【23】緊急事態発生。
「……ということでして、精霊との契約にはそれ相応の魔力が必要となります」
「へぇ……」
リセリーさんの知り合いの精霊に詳しい人が来て、精霊についての話を教えてくれていた。
なんでも、精霊と契約するには、その精霊と同等以上の魔力量が必要なのだそうだ。だから、普通私みたいな子供が召喚しても、大した精霊は呼べないというわけだ。
私はリリーをじっと見る。この子はセドリックでも目視できなかった。つまり、相当強い子なんだろう。そんな子がどうして私の頭に落ちてきて、しかも髪の毛を食べるくらいには懐いてるんだろうか……。
私が首を傾げると、リセリーさんの知り合い……ケニーさんはくすりと笑い、そっと耳打ちしてきた。
――あなたはとてもいい匂いがします。
その言葉にドキリとする。ドスケベ変態発言も、顔がいいせいで無駄に色っぽく聞こえる。緊張を隠すように自分の匂いを嗅いでみる。自分では、よく分からない。
「あぁ、体臭とかではなく、魔力のはなしです。純度の高い魔力は、いい匂いがするんですよね」
そう言ってケニーさんは笑う。なるほど、そういうことか。確かに、私の魔力は人より多いらしいし、純度? がどういうものかよく分からないが、それならリリーが私に懐くのも分かる。
私がまだ小さい頃、魔力測定をした時、計測器を壊しかけたことがある。それ以来、魔力量は測っていない。私が納得した顔をすると、ケニーさんは少しだけ悲しげな表情を浮かべた。そして、静かに口を開く。
「……お嬢様は、その力を隠しておいた方がいいかもしれませんね」
え、と聞き返そうとした瞬間、部屋の扉がバンッと開いた。驚いてそちらを見ると、そこには息を切らした父が立っていた。父はこちらに気付くと、ズカズカと歩いてくる。
「ソフィ、高位精霊を召喚したのかい?」
「うっ、ううん、召喚したんじゃなくて、お庭に居たのを追いかけてたら(中略)契約することになって」
父に問い詰められて、私はしどろもどろになりながら答える。
すると、父は眉間にシワを寄せてため息をついた。
「どこから漏れたのか分からないが、軍事騎士団からソフィ宛に要請が来てる。治癒魔法に特化した高位精霊の契約者を連れて来いって」
……はい? 私は思わず目を丸くさせた。
いやいやいやいや、ちょっと待ってほしい。軍事騎士団からの要請ってなに? 私は慌てて父の言葉を遮った。
「まっ、まって、ソフィ、戦いに行くってこと? 治癒魔法って、魔法騎士団の人も使えるよね?」
魔法騎士団の人たちだって怪我したら治すんだから、別に私の出番ではないはずだ。確かに、治癒魔法全般使える人は珍しいとは言っていたけど……。しかし、父は首を横に振った。
「隣国との戦争だ。近衛騎士と一部の魔法騎士以外は、殆ど戦場に駆り出されるらしい。パパがなんとか軍事騎士団の人たちを説得してるけど、恐らく……」
あんの、ジャックスのやつめ……! 絶対、あのことを根に持ってるな!? ……いや、ジャックスが決めたのかは分からないけど、団長だし多分そうだろう。
……この国では、最低限の戦争しかしない。それは現皇帝であるベルク陛下の方針だった。
彼は『太陽』の皇族、歴代最高の魔力を持つとされる超有能皇帝。先代が若くして亡くなり十二歳にして国政を担う。皇族が代々引き継ぐ未来予知と炎魔法を五歳から自由に扱え、またその炎魔法はその当時の魔力で町ひとつを燃やせるほどとされていた。
そんな彼が、即位してすぐに宣言したのが、『攻め』の戦争はするなというものだった。彼の魔力があれば、他国を攻め落とすことも可能だったが、それをしなかったのだ。
理由は簡単。国民が疲弊するからだそうだ。もちろん、食料事情などもあるのかもしれないけれど、それ以上に民の心が荒むことを憂いていた。陛下は怖い顔をしているが、意外と平和主義なのだ。
だからといって、他国に攻め入らないわけではない。むしろ、陛下の宣言により攻め入られることは増えた。しかし、『攻め』の戦争をやめたことにより、資源も人員も確保でき、今のところ大きな問題にはなっていない。
そんな帝国が、隣国との戦争に踏み切ったのだ。しかも、治癒魔法の使い手を集めてまで……。私はごくりと唾を飲み込んだ。
これは、まずい。非常にまずい。
隣国は、近隣国のなかで一番魔法が発展していると言われている、テルニージ国だ。
***
とある日、団長室にて。
「ケニー、精霊について教えに行って欲しい所があるのですが……」
セドリックが倒れた数日後、リセリーは魔法通信具を起動させ、ケニーと呼んだ人に話しかけていた。しばらくの沈黙のあと、通信具の先の相手はゆっくりと口を開いた。
『……分かりました。後日、そちらに向かいます。でも、急にどうしたのですか? 騎士団の中で、精霊を召喚した人でも?』
「いや、騎士団ではなく……公爵家の令嬢ですが、彼女の兄が騎士団志望で。知っておいた方がいいと思いまして」
見たところ高位精霊でした、と言ったリセリーの言葉に、ケニーは驚いたような声を出した。それもそうだろう。公爵家の令嬢といえば、二年前の聖誕祝祭で、総団長のエスコートを受け、女の護衛を連れていたまだ幼い少女だ。
『……なるほど、分かりました』
ケニーは全てを察したように返事をした。彼女くらいの歳で高位精霊との契約者となれば、他にその情報が漏れれば、良くて軍事利用、悪ければ……。
内密に、と念を押してきたリセリーの言葉の意味もわかる。
「ありがとうございます。こういうことを頼めるのはあなたしか居ません。助かります」
『いえ。それで、日にちですが……』
「おい、リセリー、今言ってたのは本当かァ?」
「なっ……ジャックス、あなた、何勝手に私の部屋に……」
バン、と勢いよくリセリーの部屋の扉が開かれ、突然背後に現れた男に、リセリーは驚いて振り返る。そこには、ニヤついた笑みを浮かべた男が立っていた。リセリーは慌てて通信具を切り、ジャックスと呼んだ男に向き直った。
彼はこの国の軍事騎士団団長であり、問題児として騎士団に広く知られている。若くして団長になったが、性格が悪く、一部の部下に対して横暴な態度をとることで有名だった。
今日は朝から機嫌が悪いと思っていたら、まさかこんなタイミングで現れるなんて。ジャックスは部屋を見渡したあと、けっ、と吐き捨てるように言った。
そしてずかずかと中に入り込み、ソファにどっかり腰掛ける。リセリーはため息をつくと、仕方なく向かい側の椅子に座った。すると、ジャックスが不愉快そうな顔をしながら、テーブルに足をドンっと乗せる。
「来月、戦争だってよォ……。ったく、お隣サンは気が早いぜ」
「は? 何ですかそれ、聞いてませんけど」
「さっきエルドが言ってやがった。国境付近の狩人がうっかり鳩を撃ち落としたら、戦争計画書が脚に巻かれてたってよ」
まぁ俺にとっちゃ都合のいい話だがなァとジャックスは続けた。彼は戦争が好きなのだ。おかしな話だが、戦いに過敏で、いつでも相手を挑発して戦おうとする。
ただ、隣国に喧嘩売るほど馬鹿ではない。きっと、この話も本当なのだろうとリセリーは考えた。
しかし、戦争というのは急すぎる。確かに、最近は他国からの侵攻が多くなっていたが、それでも戦争になるほどのものではなかったはずだ。
リセリーが考え込んでいると、ジャックスが口を開く。
「今エルドが陛下サマに話してるところだぜ。……じきに宣言が出るだろうなァ。今回は近衛騎士団以外全員出動だぜ。もう影も動いてやがる」
「……ただの戦争ではなさそうですね」
リセリーの言葉に、ジャックスはニィッと笑う。そして、小さく呟いた。
「皇太子サマの暗殺ってとこだな、恐らく。既にエルドが魔法研究所に要請も出してる。……んで、さっきの話だが」
「……まさか、令嬢を連れていくわけじゃないですよね」
リセリーの言葉に、ジャックスは呆れたように頭を掻いた。そして、連れてくに決まってんだろと答える。
「魔法研究所に魔法騎士団、軍事騎士団に影……更にはエルドも出る。リセリー、お前もな。今じゃ近衛騎士団だが、元は魔法騎士団なんだ」
「……私は構いませんが、令嬢は、まだ八歳ですよ。いくら高位精霊と契約を結んだとはいえ」
リセリーの反論に、ジャックスは鼻を鳴らした。
「俺ァ十六年前の戦争で戦ったぞ。騎士団に入ってなかった上に……まだ六歳だ、それに比べりゃァマシだろ」
ジャックスの言葉に、リセリーは苦い顔をする。それはそうだが……彼女は公爵家の娘なのだ。公爵家がどれだけの力を持っているのか、知らないわけではないだろうに。
リセリーが黙っていると、ジャックスは言葉を続けた。
「貴族サマだから戦うなってかァ? 俺は平民だから、幼くして戦って当然だったってことか? ンなもん関係ねぇよ、使えるモンは使う、それが俺のやり方だ」
ジャックスは言い終わると立ち上がり、ドアの方へ向かう。そのまま出ていくかと思ったその時、彼は思い出したようにリセリーを振り返った。
そして、リセリーに向かって言う。その声には、先程までの荒々しさはなかった。まるで、何かの感情を押し殺したようだった。
「……守りたきゃ、籠のなかにでも閉じ込めとけよ」
それだけを言うと、ジャックスは出て行った。一人残されたリセリーは、しばらくのあいだ動くことができなかった。




