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【32.5】エルドの記憶。

 俺は子爵家の三男として生まれてきた。貴族と言っても名ばかりの貧乏な家で、使用人も数人しかいない。

 父上と母上は、とても優しい人達だった。二人とも、俺たち兄弟のことを愛してくれて、大切に育ててくれた。


 兄二人はとても明るく、元気な人だ。対して俺は、内気であまり人前に出るのが得意ではなかった。勉強ばかりしていて、父上と母上を困らせていただろうなと、大人になってからは思う。


 ただ、アルファード家を継ぐのは俺では無い。だから、そこまで俺に対して気にかけることはしなかった。愛されてはいたが、どこか無関心なような気もした。そして、ある日事件は起こった。


 当時十一歳だった俺は、その日は一人で街に出かけていた。友達はあまり多くなかった。同年代の貴族の子達は、みんな親の権力を振りかざす。それが嫌で、俺は一人で過ごすことが多かった。だが兄上たちは明るく、社交的で友達も多かった。俺は、見ているだけで楽しかったから、それで良かった。


 一人で街を歩いていると、なにか辺りが騒がしい。何があるのだろうと騒ぎの中心を見たら、そこにはナイフを持った男が立っていた。

 周りにいる人たちは逃げ惑い、悲鳴を上げていた。男はニヤリと笑いながら、逃げる人たちを追いかける。俺は怖くて、その場に立ち尽くしていた。

 すると、誰かに腕を引っ張られた。驚いてそちらを見ると、長男の方の兄上が居た。


「エルド、何突っ立ってるんだ! 早く逃げるぞ、ここは危ない」


「あ、兄上……どうしてここに」


「お前が街に行ったって母上が言うから、追いかけてきたんだ。今日はお前の誕生日だろ、なんで勝手に出て行ったんだ」


 誕生日? ああ、そうだ。完全に忘れていた。自分のことなのに、すっかり頭の中から抜け落ちてしまっていた。それにしても、まさか、こんなことになるなんて。


 その時、大きな音が聞こえた。振り返ると、先程まで俺がいた場所で男が発砲している。パンッという音と共に、レンガ造りの壁が崩れ落ちた。あんなもの、当たったら死んでしまう。俺は兄上に手を引かれ、その場を離れた。

 しばらく走って、息が切れて止まったところで、やっと離してくれた。


「馬車を呼んであるから、そこに向かおう。少し離れたけど、走れば問題ない。少し休んだら行こう」


 そう言って、近くの木陰に座った。俺も隣に座って、呼吸を整えるために深呼吸をした。ふぅーっと大きく吐いて、もう一度吸う。

 暫く休んだ後、兄上が戻ろうと手を引いた。俺は兄上の手を取って立ち上がった時、後ろの方で声が上がった。


 振り向くと、先程の男がまだ追ってきていた。兄上は慌てて立ち上がり、腰に差していた短刀を構えた。

 相手は大柄で、身長は二メートル近くあるだろうか。筋肉も隆々としており、明らかに普通の人間ではない。

 どうしよう、誰か、助けて。叫ぼうにも、街の大通りから少し離れた木が茂るこの場所には、誰も来ない。このままでは、殺される。


「エルドは逃げろ! それで誰か助けを呼んでくれ」


 兄上が俺に向かって叫んだ。俺は恐怖で足がすくみ、動けなくなった。その間にも、男は近づいてくる。怖い、死にたくない。必死に頭を働かせて、なんとかしなくてはと思うが何も思いつかない。

 目の前に来た男が、俺の腕を掴んだ。


「エルドを離せ!」


 兄上が短刀で斬りかかるが、簡単に弾かれてしまう。無理もない、体格差、年齢差、技量差、全てが圧倒的だ。それに、貴族である俺たちは、護身程度の剣術しか習わない。


 兄上はそのまま地面に叩きつけられてしまった。男は馬乗りになって、何度も殴りつける。俺は震えながら、その様子を見ていた。

 やめて、もう許して。ごめんなさい。心の中で叫んでも、誰にも届かない。はやく助けを呼ばないと。でも、どうやって。

 兄上が殴られているのに、俺はただ見ているだけ。俺は、無力だ。兄上が動かなくなり、男は俺の方に歩いてきた。俺は咄嵯に逃げようとしたが、すぐに捕まってしまった。


 そして、首元を掴まれ持ち上げられる。苦しい、痛い、怖い。涙が出てきた。そのまま、俺は投げ飛ばされる。地面の上を転がり、倒れたまま起き上がることができない。身体中が痛み、動かない。

 男がゆっくりとこちらへ来るのが見える。ああ、俺は死ぬのか。そう直感した。


「ち……っ、貴族っつっても、そんなに身分はなさそうだな……あのガキが斬りかかってきやがったから思わず瀕死にしちまったが……こいつは人質にでも取っておくか」


 男はそう言いながら近づき、俺の首根っこを掴むと引きずって歩き出した。俺は抵抗する気もなく、されるがままだった。


「坊ちゃん!!」


 後ろから兄上の護衛が叫ぶのが聞こえた気がしたが、俺は目を閉じた。もう、全てを諦めていたからだ。このまま意識を手放したい。そして、目が覚めたら、さっきのことは夢であって欲しい。

 そう思って意識を手放そうとすると、首がふっと解放される。何が起きたのかと目を開くと、兄上の護衛がさっきの男を斬っていた。

 血飛沫が飛び散り、男の悲鳴が聞こえる。


 その光景を見て、一気に現実に引き戻された。護衛は男を倒した後、俺と兄上を抱えて走り出す。俺は怖くて、ずっと泣いていた。

 暫く走ったところで、馬車が見えてきた。馬車に着く頃には、俺も兄上も傷だらけで、服もボロボロだった。俺も至る所に傷があったが、それ以上に兄上は酷かった。殴られ続け、顔は腫れ上がり、口の端からは血が出ていた。呼吸は浅く、途切れ途切れに息をしている。

 馬車に乗ってから、兄上の手を握って泣くことしかできなかった。


 屋敷に戻ると、母上が飛び出してきて、父上を呼びに行った。俺も兄上も手当てを受け、自室に戻った。

 俺は部屋に入ると、メイドに休むように言われた。手当をされ、そのまま意識を手放した。



 翌朝、慌ただしい様子で起こされた。


「エルド坊っちゃま、大変です、レオ坊っちゃまが……」


「レオ兄様が……?」


 嫌な予感しかしなかった。急いで着替えると、朝食も食べずに部屋を出た。

 兄上の部屋に行くと、父上と母上と次男の兄上がベッドを囲んでいた。


「兄上……!」


 俺は三人の間に入り込む。兄上は、ベッドの上で、静かに息を引き取っていた。


 俺はその場に崩れ落ちた。昨日の出来事は、全部悪い夢だと思いたかった。だけど、これは紛れもない事実だ。

 目の前にある冷たくなっていく兄の体。それが全てを物語っている。どうしてこうなったんだろう。泣き叫ぶ俺の身体を、母上がゆっくりと抱きしめてくれた。


「エル、あなただけでも、生きていて良かった」


 そう言って、優しく頭を撫でてくれる。俺は声を上げて泣いた。

 兄上が死んだ。あんなに優しかった兄上が。明るくて、みんなと仲良くしていた兄上が。


 俺が、一人で街に出たせいで。


 それから数日経っても、悲しみから抜け出すことはできなかった。兄の死をいつまで経っても受け入れられなかったのだ。食事もほとんど喉を通らず、夜になると毎日のように泣いた。

 そんな日々が続いたある日、俺はふと思った。俺が強かったら、もっと強かったら、兄上を助けられたかもしれない。もっと強かったら、あの男を倒せたかもしれない。もっと強かったら、兄上に庇われずに、もっと……。

 俺は強くなりたい。兄上の護衛があの男を倒したみたいに、俺も騎士団に入って力をつけたい。俺は、兄上の護衛に頼み込んだ。最初は断られたが、何度も頼んでようやく了承してくれた。あと一年で、騎士団に入れる年齢になる。俺は、絶対に騎士団に入団する。



 あれから一年が経った。俺は今日十二歳になる。そして、二ヶ月後には騎士団の入団試験がある。

 父上も母上も、驚きはしたが、騎士団に入団するのを止めなかった。ただ、次男の兄上だけは違った。

 兄上が死んでから、あまり口をきかなくなった。兄上が死んだのは、俺のせいだと、言われた。確かにそうだ。俺が弱いから、兄上は死んだ。だから、今度は俺が強くなる番なんだ。強くなって、もう誰も失わないようにする。大切な人を守る力が欲しい。せめて、今いる家族だけでも。


 俺は朝早くから家を出て、剣の稽古をする。まずは体力をつけるため、家の周りを走り回り、その後木刀を持って素振りを始める。この世界には魔法があるが、俺は使えないので、剣術で戦うしかない。

 幸い、勉強の飲み込みがいいこともあり、力は弱かったが、相手を抑えるコツはすぐに飲み込んだ。ただ、まだまだ鍛錬が足りない。もっと鍛えないと。


 そうして、昼過ぎまでひたすら訓練をしていた。すると、遠くから足音が聞こえてきた。誰か来たのだろうか。

 不思議に思っていると、現れたのは兄上だった。俺は驚いて固まってしまった。


「兄上……」


「エルド、いい加減にしろ! お前は、……っ。兄上に守られて、何も出来ずに兄上を見殺しにしたお前が、騎士団に入って何が出来る! 兄上が命をかけてまで守ってくださったのに、その命をぶん投げるつもりか! ふざけるな!」


 兄上は怒鳴りつける。俺は思わず目を伏せた。彼の言う通りだ。俺は兄上に助けられてばかりで、結局兄上を助けることが出来なかった。そんな俺が、騎士になろうなんて、虫が良すぎる話だ。

 でも……。


「……でも、俺は強くなりました。力はまだ弱いけど、騎士団に入団して三年、必死に鍛錬をします。確かに兄上のおっしゃる通り、俺は弱く、レオ兄様に守られた。助けを呼べなかった。レオ兄様が殺されそうになっている時も、見てることしか出来なかった。……だからこそ、俺は、もう誰も大切な人を失いたくないから、騎士団に入ります」


 俺が真っ直ぐ目を見て話すと、兄上は黙ってしまった。そして、大きく溜め息をつく。


「……もう、知らんからな。お前のことなんか、大嫌いだ」


 それだけ言い残し、兄上は去っていった。


 ……兄上と、家族と、また一緒に笑い合える日は、来るだろうか。

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