【37】星と写真。
ラルークと約束していた日になった。私は晩御飯を早めに食べたあと、ドレスに着替えて家を出る。ラルークが馬車を用意してくれると言っていたので、少し門の前で待っていると、一台の馬車がやってきた。
窓にはカーテンが引かれていて中の様子が見えなかったが、扉が開かれ、ラルークが中から出てくる。
「待たせてごめんね」
「ううん、ソフィも、さっき降りてきたの。迎えに来てくれてありがとう」
私はそう言って彼の手を取り、馬車に乗り込んだ。
「お姫様と星を見るのは久しぶりだね」
ラルークは懐かしむようにそう言った。そして私の向かい側に座る。馬の手綱を握っている御者に声をかけ、出発するよう指示を出した。
馬車が動き出し、窓から見える景色が流れていく。前に座っていたラルークは、流れていく外の風景を見たあと目線を移し、話し始めた。
「そういえば、今日お姫様が着てるドレス、似合ってるね。瞳の色と同じで、星空みたい」
初めて会った時のとは違った感じだね、と言われて、思い返す。たしかに、あの時着ていたのはもう少し可愛らしい感じのものだった。
「うん、おほしさまみたいで可愛いからこれにしたの! 最近は、こんな感じのドレスが多いかなぁ……前着てたのも、可愛くて好きなんだけど」
もう八歳だし、と付け加える。もうそろそろあざとかわいい作戦も路線変更しなければ、痛々しくなってしまう。ぼんやりとそんなことを考えていると、ふいにラルークが私の隣に移動してきて、少し驚き顔を上げて彼を見ると、くすくすと笑っていた。
「まだそんなこと気にする歳じゃないと思うけど」
そう言いながら、ラルークは私の指を撫ぜる。くすぐったいような感覚に身体を震わせながらも、私は口を開いた。
「もう! からかわないでよ」
ぷいっと顔を背けると、ラルークはごめんごめんと謝りながら私の頭を優しく撫でてくる。
なんだろう、今日のラルークはいつもよりスキンシップが多く感じる。それになんだか雰囲気が違う気がして落ち着かない。いや、普段を知るほど、会う回数も重ねていないから、意外とこういうタイプなのかもしれない。初めてあった時も、やけにくさいセリフをはいていたし。
私が悶々と悩んでいるうちに、馬車は目的地へと到着したようだ。馬車から降りると、そこは小高い丘の上だった。満天の星空の下、私達は芝生の上に座り込む。目の前に広がる光景に、思わず感嘆のため息が出た。
「もう既にすごいきれいだね」
私がそういうと、ラルークはカバンから望遠鏡を取り出して組み立てた。ラルークが望遠鏡を覗いて調整している間、私は辺りを見回した。この丘の周りは何も無く、景色がよく見える。
「山がないから、おほしさまが良く見え……」
あ、と私は言葉を止める。そして、空を見た。星空の中から、月を探す。空が暗く、星を見るのには最適な今日。キョロキョロと見渡して、繊月を見つけた。
山がないと、月が綺麗に見える。……だから、月見里って書いて、やまなしって読むんだよと、誰かが言ったことを思い出す。そう、私、わたしの、名前……。
「お姫様? 月を探してるの?」
ラルークの声ではっと我に返った。
「う、ううん、なんでもない。私、ちょっと歩いてくる」
「……一人で歩くと危ないよ、あんまり離れないようにね」
彼は心配そうな声を出すが、私はそれを無視して歩き出した。後ろで何か言っているのが聞こえたが、聞かなかったことにした。……だめだ、このままじゃ、今から思い出してしまう。
私は深呼吸をして心を落ち着けると、草原の中を走り始めた。少し走って、立ち止まる。しばらくじっとして、また走り出す。それを何回も繰り返した。
どれくらい走っただろうか、気づけば星の位置が変わっていた。いつの間にか随分遠くまで来てしまったらしい。
私はその場にしゃがみ込んだ。膝を抱えて、頭を埋める。……ああ、どうしよう。思い出すのは、夢の中だけでいいのに。
夜の道、街灯、車の音、血の匂い。コンクリートに引き摺られるあの感覚。わたしは、月見里。忘れちゃいけない、今ここでこうして生きていくためには、覚えておかないと。私が、消えないように。
でも、どうしてだろう。今日は、あの夢を見たあとのように心が落ち着かない。
早く戻らないと、ラルークに迷惑をかけてしまう。そう思って立ち上がろうとするが、足が動かない。するとその時、ふわりと身体を抱き寄せられた。驚いて顔を上げると、そこには困ったような表情を浮かべたラルークがいた。
「もうすぐ始まっちゃうよ。戻ろう?」
「あ……うん、ごめんね、ラルーク」
差し出された手を取って立ち上がる。そして、元いた場所へ進んでいく。少し歩いていると、ふと視界の端にきらりと光るものが見えた。
「あ、始まっちゃった」
ラルークがそう言ったのを聞き、空を見上げる。無数の星が、空を駆け巡っていた。少し陰っていた心に、光が灯されたようで、ぐっと息を飲む。
「急いで戻らなきゃ! ソフィ、望遠鏡でおほしさまみてみたい!」
ラルークの手をぎゅっと握ってそう言うと、彼は驚いたように目を見開いた。だがすぐに嬉しそうに目を細めて笑うと、じゃあ走ろうか、と私の手を引く。
元いた場所には組み立てが終わった望遠鏡が置いてあり、ラルークはそれを覗き込んで調節した。その横で、私はまた空を見上げる。
「調節終わったよ」
見方はわかる? と聞かれ、多分大丈夫と答えながらレンズを覗く。一つの大きな星にピントが合わされていて、その周りに小さな星たちがきらきらと輝いていた。
「わぁ……きれい……」
思わず感嘆の声が出る。肉眼で見るのとは少し違った雰囲気の星空だった。まるでプラネタリウムにいるようだ。そのままじっと見つめていると、ふと疑問が湧いてきた。
(そういえば……望遠鏡の開発って、十七世紀くらいじゃなかったっけ……。てっきりここは中世くらいだと思ってたけど、それより後なのかな)
うんうんと考え込む。まあでも、そもそも魔法という科学的に実証できないようなものが使えるんだから、史実通りの時代ではないか。これ以上考えるのはやめよう。私はもう一度肉眼で星を見るため、レンズから目を離した。
「これを写真に残せたらなぁ……」
ぽつりと呟くと、隣にいたラルークがキョトンとした表情で私を見た。
「写真?」
「あっ、うーん、えーっと、すごい高性能なイラストというか、なんていうか……映像魔法? みたいなのってあったっけ」
「映像記録魔法ならあるけど」
「うーんとね、その映像をフィルムに……えっと……うーーん……。……映像魔法でこの景色を手元に残せたらなぁって……」
映像記録魔法があるのに写真っていう概念がないってどういう事なんだと心の中で突っ込みながら説明する。説明すればするほど自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。
ラルークも不思議そうな顔をしている。そりゃそうだよね。
「映像記録魔法でこの景色を残して、あとで見るってこと? お姫様は面白い発想をしてるね」
そう言って笑われたが、馬鹿にしている感じではなかった。むしろ興味を持ったようで、色々聞いてくる。
「お姫様はそれをどこで知ったの? 僕も見てみたいな」
「えぇと……うーん、よく覚えてないなぁ」
前世の記憶です! とか言えるわけもなく、適当にはぐらかす。
「もうちょっと詳しく教えてよ、お姫様のその写真っていうやつ、僕の魔法を組み合わせたら、出来るんじゃない?」
……たしかに、私より魔法上手だし、科学と魔法を融合させたら、案外上手くいくかも。
「えぇっとね、うーんと、光の反射? で映し出された像を、光を集める紙みたいなものにうつしこませるんだけど……」
私がそう言うと、ラルークは少し考え込んだ後、ぼそりと呟く。
「映像記録魔法も、そう言われてみれば光魔法が得意な人のほうが鮮明な気がする。それって光の扱いが上手いからなのかな。記録するのは魔力で何とかなるけど、映し出すのは光がメインだし……となれば、映像記録魔法を使って映し出した映像を、感光紙に映せばいいのか。だとしたら……」
ぶつぶつと何か言い始めたと思ったら、今度はカバンの中からノートを取り出してガリガリ書き始める。私はその様子をぽかんと眺めていた。
しばらくして、ラルークはペンを置くと、よし、と呟いて立ち上がった。そして紙を一枚ちぎり、なにやら魔法を唱える。
「これで、映像記録魔法でこの星空を……それで、こうやって……」
ラルークはその紙を持って再びしゃがみこむ。
そして次の瞬間、彼の手のひらから青白い光が放たれたかと思うと、その光の粒が集まっていき、やがて大きなスクリーンとなった。そこに先ほど見た星空がそのまま映し出されている。
私は思わずわぁっ、と声を上げた。写真とかより、ラルークの魔法の方が凄い。
じっとそのスクリーンを見つめていると、ラルークが手に持っていた紙をスクリーンに当てる。そしてまた魔法を唱えると、紙にスクリーンの映像が転写されていた。
「す、すごい……」
もはや科学とかカメラの原理とかガン無視してるような気はするが、それっぽい写真のようなものが出来上がった。
まさかラルークがここまで魔法の扱いに長けているとは思わなかった。ラルークは満足げな表情を浮かべると、完成した写真を私に手渡してくれた。
「どう? 光を集めるっていうのをヒントにして、やってみたけど……」
その写真を受け取り、改めてまじまじと見る。本当にすごい。写真だ。
「ラルーク、すごい! 魔法ってなんでも出来ちゃうんだね」
私が興奮気味に言うと、ラルークは照れたように笑った。
「はは、お姫様が喜んでくれて良かったよ」
「うん! ありがと。これで、いつでもこの写真を見たら、今日のことを思い出せるね」
私はそういってまた空を見上げる。まだ、流星群は降り注いでいた。ちらと隣にいるラルークをみると、ぽかんとした表情で私を見ていた。
「どうしたの?」
不思議に思って尋ねると、ラルークが慌てて首を横に振る。
「なんでもない。……その写真っていうのもいいけど、やっぱり実際に見に来てるから、この景色を目に焼き付けておかないとね」
そう言って笑うラルークの顔はなんだかいつもと違って見えた。




