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キック・スタート  作者: かぷせるこーぽ
2章 湯煙の街
7/28

欠けず折れず曲がらぬ事

昼食を終えて、また二人と別れる。

とは言え内奥の曇ったままに剣を振るう気にもなれないエリザベートは、一人町外れの岩場を歩いていた。

幸せそうな二人の笑顔を見る度に思う、不安。

今後旅の中でまたイミカミの様なモノに出会ったとき、今度こそ彼女らを失ってしまうのでは無いかという恐怖。

戦場で部下の顔を見る度に感じるそれに、彼女は未だ慣れる事が出来ずにいた。

強く在らねばと願えば願うほどに、見えてくるのは弱く矮小な己の姿。

心中の懊悩が積もるほどに、己への嫌悪を抱くほどに、切っ先は鈍る。そして大切ならモノを取りこぼし、不甲斐ない己にまた切っ先は鈍ってゆく。

乗り越えねばならぬ事を、彼女は知っている。そして乗り越えてきたことも。そして、それが人の手を借りて今まで乗り越えられたのだということも、彼女は十分理解している。

そんな己が、自信の恐怖にさえ人の手を借りねば打ち勝つ事の出来ぬ己が、何よりも情け無いのだと…


結局、フロントサスのオイル交換も30分かからずに終わってしまった。一つ言えることは、慣れってこわい。

その後、用事を済ませ、湯治場に着いた頃には息も絶え絶えになっていた。

「ふぅううぅいぃいいぃ…染みるぅ」

「年寄り臭いな」

「ええ、お婆さんみたいです。」

子供扱いしたり年寄り扱いしたり、忙しい事だ。

「お姉さんは忙しいんですー、いやぁ疲れた疲れた。」

「そういえば、今日の午後どこか行ってたんですか?」

「ちょっとね、大人のレディーには色々あるのよ」

言いつつ、薬湯を見つめる。白濁色の元々の温泉に緑色の薬湯のもとが良く混ざっている。

風邪をひいたら風邪薬を飲む、怪我をしたら医者に行く

そんな当たり前のことが出来るのにやろうとしないのはやっぱり良くないよなぁ…


クロマツの街

妙に兵士が多い。その事にアレクが気が付いたのは、つい一昨日の事だ。

王女が北方に旅立ち、この街に集まった群衆が立ち去って後も、見慣れない兵士の姿をチラホラ見掛ける。

この街の騎馬隊のものより丈の長い鎖鎧は脹ら脛まで届き、その上に、金糸で華麗な装飾の施された深紅の長外套を羽織る。

背負う盾は街で使われる凧型では無く涙滴型。

バイザーの着いた兜には、やはり華麗な装飾が施されている。

その姿は、アレクですら知っている。王国の英雄、エリザベート王女の配下の精兵、側衛騎馬大隊だ。

物語に伝え聞く英雄達の姿ではあるが、しかし何やら不審な様子でもある。

街を出たり入ったり、軍艦の乗組員とひそひそと何か話したりとずっと動き続けている。

ぼうっと港に座り込み彼等を眺めていたアレクは、ポンッと後ろから肩をたたかれた。

「アレクさん、お久しぶり」

「あ…マダム・ジナイーダ、ど…どうもっす」

居たのはこの街の錬金術師マダム・ジナイーダである。

「どしたんすか、こんなところで?」

「そちらの組合長さんに頼まれて魔導船の修理をね」

マダム・ジナイーダはアレクの隣に腰を下ろす

漁業ギルド保有の大型魔導船は同型船が二隻、河川輸送船と沿岸漁業拠点船である。

その内、河川輸送船は先日の嵐によって損傷していた。

「てっきり、魔導師に修理頼むもんだと思ってたんすけど、マダムが直してくれるんすね」

「魔導核は魔導師さんじゃないと直せないけれど、他の部分は私達と鍛治師さんにしか治せないのよ?」

「はぇー、そうなんすね」

「ところでアレクさんは何を?」

「いや、何って訳じゃ無いんすけど…」

言って、彼は側衛騎馬大隊の騎兵を差す。

「なんかずっとこの街にいるけどなんでかなぁ…って」

少しの沈黙の後、マダム・ジナイーダは口を開く。

「アレクさんは、ユーコさんの事…好き?」

「へっ…?あ、いや…」

唐突な問いにアレクは狼狽える。が、彼も海の男だ。

「はい…ユーコ姐さんは多分本気にしてくれないと思いますけど、好きです。本気で」

「やっぱり命の恩人だから?」

「いや、まあ最初はそうだったんですけど…今はあの人自身に本気で惚れてるんです。」

「ふふふ、ご馳走様」

「って言うか、別に今関係無いじゃないすか!あぁもう勘弁して下さいよ!恥ずかしい」

乗せられた、というよりは勝手に語り出しただけなのに顔を真っ赤にして頭を抱える。

「あら、ごめんなさいね」

マダム・ジナイーダは懐からスキットルを取り出し、アレクに手渡した。

「あ、どうもっす」

美味いが強い…それに初めて飲む味だ。

「どうかしら?」

「美味いっす…なんて酒っすか?」

「さあ、実験してたら偶然出来たものだから」

なんてものを飲ませるのだろうか?スキットルを返す。

「それ、飲んでも平気なやつなんすか?」

「多分ね、毒は入れていないから平気だとは思うのだけれど」

そう言ってマダム・ジナイーダもスキットルから一口飲み、懐に再びしまう。

「ふふ、美味しい」

再び、少しの沈黙

「ねえ、アレクさん?」

沈黙を破ったのはマダム・ジナイーダ

「もし、ユーコさんが…例えば凄い犯罪者だとしたら…それでも好きでいられる?」

「ユーコ姐さんが?あの人に限ってあり得ないっすよ」

アレクは問いを一笑に付す。あれだけお人好しの旅人がする犯罪なんて一つも思い浮かばない。精々が、あのバイクとかいう乗り物で人を轢いて死なせてしまうとか位の話しだ。

「仮に、の話しよ」

「…じゃあ、仮にユーコ姐さんが大量殺人鬼だったとして…」

あり得ない話しではあるが

「もし、そうならまず確り話しをします。そんでがっつり説教して、その後姐さん引っ抱えて船に乗って、二人で逃げます」

「そう…」

マダム・ジナイーダは何かを考えるよう宙を見つめる。

「そっか、そうね…そうよね…」

「マダム?」

「ふふ、ごめんなさい…こんなにも思ってくれている人がいてユーコさんが羨ましいわ」

そう言ってマダム・ジナイーダは立ち上がる。

「こんなところにいては風邪をひいてしまうわ…帰りましょう」

普段、常に柔和な笑みを浮かべ、余裕のある態度を崩さないマダム・ジナイーダ。だが、今の彼女は触れれば壊れそうな寂寥の、しかしどこか晴れやかな表情を浮かべているように、アレクには思えたのだった。


正化8年5月25日 シラカバの街

「明日の今頃は出発だねぇ」

「そうですね、なんか随分ゆっくりしちゃった気がします。」

実際のところはまだ滞在3日目、旅行と考えればそこまで長期滞在というわけでも無いのだが、ミシェルは目的のある旅路だし、私としても旅のためにバイクに乗る。では無くバイクに乗るために旅をする。といった風情の旅に慣れているせいか、この街での滞在がとても長く感じてしまうのだろう。

「ヘンリーはしっかり街を見られた?」

ヘンリーことエリーは市井の人々の声を聞き、見聞を広めるのが旅の目的だ。

「ん?ああ、お陰様でね」

「やるべき事も済ませられましたし、結構有意義だったかも知れないですね」

「ミシェルは薬作り終わったの?」

「はい、これで暫くは安心です」

「そっかでもまあ、予定通りならあと3日後にはミシェルの師匠のところに着いちゃうからそんなに準備万端にしなくても良かったんじゃ無い?」

ミシェルの師匠はここから概ね500kmのカエデの街の近郊に住んでいるという。途中300km先のミズナラの街に滞在したとしても、一緒に旅を出来るのは精々三日間だ。

東海道丸々分程度の距離も、箒とバイクならその気になれば一日で踏破できる。

それでもミズナラの街に立ち寄ろうと思ったのは旅をじっくり楽しみたいという思いから…私の旅の目的は旅そのものだ。

もちろん、旅を楽しむという言葉の中にはミシェルと一緒に少しでも長く一緒に旅を楽しみたいという、私の勝手なエゴも含まれている。

「それは…そうなんですけど…うぅ、ユーコさん」

「おーよしよし」

ミシェルが泣き出しそうな顔で私に抱きついてくる。

「大丈夫、あと三日もあるんだから、一緒に楽しく旅しよう?ね」

旅に別れは付きものだが、やはり寂しいものは寂しい。特に旅慣れている訳では無いミシェルなら尚更だろう。

思えばエリーと出会ったのは五日前、ミシェルは四日前と過ごした時間は短いものの、随分仲良くなれたものだと思う。

「はい…お別れしても私のこと忘れないで下さいね?」

「だから、気が早いってば!」

ふと、エリーが立ち上がる。

「エ…ヘンリーどうしたの?」

「いや、済まない…私はそろそろ行くよ」

「今日も訓練ですか?」

「ああ、ではまた夕方に」

エリーが立ち去って行く。

「エリ…ヘンリーさんどうしたんでしょう…?なんか元気が無いみたいですけど、大丈夫でしょうか」

心配そうな顔でミシェルが言う。

「大丈夫、あの子はきっと…」

大丈夫だから…


心中の迷いを振り払おうと、ただ只管に剣を振るう。

己の心と向き合おうとすればするほどに、剣の冴えが失われて行くかのようにさえ感じられる。

民を、友を、戦友達を守り導かねばならぬと言うのに、彼女の剣は鈍り続ける。

「なんとも情け無いものですね」

背後からかけられた声に彼女は剣を振るう手を止める。

「何かご用ですか、薬師の魔女殿」

立っていたのは薬師の魔女。エリザベートは振り向かず、背後の魔女に尋ねる。

「英雄と謳われる貴方の剣の腕前に、少し失望した。というだけです。」

「これは…いきなり手厳しいですね」

「ですが、それが事実だと言うことを貴方も理解しているのでしょう?」

遠慮の無い言葉、しかし今のエリザベートには、それを否定できる言葉は無かった。

「貴方は…何を知っているのだろうか?」

「知るべきである事は全て」

会話が成立していない。仮にここに居るのが自分では無くユーコであれば、きっと何かを察していたのだろうと思うが生憎、彼女自身自分がそこまで賢くない事も、察しが良くないことも理解している。

「貴方の言葉は…済まないが私には少し難解な様だ。もし何か言いたいことがあるのならはっきり言ってくれると助かるのだが」

「その剣はとても良いものです」

「…そうだろうか?」

一応製法は確りとしたものだが、名工の作と言うわけでも無ければ著名な鉄鋼を使っている訳でもない。少し品の良い量産品のサーベルである。

「貴方はその剣がどうやって作られているのか知っていますか?」

「どう…いやまあ、鍛造だろう?」

「そう、柔らかな鉄に鍛造と焼き入れを行って、堅さとしなやかさを持たせる。研ぎ澄まされた鋭い刃の部分は硬く、峰の部分は柔らかくしなやかに」

「とはいえ、鍛造品でもこれはそこまで名品という訳ではー」

「貴方はその剣で多くの命を奪ってきたのでしょう?」

「戦場で仲間や民を守る為だ。それが?」

意味の分からない問答にエリザベートは軽い苛立ちを見せる。

「貴方は何か心得違いをしている様ですね」

「心得違い、とは?」

「どれ程の美辞麗句を重ねたところで、剣など人斬り包丁。どれ程精神の高潔さを語ったところで剣術などは人殺しの業…そう考えれば、貴方の剣は素晴らしいものと言えるでしょう。ただ人殺しのために振るわれる道具として」

「人聞きの悪いことを言うものだ。守るためには戦わねばならないときもあるだろう。戦う力も持たずに大切なモノを守れはしないだろう。襲い来る者を殺そうとも、守らねばならぬモノもある。」

「守りたいのなら、それは貴方の意志なのでしょう。戦って勝利を得たいというのなら、相手を害そうというのなら、それらも貴方の意志。その為に振るわれる剣も、その為の剣の技も、鍛え上げた体ですら、畢竟単なる道具に過ぎない。」

それは、戦いの神聖性の否定、剣術の精神性の否定、そして絶対的な自己の意志への肯定

「それ故に欠けず、折れず、歪まずに道具として役割を果たしたその剣はきっと良い剣。その刃に鋭さこそ無くとも、その鈍さと粘り強さ、それこそがその剣…いえ、道具の良きものの証左なのでしょう」

確かに、切れ味は無くとも、この剣は比較的長く使ってきた事を思えば、薬師の魔女の言葉には一面の真実があるのだろう。

「貴方は何を成そうとするのか、貴方は何を望むのか…所詮貴方も貴方自身の意志を成す道具に過ぎないのならば、その事を忘れずにいればきっと道が見えてくるでしょう。」

何を成そうとするのか、何を望むのか…

「刃は峰に寄り添ってこそ、その鋭さを見せるモノと言うことも覚えて置いてあげて下さい。きっと貴方は既に寄り添うべき峰を得た鋭き刃なのですから…」

ふと、薬師の魔女の言葉が柔らかさを帯びる。

それは、優しい声音だった。


「これでいいですか?旅人さん」

物陰から窺っていた私に、薬師の魔女が声をかける。

「しかし、王女が私の言葉をどう受け取るか、それは私には分かりませんよ?」

「あなたにもわかんない事ってあるんですね」

私の言葉に薬師の魔女が呆れたように微笑む。

「私が知っているのは、私が知るべき事だけです。昨日もそう言ったはずですよ?」

「あはは、そうでした。」

私が薬師の魔女の元に訪れたのは、昨日の午後のことだ。

どうにも様子の可笑しいエリー、しかしどう声をかけて良いのか分からなかった私は、予言の様な占いを見せた薬師の魔女に相談することに決めた。

エリーが何に悩んでいるのか知りたいと言った私に、しかし彼女は分からないと答えた。

「でもまさか、直接エリーと話しをしてくれるとは思わなかったです。優しいんですね」

「若者を導くのは老いた者の役割でしょう?それに私は掠ってきた子供を大鍋でコトコト煮込む類の魔女だと思われている様なのでその誤解を解くためにも…ね」

言ってウィンクしてくる薬師の魔女。第一印象と大分違う。

「ほんと、どこまで分かって言ってるんだか…」

私は姿勢を正して薬師の魔女に向き直る。

「改めて、私は物見遊子。日本から来た旅人の物見遊子です」

「ええ、知っていますよ」

「それでも、ちゃんと挨拶して無かったですから」

言って私は右手を差し出す。

「本当に、貴方は面白い人ですね」

薬師の魔女は私の手を握り返し、続ける。

「では改めて、私は薬師の魔女アレシアよろしく、ユーコさん」


一つ、二つ、三つ…討つべき者の数は三

入念に…飽くまで入念に、万に一つも仕損ずる事の無いように

二つ、四つ、六つ、八つ…討ち手の数は八

悲願は、今日、成る


「良いこと考えました!」

湯殿でミシェルが大声を上げる。

「今日は、ユーコの代わりにミシェルが騒がしいんだね」

「なんかそれ失礼じゃない?」

「いや、失礼。それで、どうしたんだい?」

言葉を交わしてすぐに…とは行かないようだ。それもそうか、言葉ですぐに立ち直るのなら、そもそも思い悩む事も無いだろう。

言葉を理解したとしても、それが実感を伴うには時間がかかるものだ。それこそ、成功であれ失敗であれ、何かが終わった後になってかつて得た言葉の意味に真に気付く事だってざらなのだ。

まあ、ゆっくり待てば良いだろう。彼女の人生はまだまだ長い。

種が植えられたのならば私達他人に出来ることなど芽吹きを楽しみに待つことしか無いのだから。

「どう思います?良いと思いませんか?」

「え?ああ、ごめんごめんちょっと考え事してた。」

「もう、ですからお二人も魔女に弟子入りするのってどうですか?」

何やら珍妙な事を言っている。

「ごめん、何言ってんのかちょっと分かんない」

「一緒にお師匠様の弟子になればきっと楽しいですよ!」

なる程、朝話した別れの話しか

どうやら別れなくて良いような方法を提案しているらしい。

「残念だけど、私は魔法の才能ないからなぁ」

何せマナの流れが無色透明、精霊の力を借りられないとのお墨付きを得た程の私だ。

「ああ、私もこれでも王女だからね、残念だが」

「そうですか…」

「あーもう、ミシェルは可愛いなあ!そんなに私達と別れたくないかぁ、よーしよしよし」

ミシェルを抱きしめて頭を撫で繰り回す

「ふわっ!ちょっ、しず、沈むぅ!」

「ユーコ、暴れると危ない!」

「エリーも可愛いぞぉ!よーしよしよし」

二人をまとめて撫で繰り回す。二人とも本当に可愛いんだから!


夕食を済ませた後、私は宿の外でバイクに荷物を縛着していた。これで後はエリーにリュックを背負って貰えばすぐに出発出来るだろう。

「モノミ・ユーコ」

「はーい」

不意に背後からかけられた声

宿の人かな?

「もう終わるかーうわっ!」

髪の毛を摑まれ後ろに引き倒される。

暴漢、不味い!

首に刃物を当てられ、地面に組み臥される。

「い、いやっ!離せ!」

引き剥がそうと藻掻くがびくともしない。

「誰か!助けっー」

口と喉を押さえつけられる。息が出来ない。

死ぬ

恐怖に涙が滲む。

イミカミに刺されたときとは異なる純粋な害意への恐怖

それは今までに経験したことの無い恐怖

呼吸さえ許されぬ中、遠のいて行く意識

こんな死に方嫌だ

そう思った瞬間、まるで車に跳ねられたかのような衝撃が全身に走る。

体が宙を舞い、次の瞬間地面にたたきつけられる。

「げほっ…おえ」

衝撃にむせ込む。滲んだ視界ごグラグラと揺れる。

「ユーコさん!!大丈夫ですか?!」

箒に乗ったミシェル。どうやら彼女が助けてくれた様だ。

「ミシェル…ありがとう。助かった」

「いえ、立てますか?」

「うん」

見れば私を襲った暴漢が5m程先に横たわっている。どうやらミシェルが猛スピードで跳ね飛ばした様だ。左肩から先が変な方向を向いている。恐ろしい。

「大丈夫かい!」

宿のおじさんが包丁を持って飛び出して来た。

「うん、大丈夫!友達が助けてくれたから…ロープとかあったら貸して欲しいんだけど」

おじさんは店の奥からロープをもってきてくれた。そのロープで暴漢をぐるぐる巻きにする。正しい巻き方が分からないので、とにかくぐるぐるに

騒ぎを聞きつけたのか、町の人々が次々出て来る。

「嬢ちゃん達、凄いな!」

「よーし、吊せ吊せ!」

「誰か衛兵呼んでこい!」

これで一安心だろう。いや、待て

エリーはどこに?


傍目には、独楽が回っているようにさえ見えるだろう。それだけエリザベートの立ち回りは素早かった。

しかし、対する刺客達はその速さに対応してくる。

6対1で始まった戦いは、しかしエリザベートが圧倒している。

迷いこそあれ、その太刀筋は緩急入り混ざり複雑な軌跡を描いて確実に刺客の急所を捉えていく。

(1つ目!)

防御を素早く、かつ強引にこじ開け、その勢いのまま相手の喉に剣を突き込む。

(二つ目!)

背後に迫った相手を振り向きざまに胴鎧諸共に両断、刹那に満たぬ間に刺客は二体の骸をその場にさらすことになった。

(残り四つ…)

残りの四人の刺客達は後方に飛び退り、エリザベートから距離をとると、懐から何やら取り出した。

「礫か…」

厄介だな、と彼女は思う。

この刺客達は皆腕が立つ。一人に斬り掛かれば残りの者達が背後から迫って来るだろう。

かといって留まればじり貧であろう。

(ならばっ!)

身を屈めて大地を蹴る。一足のうちに三人目の刺客を逆袈裟に両断、そのまま身を翻して剣を背後の刺客に投げつける。吸い込まれる様に飛翔した剣は刺客の頭に突き刺さった。

(残り二つ)

更に距離をとる刺客、その距離は彼女の二足の間合い。

剣を抜き取り、向き合う。

互いに正対するような刺客二人

にじり寄ろうとすれば距離を取られる。

前後に敵を抱えるエリザベートに対して、敵は正面に彼女を捉え続ける。

しかし、一方を斃した隙にもう一方が距離を詰めてくるのならば、それは彼女の必殺の間合いに踏み込むということでもある。

踏み込む。大地がひび割れ、白銀の稲光の如き速さで飛び出す。

もう一歩、雷鳴の如き響きとともに、更に彼女は加速する。

衝突の衝撃力を以て、全身のバネの如き勢いを以て放つは神速の突き。

鳩尾に突き刺さる剣、しかし

抜けない。

口から血を流し、笑みを浮かべる刺客は、右手で剣を握る。

ほんの短い間、刹那にも満たぬ間、手を離す判断が遅れる。

刺客の右手に握られたモノがエリザベートの足元に放たれる。

(目潰し?!)

咄嗟に右目を閉じ、刺客の側頭部を蹴り上げる。

背後に迫る刺客の気配振り向き見たのは己に迫る刺客の刃


そして…宙を奔るバイクの後輪


「そぉおりゃあっ!」

限界速度からの180°のジャックナイフターン

SXでやったことの無かったそれは

「っしゃあっ!決まったぁ!!」

思いがけない大成功を見せた。

高く上がった後輪はエリーを狙う刺客の側頭部を捉えた。

「エリー!大丈夫?!」

「ュ…ユーコ…」

バイクを降りてエリーに手を貸す。

「済まない、助かった。」

「良いって事よ!それに」

私は背後の相棒を親指で差す。

「スタントの技、見せて上げるって言ったでしょ?」

「ふふ、そうだったね」

エリーは大丈夫そうだ…が

「これ…死んでるの?」

周囲に倒れ臥す刺客達

「ああ」

平然というエリーは刺客の腹から自分の剣を抜くと、死体の服で刀身を拭って鞘に収めた。

やばい

「ちょっと…ごめ…おえぇ、うえぇ…げほ…おえぇ…」

血溜まりの中に沈む死体、刃物で裂かれたそれらは、平和な日本で生きてきた私には刺激が強すぎる。


「落ち着いたかい?」

先程の現場から、少し離れた場所で私達は現状と今後について話し合っていた。

「うん、ごめんちょっとびっくりしちゃって…」

スプラッターにはあまり耐性がない。思い出すだけでまだ吐き気がこみ上げては来るものの、先程のようにみっともなく吐き散らかす様なことは無い。

エリーはさっきからずっと私の背中をさすってくれている。

こんな優しい子が、あれだけのことを平然とやってのけるのだから恐ろしいものである。

「それで、あいつら一体なんなの?」

「多分私を狙ってきた刺客だと思う。」

エリーことエリザベート王女には潜在的な政敵が多い事は外務省発行の資料で知ってはいたが、まさか刺客を差し向けられる程だとは思わなかった。

「刺客って事は…第二王女とか?」

基本的には長子継承がこの国の王位継承のルールであるとすれば、少なくとも王位継承順位が彼女より上位の人間では無く、下の人間により利益があるだろう。

それに第二王女は賢者と謳われはするものの、その手法は最大の効果を見せこそすれ、悪辣と言わざるを得ないものも多いという。

だが、エリーは首を横に振った。

「断言は出来ない。近衛卿かも知れないし、内務卿かも知れない。このシラカバの街の領主が私の正体に気が付いて送り込んだのかも知れない。」

「この街の領主さんも…ですか?」

「ああ、この街の領主は熱烈な国王陛下のシンパだからね。陛下の意向に従わないとされている私が歓迎されないのも無理は無いだろう。」

「それじゃあ街の衛兵に事情を話して保護して貰うことも出来ない訳か…」

衛兵に助けを求めた結果、捕らえられて殺されるのは御免被りたい。

「二人とも、今までありがとう。とても楽しかったよ」

エリーが立ち上がる。

「君達とはここでお別れだ。私と一緒にいなければ、きっと狙われる事は無いだろう。」

なる程、独りで全てを引き受けて私達を逃がそうという話のようだ

「え…エリーさん?何を…」

「なるほどね、確かにエリーが捕まれば私達が追われる事も無いかも知れないね」

「ユーコさん…?」

「ああ、そういうことだ。」

私は立ち上がって伸びをする。薬湯のお陰で体調はばっちり

「エリー?」

「どうし-!」

エリーの頬を力任せに引っ叩く。掌がジンジンする。

「ったく、馬鹿な事も言ってるんじゃ無いよ」

「一体何を…」

「あんまり熱血な事言うの得意じゃ無くってさ、一回しか言わないから良く聞きなよ、王女様?」

驚いた顔でこちらを見つめる二人

「確かにあんたの言うとおり、私達だけなら追われることは無いだろうさ!でも、じゃああんたはどうなんの?殺し屋に殺されて、王女様が亡くなりましたとさ、悲しいね、お終い。馬鹿じゃ無いの?じゃあ命懸けであんたを守ろうとした私達は何?そんなんただの道化じゃないか!」

こみ上げてくるのは、怒り

「お優しいあんたは私達を守って下さろうとか何とか考えて、あんたが国のため、国民の為ってやろうとした事全部投げ出そうとしてんのかもしんないけどさ、何様のつもりだって言ってんだよ!」

「だが、そうでもしなければ君達は-」

エリーの胸ぐらを掴んで顔を引き寄せる。

「助けてぐらい言ってみろよ!友達なんじゃ無いのかよ!!」

息が上がる。こんなにも人を怒鳴りつけたのは生まれて初めてだ。


頭を殴り付けられたような衝撃だった。

私は皆を守らねばならない

私は皆を導かねばならない

何故?

それは私がこの国の王女だから

王女として、かく在るべきと己に科した枷

民の望む姿を体現せねばならぬと己を縛り付けたそれはしかし、彼女によって容易く引き千切られた。

私の大切な友達

異界から渡ってきた旅人

人の世の掟では無く大自然の掟に生きる魔女

そうか、はじめからこの二人には私が自分を縛るこの枷なんて、意味のないものだったんだ…

-きっと貴方は既に寄り添うべき峰を得た鋭き刃なのですから…

そうか、そういう事か

自然と涙が頬を伝う。

己を縛る枷が、重石が、心の曇りが晴れていく。

そんな…簡単な事だったんだな

「…けて」

弱々しい言葉が唇から零れる。

「死にたくないよ…助けて…」


「オッケー、任せとけ!」

「勿論!任せて下さい!」


「そんじゃあ、取りあえず街を出るのは確定だとして…」

「このまま師匠の所まで一気に逃げ込めば刺客も多分手を出せない筈です!」

「ミシェルの師匠ってそんなに凄いの?まあでもそっかぁ、あの薬師の魔女のばあちゃんが様付けだったもんなあ…」

マッチョで300歳位の老婆を想像する。ちょっと見物してみたい。

「じゃあ、ミシェルの師匠っておーいエリー、聞いてる?」

ポカンとしたままのエリーに声を掛ける。まったくエリーが呆けてちゃ話しにならない。

「え?あ、ごめんなさい…二人が急に、その…なんて言うか頑張って下さるから…」

「ごめんなさい?」

「下さるから?」

「…あっ」

「エリー可愛い!」

「本物のお姫様です!はー、素敵です、エリーさん!」

もしかすると口調も無理して作っていたのだろうか?まあ、お姫様だもんなぁ

「ま、待ってくれ!無しで今のは無しで!!」

慌てて言うエリー、だが覆水盆に返らずだ

「えー、いーじゃんいーじゃん!無理すること無いって!」

「そうですよ!奥ゆかしくて可愛くってすっごい良いと思います!これからそれで行きましょうよ!」

「あーもう!可愛いとか言うなぁっ!」

さて、可愛いエリーを弄るのは今は後回しにするとして…

「よし、エリーを愛でるのは後にするとして、取りあえずミシェルの師匠の家に逃げ込むのでいい?」

「めでっ…いや、うん…あー、ここは予定通りミズナラの街に行くべきだと思う。」

「その心は?」

「ああ、ミズナラの街の領主は昔から私を支持してくれているし、私の現状を知る数少ない一人なんだ。信頼できる男だ。まずは彼を頼り、ミズナラの街で私の配下である側衛騎馬大隊と合流するのが一番安全だろう。」

なる程、支えてくれる味方がいるのは心強い。

「確かに、ミシェルの師匠にまるっと押し付けるよりは街の城壁に頼る方が良いかもね」

おばあちゃんに戦わせるよりは精神衛生上も良い。

「よし、じゃあそれで行こう!」


街を抜け城門に差し掛かる。

人影

「やっばっ!」

後輪を勢いよくスライドさせて止まる。危ない!轢くところだった。

「ごめんなさい!ちょっと通してくだー」

「ユーコ、私の後ろに」

「え?」

「ユーコさん、あそこ見て下さい。」

ミシェルが指し示す先、倒れた人の脚…

街の衛兵…?

私が呆然とする間に、エリーは私達の前に立ち、剣を抜く

「エリー!」

「任せてくれ」

一歩一歩、エリーがただ歩く。

まるでただ無人の野を征くかのように前進するエリーは、着実に距離を詰めていく。

じり…じり…と押されるように後ずさりする刺客

位押しの如く迫るエリーから、あの刺客が感じる圧はどれ程のものなのだろうか

弾かれる様にエリーの姿が消える。

いや、消えたわけでは無く、ただ一閃斬り込む。

それは文字通り神速の、英雄の踏み込み。

肉眼で捕らえられない程の斬撃

しかし、それは刺客の体には届かなかった


斬られた…いや違う。

刀身の落ちた剣を見て、エリザベートは思う。

相手が防御のために上げた短剣に、こちらの刀身が触れた瞬間、触れた部分が溶け落ちたかのように見えた。

「エリーさん!火のマナです!」

背に守る友が短く伝える。なる程、魔導の類かとエリザベートは得心した。

赤熱する刀身がその力を示す。

聞いたことの無い技術では在るが、種が分かればなんと言うことは無い。

彼女は刀身を失った柄を投げ捨てる。

相手はこちらの斬撃に対応するだけの腕前を持っている。

(剣も己も技も、所詮は道具…か)

もう一度踏み込む

徒手である身は限りなく地を這うように、どこまでも低く。

彼我二つの間合いが交差する、その直前エリザベートは大地に爪を立てる。

空を切る短剣

エリザベートは掴んだ砂を刺客の顔に投げる。

刃の返るその直前に、エリザベートの爪先が刺客の頸に弾けた。

「エリー!大丈夫?!怪我してない?」

「無茶しないで下さい…ああ、まだどきどきしてます。」

「ふふふ、済まない。心配をかけたね」

エリザベートは刺客の短剣を拾う。

刃渡りは60cm程度、異常な迄に広い身幅は古風な切断の剣だ

丸腰よりはましだろうと、エリザベートはそれを拝借することにした。

「それじゃあ、行こうか」

深い闇の中に三人の旅人は消えて行く。


一人、二人、三人と、街の中から駆けだしてくる者達

歪に歪んだマナの流れ、微かな、しかし一般の人々とは確実に違う、大いなる流に背を向けた者達の気配

「まだまだ修行が足りませんね、偉大な魔女の弟子よ」

街を、街道を見下ろす高き山の頂に立つ薬師の魔女は優しげな微笑みをその相貌に浮かべる。

「古き大地よ!我らを育みし偉大なる母よ!あなたの幼子を獣の牙より守り給え!」

迸る土のマナ、舞い踊る土の精霊は大地を山を震わせる。

土煙を上げ、追跡者に迫りゆくのは津波の如き山崩れ

「どうか、彼の者達にあなたの恩寵を賜りますように」

折れず、欠けず、歪まずに、銘刀の如きあの娘の刃が曇ってしまうことの在りませんように…

薬師の魔女は一人静かに祈りを捧げた。

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