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キック・スタート  作者: かぷせるこーぽ
3章 戦士の集う街
8/28

野の花

正化8年5月25日 ミズナラの街

多数の馬を乗り継ぎ、3分の1もの落伍者を出しながらもミズナラの街に側衛騎馬大隊が辿り着いたのはクロマツの街を出発して四日後も終わりに近い深夜の事だった。

驚愕すべき長躯強行軍であった。

「リカルド殿!」

「おお…公爵閣下、お久しぶりですな…」

出迎えた男はこの街の領主であるノリス・スカルラッティ公爵

「さあ、肩を!すぐに医者を呼びます故。衛兵!側衛大隊諸官の手当を!急げ!」

「私の事は…良いのです…殿下を」

「話は館で聞きます。まずはこちらへ」


正化8年5月26日 ミズナラの街 領主の館

騎馬での強行軍は、騎手の身体にも尋常ならざる負荷がかかるものだ。

常に上下に激しく揺さぶられ、下馬した途端に落命することも少なくは無い。

そんな強行軍を、それも1000kmにも及ぶ騎行を経ても尚、側衛騎馬大隊が一人の死者も出さずに済んだのは、日々の険しい鍛錬を経たが故か…

「お加減はもう宜しいので?リカルド殿」

彼がミズナラの街の領主の館に担ぎ込まれてから、2時間後に、こうして領主の元を訪れる事が出来たのは、彼も正に精兵たるが故だろう。

「御高配に感謝しております。お陰様でこうして動き回れる程度には回復いたしました。」

「それは良かった。しかし無理は禁物ですぞ?何しろ常識外れの行軍を経たのですからな」

「いえ、そうも言ってはいられない事情があるのです。」

「先程も言っておりましたが…もしや殿下の身に何か良からぬ事が?」

リカルドは経緯を説明する。そして、彼等がここに来た理由も

「なる程…まず、殿下の捜索と陽動に関しては全面的な協力をお約束しましょう。」

ノリスは快くリカルドの頼みを受け入れる。

「だが…少し心配事があるのです」

「心配事…とは?」

「ここ数日、傭兵の小集団が領内に多数入り込んでいるのです。」

「傭兵…妙な話しですな」

戦乱とは縁遠い王都圏において、傭兵の仕事は多くない。

「北方へ転地する部隊では?」

魔物の被害の大きいノルディア地方であれば、傭兵にとって魅力的な地域だ。しかし、ノリスは首を横に振る。

「私も始めはそう思ったのですが、それにしては動きが妙なのですよ」

彼によれば、傭兵の進行方向は概ね北を指しているものの、彼の領地の北限の哨戒網にはほぼ傭兵集団接近の報は無いうえに流入はほぼ南方に限られ、領内からの流出は無いと来ている。

「これは明らかにこの地で何かをしようとしている様に見えますな。相手の人数はどれ程で?」

「現在までの報告で1600…」

「それは…なんとも」

現状、この地に到着している側衛騎馬大隊は概ね350人、ミズナラの街の騎士団500を足しても相手の半分程度の戦力しかない。

仮にこの街を含む公爵領全域に動員令を発しこの地の連隊を結集すれば、常備兵力である騎士団と併せてその総数は5000にのぼる。

しかし、既に相手方が領内に浸透している以上、無闇に動けば各個撃破の憂き目に遭う危険性が高い。動員を強行したとしても村落が焼かれてしまう恐れもある。

「もっと私が早く気付いていれば、このような事を憂うこと無く貴公らを迎える事が出来たのですが…」

「時期が時期です、仕方在りますまい」

スカルラッティ一族は神世の頃より続く武門の家柄であり、例年通りであれば大凡半月後に大々的な武芸試合の大会が行われている。

それは馬上槍試合や、刀槍を用いた一騎打ち等のよくあるものから即製の参加者集団による50対50の模擬戦闘等多岐に渡る。

王国中から参加者や観戦者が集まる大規模な催事であり、公爵領の主要な収入源の一つとなっている。しかしそのせいで傭兵集団の浸透を察知するのが遅れた切っ掛けにもなった。何しろ各小集団ごとであれば参加者と見分けがつかないのである。

「もし、奴等に此方に対する害意があるのならば、勿論我らもお力になりましょう」

とは言ったものの、一体どうなるか…リカルドは心中に抱いた不安を拭い去る事が出来なかった。


シラカバの街 北西170km 山中

勢いよく街を飛び出してきたは良いものの、私達は山中の間道で足止めを喰らっていた。

バイクの故障である。

真っ暗な山中で、ランタンの灯りを頼りに行う修理は中々に難儀だ。

「直りそうですか?」

「うーん、大体どこらへんが悪いのかは見当はついてるんだけど、何しろ手元が暗くて見えにくくって」

突然のエンスト、からのエンジンが掛からなくなるという、ライダーを絶望させる黄金パターンである。原因はまあ、あれだろう。高速でのジャックナイフターンで刺客の頭をどついたあれ…

私の相棒はああ言うことをするためのバイクでは無いし、そもそもバイクは人をどつくための物では無い。

くれぐれも良い子は真似しないでね!

プラグが点火していない所を見るに電装系だろうが、何しろ街灯すら無い異世界の山の中だ。故障を当たるためにバイクを開けるのは得策では無い。

「ちょっと…明るくならないときついかも知れない」

「では、しばらくこの辺りで待とう。なに、もう夜も深い。すぐ日も登るさ」

「うーん…いや、エリーはミシェルと一緒に先に行ってて?流石にここまで来れば追っ手も来ないとは思うけど、念のために」

なにせ向こうは魔法を使っていた。追い付いて来る可能性もゼロでは無いだろう。

「何を言うかと思えば…」

エリーが呆れた様に言う

「こんな山の中で獣にでも襲われたらユーコ独りではどうにも出来ないだろう?」

いや、まあ確かに自信は無い

「一緒に待つさ、さっき君も言ったろう?私達は友達なんだから」

あらやだ、格好いい


東の空が白みはじめる。

随分と日の出が早くなったものだと、ジナイーダは書き物をする手を止めて窓の外を眺めた。

朝になれば日が昇り、夜になれば日が沈む。

夏至に向かって昼の時間は長くなり、冬至に向かえば夜の時間が長くなる。

そんな当たり前の、転地の開闢より続くこの世の営みは、きっと魔女達が言う大いなる循環とやらの一つなのだろう。

生まれ、滅び、また生まれ出でる。森羅万象万物に宿命づけられたこの世界の掟

その宿命から外れた我が身は、きっとこの世界からすれば赦されざる咎人なのだろう。

日の出を見た数、日の入りを見た数、気が遠くなるほどに幾度となく繰り返してきたこの思考は、きっと日が昇り続ける限り、日が沈み続ける限り永劫の如く続いていくのだろう。

完全で一つの綻びも無く過去現在未来に続いてゆく世界の調和

そこから弾き出された身からすれば、その営みはどこまでも眩しく、どこまでも遠い。

ふと、窓の外に何やら置いてある事に気が付いたジナイーダは、窓を開けた。明け方の爽やかな空気が部屋の中に吹き込んでくる。

置いてあったのは、封蝋の施された一通の手紙

その封蝋の紋章に、彼女は息を呑む。

慌てて封を切ると、そこには華美な装飾の施された豪奢な便箋に似つかわしくない短い文言だけが記されていた。

-女王来たれり 賊徒の僭都に参られたい


ミズナラの街 南方約80km

結局のところ、イグニッションコイルのケーブルが緩んでいただけという、なんとも情け無い原因に罪悪感を感じながら私は朝方の街道でバイクを走らせていた。

「二人とも、ごめん!」

「だから、大丈夫ですって!直ったんだから良いじゃないですか!」

「ああ!さっきから気にしすぎだ!そもそも私達からすればこんな複雑な機械を直せるだけで十分凄い」

二人はそう言ってくれているが、この程度であれば指でくいっとやればあっという間に直る。態々の朝になるまで待つほどの事では無い。故障原因を色々悪戦苦闘して探した挙げ句、結局切るスイッチがオフになっていた…みたいなことはバイク乗りにありがちな事とはいえ、なんとも情け無い。

「そういえば、なんだか人が多いですね!」

ミシェルの言うとおり、間道から街道に戻って以来、道を行く人の数が増えたように感じる。行商人風の者が殆どだが、鎧櫃を背負った者や槍を担いだ者等武芸者風の者も多い。貴族の馬車も数台追い越している。

「ああ、もうじきミズナラの街で武芸大会があるから多分それだろう!」

「ああ、もうそんな時期なんですね!」

ミズナラの街の武芸大会、年に一度開催されるという盛大な催事だと聞いている。

大陸中の武偏者が集まり、その腕を競い合う。その場で腕を認められると、武門の誉れ高い領主のスカルラッティ公爵家に召し抱えられるとあって、参加者達の意気は非常に高い。

また、武芸者が一世一代の勝負に望む故に、比較的高級な武器も飛ぶように売れるため、大勢の行商人も稼ぎ時だとばかりするに集まってくる。

加えて腕の立つ武偏者を召し抱えたい貴族もこの機会を逃すまいと国中からやって来るのである。

何かしらの目的がある者も、ただ単純に見物したいという者もミズナラの街に集まってきて、尋常ならざる混雑を見せるという。

それこそ街を囲む城壁の外に市や宿泊施設が広がり、それこそ街がもう一つ出来たかのような様相を見せるのだという。

「でも、大丈夫?あんまり人ゴミに行くと狙われるんじゃない?」

そこまでの混雑であれば刺客が紛れ込んでいてもわからないだろう。

「そこは大丈夫だと思います!」

ミシェルが言うには、エリーは武芸者達からそれはもう宗教的な迄の尊敬を集めているそうで、もし正体を明かしたエリーが襲われていたら良いところを見せようと助けに入ってくれるだろうという。

「とはいえ領主の元に行くまでは勿論正体は明かさないでおくよ、どこに敵がいるか分からないからね!」


ミズナラの街 城外

言われたとおり、確かに物凄い混雑だ。

城壁の外の街を囲むように設けられた柵、その木戸の前には先の見えぬ程の大行列が連なっていた。

「うっひょー、すっごい人!」

列の最後尾に付き、先を眺める。うん、先頭が見えない!

「ああ、私も話しには聞いていたがこれ程とは思わなかったな」

そういうエリーは過去に何度か試合見物に来たことがあるらしい。まあ王族を行列に並ばせたりはしないか

「いえ、今年はいつもより凄いですよ…いつもだったらもっと行列も短いですし、もっと進みも速いはずです」

ミシェルは毎年傷薬の行商で来ているらしい。魔女の傷薬は飛ぶように売れるらしい。

「あー、今年は特別なんだ」

列の前に並んでいた男が声をかけてくる。

緑の肌、筋骨隆々の身体、大きな牙東部辺境の岩山で狩猟生活を送るという、ファンタジーの人気者オーク族だ。

ただし、私の世界のファンタジー小説に出て来る下品な化け物ではなく、歌と踊りと勇敢な戦いをこよなく愛する心優しい民族である。気は優しくて力持ちを地で行く人々で、その人柄の良さは王国随一といわれている。

「そうなの?」

「ああ、なにせ今回はあの剣の聖女様が試合を見物にいらっしゃるらしいからな、俺達みたいのもいつもより大勢集まってる。」

「剣の聖女様って?」

「ああ、俺達が住んでる東方じゃエリザベート王女様はそう呼ばれてるんだ。なにせあのリッチーを倒して死霊の街を浄化してくれたからな!」

なる程、聖女様か!後でからかってやろう。

「へえ、そういえばおっちゃんも武芸大会に出るの?」

「ああ、俺は次男だからな!」

オーク族は男系長子継承の氏族社会の小集団で生活を送っている。一夫多妻制であるが、子を遺せるのは氏族の長のみ。要するにハーレムを形成する。

長男以外の男子は一生兄の元で飼い殺されるか、小集団を出て自分独りの力をもって生きていくしかない。そんな彼らにとって自分の氏族集団を持つことは悲願であり、その為には女達がよってくるように身を立てなくてはならない

このおっちゃんは小集団を出て、己の武で身を立てようというのだろう。

「えー、でもおっちゃん強そうだから東でもモテモテだったんじゃ無いの?」

岩山の様に盛り上がった肩、まるで城壁の様に分厚い胸板、松の下枝のように太い腕、もう見るからに強そうである。

「おう、ありがとよ!でもやっぱり身を立てるんなら田舎じゃ無くて、強者揃いの王都圏でじゃ無きゃと思ってな」

「やっぱり去年も良いとこまで行ったんじゃ無いの?」

「いや、去年は見物しかしてないな…俺がこの大会を聞きつけて街に着いたときには受付が終わってたからな」

「ふむ、なら今年は初出場で初優勝もあり得るんじゃないか?」

エリーがおっちゃんの全身を眺めつつ言う。

「いやぁ、まあ目指してはいるが…レベルが高い大会だからなぁ」

「謙遜することは無い。君の掌をみればどれだけ鍛錬に打ち込んできたかは分かる。」

分厚く大きい掌には、皺のように刻まれた深い傷が幾つも見て取れる。掌の皮が破れるまで、いや破れてもなお振り続けた証なのだろう。

「ありがとよ、照れちまうな…そういえばお前は長男か?」

「いや、貧乏貴族の三男坊さ」

「そうか、身を立てたんだな。そんな立派な奴に褒めて貰えるなんて光栄だ。」

…多分勘違いしてるようだ

「そうなの!ヘンリー様は私達の自慢の旦那様なんだ!ね」

「えっ?!ユーコさん?」

なので乗っかっておく

「そうかそうか、俺も負けてられないな!ヘンリー、お前も大会に出るのか?」

「いや、見物だけだが…それと私達は家族では無いのだが」

「ん?そうなのか?あー、そういえば王国はそうだったな!いや、お嬢ちゃんに担がれたわけだ、あっはっは」

「ごめんなさい!悪気は無いんです、ちょっとふざけた人なだけで…」

「いや、気にしないでくれ。そのお嬢ちゃんが面白い奴なのはなんとなく分かってたからな。というかお嬢ちゃん異界人だろ?」

「よく分かったね!」

「そりゃまあ、そんなとんちきな格好でそんな妙な物にのってりゃあな」

RS-YOICHIの防水ライディングパンツに本場アメリカ製のG-1ジャケット、足元はムーバのアドベンチャーブーツ、グローブは国産牛革を手作業で縫製した逸品だ。私的には最高に格好いいコーディネートなのだが…上半身にアーマータイプのプロテクターを着込んでもこもこしたシルエットになっているせいか?しかしプロテクターは付けておきたいし…なんにせよとんちきとは失礼な!

「そういえば、自己紹介がまだだったな、ルオンゴ氏族ムワイの息子オドゥオールだ」

「私はヘンリー・ザッカーバーグ、ムワイの息子オドゥオール、君のような戦士と出会えて光栄だ」

エリーとオドゥオールのおっちゃんが硬く握手を交わす。どうやらエリーはおっちゃんを大分気に入っているようだ。

おっちゃん、聖女様に気に入られてるよ!よかったね!まあ、気付いてないけど

「雪冠の魔女の弟子ミシェルといいます、この二人の旅にご一緒させていただいています。どうぞお見知りおきを」

「ああ、この出会いを与えて下さった風の精霊に感謝しよう」

丁寧に頭を下げるミシェルと胸に手を当て一礼するおっちゃん。独特だと思ったが、そういえば東では精霊信仰が盛んだとミシェルが言っていたので、まあそれ繋がりのなんかだろう。

「旅人の物見遊子、さっきも言ったけど異世界人のライダーだよ!よろしくね、オドゥオールのおっちゃん」

「ああよろしくユーコ。しかし異界人の旅人とは珍しいな」

おっちゃんと握手する。

「うちの国からこっち来てる中で旅してるのは私だけだからね」

「そりゃ珍しいわけだ。そんでライダーってのは?」

私は相棒のタンクをポンポンと叩く

「このバイクっていう乗り物と一心同体になって、色んなところに行ったり競走したりする人…かな?」

「そうそう!ユーコは凄くてね、バイクで曲芸も出来るんだ!」

目をキラキラさせてエリーがいう。そういえばさっきこの街に来る途中もジャックナイフターンをせがまれた事を思い出す。余程昨日のあれが衝撃的だった様だが、バイクが壊れるのであまりやりたくは無い。

「はぁ…想像つかないな…」

おっちゃんはあまりピンと来ない様である。そりゃそうだ、多分バイクを見るのも初めてなのだろうから無理も無い。

「そういえば、全く進みませんね…列」

言われてみればさっきから1ミリも進んでいない。

「今日はお休みだったりして」

「ああ、ずっと働いてたら疲れちまうもんな」

「確かに休息は大切だ。」

「うん、ちょっと待って下さい。私だけおかしいんですか?街が休みとかないでしょって言っちゃいけない感じですか?」


四人で冗談を交わし合ってから四時間、もしかするとあれは冗談になっていなかったのではないかという気がしてきた。

相変わらず微動にしない長蛇の列、並ぶ者達は思い思いに座ったり軽食をとったりしている。

行列の中に商魂たくましい行商人がいたようで食べ物を売り歩いたりしていて、長時間待たされているのにも関わらず妙に活気がある。

列の外で料理を始める者もいた。

「進まないねぇ」

「そうですねぇ」

「ああ、進まないなぁ…」

「何なんだろうなぁ…あ、焼き菓子食いたいやついるか?」

おっちゃんの問いに3人が手を挙げる。

おっちゃんは行商人のところに行き、焼き菓子を買ってきてくれた。

「ありがとう!」

柑橘の風味がする堅焼きのクッキーの様な焼き菓子だ。非常に美味しい。

「今商人から聞いたんだが、どうやら今朝方から街が封鎖されているらしいな」

「封鎖?なんでまた…」

「詳しい事は分からないらしいが、今日の深夜に剣の聖女様が街に駆け込んで来てから街が厳戒態勢になっているらしい。」

「王女様が?んなことはないでしょ」

何しろ本物の王女様は地面に座ってポリポリと焼き菓子を食べている。

「いや、城壁の上に剣の聖女様の部下の騎馬隊の格好をした兵士がいるのを見たやつもいるらしい。」

私、エリー、ミシェルの3人は顔を見合わせる。

一体何があったのだろう


クロマツの街 漁業ギルド事務所

「王都への船便?」

領内の海域における独占的漁業権を持つ漁業ギルド、その組合長は事務所内で一人の女性と相対していた。

「ええ、なるべく早く王都に行きたくて」

彼女はマダム・ジナイーダ、この街の錬金術師で商工ギルドの古株である。

「客船は管轄外なんだがなぁ」

「漁業ギルドですものね」

それでも彼女が川船を雇うのでは無くここに来たのは、恐らく余程急いでいるということなのだろう。

「魔導船を使いたいって事なんだよな?」

王都圏随一の漁港であるクロマツの街、その街の漁業ギルドですら二隻しか保有していない最新鋭の魔導技術の塊である魔導船。旧来の帆船や櫂船を遙かに凌駕するその速力を用いれば、王都に丸一日程度でで着いてしまう。航路が河川であるが故の安全確保を行っても2日あれば十分だ。

「ええ、お願い出来ないかしら?」

「あんたには船を直して貰った借りもあるし、色々世話になってるから力になってやりてえのは山々なんだが…船員がなぁ」

今は丁度夏呼魚の漁が始まったばかりのかき入れ時で、そんな中で王都に行ってくれる船員を見つけられるだろうか…

「一応駄目元で声はかけてみるが、あまり期待はしないでおいてくれるか?」

さて、目の前の大金をほっぽり出してくれる酔狂者が果たして見つかるかどうか…


ミズナラの街 城外

見た目からは想像もつかない程の美声だ。華やかで音の粒が踊るかのようなテノールは、まるで在りし日のパヴァロッティを彷彿とさせる程だ。あちらがイタリアの国宝なら、こちらはウェスタリアの国宝であろう。

等とそれっぽい事を言ってみたが、私は特に音楽に詳しい訳ではないのでこの評価が適正なのかは甚だ疑問である。とはいえ、芸術全般に疎い私ですらここまで感動させる程の歌声である事は間違いのない事実だ。

「まあ、こんな感じか?」

「ブラボーッ!!」

歌い終えたおっちゃんに、私は思わず立ち上がりそう叫んでいた。

他の聴衆も皆同じ様なものの様で、立ち上がり喝采を送る者、思わず涙ぐむ者、呆然と立ち尽くす者等、形は違えど皆一様に感動を表現しているようだ。

「ぶ…なんだって?」

「すっごいって事!おっちゃんの歌すっごいからなんて言うかすっごい凄くて凄かった!」

「お、おう…まあよくは分からないけど褒めてくれてるのは何となく分かった。ありがとよ」

完全に私の語彙は死んだ。まあいい、真の感動を目の前にしたとき言葉なんていうものは必要無くなるということだ。

今私達を含めた行列の中にいた連中は、列を崩し焚き火を囲んで賑やかに過ごしている。まるでキャンプに来たような和やかな空気だが、これを提案したのは他でも無い私だ。やることも無いし、皆で武芸大会の前祝いの宴会をしよう、と。

商機を得たりと商人が賛同し、旅芸人の一座が芸を披露し始めた辺りで続々と参加者が集まり、今ではもう大宴会といった体である。

そして、オーク族は音楽が得意とミシェルがおっちゃんに一曲せがみ、歌い終わったらこれだ。正直のど自慢程度を予想していたのだが、いやはやまさかこんなところで本物の芸術に出会うとは思わなかった。

これは、二輪業界の宴会部長を自任する私も、一肌脱がねばなるまい。幸い、まだ動くかも知れないと、酒は飲んでいない。

いそいそとバイクの荷ほどきをし、日本から持ってきたブルートゥーススピーカーとMP3プレイヤーをセットする。

「ん?ユーコ…何をしているんだい?」

既に割と気持ちよさそうな表情のエリーが聞いてくる。先程まで飲み比べをしていたようで奥には潰れた数名の武芸者の姿が見える。

「エリーが見たがってたやつやるよ!手伝って」

「すたんとか!!良しなんでも言ってくれ!」

私はエリーに合図したら再生ボタンを押すように言い、皆の前に進み出る。

「みんなー!盛り上がってるかー!!」

歓声が返ってくる。いい反応だ。

「声が小さい!もっかい行くよ、盛り上がってるかー!!」

大地を揺さぶる程の大音声

「うるせーっ!!」

お約束の流れに笑いが生まれる。ここの客は演者を駄目にするタイプだ。凄く反応がいい。気持ち良い。

「今日はみんな盛り上がってるから、特別に!異世界に伝わる神秘の業、人車一体エクストリームバイクを見せちゃうよー!!」

不思議そうな顔をする観客。私はバイクに跨がりエンジンをかける。キック一発吹け上がり良好!

「ミュージックスタートッ!!」

私の合図で音楽が流れ始める。バイクイベントでエクストリームバイクを披露することになった時に自分で編集したぶち上がり確実のトラックだ。

まずは小手調べのウィリー音と速度に観客の視線が集まる。

解説付きのイベントとは違いバイク自体初見の彼らにはインパクト重視の構成がいいだろう。

停止しつつのジャックナイフ、そしてスピンターン。基本の部分だ。

次はサークルウィリー、ウィリーしながらくるくる回る。そのまま左手足で踊る。

前輪を落として観客の方へ急発進!からの急制動。ストッピーで急制動感とギリギリ感の演出のおまけ付きだ。

そのまま足をつかず、シートの上に乗り、身を乗り出して観客からふかした芋を貰う。基本中の基本であるスタンディングスティールの超上級編で純粋にバランス感覚便りの技だ。これに関しては私以外できる人を見たことが無い。

そのまま急発進、走りながら左にバイクを降りる。両手と腰で体重を支え、両足を着かずにしかしまるでバイクを押しているように、コミカルな素振りで観客の前を一回り。

エリー達の元に戻って足を着き、観客に一礼

丁度、音楽が終わる。

さあ、反応は?

歓声、それもおっちゃんの時に勝るとも劣らない程の大きな歓声が響く。やったぜ、大成功だ。

「はぁ…すげえもんだなぁ…ライダーってのが何か、さっきいってた意味がよく分かったぜ」

「ユーコさん、凄く格好よくて面白かったです!」

皆が口々に称え、感想を言ってくれる。

「ユーコ、君はやっぱり最高だ!!特にあの凄く回るあの凄いやつとあの芋を貰う凄いやつは凄く凄かった!あんな凄いことを出来るなんて君は本当に凄い!!」

特にエリーはとても感動してくれたようだ。完全に語彙が死んでいる。真の感動を以下略

「ありがとう、喜んで貰えて嬉しいよ」

その後も宴会は続く。

エリーが拳で岩を砕いたり、ミシェルが魔法で雑草に花を咲かせたりと、宴会芸も多種多様で、日付が変わっても歓声が途絶えることは無かった。


ミズナラの街 城壁

街を護る城壁の上にこの街の領主と側衛騎馬大隊長であるリカルドがやって来たのは太陽が西の山々に消えた頃だ。

「なる程北東方向の山中に…まずは夜陰に乗じて偵察隊を出しましょう。」

正体不明の傭兵集団は、街の北東方面の山中に集結しつつあるらしい。その数は3000、斥候の報告は敵勢力を過大に評価する傾向があり、また見通しの悪い山中で全容が把握しにくいという事を加味しても、こちら遙かに凌駕する戦力が屯している事にまず間違いは無いだろう。

対してこちらは行軍途上で落伍した30人が合流したとはいえ、未だ数的不利は如何ともし難いものがあった。

「そこまでして頂く訳には…」

「いえ、我が隊には夜間の騎行に長けたものも居ります。我々にお任せ下さい」

「ならばせめて案内を付けましょう。この辺りの山は地形が入り組んでおりますから」

「それは有難いです。」

北東方向の山は、最も街に近い所までその裾野を伸ばしている。距離としては2kmも無い程度だ。河川が多く部隊の行動が阻害されやすい一方、地形を活かした防衛には適していると言える。

(しかし、それは向こうにとっても同じ事だ)

リカルドは地図を見つつ考える。

襲撃に失敗したとて、この地形では騎兵は本来の衝撃力を発揮できず、追撃も不十分のうちに山中へと逃げ込める。失敗とそこからの生存を考慮した、傭兵らしく嫌な布陣である。

ふと、リカルドは街の外が騒がしい事に気が付く。

「街の外が騒がしいようだが…何かあったか?」

「はっ、それがどうやら南側で足止めを喰らっている者達が宴を催しているようで…やめさせますか?」

「ふむ南側か…特に邪魔にはならないだろうが…どうしますか?」

「特に用兵上の問題が無いのであれば放っておきましょう。彼らには迷惑をかけてしまっていますからな」

リカルドは肯く。いざ有事となれば彼らに協力を仰ぐ必要も出て来るだろう。その時の為にも余計な軋轢は生みたくないし、何より人々の明るい営みを妨げるのは少々気が引けるものだ。

(それに、きっと殿下であれば彼らの笑顔も街もまとめて守ろうとするだろう。である以上我らもそういう軍で無ければならない)

遠い歓声を聞きながら、リカルドはそう心に誓うのだった。

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