【59】視線とパーティ。
(……うん、こうなるだろうなとは思った)
クロムと会場へ入ると、一斉に視線が突き刺さる。それにひそひそと何か囁かれているようだ。あまりいい気分ではない。
未だ皇后候補の発表がないクロムが、あまり表に出ない公爵令嬢の私をエスコートしているのだから仕方ないのだが、あまりにも凝視し過ぎだと思う。
どこかにセドリックはいないかなと目線だけ動かしながら歩いていると、幸い近くに居たらしいセドリックがこちらへ近付いてくるのが見えた。
「ソフィも来たんだね」
「うん、クロムに誘われて……」
「こうして三人揃うのは久しいな。せっかくだから食事を楽しもう。お嬢さんはソフトドリンクでいいか?」
「うん、ありがとう」
料理が並ぶテーブルまで行くと、周りにいた貴族達が私たちを避けていく。まるでモーゼの海割りのようでなんだかちょっとだけ面白かったが、あまりいいものでは無いので内心モヤモヤした。グラスを取ると、ドリンクが注がれる。二人はワインで私は無難に水を貰った。食事はどれも美味しい。メインディッシュは鴨肉のローストだろうか、添えられたソースがまた絶品で、二人が会話をしてるそばでつい食べすぎてしまいそうになる。
しばらくすると、どこぞの貴族が私のことを話題にしているのかちらほらと声が聞こえてきた。聞き耳を立ててみると、どうやら私が皇后候補に名乗り出たのではないかと思っているらしい。まぁそう思われても仕方ないだろう。何せ今まで社交界に出てこなかったのだ。噂好きの貴族達にとって格好のネタである。そのせいもあってか、私を見る目が先程より値踏みするようなものになっている気がする。
そんなことを考えていると、いつの間にか二人の話が終わっていたらしく、私は慌てて水を飲み干す。お嬢さんはどうだ? と振られ、何のことかわからずとりあえず首を傾げた。
「ごめん、考え事してた……」
何の話をしてたの? と聞くと、クロムは眉間に皺を寄せながら口を開いた。
「お嬢さんのことをジロジロと見る無礼な者たちをどう処理するかセドリックと話していたのだが」
「あー……うん、何もしなくて大丈夫だよ……こういうのは私が何か言っても変な風に広がるだけだし」
「……お嬢さんは割り切るタイプなのだな。俺は気に食わんが」
クロムの言葉に苦笑いを浮かべると、空いたグラスに水を追加で貰う。一口、口に含んで小さく息を吐いた。
「もともと私が社交界にあんまり顔出してなかったのが問題だし……その上戴冠式に出席して、パーティでクロムにエスコートしてもらってたら、みんな注目ぐらいするよ」
「いっそ皇后候補として紹介した方がいいか?」
クロムの突然の発言にまた一口飲みかけていた水を吹き出しそうになる。むせる私を見てセドリックは慌てて背中をさすってくれるが、クロムは至って真面目な表情で私を見ていた。
「な、なんでそうなるの……」
「噂話はあまり好きではない。いっそ事実にしてしまった方がいいと思わないか? お嬢さんなら、教養も身分も申し分ない」
クロムの言葉を聞いてさらに心の中でなんでそうなるの、とツッコミを入れた。正直今みたいな何も無い平和な人生を送りたいから皇后ルートなんて真っ平御免だ。だが、お互い婚約者も決まってない今、クロムのほうから提案してきたら断る理由もない。何と言おうと悩んでいると、セドリックが口を開く。
「まあ、その話は置いといて……せっかくソフィもパーティに来たんだから、あんまり他の人に見られていい思いしないで帰るのは嫌じゃない? そこだけはなんとか僕たちが上手くやるよ。ソフィは気にしすぎないでね」
「うん、私は大丈夫だよ。ありがとね」
セドリックは優しい言葉をかけてくれる。それに笑顔で返すと、彼は困ったように笑みを作った。きっとセドリックには迷惑かけてしまっているだろう。
私が社交界にもっと出ていればこんなことにはならなかったのかもしれないが、結婚も交友関係もただ漠然としか考えていなかった私にとって、本当に楽しかったのは勉強くらいだった。元の私は貴族なんかじゃなくて、ただの一般人。貴族のようにお茶会をしてダンスをすることに楽しさは見いだせない。必要最低限でしか関わらない方が楽だとさえ思っていた。
結局は私の怠惰が生んでしまった状態だ。今一度、『公爵令嬢の』ソフィとしてしっかり生きよう。
(大丈夫……今まで十五年間、上手くやってきたもん。同年代の子達に比べて人生経験はある、大丈夫。上手く立ち回ればいいだけ)
こうして社交界に出ると、家族と外に出ると、色んな感情が渦巻いてくる。答えのない人の感情という問題に触れたくないという私の我儘で、きっと家族を困らせているのだろうと、そう思うと申し訳なさが募ってくる。
ちょっと一人になるね、といい二人の元を離れる。外の風に当たろうと思ったが、生憎会場の扉が閉まっていたので、仕方なく壁の方でリリーを呼び出して魔力の補充をする。はぁ、とため息をつくと、リリーは「人間は面倒ね」なんて言いながら魔力をもぐもぐと食べていた。
「おやおや、ここは子供が来る場所ではありませんよ。兄上と陛下に恥をかかせる前に、レディは部屋に戻ったほうがよろしいのでは?」
ふいに声をかけられて振り返ると、そこには見知らぬ男が立っていた。身なりからしてそこそこな身分だろう。赤髪に黒い瞳が特徴の男だ。男は私を見るなり鼻で笑うような仕草を見せた。
なんだこいつと思いつつも、相手は大人なので失礼にならない程度に頭を下げる。
「……申し訳ございません、社交界にあまり顔を出していないせいで、お名前を存じ上げておらず……。お伺いしても?」
そういうと男は眉間にシワを寄せた。ああ、これだから社交の場に出なかったのは失敗だったな、と後悔する。この手の貴族様はプライドが高い人が多いのだ。この俺を知らないなんて! とか思ってそうな顔をしている。
「私はエレッド・マルリードと申します。以後お見知りおきを。ソフィ嬢」
「……ソフィ・イリフィリスと申します。……ところでマルリード卿はどのようなご要件でして?」
私が名前を言うと、マルリードは一瞬目を見開いたあと、口元に弧を描いた。私はその様子に少し嫌悪感を抱く。なんか、嫌な予感がする。
そう思った直後、彼は口を開いた。




