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【35.5】ジャックスの記憶。3

 あの後の記憶はあまりハッキリしていない。馬に乗ったあとは緊張の糸が切れたのか何故なのかはよく分からないが、気を失っていた。目が覚めると俺はベッドの上にいて、近くでエルドが座って本を読んでいた。ここは何処だと聞く前に、エルドが先に口を開く。


「よく眠れたか?」


「ここはどこだよ、なんで俺は呑気に寝てんだ」


「ここは騎士団本部の私の部屋だ」


 そう言って、エルドは読んでいた本をパタンと閉じると、俺の方に向き直った。窓の外を見ると、空はすっかり暗くなっていた。あれからどれくらい時間が経ったんだろうか。

 俺が黙っていると、エルドは再び口を開いた。


「皇宮に向かう途中に君が気を失ってしまって、ここまで運んだ。……戦争は終わった。皇后は亡くなったが、すぐにロレティ様が皇后として即位された。……今は戦後処理に追われているが、それと並行して君がいた施設の人身売買の証拠を調査している」


 そう言って、エルドは机の上に置いてあった水差しからコップに水を注ぐと、それを一気に煽る。

 俺はその様子をただ呆然と眺めていた。戦争が終わった? ……んで、マリーはまだ見つかっていないのか。その事実に、心臓がぎゅっと締め付けられるようだった。……マリーは無事だろうか。戦争のことなんかより、そっちの方が心配だ。


「……マリーは……」


 思わず口から出た言葉。それに反応するように、エルドは顔を上げてこちらを見た。


「そのことだが……ひとつ提案があるのだが」


「あァ? なんだよ」


 エルドの言葉に、俺は眉間にシワを寄せながら聞き返す。すると、エルドは真剣な表情で言った。


「マリーを無事に救出出来たら、私の家の養子として迎え入れよう。私の家は男兄弟しか居なかったから、母上は娘を欲しがっていてな。……ただ、君を放置するわけにもいかない。君さえよければ、衣食住全てを保証するから、騎士団に入らないか?」


 そのエルドの提案に、俺は目を見開いた。確かに、マリーを救い出して、その後の生活を保証してくれるなら願ったり叶ったりかもしれない。

 ただ、そんなうまい話があるか? 俺には何か裏があるのでは無いかと勘繰ってしまう。俺の様子を見てなにか思ったのか、エルドはさらに続けた。


「本当は君も一緒に養子にするのが一番なのだが……申し訳ないが、私の家はそこまで裕福ではない。どちらか一人くらいなら余裕はあるが……」


「いや、俺はいい。もとより貴族の養子になんて興味ねェ。マリーの生活さえ保証してくれるならそれでいい」


 俺が即答すると、エルドは少し驚いた顔をしたが、すぐに元の表情に戻った。

 そして、分かった、と一言呟くと、椅子から立ち上がり、そばにある机の引き出しから折りたたみナイフを取り出す。なんだと思って見ていると、エルドはそのナイフを俺に差し出した。


「これで戦ってみろ、あの時のように。あの時の姿を見せたら、君のように幼くとも、騎士団に入る素質があると分かってもらえるだろう」


 エルドは真っ直ぐに俺の目を見る。俺はその目をじっと見つめ返した。


「……でも、俺、あの時は必死になってたから、たまたま上手くいっただけだ」


「君の腕は確かだ。きっと、訓練すればもっと伸びる。騎士団一の実力だって夢じゃない。……私の人を見る目は、間違っていないはずだ」


 エルドは自信たっぷりに言う。俺はしばらく迷ったが、結局、差し出されたナイフを受け取った。



 その後、エルドに連れられて騎士団の訓練場に来た。そこには沢山の騎士たちがいて、皆忙しなく動き回っている。そんな中、エルドの姿を見て騎士たちは一斉に敬礼をした。


「分隊長、お疲れ様です」


「団長は今いないのか?」


「少し前に戻りましたが、じきに戻ってこられると」


 エルドは周りにいた団員と二言三言会話を交わした後、こちらを向いて手招きした。俺は黙ってエルドについていく。


「その……分隊長、そちらの少年は」


 エルドと一緒にいる俺を不思議に思ったのか、一人の若い男が声をかけてきた。エルドは振り返り、その男に向かって言った。


「彼と訓練してもらいたくてな。名前は……」


 エルドはそこで言葉を切って、こちらを振り返る。俺は黙ったままエルドの顔を見た。


「……ジャックス」


 俺がそう名乗ると、エルドは満足げに微笑んだ。


「ということだから、手合わせしてくれ」


「でも、まだ見たところ五、六歳ですよね……?」


 男は困惑しながら聞く。そりゃそうだ。こんなチビがいきなり現れて、手合わせしろとか言われても困るだろう。

 しかし、エルドは気にせず続ける。


「ああ。だが彼は素晴らしい才能がある。……ただ、まだこういった手合わせは慣れていないだろうから、ハンデとしてお前たちは木剣で彼は実刀でいいだろう? その代わり、手加減はするなよ」


 エルドの言葉に、周りの騎士たちの間にどよめきが起こる。


「おい、ちょっと待て、急にやらせるのか? 俺は訓練なんてした事ねぇし、体術の知識だってないんだぞ」


 俺が慌ててそう言うと、エルドは大丈夫だと言ってそのまま歩き出す。俺は仕方なくその背中を追った。


 それから、俺たちは広い場所へと移動して向かい合う。目の前にいるのはさっきエルドと話をしていた男。そいつは訓練用らしい木剣を構えた。


「ジャックス、殺さなければ傷をつけても構わないぞ」


「んだよそれ……」


 エルドの言葉に小さく返事をして、俺はナイフを構える。……単純な力だけだと、絶対負ける。相手は訓練された騎士だ。俺が勝つには、速さしかない。俺は大きく息を吐いた後、一気に駆け出した。


 まずは相手の懐に入り込む。そして、下から上へ思い切り振り上げた。狙い通り、男の顎を捉えたが、ガキンッという音と共に弾かれる。どうやら咄嵯に防がれたようだ。


 俺は一旦距離を取るため後ろに下がる。すると、今度は向こうが攻撃を仕掛けてくる。素早い突き攻撃だった。俺はそれをギリギリまで引きつけて避ける。避けたと思った瞬間、男の木剣が俺の首元を狙ってきた。


 俺は体を捻ってなんとかかわすと、その勢いのまま足払いをかける。そのまま体勢を崩した相手の喉仏にナイフを突きつけたところで止めた。一瞬の静寂の後、周りから歓声が上がる。


 俺は思わず固まってしまった。まさか本当に勝てるとは思わなかったのだ。

 こうして無事に団員たちに認められ、俺は騎士団に入ることを前提として、エルドと同じ部屋だが衣食住を保証された。



 それから数週間が経った。俺は毎日騎士団の人と手合わせをし、時々エルドから文字を教わり、ただひたすらマリーの無事を祈りながら生活した。

 エルドはずっとマリーの捜索とマルティの証拠集めをしていて、部屋に戻るのは日付が変わったあと、ほんの数時間だけだった。

 俺は何も出来ないことにもどかしさを噛み締めつつ、それでも何も言わずにエルドの帰りを待つ日々が続いた。マルティとマリーが見つかったら、真っ先に俺に伝えると約束してくれたから、俺はとにかく早く体術をものにしようと練習を重ねた。


 そんなある日のことだった。いつものように騎士団の人たちの手合わせを終えて自室に戻ると、エルドが机の前に立っていた。


「おかえり」


「……珍しいな、エルドが先にいるなんて」


 俺は扉の前で立ち止まったまま言うと、エルドは振り返って微笑む。


「今日はジャックスに大事な話があってね」


「……なんだ?」


 俺が聞くと、エルドは真剣な表情になって言った。


「マルティが奴隷のオークションに参加することが分かった。マリーがいるかは分からないが……どちらにせよ、奴隷や人身売買は違法だ。ここでカタをつけよう」


 エルドの言葉に、俺は目を見開く。ついに、この時が来たのか……。俺は唾を飲み込んで、大きく深呼吸した。


「俺も連れて行ってくれ」


「あぁ、そのつもりだ。だが、あまり目立つような行動はするな。約束できるか?」


 エルドの言葉に、俺は深くうなずいた。

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