【53】宿屋と魔法。
タリージェさんの宿屋は、マリヘルトにある宿屋のひとつで、皇宮に近いから遠くから来た人たちが皇宮に向かう前に一休みする宿として有名で部屋も綺麗だ。貴族や商人がよく使う。
少し進んだ先に、宿屋が見えた。中へ入ると、受付にいたタリージェ夫人が驚いたような顔で私を見た。
「ソフィ嬢?! そんなに濡れて……いま拭くものお持ちしますので」
「ありがとうございます……お出かけしてたら雨に降られて。馬車もちょっと遠くに置いてきちゃったの」
ぱたぱたと慌ててタオルを持ってきた夫人から有難く受け取り、髪を拭きながら事情を説明する。夫人はあらまぁ大変ですねぇと言いつつ、部屋の確認をしてくれた。
「……あら、どうしましょう」
困りましたねぇと呟く夫人をじっと見る。名簿表を捲っては戻し、目線を忙しなく動かしている。……もしかして、部屋の空きがないのだろうか。
「ソフィ嬢……申し訳ないのですが、部屋が一部屋しか空いてなくて。大きい部屋なのでおふたりでも十分な広さではあるのですが……」
やっぱりそうきたか、と内心ため息をつく。こういうときこそ、特化魔法を習得出来てたら私は戻ってラルークを泊められたのに。ちらと横にいるラルークを見る。
「……じゃあ僕は帰るよ。女の子は身体冷やしちゃだめだからね」
「帰るって、この雨の中?! 風邪ひいちゃうよ、ふたり泊まれる広さなら泊まっていったほうがいいよ」
ラルークは私を心配してくれているが、私だって彼に風邪を引かせるのは気が引ける。この雨だと馬車を引くのも大変だ。
私は夫人に金貨の入った袋を差し出す。
「食事付き一泊で、あれば着替えも貸して!」
「きんっ……!? す、すぐにご用意いたします!」
夫人は私から受け取ったお金を確認してから鍵を取り出し、奥へと引っ込んでいった。その背中を見送っていると隣に立つラルークが口を開いた。
「お姫様、本当に二人で泊まるの?」
「緊急事態なんだから仕方ないでしょ? 襲ったりしないから心配しなくても大丈夫だよ。あっ、家に連絡するなら夫人から通信具借りれるか聞いてみようか?」
「おそ……われる心配は僕じゃなくてお姫様の方じゃ……? いや、しないけどさ。でも女の子だしもうちょっと……」
ラルークがぶつくさ言っているが、今はそれどころじゃない。このまま濡れ鼠でいるわけにもいかないのだ。適当に聞き流していると、夫人が戻ってきた。
「お待たせいたしました。お部屋、暖炉で暖めてきましたのでご案内します。あまりいいものではないですがお着替えもご用意しましたので……」
夫人について行き、二階へ上がる。
階段を上がった正面の部屋が私たちが宿泊する部屋だった。入ってすぐのところに暖炉があり、部屋の奥には大きなベッドがあった。
窓の外を見ると先程より雨脚が強くなっている。やっぱり帰さなくて正解だ。ラルークは外套を脱ぎ、水気を取るように軽く叩く。私は部屋の奥に行き、夫人に手伝ってもらってドレスを着替えた。
濡れたドレスを持って乾かそうと暖炉の方へ向かうと、ラルークが上の服を全て脱いで乾かしているところだった。あっ、と思い目を背けるよりも先にラルークと目が合ってしまった。
「ごっ、ごめん、後で乾かすね」
ばっと目を背けて近くのソファに座る。この世界に来てから初めて男の人の裸(といっても上半身だけだが)を見てしまった。上半身くらいなんともないはずなのに、十数年ぶりだとやけに恥ずかしい。顔が熱くなるのを感じぱたぱたと手であおいでいると、ラルークが近付いてきた。
「ごめん、上着たから、お姫様のを先に乾かそう」
彼の言葉を聞いて視線を上げると確かにちゃんと服を着ていた。ほっと胸を撫で下ろす。
濡れたドレスを暖炉の前で広げ、火の粉が飛ばないように注意しながら乾かした。身体も暖かくなり思考がまともになったのか、ふと思いつく。
(そうだ、せっかく魔法使えるんだし、なんなら私の得意属性って風じゃん、服くらい魔法で乾かせるんじゃない?)
脱水機の要領で風の魔法を使えばいいのでは? と考えた私は早速試してみることにする。竜巻みたいな風を起こして回しながら乾かすとほぼ乾燥機と同じかもしれない。水が飛び散りそうだからドレスを風呂場に持っていこうとすると、ラルークが手伝ってくれた。
「もうちょっと水落とした方が良さそうだね」
「うん、それでね、思ったんだけど……こう、風をぐるぐるって起こして、その中にドレス入れたら乾きそうじゃない?」
どう? とラルークの顔色を伺うと、彼は眉を寄せて考え込む。しばらくすると、まあやってみる価値はあるかも、と呟いたのでやってみることにした。
「でもドレスが傷んじゃうかもしれないから、僕の服で試してみよう」
一旦私のドレスは置いておき風呂場の扉を閉じ、ラルークが風を起こす。クルクルと指を回すと風が吹いて徐々に強くなっていく。とりあえず一番当たり障りなさそうなシャツを風の中に入れると、ゆっくりとだが水分が飛んでいくのを感じた。近くに居たせいで、顔にびちゃびちゃと水が飛んでくる。……まぁ、成功っちゃ成功だろう。
「水が飛ぶから、防御魔法かけるね」
私が言うと、ラルークは少し驚いたような顔をした。私たちの周りに薄い膜を張るイメージで、と説明すると、ラルークはわかったと返事をした。そして再びラルークが魔法を使うと、想像していた通りにシャツが乾いていった。
「うん、いい感じだね。もう少し風を当てる時間を短縮出来たらいいけど……」
ラルークが腕を組んで考える。確かに、あまり強風に当て続けると服が傷む。どうすればいいかなと考えている時、ふと思いついた。
「暖かい風を当てるといいんじゃない? ほら、晴れてる日とかお日様が当たってると、よく乾くでしょ?」
私はそういいながら風呂場の外に置いたドレスを持つ。……熱乾燥したほうが傷みそうだが、微かに暖める程度なら大丈夫だろう、多分。
ただ問題は温風をどうやって魔法にするかだ。風属性が得意とはいえ、こういった複雑な魔法は苦手だ。うんうんと悩んでいると、ラルークが暖めるほうの魔法をやると言ってくれた。
さっきラルークがやっていたのを思い出しながら風の強さをイメージする。そして魔法を発動させた。ぶわりとドレスが宙に浮かび上がり、そのまま空中でくるりと回転する。シャツよりも重たいせいか、ラルークがやっていたくらいの風力だとあまり効果がないようだ。もっと強い風をイメージして魔法をかけると、今度はちゃんと回った。そして後ろからラルークが炎魔法? か何かで暖めてくれているようで、ドレスはだんだんと乾いてきた。これなら何とかなりそうだ。
その後、ドレスを何度か回転させてやっと乾いた。シワも伸びて、良い仕上がりになったと思う。乾いたドレスを運び、ソファで一休みする。ドレスが傷まないように気にかけながら魔法を使ったせいで結構疲れてしまった。うとうとしていると、ばさりとブランケットが掛けられる。
「風邪ひいちゃうよ。今日はもう休む?」
休むならベッドに運ぶよ、と言われ首を横に振る。食事もまだだしお風呂も入っていない。眠い目をこすりながらまだ大丈夫、と言うとちょうど部屋の扉がノックされる。ラルークが開けると、食事を持ってきてくれたようで女中さんが立っていた。ラルークが部屋に置いておくようにお願いすると、すぐに出て行ってしまった。もう食事の時間かと窓の外をみると、分厚い雲に覆われて暗かった外が更に暗くなっていた。




