【67】なみだ。
・・・
薄ら目を開ければ真っ白な天井が目に入る。ここはどこだろう。知らない場所だ。いや、知ってるかも? 病院……のような気がする。ゆっくり起き上がると、そこはベッドの上だった。周りには誰もいないようだ。そして突然現れる。
「もう戻る気はないの? 私は」
私が私をじっと見つめながらそう問いかけてくる。私は何と答えればいいのか分からず、ただ俯いた。
「私はそっちで幸せ? だから戻りたくないの? 友達も、仕事も全部捨てて」
私は呆れたように私にそう言った。そんなの答えられるわけないじゃないか。戻れるものなら戻って元の世界で生きたい。でもそれはできないし、今の暮らしだって悪くないし。それに、 それに…………。
あれ、どうしてこんなことになってるんだっけ。確か、トラックに轢かれて、こっちに来たんだっけ。
「……私、戻れるの? 生きてるの?」
「さぁ、戻る気がないなら、知っても無意味じゃない?」
私はそう言ってそっぽを向いた。生きているか死んでいるかだけでも知れたらいいのに。教えてよ、と言っても、私は首を横に振るだけだった。
「そもそも、なんで私、今私と話してるの?」
「さぁー……。強いて言うなら、瀕死の私が見せた走馬灯的な? なんて言うんだろうね、ほら、異世界転生モノの小説とかによくある、夢で私が出てくるみたいな」
そういって笑う私はたしかに私だ。紛れもない、月見里。
「……この前、夢で見たばっかりなのに、私の事」
「今回は……特例中の特例って感じ? そっちの私も死にかけててさ、死と死の狭間で、私が彷徨って巡り会った……って感じじゃない?」
分かんないけどさ、と私は付け加えた。私は何が何だかよく分からないが、心がずっしりと重くなったような、そんな感覚に襲われた。
「戻りたいのかな……戻りたくないのかな……。どうなんだろ、私」
この世界を手放すには長く居すぎたのだと思う。家族も、友人も、大切だと、そう思えるほどには愛していたと思う。……でも、それは向こうの世界でも同じことで。どっちなのか、私はどう思っているのか、考えれば考えるほど、答えが出なくなる。もっと元の私が劣悪な家庭環境だったとかなら、割り切れていたのかもしれないが。……まあ、こっちの私は、毒を使ってくるくらい厄介な相手に嫌われているみたいだが、それはそれとしてそれ以外の人達はみんなとても大切な人だ。
「神様は、居ないんだよ」
「え?」
突然私がそう呟くので驚いて顔を上げる。どういうこと? と首を傾げれば、私は続けた。
「トラックに轢かれたのだって、私の不注意なわけで……そんな不注意な女を救うほど神様も器は広くないって」
「まぁ……そうだよね、それはそうだね」
「じゃあ、またね。とりあえず、毒盛ったやつ引っぱたかないと」
「待って! 何で私は知らないのに、知ってるの? どういうこと!」
その瞬間、目の前が真っ暗になった。私は暗闇の中で一人立ち尽くした。そして私は思う。あぁ、来る。なんで毎回トラックに轢かれるのがセットなんだろうとかぶつくさ心の中で文句を言いながらも大人しく運命に従う。コンクリートの感覚、引き摺られる痛み。次第に身体はピクリとも動かなくなった。
・・・
「…………」
ゆっくりと瞼を開けると、見慣れた天井が広がっていた。身体を起こそうと力を入れるがうまく力が入らない。うぅん、と声を出して起き上がろうとすると、ベッドの脇から勢いよくラルークが飛び出してきた。
ラルークは目を潤ませながら私の手を握りしめ、良かった……と呟いた。
「いてててて」
「あっ、あんまり動かないで。ちょっとまってて、いま侍女とイリフィリス卿呼んでくるから……」
ラルークはそのまま部屋を出ていった。私はというと、あの後倒れたらしい。それで三日寝込んでいたようだ。その間ラルークとセドリックは交代でずっと付き添ってくれていたみたいだ。
申し訳ないことをしてしまったなと思いつつ、ぼんやりと夢の内容を思い出す。もしこのまま私がここに残らず、向こうに戻ると私に言っていたら……。いや、考えるのはやめよう。今はとりあえず、ここで心配してくれたみんなにお礼を言うのが先だ。
それからしばらくしてセドリックが部屋に入ってきた。セドリックはラルークと同じような反応をして、少し涙目になりながら私の頭を撫でてくれた。その後少しして勢いよく扉が開いたかと思えば、ラシェルがすごい形相で駆け込んできた。
「あのあとどうなったの?」
「ブレスレットが光ったので直ぐにお嬢様のところへ向かったら、ハルベルト卿が倒れたお嬢様に治癒魔法をかけているところでして、私は毒入りワインの給仕を追いかけました。解毒はすぐに終わったのですが、そこから丸三日、寝たきりでした」
結果誰の差し金かは言わなかったとの事なので、未だ拘束されているみたいだ。拷問でもすれば吐くんじゃないと言いたくなったのをぐっと堪えて、そっか、と呟いた。
あの給仕も脅されてやらされてただけだろうし、犯人はどうせアズィムが絡んでるだろうし、わざわざ拷問してまで聞くのも得策ではない。それにアズィムが絡んでいるとラシェルが知れば、要らぬ心配をかけるのは目に見えてる。今度こそ護衛を辞めると言いかねない。それは避けたい。
「みんな、心配かけてごめんね。もう大丈夫だから。ありがとう」
とりあえず先にアズィムがやったであろう一連の毒事件を立証しなければ。そのへんは父がやっているだろうけど、一応確認しないと。
「ソフィはまだしばらく安静にしててね、時々様子見に来るから」
セドリックはそう言って食事を持ってくるよと部屋から出て行った。部屋にはラシェルとラルーク。また喧嘩(というよりラシェルが一方的に言うだけだろうが)したらどうしようと思い口を開けるよりも前に、ラシェルが小さく声を漏らす。
「……っ、わたし、どうしたら……」
「えっ、ら、ラシェル、どうしたの」
ボタボタと大粒の涙を流し始めたラシェルにびっくりする。何かまずいことでも言っただろうか。ラシェルが泣くなんて余程のことだろう。オロオロしているとラシェルは顔を手で覆って泣き出してしまった。
「ぅう……っ、ごめんなさい、……っ、わたしが、わたしがお嬢様の護衛だから……っ、ごめんなさい……」
アズィムが絡んでそうだと隠すより前に知っていたみたいで、ラシェルはひたすら泣きながら謝り続けている。彼女が悪いのではなく執拗に絡んでくるアズィムが悪いのだが、それを言っても収まりそうにない。最近は公爵家の警備員がラシェルを狙う輩を門前払いしていたから、そもそも狙ってくる数自体も減ってきていてやっと普通の護衛になれそうだと安心していたが、現実はそう甘くないみたいだ。
護衛を辞め続けるのも辛かっただろうけど、こうして護衛を続けて主人に被害が出るのも、きっと辛いはずだ。ラシェルが責任を感じる必要は全く無いというのに。泣き続けるラシェルの背中をさすり、落ち着かせる。私こそいつも心配かけてごめんね、と呟けば、ラシェルは小さく頭を横に振っていた。




