【29】皇太子の見る世界。
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その夜、騎士団本部地下室にて。
かつ、かつと革靴の音が響く。暗い廊下を歩くのは、黒い外套に身を包んだクロムとエルドだ。
彼らはとある部屋の扉の前で立ち止まると、コンコンとノックをした。
「入るぞ」
返事を待たずに、二人は部屋に入る。そこは薄暗く、蝋燭だけが灯されていた。
中央に置かれた机の前に座っているのは、一人の男性だった。彼は入ってきた二人を見ると怯えた表情で顔を逸らす。
「殿下、本当によろしいのですか……?」
「あぁ? こんなものをお嬢さんに見せる訳にはいかんだろう」
「いえ、令嬢ではなく、治癒魔法を使える団員はいますが」
エルドの言葉に、クロムは首を横に振る。そして、ゆっくりと口を開いた。
「構わん。俺も多少は治癒魔法を使える。……こいつが一日経っても口を割らなかったら、その時は仕方ないがお嬢さんか信用出来る騎士団員を呼ぶとしよう」
うっかり殺してしまってはいかんからな、とクロムは笑う。エルドはその言葉に眉根を寄せたが、それ以上は何も言わなかった。
「あぁエルド、もう出て構わん。なにかあったら呼ぶ」
「……畏まりました。では、失礼します」
エルドが退室すると、クロムはゆっくりと椅子に座っている男に近づく。男はガタガタと震えながら、それでもなおクロムのことを睨みつけていた。クロムはそんな男の顎を掴むと、無理やりこちらに向かせる。
そして、ニィッと笑った。
「お前が知ってることを全て話せ」
男は怯えながらも当たり障りのないことを吐いた。そして、全てを話し終わると、クロムはふぅんと言いながら男の頭を掴んだ。
そして、そのまま握りつぶす。炎が男の頭に燃え上がり、その後ぐしゃりという音とともに、血飛沫が上がった。
「あぁぁぁああああぁぁっ!!」
男が叫んだのを気にも留めずに、クロムはただ淡々と質問を続ける。
「それで? セドリックを切ったのは何故だ」
答えろ、とクロムが言うと、男は痛みに喘ぎながらも答える。
「たの……まれた、んだよ……せん、そうのために……しかたねぇんだ……」
クロムは小さく舌打ちをする。この男は使えそうもない。
「セドリックを狙うように指示されたのか? どこの誰に、何の目的で、狙ったらお前になんのメリットがあると言われたんだ。そこまでしっかり言わんか」
クロムが指に力を入れると、男は悲鳴を上げる。しかし、クロムは手を緩めることなく、むしろさらに力を込めていった。
やがて、ゴキリッという鈍い音が響き、男の声が止む。
「あぁ、死ぬなよ? 今治癒魔法をかけてやる」
クロムの手から光が溢れ、男の身体を包み込む。そして、しばらくして光の中から出てきたのは、傷一つない姿の男だった。
クロムは満足そうに微笑んで立ち上がる。
「で? どうだ、言う気になったか?」
「…………」
男は黙って首を振る。クロムはため息をつくと、再び男の頭を掴んで持ち上げる。
「まあいい。言うまで繰り返すまでだ。死なせはせんからな」
そう言って、クロムは再び男の頭蓋を砕く。手に握られたナイフが真っ赤に染まり、床にぼとりと落ちた。それから何度も同じことを繰り返し、ようやく男は口を開いた。
彼は血まみれになり、声は聞き取れないほどである。
「すまないな、喋れんだろう。声帯だけ治してやろう」
「護衛とお前を殺すか、人質に取るように言われた。テルニージの騎士団長だ。あそこの国は、騎士団長が計画書を出して国王が宣言を出す。もう、いずれにせよ計画書は国王に渡っている」
声帯を治され、男は堪忍したように全てを吐いた。
「ふん、最初から言えばいいものを」
クロムはつまらなさそうな顔で呟き、それから男の首を切り落とした。そして、その死体を燃やし尽くす。
部屋の中には、血と肉が焦げる臭いだけが残った。
「……」
クロムは燃え尽きた男の灰を見ながら考える。襲撃は何とかなった。犯人の目星も付いた。……ズキン、と頭が痛む。
(……ようやく予知が来たか)
クロムはこめかみを押さえて目を瞑った。そして、しばらくすると目を開ける。
(これは……戦場か? お嬢さんと……良かった、セドリックは生きているな。……なぜ、泣いているんだ。もう少し……クソ、ここまでか)
そこで映像が途切れ、クロムは思わず顔を歪めた。頭痛はまだ続いている。
彼は大きく深呼吸をして、気持ちを落ち着けようとした。だが、胸の奥底から湧き上がってくるような不快感は収まらない。
クロムはもう一度大きく息を吸うと、ゆっくりと吐き出す。
(聖誕祝祭の三人は予知だ……ただ、武器を持った姿しか映らなかった。まだ、俺の特化魔法は完璧ではない)
クロムは自分の手を見つめた。そこには、先ほどまで男を殴り殺した時の感触が残っていて、べっとりと返り血もついている。
彼は顔を歪めた。こんなもの、見たところで気分が悪くなるだけだ。
クロムは乱暴に手を払うと、そのまま振り返らずに部屋を出た。
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「殿下、終わりましたか」
「ああ、エルド。ちょうど今終わったところだ」
部屋を出たクロムは、少し歩くと近くで待っていたらしいエルドに声を掛けられる。クロムは軽く返事をしながら、返り血にまみれた手袋を外し、炎魔法で燃やした。
それを見ていたエルドの顔が僅かに曇る。
「あまり無茶をしないでください。殿下には殿下の役目があるのですから」
「分かっている」
クロムは素っ気なく答えながら、廊下を歩いていく。
「それにしても、随分時間が掛かりましたね。それほど口の固い相手だったのですか?」
クロムはピタリと足を止めた。そして、ゆっくりと後ろを歩くエルドを見る。その表情は、いつもの彼からは想像できないくらいに冷たいものだった。
しかし、それは一瞬のことで、すぐに元の笑顔に戻る。
「馬鹿の相手は困るな。手こずってしまった。向こうの騎士団長が主犯らしいぞ。顔は分かるか?」
「ええ、勿論。金髪で瞳は青です。背が高く、かなり目つきの悪い男です」
「そうか。そいつを捕らえて処刑でもするか。……それより、父上に見られる前に、服を着替えておこう。騎士団のシャワーを借りてもいいか?」
はい、とエルドが答えるのを聞いて、クロムは歩き出す。適当な服を用意してくれ、と彼が言うと、エルドはすぐに準備させます、と頭を下げた。
シャワールームに着くと、クロムは服を脱ぎ捨てた。汚れたシャツをバサリと脱ぎ、ズボンも下着ごと下ろす。
そして、浴室に入ると蛇口を捻って頭から水を被った。熱くなった身体に水が染み渡り、全身の返り血が流れていく。
(……あんな姿は、セドリックには……父上にも、見せられないな)
備え付けの石鹸を手に取り、血が付いた身体を洗っていく。指の間から赤い泡が立ち上り、排水溝へと流れていった。
(……予知の映像は断片的だったが、二人が生きているということは、勝ったも同然……ただ慢心しないように、気を引き締めなければならんな)
クロムはそう考えながら、身体の泡を流し蛇口を捻って水を止める。そして、タオルで頭を拭きながら外に出ると、着替えが置いてあった。新しい服に身を包み、髪を乾かしてシャワールームを出る。
「俺は戻る。遅くまですまない、エルド」
「ええ、構いません。お気をつけてお帰りください」
クロムは軽く手を振って、その場を離れた。




