髪長令嬢と髪結い王子
見切り発車で書き出した習作です。
思ったよりも長くなってしまいました。
ほんの少しですが暴力表現ありますので苦手な方はご注意下さい。
灯りの灯されていない薄暗い部屋の中。
大きな窓から注ぐ月灯りを頼りに私は辺りを見回した。
私の周りを取り囲むように蜷局を巻く、長く長い淡い金色の髪は部屋中に敷き詰められていた。
一瞬、ゾッとなる気持ちの悪い光景だが、慣れてしまえば存外気にならない。
だって私自身の髪の毛なのだから。
土足で踏むことが躊躇われるふわっふわの絨毯の上にはしたなくとも座り込み今日が満月でよかったと心底思う。
私、フィオナ・ストケシアは産まれて17年間一度も髪を切った事がない。
別に髪の毛に素晴らしい魔力が宿っている訳でも塔の上に幽閉されている訳でもない。
ただ、古くからの風習を守っているだけ。
この国の貴族の女性は婚約するまで髪を切ってはならない。この国を守護している女神カミナガール様の神話になぞらえた風習らしいが男性は婚約者がいなくても髪を整えていいのはなんだか釈然としない。
そして大抵は幼いうちに婚約者が決まるので私ほど髪の長い令嬢はいないのだ。
艶やかな長い髪は良いとされるがぞろぞろと長い髪は『行き遅れ』の象徴、侮蔑の的なのだ。
現在、私は王宮のどこかの一室に閉じ込められている。
「さて、困りましたね」
***
時を遡る事、約3時間前。
社交シーズン真っ盛りなこの国の王宮では王妃主催の夜会が開かれた。
普段は行き遅れ令嬢と馬鹿にされるのが嫌で夜会には必要最低限しか参加しないが王族主催の夜会となれば別。
シャンパンベージュのAラインのシンプルなドレスを着てぞろぞろと長い髪は編み込み後ろに流す。パールを差し込んだら準備は完成。侍女たちが息を上げながら達成感に浸っているのを労って、兄のエスコートで馬車に乗り込む。
私の馬鹿みたいに長い髪が清潔で艶やかに保たれているのは髪結い専門の侍女たちのおかげなのだ。
今度またなんか美味しいお菓子を差し入れよう。
「髪を結うとまた違った雰囲気になるな」
柔らかく微笑みながら兄が呟く。
「普段はぞろぞろの髪をそのままにしていますものね。」
髪が重すぎて結うと肩が凝るのだ。
「今日こそいい相手が見つかると良いな」
「どうでしょうか。私は行き遅れですから」
そう呟くとお兄様は顔を歪めた。
「お前に婚約者がいないのは継母の妨害のせいだ。お前自身に何の非もない。」
そう今までだって婚約の話が来なかった訳じゃない。
父は伯爵位を賜っているし商売だって上手くいっている。領地には栄えた港があり、侯爵家に昇格の話もあるくらい家柄も悪くない。私だって淡い色合いの金髪に翡翠の瞳、容姿はそんなに悪くないはずだ。
ただ、幼い私たちを残し亡くなった母に代わり母親となってくれる人を探した父が選んだ継母は何かと私を邪険にし邪魔をし続けことごとく破断にされ終いには婚約のこの字も出なくなった。
その間にも髪は伸び続けぞろぞろと長い髪は気持ち悪がられ男性からは避けられるようになっていった。
「継母はこのシーズン期間中・・・つまりお前が18歳になるまでに婚約者が出来なければお前を修道院に送ると言っている。勿論、父とこの兄が断固として阻止するつもりだが・・・なんせあの継母だからな」
「はい。」
「今日は壁の花などにならず兄について挨拶周りに来てくれると嬉しい。」
お前ならきっと良い人に気に入ってもらえると自信満々に意気込む兄に内心溜息を吐く
「(物事はそんなにうまくは行きませんわ)」
修道院に入るのもいいかも知れないなと思案を巡らしていると馬車が止まり従者から到着したと告げられた
私を馬鹿にしたような眼差しには慣れたつもりでいたそれでも緊張で嫌な汗をかく。
「さあ。行こうか、フィオナ。」
「はい、お兄様」
兄の手を取り嫋やかに微笑む。
内心を誰にも気取られないように、今日の夜会が平和に終わりますように、と。
***
会場に着くと爵位の低い者から入場させられる為、私達は少しだけ待機となった。
「ねえ、あれ…」
「嗚呼、髪長姫ね」
クスクスと聞こえる声を無視するが兄は眉を顰めた。
「無礼だな」
「まあまあ、お兄様。あんな者気にする事はございません。」
さあ、入場ですよ。そう言って兄の手を取れば兄も渋々反論を飲み込み完璧にエスコートしてくれた。
兄は黙って入ればなかなかの美男だし将来有望な伯爵家嫡男の割に物腰柔らかで優しい。
女子人気も高く引く手数多なのに誰とも婚約していない。きっと自分が婚約してしまえば、私をエスコートする人がいなくなってしまうから気を使っているんだ。
兄に申し訳ないと思いつつ、今はその兄に甘える。
会場に入場した私たちを出迎えたのは嘲笑うような視線。
微笑みを絶やさずけして怒らず淑女であれと自分で自分に言い聞かせる。
「・・・、お兄様ごめんなさい」
「なあに、何も心配する事はない。」
私の頭を優しく撫でて明るく笑いながら少し大きな良く透る声でお兄様が続ける。
「しっかし、我が妹ながら今宵は一段と美しい。今この会場にいる誰よりも綺麗だ」
「お、お兄様!?」
何を言うのこの人は!と慌てて遮ろうとする私を視線で制してにこやかに高らかに芝居の様に言った。
嗚呼、ほかの女性陣の表情が怖い。
「他のレディたちは王族の皆様にお会いする前に今一度鏡を見た方がいい。人を馬鹿にした表情ほど醜い事はないからね。婚約者を探している王子たちに見られる前に急いだ方が良いだろう」
兄は人好きのする笑みを浮かべながらがっつりと毒づいた。
見目麗しい兄からの醜い宣言に私を馬鹿にしていた女性は顔を真っ赤にして化粧室の方へと去って行った。
「お、お見事です。」
「ありがとう」
わざとらしく胸に手を当て恭しくお辞儀をした兄に兄の友人たちが笑いながら近づいてくる。
「デリック、今日もお前は愉快だな」
「ジェフ、ありがとう。先週の乗馬以来だな」
「ところでデリック、そちらは?」
柔らかそうな甘栗色の猫毛をした優しそうな男性が兄の陰に隠れていた私を見つけ首を傾げた。
「ああ、ハロルドは初めて会うな。私の妹だ」
ほらと兄に肩を押され一歩前に出る。
内心、隠れて居たかったと思いつつ微笑む。
「フィオナ・ストケシアと申します。兄がいつもお世話になっております。」
控えめにカーテシーをし自己紹介をした私に兄の友人たちが楽し気に自己紹介を始める。
「私とは会ったことあるよね?ガザニア侯爵家のジェフだ。こっちが婚約者のエマだ。」
「宜しくね、フィオナさん。」
「はい!宜しくお願い致します。」
ニコニコと大らかに微笑むエマ様は黒の艶やかな髪を緩く結い上げ上品なワインレッドのマーメイドドレスを着ている。大人っぽい雰囲気のジェフ様と良くお似合いでお姉さま感が滲み出ていて超絶色っぽい。
ぽーっとエマ様に見惚れていると横から先程の猫毛の男性に話し掛けられた。
「僕はサイネリア伯爵家のハロルド・サイネリア。」
宜しくね‼ふわふわと笑ふハロルド様にこちらも釣られて笑顔になった。
それをお兄様が優しく見守ってくれている。
誰も私に婚約者がいないことなんて気にしない。
お兄様の優しい御友人たちに囲まれて普段の落ち着きを取り戻した時だった。
高らかにラッパがなり、王族の入場を告げた。
「今回の夜会は表向きは女神カミナガールの聖誕祭という名目で王妃様が開かれた夜会ということになっているけどね。」
「ええ、兄からもそう伺っていますわ」
王族の入場に拍手をしながらエマ様がこっそりと耳打ちをしてくれた。
「実はね此処だけの話、第一王子のアーロン殿下も第二王子のロイド殿下も婚約者が決まっていないの」
「え?そうなのですか?」
王子たちはそれぞれ20歳と18歳だったはず。
幼い頃から婚約者を持つのが当たり前といわれるこの国で王子が婚約者を決めていない!?
え、女の私は婚約者がいないことを馬鹿にされ続けているのに男だからって王子だからって狡くない?
少しムッとした私の表情を読み取りエマ様がクスっと小さく笑う。
上座では国王陛下に続き王妃殿下、第一王子殿下の順にゆっくりと入場している。
「狡いよね。でもね、アーロン殿下には幼い頃から仲睦まじい婚約者がいたのよ。病気で亡くなってしまったのだけど。」
少し目を伏せ悲しそうなエマ様。知り合いだったのだろう。
「アーロン殿下は元婚約者の事を忘れられず婚約者を決めかねていたのだけど遂に殿下の御心を溶かしてくれる方が見つかったらしくて、今日はそのお披露目とロイド殿下の婚約者候補の選定の意味も兼ねているらしいわ」
「(なるほどね)」
おっと、時間ね。と茶目っ気たっぷりに微笑んでエマ様は静かに向き直る。
王座に就いた国王陛下の挨拶が始まったのだ
「(でも・・・)」
この国ではほとんどの子息令嬢が幼い頃より婚約者が決められる。
私みたいな例外もいるけど。病弱やよっぽどの理由がない限り皆婚約しているのに婚約者の選定なんてできるのだろうか。
そんでもって第二王子はどうなんだろうか。
ていうか、第二王子来ていないじゃない!!
「第二王子である我が息子ロイドは所用で少し遅れる。気にせず各々今宵の素晴らしき夜会を楽しんでくれ」
会場全員の心を読んだかのような国王陛下のお言葉に少しドキッとする。
「そして今宵はめでたい報告がある!第一王子であるアーロンの婚約者が決まった!!」
わっと盛り上がる会場。
国王陛下から引き継いだアーロン殿下から婚約者として隣国の王女が紹介された。
***
すべての挨拶が終わり私は兄や兄の友人たちと談笑を楽しんでいた。
「お兄様。私、化粧室に行ってきます。」
「おお、誰か付き添いを・・・」
周りを見渡して兄は困った顔をした。
「皆さんお忙しいようですし化粧室には一人でも十分に行けますわよ
私だってもうお子様ではありませんのよ?」
おどけてそういうと兄は私の頭を撫でた。
「気を付けて。知らぬ人に声を掛けられても無視でいい。すぐに戻ってくること。」
「(無視はさすがに不味いのではないかしら)」
過保護すぎる兄を安心させるために頷き私は一人で化粧室へと向かう。
一人は些か不安ではあったが何より久しくこんなに多くの人と関わってこなかった為、疲れていた。
「(静かなところに行きたい・・・)」
華やかな夜会会場を抜け、通路を進むと段々と人が疎らになってくる。
化粧室は広々とした個室が数個あり身支度を直せるように鏡やアメニティとしてちょっとした化粧直しアイテムやエチケット用品が置かれ寛げるようにとソファーなども置かれていた。
「(さすが王宮ね、お手洗いはその更に奥か・・・。)」
このまま休憩して夜会が終わる頃に戻るのでは兄は心配するかしら。
疲れたけど今日の夜会はいつもとは違って嫌な疲れではない事に気づく。
色んな人とお話し出来てその方たちが寛容で18歳にもなって婚約者がいない現状を気にしなくてもよかった。こんな楽しい夜会は久しぶりだった。
「(お兄様のおかげね)」
そろそろ会場に戻らなければ。と思った頃には化粧室に入って10分程経過していた。
慌てて通路に戻ると前方から数人の男性にエスコートされ取り巻きと思われる女性に囲まれた華やかな女性が歩いてきた
「(どなたかしら?)」
来ているドレスや宝石などから自分よりは高位貴族なのだろうと検討をつけサッと横に避ける。
「(え。)」
が、彼女は私の目の前に立ち塞がった。
「あら?誰かと思えばストケシア伯爵家のフィオナさんじゃなくて?」
「…、はい」
控えめに返事した私に華やかな装いの彼女は真っ赤な紅を引いた唇を意地悪く吊り上げ、手を胸元でパチンと叩いた。
「まあ!では、貴女が髪長姫ね!」
「いけませんわぁ、ブレンダ様。それは禁句ですわ」
「あら、何故?お姫様のように愛らしいということではなくて?」
“髪長姫”といわれる本当の意味を知りながら白々しい演技ですっとぼけるブレンダと呼ばれる女と周りでクスクス笑う取り巻きの女たち。その近くでニヤニヤと厭らしい微笑を浮かべる男たち。
気持ち悪い。そう思った。
「この年齢まで婚約者がいないので髪がぞろぞろと長いのですよ。」
「つまりは婚約者も持てないような“欠陥品”ですのよ」
「長い髪は美しいとされるけれど、此処まで長いと・・・ねぇ」
嗚呼、きたわ。
この目線。婚約者がいない事はそんなにいけないことなのだろうか。
早くから婚約者がいたって上手くいかないんじゃ意味がないじゃない。
「そう。フィオナさんは婚約者がいないのね・・・。」
自分の頬に手をあて現状を嘆いているように眉を下げ首をかしげる。
私に同情したように見せかけて私を嘲笑っているのが手に取るようにわかる。
「お可哀想に・・・。私に夢中な殿方を一人でもお譲り出来たらいいのだけれど・・・」
そう呟いたブレンダに取り巻きの男性陣が口々に「そんな!?」「君以外は考えられない」「君がいない人生は色がない」などなど愛を囁く。
それに気を良くしたブレンダは男たちを魅了する罪な女だと自分に酔っている。
取り巻きの女性陣はそれに熱に浮かされたようにほうっと溜息を吐き、素敵だ、羨ましいわと呟く。
ナンダコレ。私は一体なんの茶番を見せられているのだろう。
怖い、この集団。色んな意味で。
「ブレンダ?様は勿論婚約者がいらっしゃるのですよね?」
この気持ち悪い空気をどうにかしようと質問すると取り巻き達の目が一気に吊り上がる。
「貴女‼失礼ね‼」
「ブレンダ様ほど魅力的で素敵なお方を貴女なんかと一緒にしないで‼」
嗚呼、この頭の悪い集団と一緒の空間にいるの凄くつらい。
まるで継母と話しているようで段々腹が立ってきた。
「みんな、ありがとう。私は良いのよ・・。今は婚約者殿はいないけれど素敵な殿方はみんな私に夢中なんですもの。一人になんて選べない」
「「「「ブレンダ様・・・」」」」
んんっ??今・・・
「つまりブレンダ様は今現在は婚約者がいないと仰るの?」
「そうよ。5歳の時に両親が決めた婚約者の方は、7歳の断髪式の後にお別れ致しましたの」
絶句する私に気づかずづレンダは続ける。
「だって彼、お家柄はとっても御立派でしたのに本人は地味でなんか暗くてぇ・・・。私とは釣り合いませんでしたもの。最初から彼とはお別れするつもりで婚約致しましたのよ」
つまり断髪式を迎えるための仮初の婚約者だったという事ね。
先程からいう断髪式とは婚約者を決めた未成年の子どもたちが神殿で初めて髪を切り、その髪をカミナガール様の母神に献上する式典で、それぞれ7歳と14歳になる年までに婚約したものが出席する。
早く婚約者を決めてもその断髪式になるまで髪は切ってはならないのだ。
「その後、すぐに決まった婚約者の彼も素敵だったけれど、私には王子様と結婚するという夢がありましたし。」
「(なるほど)」
我が国の王子は2人。どちらも婚約者不在のままだった。
それを知っている令嬢たちは未来の王妃や王弟妃を狙いたいが為に何かと正当そうな理由を付け婚約破棄をしているのだ。嘆かわしい。
大体、婚約というのは王の許可を頂き神殿でしっかりと執り行われる家と家を結ぶ契約のはず。
そんな簡単に出来るものなのだろうか。
「ちなみにブレンダ様は今まで何度婚約破棄を?」
「こないだの破棄で5回目だったかしら。」
「つまり5回の出戻りか・・・。あ、でもまだ出戻りじゃな、い。」
無意識に口に出してしまった言葉に嫌な汗が額を伝うのを自覚する。
恐る恐る視線を上げれば物凄い形相のブレンダ様が私を睨みつけていた。
「貴女、とっても無礼者ね!?貴女に今日まで婚約者がいないのも頷けますわ!!」
高いヒールをカツカツと鳴らし私の元へと近づいてくるブレンダ様に思わず後退りしてしまう。
すごい迫力。ブレンダ様は大勢の男性を侍らせるだけあって美人だ。美形の怒った顔ほど怖いものはない。
「そうやって純真そうな顔をして肩を震わせればあの素敵で恰好いいお兄様が助けて下さいますものね!?
大体貴女のことは以前の夜会でお会いした時から腹が立っていましたの‼」
どうやらブレンダとは過去に出席した数少ない夜会のどれかで出会っているらしい。
何故お兄様が出てくるのかしら。
「えっと・・・。すみません?私、ブレンダ様とお会いした記憶がなくて。何か粗相をしてしまいましたか?」
「貴女ってほんっと気に食わないわ!」
私の一言にまた気を悪くしたブレンダが更に怒りで興奮した様子で続ける。
罵倒にもなっていないような文句を未だに吐き出し続けるブレンダとそれに同調する取り巻きたち。
「嗚呼、もしかして・・・」
不意に静かになり口元に微笑を浮かべたブレンダに背筋が凍る。
「貴女、王子との婚約を狙ってわざと余りものを装っていたのね!?」
「っそんな訳ないじゃないですか!」
そりゃあ女の子なら誰しも一度は憧れることもあるだろうけど、今までの屈辱的な思いをしてまで王子と結婚したいと思わない。
「お黙り!この身の程知らずが!」
「きゃっ」
持っていた扇子を投げつけてきたブレンダ。
間一髪、顔への命中は避けたものの避けた先にあった結われた長い髪の束に当たり弾みでバサッと音がなりそうな勢いで解けてしまう。
すべて解けてしまう前にと必死に髪を手繰り寄せる私をブレンダと愉快な仲間たちがクスクスと笑う。
「気持ち悪い。本当にそんなにぞろぞろと大蛇のように長いのね。」
長い髪を抱え足元に落ちているブレンダの扇子をみて冷や汗をかく。
遠目には意匠の凝った作りの個性的な扇子に見えたそれの先端は鋭くまるで刃物の様だった。
「ああ!そうだわ‼そうしましょう」
ブレンダと少し距離を取りながら立ち上がった私をみてブレンダは何かを思いついたように手を打ち言った。その眼には狂気のようなものが含まれていた。
「たかが伯爵令嬢如きが二度と王子妃になろうなんて言い出さないように、万が一にも残り物だからといって婚約者候補に推薦されないように、髪長姫は大勢の殿方を誑かす不埒な女性だった。そういう事実を作ればいいのよ‼」
ゆっくりと近づいてきたブレンダが私の頬に手を添えた。
その言葉に足が震え嫌な汗が止まらない。狂気を含んだ凄みのある笑みを浮かべたブレンダの後ろで取り巻き男性陣がニヤニヤと卑下た笑みを浮かべ一歩前に出た。
「嗚呼、安心してフィオナさん。今まで婚約者の一人もいなかった貴女は当然殿方を知らないだろうから優しく教えて差し上げるわぁ」
うっとりした様子でそういった彼女は私の頬を撫でながら続ける。
「そうそう、貴女が嫌っているその長ぁい髪の毛も私がちゃぁんと切って差し上げるわ」
「っつ」
その爪を立て引っ掻かれた私はその勢いでよろけてしまう。
「やっておしまい!!」
その声に咄嗟に走り出す。
「(やばいやばいやばいやばいっ‼)」
ただでさえ夜会用のドレスは重いのに私には長く重い髪がある。
しかも綺麗に結われていたはずのそれはもう解けてしまっているため非常に邪魔だ。
どこか、なにか。なんでもいいの。
隠れる場所かなにか‼
そう願いながらも長い廊下を必死で逃げる。
前方に部屋らしき扉を見つけそこを目指すことにした。誰かの部屋なら助けを求められるかも知れないしいなくても部屋に閉じ籠ることが出来るかも知れない。少し危険かも知れないが一か八かその扉にかけることにした。
お兄様との身長差を調整するように履いた普段よりも高いヒールの靴も走りずらいので途中で脱ぎ捨てた。
が、しかし腕を掴まれつんのめる。
「ほら、逃げても無駄だ。」
「離してっ!!」
深窓の令嬢と呼ばれる非力な私が男性に足の速さで勝てる訳がなかったらしい。
「いや!離して!!」
「うるさい!静かにしろ!!」
髪を引っ張られ軽く頬を叩かれ一瞬意識が飛ぶ。
「(お兄様、助けてっ)」
「逃げても無駄。本当に惨めな姿ねぇ、髪長姫」
両腕を背中で抑えつけられ軽く髪を引っ張られた状態の私の目の前にゆっくりと現れたブレンダが満足そうに笑う。
「嫌だわ、そんなに睨まないで頂戴。お楽しみはこれからでしょう?」
男の取り巻き達がへらへらと笑いながら私に近づいてくる。
「(もう、ダメかも知れない)」
そう思ったその時だった。
「ブレンダ様!!大変です!!」
「なによ騒々しい。今、良い所なのよ」
「それが‼髪長の兄上が我々を探しているようで」
「えー?」
お兄様が探してくださっている。ここから逃げなければ。
そう思うのに腕に力が入らない。
「ここは一度、何事もなかったかのように引くのが得策かと・・・」
取り巻きの声にブレンダが渋る。
「仕方がないわね・・・でもまあお楽しみは後にとっておきましょう。」
逃げるためのすべにしようとしていた部屋の扉が開けられ部屋の中に投げるように放り込まれた。
「っ・・・」
床に背中を打ち付け声にならない声が漏れる。
「ここはどうせ使用されていない客間かなにかよ。私は王宮にもよく来るから知っているけれどここら一体は新しく来賓を迎えるスペースが出来たから取り壊される予定でね。使用人すら滅多に来ないわ」
クスクスと楽しそうに笑いながらゆっくりと扉を閉めていくブレンダ。
「外からはこちらが用意した錠をするから貴女はここから出られないわ。ゆっくりと絶望しながら待っているといいわ。」
バタン
扉が閉まった音がやけに大きく聞こえた。
***
「そして今に至る、と。」
お兄様はどうされたかしら。きっと心配しているに違いないわ。
今頃会場内の隅から隅まで私の事を探し回ってくれているであろう兄を想い深い溜息を吐く。
「とにかく、此処からでる事が最優先に解決すべき問題ですね。」
ブレンダ率いるあの気持ちの悪い集団がいつ戻ってくれるかわからない。
なんとしても早くここから脱出しなければ女としての尊厳が奪われかねないのだ。
私は再度、月灯りに照らされた部屋を確認する。
ブレンダの言う通り、本当に使用されていない部屋らしく家具にはそれぞれ布が掛けられている為どういった用途の部屋なのかはわからないが出入り口とは別に部屋の奥に扉がある事からこの部屋は続き部屋となっている事がわかる。
「(最悪、此処に隠れて・・・嗚呼ダメだわ)」
そう考えながらその扉のノブを回したが向こう側から鍵が掛けられているみたいだ。
「(万事休すね)」
でもこのまま捕まる訳にはいかない。
目に着いたのは大きな窓。
「・・・これだ」
私は小走りで窓辺に近づき窓が開けられるかを確認する。
埃を被りだいぶ建付けが悪くなっていた為、難儀したが渾身の力を込めて押せば窓を開ける事が出来た
「やった!!」
此処は2階。飛び降りても死にはしないだろうけど、ケガをして動けなくなれば助けを求めにいく事も出来ない。家具に掛けられた布を結ぶ事を考えたが結び目が解けたらと思うと聊か不安が残る。しかし辺りを見渡しても自分のぞろぞろと長い髪ばかりでロープの代わりになってくれそうなものはない。
「髪・・・そうよ!ぞろぞろの長い髪!!」
私は自分の髪を童話に出てくる高い塔に監禁されていたお姫様宜しく、ロープ替わりに伝って窓の外へと降り立つ事を決めた。
***
「いつもは憎くて邪魔で仕方がないこの無駄に長い髪も漸く役に立つ時が来たのね!!」
あの後、私は素早く髪を搔き集め雑にまとめると窓の外の大きな木の枝に向かって投げた。
散らばらず上手く引っ掛かってくれたのは運がよかったのだろう。
「さあ!脱出よ!!」
ドレスの裾を捲り上げ窓枠に足を掛けた時だった。
「その策は名案とは言えないな」
「ひゃへっ!!?」
突然聞こえた心地の良い低音に驚き過ぎて変な声が出た私は急いで声のした方へ振り替える。
「ええっと?」
そこには布が掛けられたソファーと思われる家具に腰を掛け眠そうに目を擦った青年がいた。
どうやら無人と思われたこの部屋には先客がいたらしい。
月灯りに照らされ輝くその青年の銀色の髪が開け放たれた窓から吹く風に靡いく。
不意に目線を上げた彼が私をじっと見つめる。
少し長めの前髪から覗く涼し気な目の瞳は金色に輝いていた。
「俺としては眼福だけどその脚、元に戻そうか」
「っ!!?」
急に現れた青年に見とれていて忘れていたが、なんてはしたない事をしてしまったんだろうと急いで足とドレスの裾を正す。
「あ、あの!!お休み中にお騒がせしてすみません!!
そ、それにお見苦しいものをお見せして・・・」
慌てて青年に向き合い詫びる。きっと顔は茹蛸のように真っ赤だろうと自覚して更に恥ずかしくなった。
「だから眼福だったってば。」
ほんの少しの間だけ目を丸くした後、そう言ってふわりと笑って見せた青年にドキリとする。
「君は此処から脱出したいのだろうけど、さっきの策はダメダメだね。」
「(ダメダメ)」
軽く凹む私を余所に彼はダメ出しを続けた。
「今回は事故にはならなかったけど、建付けが悪く硬くなっていた窓を無理やりこじ開ければ金具が外れ窓が落ちてケガをするかもしれない。
君がケガをするのは勿論、回避したいけど窓が庭に落下してしまえば下にいるかも知れない誰かをケガさせてしまうかも知れないだろう?」
「あ・・・申し訳ありません」
そこまで考えが及んでいなかった事に反省する。
「僕に謝る事ではないし起こり得る可能性を考えてみただけだから謝る必要はないよ。
まあ、君みたいなか弱そうな令嬢に窓から出て壁伝いに脱走なんて出来るとは思えないけどね」
「?何故ですの?」
「君はとても軽そうだけど自分の体重を支えバランスを取りながら降りる筋力はある?」
うっと言葉に詰まる私に更に続ける。
「軽すぎて風に煽られて壁に衝突する可能性だってあるだろう。」
想像して怖さに震えた。
「あとさ、その床を這いずる長い長い髪をロープ替わりに使うのは面白い発想だけど毛根死ぬよ?
こんなに長いのに艶も張りもあって痛み一つない綺麗に手入れされた髪だけどあの木の枝はきっとザラザラだから髪が傷んでしまうし重さで途切れてしまうかも知れないからね。危ないね。やっぱりダメダメ。」
ぷぷぷと含み笑いをする青年に少しむっとする。私は本気で出来ると思ったし名案だと思ったのに。
そんな私の様子に気づいたのか青年は笑いを止め、無表情に戻し私に問う。
「ところで、彼女達は君の知り合い?」
彼女達とはきっとブレンダ達の事だろう
「いえ、先程通路で対面したのが初めてでした。あちらは私の事を御存知だったみたいですが」
「そう。君には怖い思いをさせてしまったけれど、君がここに閉じ込めてくれたおかげで俺は邪魔な仕事が一つ片付きそうだ。」
月明かりの元、不敵に笑った彼。
「まずは此処から出ないとね。その髪結ってあげる。」
「え?」
「それ引きずって逃げるなんて無理でしょ?早く。あいつら戻って来ちゃうじゃん」
「ええ?でも、あれ?」
「大丈夫、俺にはできないことなんてないから。髪結う事だって簡単だよ」
悪戯っ子のように笑う青年は楽しそうにテキパキと私の髪整え、まとめ上げて編み込んでいく。
他愛もない話をしながらあっという間に結われた髪は繊細な意匠の刺繍のように凝っていて複雑そうなのにスッキリとしていてとても美しかった。
「すごいわ!貴方天才ね!!どうしてこんなに綺麗で凝った結い方が出来るの!?」
布に覆われたドレッサーの鏡の前で感動しぴょんぴょん飛び跳ねながらすごいすごいと繰り返す青年。
「こんなに飛び跳ねても崩れないわ」
最後にくるりと回って見せて笑いながら彼に向き合う。
「ありがとうございます」
「いいえ、お褒め頂き光栄です。お姫様」
彼は芝居がかった口調で胸に手を当て執事のようにお辞儀した。
なんだかお兄様に似ているなと思いながら私は次にしなければならない事を思い出した。
「でも、どうやって逃げるのですか?」
「大丈夫大丈夫」
軽そうな口調で部屋の奥の扉に向かった彼は徐にしゃがみ込み絨毯を捲った。
床をこんこんとノックして音の変わった部分の板を外すとレバーがあり、彼がそれを引けば扉の横の本棚がゴゴゴと音を立てて動いた。
「!!!?」
「隠し扉。こっちの扉はフェイクなんだ。」
板や絨毯を元に戻した彼はそう言って私の手を引いて隠し扉の中へ向かった。
中に入るとまたゴゴゴと音を立てて本棚が動き、元の位置に戻った。
驚きで口をパクパクとさせている私をよそに、「次は靴かな。いや、でも時間ないし。」と独り言を言いながら何か考え事をしている彼。
彼は彼と呼んではいけない人の気がするけど今だけはそれに気づかないフリをした。
「失礼レディ」
「きゃっ!!」
少しの間、考えに耽っていたらそう声を掛けられ、彼に横抱きにされた。所謂、お姫様だっこというやつだ。
「ちょ、ちょっと!!?」
「ごめんね、ちゃんと準備して整えてからお兄さんの所へ帰してあげたかったんだけど時間がなくて。
靴も履かせてあげられないからこのまま抱っこしていくね。」
「え!!!?ま、待って!!」
恥ずかしさと驚きで混乱している私をよしよしと子供をあやすように宥めつつ、彼はずんずん細くうす暗い通路を進んでいった。
「もうすぐだよ」
「え?」
長い長い通路の先、明るい光が見えるその場所に辿り着いた時、私は驚愕で眩暈がした。
「ようやく来たか、バカ息子」
「例の件、ちゃんと証拠は掴めたのね」
「ええ、もちろん。」
そこに居たのは国王陛下と王妃殿下。そして私の兄。
どうやら、此処は王族専用の控室らしく奥の扉の向こうはきっと夜会会場なのだろう。
「(いや、薄々気付いてはいたけど)」
ふわっふわの赤い絨毯の上に降ろされる。
裸足で良かった、きっとこんな上質なカーペットを土足で踏むのは躊躇する。皆さま平気そうに土足で歩き回っているけど。
「君には、とても怖い思いをさせてしまったね。すまない。」
「・・・王族の方が気軽に下々のものに頭を下げてはいけませんわ。」
バレていたかと苦笑を浮かべた彼は、私の手を取って跪いた。
先程まではうす暗くてわかりにくかったし普段遠目で拝顔するその方は前髪を綺麗に後ろに撫でつけて厳しい目つきをされている為、印象が違い過ぎて気付かなかったのだが、こんなところに連れてこられたなら、王族の顔を知らない市民たちでも察する事が出来るだろう。
「俺・・・、いや。私はこの国の第二王子ロイドだ。紹介が遅れた事を、そして、我が王家主催の夜会で危険な目に合わせてしまった事を改めて詫びる。」
「そ、そんな。」
「レディ、名前を伺っても?」
「・・・、フィオナ、ストケシア伯爵が娘、フィオナ・ストケシアと申します。」
ふわりと微笑んだロイド第二王子殿下はすくっと立ち上がり兄の方へ向かった。
急に別人のようになった殿下に少し寂しさが募る。
「デリック殿、妹君を危険な目に合わせてしまいすまない。貴公の妹君のおかげで、長年追い続けてきた事案が一つ解決へと向かうだろう。」
「いえ、殿下。妹を助けて頂きありがとうございます。」
軽く挨拶を済ませ、ロイド殿下は長い前髪を後ろに撫でつけいつも拝見する姿に身なりを整えると妖艶に笑った。
「さあ、断罪の時間だ」
***
その後、夜会では第二王子ロイド殿下により前代未聞の大捕り物が執り行われ、ブレンダ・アマリリス公爵令嬢はじめ、多くの高位貴族令嬢やその家族、司祭が騎士たちに連行された。
彼女達は皆、断髪式に向け解消する前提で婚約し、無実の罪を擦り付け相手を有責にしたうえ多額の慰謝料を請求することを繰り返していた。所謂、結婚詐欺のようなものだろう。その際、多額の謝礼金を受け取り婚約の契約書を改ざんし協力していた司祭や官僚たちもまとめて検挙されたのだった。
無意味な婚約破棄を繰り返した令嬢たちは、有責度合に応じた修道院に送られる予定だ。
令嬢たちの髪を切る為の婚約と婚約破棄に便乗し女遊びなどを繰り返した令息たちも同じように何らかの罰が下るだろう。
それに加担した大人たちについてもそれ以上に重い処遇が下される予定だ。
「そもそも女神カミナガ―ル様の神話になぞらえた風習として国民に根付いている未婚約の女性が髪を切らないって伝説は、元々はある聖女が病気などで髪が抜け落ちたり生えなくなってしまった女性の為に女性たちの有志を募り丁寧に手入れし伸ばした髪を切り鬘に生成し寄付したことが始まりなんだ。」
「そうだったのですか?」
私の髪を綺麗にブラシで梳かしながらロイド殿下は、話始めた。
「そう、その後も聖女様のその活動に感銘を受けた当時の王妃、王女たちが皆揃って断髪式を行い寄付したのがきっかけで貴族たちに広がりそれがカミナガ―ル様の神話と結びついていつしか風習となっていった。」
「素晴らしい活動ですわね。」
「でも、いつしかその善意ある活動は悪意あるものの金儲けに利用されるようになってしまった。貴族のは手入れが行き届いており品質が良いので本来慈善活動に回すはずのものを持ち去り売って儲けたりね。」
「最低ですね。」
「そう最低。いつしか貴族たちの間で未婚約の令嬢の髪が切れなくなったのもそういう最低な奴らがいつまでも美味しい思いをする為のバカげたものに成り下がってしまった。
本来の意味を失った風習をいつまでも続ける必要はない。王家ではこの風習の本来の意味を周知して改善を急いでいる所だ。今回の一斉検挙はその為の第一歩といった所かな。」
そうなれば君のように信仰厚く守っている令嬢が侮蔑されることもなく慈善活動の悪用も減少していくだろう。なんて呟きながら相変わらず私の髪を弄るのを止めないロイド殿下。
「ところで殿下はなぜうちへ?」
「んー?」
そう此処は我がストケシア伯爵邸の中庭。
ゆったりとくつろげるようにと庇の下に置かれたソファーに座らされて只管、王子殿下に髪を弄ばれるという不思議な時間を過ごしている。
緊張と恐れ多さで倒れそうになったのは最初だけであとはその心地のよさに微睡んでいる。
まあ暇を見つけては遊びに来る王子に慣れてしまったのだ。そのくらいうちへ来る王子は本当は暇人ではないのかと思っている。
「何故、いつも私の髪を結って遊んでいらっしゃるの?」
「さて、なんででしょう。」
よし、出来た。そう呟いて私に手鏡を手渡したロイド王子は悪戯っ子のように笑う。
「うん、可愛い」
満足そうに笑った彼は私の手をグイッと引っ張り上げ立ち上がらせるとそのまま手を引いて歩きだした。
「ロイド王子殿下!!あ、あの!!どこへ!!?」
「せっかく綺麗に結えたから町散策!!たまにはフィオナ嬢も外に出かけよう!!」
未だに私の髪はぞろぞろと長いままだけどそのままでもいいなと思えたのはロイド王子殿下のおかげだろう。
「はい!!」
そう答えた私に殿下は満面の笑みで答える。
慌てる私の侍女や殿下の側近の方を置いて、私たちは笑いながら歩き出す
その手はしっかりと繋いだまま。