浮かべればラシェルは困ったような表情をする。確かに噂や諸々のことを含めると公爵令嬢の護衛としては相応しくないかもしれないが、私は、六歳のときに初めてラシェルを見てからずっとラシェルだけなのだ。剣を振る彼女は凛々しくて格好良くて、可愛くて美しくて綺麗で、キラキラしていて。
「私の護衛を離れても、ラシェルが執拗に狙われ続けるなら意味無いでしょ。ラシェルの過去の護衛のことはよく知らないけど、ラシェルがなにか悪いことをした訳じゃないでしょ? 女だからって理由だけでやりたいことを諦めていいわけないんだよ」
この世界は男尊女卑の思想が強い。女性騎士はいるが圧倒的に少ないし、女性が高位貴族や王族の護衛につくことはないに等しい。それは、男性の方が力が強く、女性は守られる側だと認識されているからだ。実際その通りだと思うけれど、それでも私は、ラシェルには好きな道を歩んで欲しいと思うのだ。もちろん、彼女自身がそれを望むならの話だが。
「ラシェルは、騎士団はきらい?」
「……いえ、好き、です。今まで辞めなかったのも、好きだから……」
ラシェルは下を向いて答えたあと黙ってしまう。私がなんとかすると言えるほど、私に出来ることはないが、せめて一緒に考えることくらいは出来る。その上で彼女が自分の意思で辞めると決めるなら反対なんてしない。
「一緒に頑張ろうね」
ラシェルの手を取り笑顔を見せると、ラシェルはようやく笑みを見せてくれた。
「……申し訳ございません、こんな風に弱音を吐いてしまって……。ありがとうございます、いつもお嬢様には、救われてばかりですね」
「私もラシェルにたくさん助けてもらってるから、お互い様だね。お見舞い来てくれてありがとう」
ラシェルは小さく微笑むと、ベッド横の椅子を立ち上がる。扉の前で一度立ち止まるとこちらを振り返り、また何かあれば呼んでくださいと言って部屋を出ていった。
ラシェルがいなくなって静かになった部屋で私はそっと息をつく。起こしていた上半身をベッドに沈めると、ふと視界の端にラルークの姿が見えた。……完全に存在を無視してラシェルと話し込んでしまった。
「ごめんねラルーク、二人で話し込んじゃって……」
「構わないよ。僕はお姫様が無事に目覚めてくれただけで安心したから」
そろそろ戻ろうかな、とラルークが言った時、部屋の入り口からノックの音が鳴る。扉の方を見ると、セドリックが食事を持って来たようだ。
「あぁ良かった、ハルベルト卿、もしまだ時間が大丈夫でしたら、ソフィのことをみておいてくれませんか? さっき客人が来て……」
セドリックはそう言って持っていたトレーをテーブルの上に置いた。
「分かりました。僕は一日フリーなのでお気になさらず」
ラルークの言葉を聞いてセドリックは礼を言い、部屋から出ていく。食べられそう? とラルークに聞かれたので食べると答えると、ラルークは食べやすいようにスープを一口分掬い私の方に差し出した。
「ありがと」
一口貰うと優しい味が広がりほっとする。そのあとラルークがスプーンを渡してくれるのかと思いきや、また一口分掬って口に近づけてくるので少し躊躇ったが、結局大人しく口を開けて食べさせてもらうことにした。
「そういえば、手足の痺れとかはない? 一応解毒はすぐに終わったけど……僕は医学にそこまで詳しいわけじゃないからさ、魔法で何とかなる部分は僕とイリフィリス卿で何とかしたけど……どう?」
ラルークは心配そうな表情を浮かべながら尋ねてきた。私は手を握ったり開いたりする。うん、特に問題ないようだ。
「大丈夫そう。色々とありがとね」
「僕は大丈夫だよ。……それよりごめんね、僕がもっとしっかりしてたら……」
「ラルークのせいじゃないよ。私もすぐに気付けて良かった。……分かってて飲んだのは、まぁ、アズィムへの嫌がらせも兼ねてだから、ほんとに気にしないで」
私が笑って言うと、ラルークは複雑そうな顔をした。本当に色々申し訳ないなと改めて思う。急に聖誕祝祭のパートナーを頼んだ上に命も狙われて、さらに私が毒に気付いてるのに飲んじゃうものだから見舞いまでさせてしまった。
「……熱はないかな、触っても大丈夫?」
ラルークは私の頬に手を添え、額に手を当てる。ひんやりとして気持ちがいい。……ということは、少し熱っぽいかもしれない。ただ、いつもの夢を見たあとだから、その影響もありそうだ。ラルークに何と言おうか悩んでいると、ちょっと熱っぽいねと彼は呟いた。
「…………」
「…………」
沈黙が流れる。普段は何気なく言葉を交わすが、今日は私が何か言えば全部謝罪や重たい空気で返ってくるから何も言えない。
「……私ね、時々夢を見るの」
暫く無言が続いたあとぽつりとそう呟くと、ラルークは不思議そうに私を見た。いつも見る夢の話は三原色侍女たちにも詳しくは話してないが、ラルークならきっと真剣に聞いてくれるだろうと思った。……というのは口実かもしれない、誰かに言いたかったのだと思う。ラルークは黙って耳を傾けている。
「ほぼ毎年見る怖い夢なんだけどね、見たくはないけど見なきゃいけないっていうか……よく分からないよね」
「その……この前宿屋で魘されていたのも、それに関係ある?」
「あ、うん、そう。それでね……今目覚める前もその夢を見たから……えぇと、だから、熱っぽいのも多分その影響だから、……うーん、なんというか……あんまり気にしないで」
ラルークは困ったような顔をしながら私を見つめた。結局何が言いたいのか分からなくなったが、それでもラルークは何も言わずじっとこちらを見ていて、私は耐えきれず視線を外す。自分の心臓の音が聞こえてきそうなほど静寂が辺りを支配していたが、ラルークが口を開いたことでそれは破られた。
「そっか……。夢見が悪いのは辛いよね。僕も時々嫌な予知夢みたいなのを見るし……。特化魔法の使いすぎで夢に見るようになっちゃったのかな? なんて……分からないけどね。眠れないと、身体も壊しやすいし……」
熱が出るほどではないけど、とラルークは苦笑する。大変だったね、と頭を撫でられ、心の中でほっと息を吐いた。
あの夢も、もしかしたらここ数日は色々なことがあったから疲れていて見たのかもしれない。そのうえ毒も入っていたし。
よく分からないが、無事に目が覚めたことだし、これからはアズィムとの件を片付けることに集中しよう。そう決心し、ベッドの上で大きく伸びをする。少し身体は痛むが、毒の影響というよりは恐らく三日寝込んでいたせいで筋肉が凝り固まっていただけだと思う。
「そういえば、前から思ってたんだけど……昔から身体が弱い……とかなの? あ、言いたくなかったら言わなくて大丈夫だよ、ちょっと気になっただけだから」
あ、とラルークは思い出したように口を開く。確かに私はなかなか外にも出ないし社交界にも顔を出さないし、前の宿屋での件もあって病弱に見えるのかもしれないが、別にそんなことはないと思う。うーん、と思い返すが、これと言って風邪のようなものは引いてなかった……気がする。
「ううん、そんなことはないよ。外に出ないのは単純にめんど……えぇと、出かけたいところとかあんまりないからだし……。風邪っぽいのも、夢の後熱出るくらいで普通に過ごしてて寝込むこととかないから……」
私の答えを聞いてラルークはそっか、と安心したように微笑んだ。




