【35.5】ジャックスの記憶。1
俺の親は気付いたら居なくなってた。親なんて居ないのが普通だと思って生きてきたし、居なくても問題ない。一個下の妹と二人きりの生活は、とくに苦じゃなかった。
スラム街みたいな所に捨てられなかったのが不幸中の幸いだったが、それでも貧乏なことに変わりはなかった。生きるためには盗みだってした。
そんなある日、俺たちの目の前に一人の貴族が現れた。身なりの良いそいつは、俺たち兄妹を見てこう言った。
「君たちさえ良ければ、私たちと一緒に来ないか? 同じくらいの歳の子達もいるよ」
俺はどうでもよかったが、妹だけは屋根のある家で住ませてやりたかった。だから、その男に着いていった。
そして案内されたのはとある施設だった。そこには同じような境遇のガキが集まっていて、身の回りの事を自分でこなしながら過ごしていた。ベッドもあり、作るのは自分たちだが食材もある。服もあれば本もある。
ここでなら、妹に不自由な思いをさせなくて済むかもしれないと思った。
「ここでは仲間たちと協力しながら生きる術を身につけ、本を読んで世界を知り、施設の外に出て社会を知る。それがこの施設の役目だ」
男はそう言って俺達に説明した。そして施設にいるガキを集めて、俺たちを紹介する。
「今日からここに入る仲間だよ。みんな、挨拶して」
すると、一斉にガキどもが頭を下げてきた。そして順に、自己紹介する。
「君たち、名前は?」
男に言われて、俺は口を開く。
「オレはジャックス……こいつは……わかんねェから、マリーって呼んでる」
そう言うと、ガキの一人が首を傾げた。
「二人は兄妹じゃないの?」
「……わかんねェ、親のことはあんま覚えてねぇんだ。俺がジャックスって呼ばれてたのと、こいつが一個下だってことくらい……」
その答えを聞いたガキ共は、驚いた様子を見せた後、少ししてから何かを察したのか頷いた。
それから、それぞれの役割分担などを決めさせられた。
食事の準備、掃除、洗濯、勉強、仕事……覚えることはたくさんあった。
でも、普通の生活ができるのは、この施設に入っているからだ。皆文句一つ言わず、一生懸命働いていた。
「ジャックス、マルティ様は、優秀な子を貴族の養子にしてくれるんだよ」
ある時、一緒に料理当番だったガキのひとりがそう言った。マルティ……あの男の名前だ。
「……ふん、興味ねェな……。まァ、マリーは貴族ンとこ入った方がいいかもしれねェが……俺はマリーが一人で生きられるようになったらそれでいい」
俺の言葉を聞くと、そのガキは変な顔をしていた。
「ジャックスはなりたくないの? せっかくのチャンスなんだよ?」
そんな事、考えたこともなかった。
俺にとって大事なのは、妹の幸せだけだ。それ以外はどうでもいい。
「まぁ……必死になってやる必要はねぇな」
俺はそう言って適当に話を流した。
・
「今月はアディだね。卒業おめでとう」
俺が施設に入って数ヶ月経った頃、一人の女が施設を出ることが決まった。アディは料理と裁縫が得意で、施設の中ではそこそこ歳上な十二歳だった。彼女は笑顔で、他の奴らに別れを告げていて、俺はそれをぼんやりと眺めた。
(……貴族の養子、か)
正直、羨ましいとは思わなかった。
貴族なんかロクなものじゃない。それは、街にいた頃から知っていた。
ただ、俺にはマリーを養っていくだけの力はない。あいつだけでも、楽な生活をさせてやりたい。俺一人なら野垂れ死んでも構わないが、マリーは違う。あいつだけは、何があっても守ってやらないといけなかった。
それに、マリーは女だ。これから先、もっと苦労するだろう。だから、せめてあいつだけは、ちゃんとした暮らしをして欲しかった。
「おい、マリー」
アディのお別れ会が終わったあと、本を読んでいたマリーに声をかける。
「んー?」
マリーは顔を上げて俺を見た。
「お前、貴族の養子になりてぇか?」
そう聞くと、マリーは目を丸くしたあと、少しだけ悲しそうな表情になった。
「んー、ジャックスと一緒なら、どこでもいいや」
予想外の返事だった。
俺はてっきり、貴族の養子になりたいと言うと思っていた。貴族の養子になれば、衣食住も保証される。マリーの望むものだって手に入る。なのにどうして、俺と一緒が良いなんて言ったのか。俺が戸惑っていると、マリーが言葉を続けた。
「だって、わたしはずっと前から決めてたもの! いつか絶対、ジャックスと一緒に暮らすんだって!」
そう言って、満面の笑みを浮かべる。その瞬間、胸の奥が熱くなった。今まで感じたことの無い感情だった。それが何か分からなかったが、悪いものじゃ無いことは分かった。
「……お前は変だな、俺と一緒に過ごしてつれェことばっかなの、経験してきたくせに」
それだけ呟いて、俺は立ち上がった。
「でも、私をここまで育ててくれたのはジャックスだし、お兄ちゃんでもあって親みたいなものだもん。ずっと一緒がいいな」
マリーはそう言って笑う。俺はなんだか恥ずかしくて、頭を掻いた後、マリーに背を向けた。
その後、大規模な戦争が起きたのはすぐだった。
・
「男は盾になってこの施設を守れ! 女は一旦俺の屋敷に逃げるぞ」
戦争の知らせが街に広まった直後、マルティは俺たちにそう言った。女のガキたちを馬車に乗せきったあと、バタンとドアを閉じる。男は俺を含めて五人しかいない。どうやってこの施設を守れっていうんだ。
「なんで……僕達も乗せてよマルティさま!」
「お願いします、助けてください!」
男どもが必死に訴えかけるが、マルティは首を横に振っていた。
「ダメだ。お前らを乗せるほど馬車は広くない、屋敷に行って戻ってくるまで辛抱しろ!」
「そんな……っ」
泣き出すガキもいた。だが、マルティが乗った馬車はそのまま走り去った。
「ジャックス!」
窓から身を出しマリーが俺の名前を呼んだ。その後、馬車の中に引っ込まって馬車は見えないところまで行ってしまった。
「ひどい、ひどいよマルティさま……、ぼくたち五人で守るなんて無理だよ」
「しかももう、あんな所まで敵国が来てる……僕達もにげよう!」
男どもはギャーギャー騒ぎながら施設の中へ入っていく。俺は外で一人、ナイフを持って立ち尽くしていた。辺りに銃声が響き、遠くから悲鳴も聞こえる。俺は、どうすればいいんだろうか。このままここに残れば、きっと死ぬ。だけどここに残らないと、マリーと離れてしまう。マルティは戻ってくると、そう言っていた。
(……クソッ)
俺は地面を思い切り蹴飛ばした。俺にはマリーしかいなかった。あいつさえいればそれで良かったのだ。
だから、ここで死ねるわけがなかった。俺は施設に向かって走った。ナイフ一本じゃ足りない。なにかもっと、他に武器になるものを。
敵が入ってきたと思ったらしい男どもがビビり散らしながら俺の方を見る。それを横目に包丁やナイフやらをかき集めてポケットに押し込んだ。
そして、施設に戻ってすぐに、俺は窓を割って外へ飛び出した。中で戦うと、アイツらも死んじまうと思ったからだ。ギャーギャー泣きわめいてうるさいが、それでも少しの間一緒にいた家族のような存在だ。見捨てることはしたくなかった。




