叶うならば、どうか愛する貴方の傍で
魔の棲む森に煌々と光るヘッドライトと松明の灯り
柄にも無くコールを切りながら進むのはイミカミへの精一杯の威嚇、実際火のマナに動きを持たせた方が襲われにくいとミシェルはいう。
大本のイミカミの木を目指して私達は暗くなった森の中を進む。
出来うる限りの準備と打ち合わせをしてきたが、それでも緊張は治まらない。
こちとらぬくぬく育った一般的な日本人である。これから命掛けの戦いに臨む緊張など未体験だ。あー、吐きそう…。
私達はこれから森の怪物との戦いに挑む。だというのに、他の二人は張り詰めてこそすれ、私のように緊張に押し潰されてはいないようだ。異世界人のメンタル恐るべし。
先頭を進むミシェルが止まる。
「着きました。」
魔の棲む森の中、木々の生い茂る中にぽつんと現れた開けた空間
「何も無くない?」
ミシェルは首を横に振る
「森の恵みよ、木々育む精霊よ、悲しき汝の愛し子を包む霧を払い給え」
彼女が箒で空中をはらうと、先程まで何も無かった空間が異形の木々で埋め尽くされる。
木の瘤というには生々しいそれは、見るからに汚らしい粘液をそこかしこから噴き出している。
幹は醜く歪み、ねじ曲がり、絡み合うようにして一本の大木を包み、一体化している。
まるで動物の様に脈動し、呼吸する異形の木々…吹き出す空気は突き刺すような腐敗臭。
マナが見える必要すら無い。負のマナを撒き散らすというのはこういうことかと、その姿を見て理解した。
生物としての本能的な拒否感、地獄があるならば斯くもあろうという情景が脚を竦ませる。
油断すると胃の中全てを吐き出してしまいそうな不快感は、ここに立ち入るべきでは無いという生物としての最大級の警報なのだろう。
それでも震える脚を、私の意思に逆らい逃げ出そうとする体を必死で押さえ込む。
「あの真ん中の大木が大本です、くれぐれも慎重に」
「分かった、ありがとう」
言ってミシェルのふわふわの赤毛をくしゃくしゃっと撫でる。やはり思ったとおり柔らかくて気持ちがいい
「なっ…何するんですか!」
「へへっ、必勝祈願のおまじない」
お陰で少し落ち着いた。行ける。
「二人とも、準備はいいか」
エリーの問いに私とミシェルが肯く
「一発凄いのみせてやろうぜっ!」
無茶だと思った。不可能だと思った。勝てるわけが無いと思った。
彼女達二人は出来ると言いました。私達3人ならば勝てると言いました。
偶然出会っただけの私を、もう諦めてしまった私を、二人はそれでも信じて任せてくれました。
私も信じましょう。二人が出来るというのなら、二人が勝てるというのなら
箒で飛ぶのは得意でも、それ以外はからっきしな私…
臆病ですぐに逃げ出そうとする私…
私自身の駄目なところ、嫌いなところ、そんなものはいくらでも出てきます。
でも、そんな私を言い訳にしたくないから
二人が信じてくれた私を言い訳にしたくないから
「だから、今だけ力を貸してー」
ー木々の精霊よ!
戦いにくい相手と戦うこと、それ自体は珍しい事じゃ無い。
この10年間戦ってきた相手はどれも一筋縄でいく相手じゃ無かった。
ドラゴン、リッチー、慣れない船の上で戦ったクラーケン、切っても切っても死なない砂の魔神どれもみな手強かった。
反乱軍の少年兵、名も知らぬ異国の若者達、幼い暗殺者の少女…。罪悪感に押し潰され無い夜は無かった。
今戦っている相手はドラゴンより強いか?否!
倒して罪悪感を感じるか?否!
「なれば、私が勝てぬ道理など…無い!!」
ふと振り向けば、二人が戦っている。
私を信じて、私の思いつきに付いてきてくれた大切な友達
過ごした時間は短いけれど、出会ったばかりではあるけれど、本当に本当に大好きな私の友達
今日ここで勝てば、きっともっと楽しい思い出が作れる
若いふたりを危険な目に合わせてる引け目はある。
それでも私は二人のことをもっと知りたい
それでも私は二人と沢山楽しいことがしたい
だからどんなに怖くても、私は逃げない
だからどんなに辛くても、私は諦めない
「全く、私もいい女になったもんだ!!」
-イミカミは剣で斬っても、倒すことは出来ません。
先刻の打ち合わせの中で若き魔女はいった。
ーですが戦いに集中させることはできます。
それによって囮となり、敵を釘付けにするのは剣に愛された王女
ーその隙に大本の木に薬を打ち込んで下さい。私も儀式の詠唱を始めます。
要として敵の動きを封じるのは異界の旅人
-儀式がはじまれば、それで終わりです
3人の内誰か一人が仕損じれば、何か一つ不測の事態が起きれば、全てが水泡に帰する。
薄氷を渡るかの如き戦い-
あれ?脚が前に出ない…
薬を打ち込もうと、ミシェルから渡された器具を取り出した瞬間だった。
なんか…引っ掛かってる?
踏み出そうとした右脚が動かない。
ジンジンと痺れる様な感覚、熱を持っているような、でも自分の脚じゃ無いような、そんな不思議な感覚
右脚を見る。太ももから突き出した歪な木の枝
大木の上の方から、ユーコの後ろに一本の枝が垂れて来たのに気が付いたのは、見えない敵との戦いに私の体が慣れてきた頃だった。
次の瞬間にそれはユーコの太ももを貫く
「ユーコ!」
目の前の敵から注意が逸れたのはほんの一刹那にも満たない時間、その僅かな時間に敵の攻撃を喰らう
体の奥の奥、臓腑よりももっと深い部分を直接殴られたかのような衝撃
受け身をとりつつ鋭く息を吐いて意識を保ち、敵に向き直る。
その時視界に飛び込んできたのは体中を枝に貫かれるユーコの姿だったー
しくったなぁ…全身を木の枝で貫かれた割に、私の意識ははっきりしている。思考も実にクリアだ。
私の性格からして、死に際はもっとこう醜く泣きわめくものだと思っていたのだが…
しかし、二人には悪いことをしたと思う。
誘ったのは私だ。言いだしっぺが真っ先に死んでちゃ世話無いよなぁ…
二人は逃げられるだろうか?
きっとエリーがいるから大丈夫だろう。
今、私が二人にしてあげられることは何も無い。
ー本当にそうだろうか?
本当だよ、もう動く事も出来ない
ー本当に出来る事は無いのか?
しつこいな、もう私は終わったんだって!
頭の中に響く誰かの声が語りかけてくる。幻聴にしたってもっと知ってる人の声にするとか気を利かせて欲しいものだ。
ー私達はもう何も出来ないけれど
ー私達は本当に終わってしまったけれど
ー君はもう助からないかもしれないけれど
ー君の愛する人が
ー愛する人の元へ帰る為に
ー君に
ー君だけに
ー出来る事は
ー何も無いのか?
頭の中に矢継ぎ早に響く声、声、声
私に、こんなになった私に…出来る事なんて…
ーあるよ
重なる無数の声、万の群衆の歓声の様な、大地を震わす雷鳴の様な、力強い声
私の背中を押してくれる、声ー
ふと握り締めた手の内に感じた感触
ああ、本当だ‥あったよー
深く、森の木々の奥深くに張り巡らせた私の意識が、万雷の歓声が如く響く声を聞きました。それはそれは暖かな声音で
遅れて小さな声が聞こえます。今にも消えそうな、でも強い意志のこもった声音で。
その声に導かれるように、歪んでしまった森の、墜ちてしまった神の、苦悶の嘆きが止まりました。
ユーコさん、ありがとう
木々の、森の、奥深くから現世に目を開く。木々の一本一本、草の一本一本にまで、私の声が届きますように
“古き森 古き神 古き大地に根を張る森の幼子達に
遠き友 遠き故郷 遠き光に育まれし森の幼子達に
新しき森 新しき神 新しき雨音に生まれ来たる森の幼子達に
近しき友 近しき故郷 近しき隣人に愛される森の幼子達に
私は歓声をもって育みましょう
私は歓喜をもって祝いましょう
私は喝采をもって迎えましょう
貴方が私を育んだように
貴方が私を祝ったように
貴方が私を迎えたように
古き森 古き神 古き大地を守りし貴方のように
遠き友 遠き故郷 遠き光を恵みに変えた貴方のように
新しき森 新しき神 新しき命支えた貴方のように
近しき友 近しき故郷 近しき隣人を愛した貴方のように
ああ、やった。やりきったんだ。やり遂げたんだ…
優しい歌が聞こえる。優しくて悲しい歌が
大切な人への別れの歌が、新たな命への希望の歌が
頭の中に、体中に、優しく巡っていく
きっとこれが浄化の儀式
古い森の守り神を、優しく送る別れの儀式…
霞んだ景色にエリーが映る。
綺麗な顔をぐしゃぐしゃにして
子供みたいに泣きべそかいて
泣かないでいいんだよ?私は満足だから…伸ばした手を彼女はしっかり握ってくれた。
「…え、りー…」
「ユーコ、ありがとう…君の、君の…お陰で」
「なか…な…いで…」
こんな風に別れを惜しんでくれるなんて、彼女はなんていい子なんだろう。
私は最後の力でさっき聞いた歌を口ずさむ
悲しくて優しい、別れの歌を…
「ユーコ!」
守れなかった。救えなかった。命を賭して私達を救ってくれた大切な友人を
涙が止まらない、体に力が入らない、どうしたらいいのか分からない。
彼女はこんな所で失っていい人じゃ無いのに…
ユーコの口からメロディーが零れる。優しくて、でもどこか悲しげな不思議なメロディーが
泣いている私を元気づけようとしているのだろうか?
「全く、君って人は…」
彼女を抱く腕に力を込める。
今夜はずっと、最後まで一緒にいるからね
本来なら喜ぶべきなんでしょう。
これでもう、イミカミの被害は生まれない。
これ以上、悲しむ人は生まれない。
でも本当は貴方と、ユーコさんと一緒に喜びたかった。
「せっかく…お友達に…なれたのに…」
儀式の前に聞こえたユーコさんの声
分かっていたのに、知っていたのに、それでも涙が止まらない。
輪の中に帰るコノカミが、最期に齎す恵みが光り輝く雪のように、一つ二つと降り注ぎます。
ユーコさんの成した美しい景色
「置いてかないで下さいよぉ…」
目を開けると、そこかしこに白い光の粒が舞っている。
「あれ?雪…?」
「ユーコっ?!」
こちらをのぞき込み大声を上げるエリー
「はい!私です」
怪訝そうな顔で私の顔を見るエリー
「ちょっと失礼」
「うぉっ?!」
いきなり私の腹を弄ってくる
「傷が…無い」
「うん、ちょっと良い?」
そう言って私は立ち上がると、イミカミと呼ばれた大木に触れる。
「貴方のお陰…なのかな?」
残りわずかな葉しか残さない古木は小さく肯くように枝葉を揺らした。様な気がする。でも、私にはそれで充分だ。
「そっかー、ありがとうねコノカミさま」
きっと最期は心優しいコノカミ様として還ってゆくのだろう。
「それじゃ、もう一人、大切な友達を迎えに行こうか」
そう言って私はエリーに向かって手を差し出す。
「どうぞお手を、お姫様?」
「全く本当に…君って奴は」
「ミシェル、ここにいたのか…大丈夫かい?」
しゃがみ込んでぼろ泣きしている魔女っ子を見つけたのはエリーだった。
「大丈夫じゃ…ないですぅ…ユーコさんがぁ、ユーコさんがぁ…」
「はいっ!私です」
「何で死んじゃうんですがぁ…大丈夫って言ったじゃ無いでずがぁ!」
顔中涙と鼻水塗れにしながらミシェルが私をぶってくる。
「おーい、魔女っ子ミーちゃん、私だーれだ」
「ユーコざんでじょ…ふざげないでくだ…あれ?」
「ただいまー!」
「ぅえええええぇえ?!な…なん…あれ…え?」
反応が大きくて見ていて飽きない
「いやぁ、説明すると長くなるんだけどね…まずは食事にしない?」
キャンプ地をコノカミ様の広場に移した私達は、ささやかながらコノカミ様を送る宴を催していた。提案したのは私だ。
なんせ今回、よくも悪くもコノカミ様とは浅からぬ因縁が出来たからね。
「それで、イミカミがコノカミになってユーコさんを助けたと?」
「うん、少なくとも私はそう思ってるよ」
「不思議な話だが…こういった例は他には?」
「えっと、少なくとも私が知っている限りは無いです。そもそもイミカミに刺されたら一瞬でマナを吸われて死んじゃいますから」
「でも、私刺されても割と暫く意識あったよ?」
「それも不思議なんですよねぇ」
ミシェルがうーんと唸る。
「まあまあ、難しい話は後でするとして…」
私は食料バックからいいものを取り出す。
「宴といったらこれでしょう!」
「それは?」
「ウヰスケ!!」
「ウイスケとはなんです?」
「えっと、お酒の1種だよ」
コンビニで買った品でそんなにいいものでも無いが
「さすがユーコ、分かっているね!」
エリーが嬉しそうに目を輝かせる。彼女が酒豪なのは、クロマツの街で確認済みだ。
「ミシェルはどうする?」
「私はあんまりお酒強く無いんですけど…おめでたい席ですから、一杯だけ頂いても良いですか?」
そういえば、この子はいくつなんだろう?
「ねえエリー、この国って飲酒に年齢制限ある?」
「ん?また妙なことを…酒と年齢になんの関係があるというんだ」
まあ、そんな感じだよね
「細かい事はこの際いいか、はい」
紙コップに注いだウヰスケ!!を二人に渡す。今度日本に戻ったら二人にもキャンプ用のマグカップを買ってきてあげよう。
「これは…中々強いな、蒸留酒かい?」
「だいせいかーい、私の国では果汁とかシュワシュワする水で割ったりするよ」
「ほんとですね…喉の奥がポカポカします。」
「うん、無理してのまなくても大丈夫だからね」
「しかしこんな上等な酒、私達がごちそうになっていいのかい?」
「ええ、私もあまりお酒は詳しく無いですが、こんなに雑味の無いお酒を飲んだのは初めてです」
かなりの高評価だ。現代日本の醸造技術の高さ故だろうか?
そう言えば日本は世界の五大ウヰスケ!!に入っているとか聞いたことがある。
「えっと、実はそれ私みたいな庶民向けのお財布に優しいお酒で…」
「そうなのかい?いやはや恐れ入るよ…しかしニホンとより友好を深めて酒の輸入を解禁すれば毎日これを飲めるということか…素晴らしいな…いや、しかしそうすると我が国の醸造家に打撃になってしまうからある程度の高い関税を設定せねばならないか…だがそれではこのうまい酒が民の手元に届かなくなってしまうからうーん…」
なんかエリーが急にブツブツ言い始めた。こわい。
「なんだか不思議ですね…」
「ん?何が?」
「私、師匠から管理者のいなくなったこの森の様子を視てくるように言われてここに来たんです。ただのお使いのつもりで」
「ずいぶんハードなお使いになっちゃったっぽいけどね」
箒で事故に遭うわ、たった3人で化け物退治するわでついてないものである。
「はい、でも悪いことばかりじゃ無いですから…お二人に出会えて、こうして笑ってお酒を…それも王女さまと異界の旅人さんといっしょなんて、考えつきもしませんでしたから。」
言われてみればそうだ。漠然とまだみたことの無い旅をと考えてはいたが、ここまで突飛な事になるなんて考えてもいなかった。
まさかこの私が、ファンタジーでアドベンチャーな日々を送ることになるなんて…。
「いやはやまったく、愉快なもんだぜ…」
「ユーコ…さん…」
「ん?」
「ありが…とう…」
おやおや、本当にお酒弱いらしい。
彼女を丁寧にマットに横たえ、毛布をかける。
お休み、ミシェル…
「そう言えばユーコ、君の国には飲酒の年齢制限があるのかい?」
「20になるまでは買うのも飲むのも禁止だよ」
「ん?じゃあ君はどうやってこの酒を…?」
はいはい、このパターンね、慣れてますよーだ。
「普通にお店で買ったよ」
海外で日本人は若く見られるからお酒を売って貰えないっていうのはよくある話だ。
私?日本でも年齢疑われる。
「よく若く見られがちだけどさ、私27だよ?エリーより二つお姉さんだね」
エリーが酒を吹き出す。ああ、勿体ない。
「あらまあ!御下品ですわお姫様?」
「す…済まない。だが27とは冗談だろう?てっきり13くらいだとばかり…」
わーい、中学1年生だー!
「本当だって!まったく、人をなんだと思ってるんだか」
「疑った訳では無いんだ、怒らないでほしい。しかし、なる程…妙に大人びて博識な子供だと思っていたが…これで納得がいった。」
「へー、子供だと思ってたんだー、ほーん」
「あ、いや悪気は無いんだ済まない…あっ!そ、そう言えば君は日本ではどんな仕事をしていたんだい?」
露骨な話題そらしである。今後宮廷に戻ったらこんなんでやって行けるんだろうか?
「まあ、いいか…。私はバイク関係のライター…つってもわかんないよね?えっとバイク関係の物書きってとこかな」
「というと…作家のようなものかな?」
「そんな大層なもんじゃ無いよ。色んなバイクに試し乗りしてこのバイクはこんなんですよって紹介したり、ツーリングに行ってここにバイクで行くと楽しいよって紹介したり、この服着てバイクに乗ると格好いいですよ、こういう組み合わせが流行ってますよって紹介したり、メンテナンスを実演してみたり…とかね」
「バイクの素晴らしさをみんなに伝える仕事…ということだね?素敵な仕事じゃないか」
面と向かって自分の仕事を褒められるのは嬉しい反面少し照れくさくもあるものだ。好きでやってる仕事であれば尚更だ。
「君は、本当にバイクが好きなんだね」
「うん、大好き…。私ね、お父さんがエクストリームバイクの世界チャンピオンだったの」
「エクス…?」
「あ、ごめんエクストリームバイクって言うのは…バイクで色んな曲芸みたいな技を見せ合って誰が一番上手か決める大会なの、で世界チャンピオンはこの世界で一番ですよってこと」
「バイクで曲芸…想像も出来ないな…」
「後ろの車輪だけで走ったり、ダンスみたいにくるくる回ったり、色んな技があるんだよ…今度見せてあげるね」
「出来るのかい?」
「まあ、ある程度だけどね」
「しかし、お父上が世界一のバイクの遣い手とは…得心がいったよ君のバイクの腕前はお父上譲りのものなんだね」
「いや、私なんて全然だよ」
「謙遜なんて必要ないさ、バイクについては私は門外漢だが武芸に関しては中々のモノだと自負している。その私から見てもバイクに乗っているときの君のバランス感覚と体重の運びは一切の澱みも迷いもなく美しいものだ。それこそ一流の武芸者にも引けを取らないほどに、ね」
「あ…ありがとう」
顔が熱くなってくる。そう言えば、バイクの運転について人から直接褒められるなんて何年ぶりだろう
「そう言えば、エリーはどうして剣術を始めたの?こっちだと女の子はあまりやらないって聞いたけど」
むしろ女の子のお稽古事としては武芸自体がはしたないと敬遠されている筈だ。
「ああ、最初はちゃんと師に付いて習っていたわけじゃなくてね、兄達が習っているのを見て、見よう見まねで棒切れを振り回していたんだ。」
「わんぱくなお姫様だね」
「あの頃は母に見つかってはひどく怒られて、よく泣いていたものだよ」
「なんか想像できる」
「そうかい?私は淑女の嗜みって奴がどうにも退屈で苦手でね、よくサボっては英雄譚を読んでは心躍らせていた様な子供だった。」
「ナーヴァ王と伝説の六英雄とか?」
「よく知っているね、私が一番好きだった物語だよ」
「こっち来るときに一通り習ったからね」
古王朝時代の伝説の征服王ナーヴァが、配下の六英雄と共に邪悪な魔女エメラダが建国した古代ノルディア帝国と戦い、最後にはエメラダを倒す正統派の英雄叙事詩だ。国内の吟遊詩人のレパートリーに必ずと言って良いほど入っている、世代を越えて愛される物語である。
「まあ、ずっとそんな調子だったからとうとう母が根負けしてね、他の稽古事をしっかりやることを条件に剣術を教わることを許して貰えたんだ。」
「お母さん、よっぽど困ってたんだね」
「ああ、母からすれば初めての娘だったから、今思えば色々思うところがあったんだと思う。」
エリーの母であるルイーゼ王妃は、国王との間に七人の子をもうけたが、エリーの上3人は男子であり、エリーは初めての娘だった。
母として色々楽しみであったのだろう事は想像に難くない。実際は剣の紋を持つ、剣豪となるべくして生まれてきた子供だったのだが
「そういえば、私がかつてこの森に来たときに行方不明者が出たと言ったのを覚えているかい?」
「うん…跡形もなく姿を消したって」
今にして思えば、イミカミに食べられてしまったんだろう。
「彼は、私の兄弟子だったんだ。私の剣術の師が仕えている子爵家の次男でね、私より四つ上の…青い瞳が綺麗な男だった。」
当時剣豪として名高かったという彼女の師であった騎士が仕える子爵家の当主が、歳の近い者が一緒にいた方が王女さまも何かと気が楽だろうと、連れてきたのだという。
「私が八才の時に初めて出会ってから、いつも一緒に遊んでいた。一番上の兄と彼と私の三人で、城を抜け出して街に繰り出したりもしたものだ」
それはエリーが戦場に出るようになってからも変わらなかったらしく、彼女の初陣の直前、国王により彼は騎士に叙された。きっと大切な娘を守ってやってほしいという国王の親心だったのだろう。
「彼がいなくなってしまった三年前まで、ずっと共に遊び、共に学び、共に戦ってきた。そんな彼の死の真相が分かっただけ…幸せなのかも知れないな」
コノカミ様を、大切な人の仇を見つめてエリーは言った。
「好きだったんだね…その人のこと」
「どうだったんだろう…今となってはもう私にも分からない。少女の頃に感じたあの気持ちが親愛の情だったのか、それとも恋心だったのかは、ね…ただ、彼が森の奥深くで、たった一人で逝った事を思うと胸が…苦しくて仕方なくなるんだ…」
エリーが胸元を押さえる。きっと今まで誰にも話すことの出来なかったであろう想い。
英雄として、強く立たねばならぬと被り続けた仮面の後ろで、今もきっと、彼女は泣いている。
「あのね、声がね…声が、聞こえたんだ…」
「…声?」
「そう、私が枝に刺されたすぐ後に、大勢の声が…」
強く、優しい大勢の声…私の背中を強く押してくれた声
「君の愛する人達が、愛する人達の所に帰れる様に、私達が出来なかった、君にしか出来ないことをやれ、ってね。」
あの声があったから、私は二人を守ることが出来た。
「きっとあれは、イミカミに食べられてしまった人達が、その最期に私達にしてくれた…彼等にしか出来ないこと…死んでしまったかも知れないけど、直接何かをエリーに伝える事は出来なかったけど、きっとその人は満足して旅立ったんだと思う。だって最後の最後に、大切なエリーを守れたんだもん。」
「そうか…そうだと、いいな…」
エリーが涙を必死で堪える。それでも堪えきれず零れた涙が、彼女の頬を濡らしていく。
私はエリーの肩を抱いた。
「ミシェルが言ってたの、全てのものは死んだら世界って言う大きな流れに戻って、別の何かとして生まれ変わるって…だからね、きっとその人はエリーの事をずっとずっと見守ってくれてる。私はそう思うよ?」
森の中で非業の死を遂げた人々、それでも私に力を貸してくれた人々…
彼等の次の生がどうか、幸せに満ちたものでありますように。
そして叶うならば、どうか愛する人の傍でー
正化8年5月22日
魔の棲む森
木々の間から見える青空、爽やかな空気!今日は絶対ツーリング日和だ!
「あの、ユーコさん」
「どったのミシェル」
ウキウキ気分で荷造りをしていた私にミシェルが声をかけてきた。
「その…私、これから北にある師匠の家に戻らなきゃいけなくて…その…えっとユーコさん達と方角が一緒なんです…だから、そのぅ…」
もじもじしながら言ってくる。引っ込み思案な所のある彼女は遠慮してしまって次の言葉を言えずにいるのだろう。
「それじゃあ、途中まで一緒に行く?」
ミシェルの顔にぱっと笑顔の花が咲いた。
「は、はいっ!よろしくお願いします!」
今まで一人旅ばかりだったけど、こういう賑やかなのも悪くない。
最後の荷物を縛着し終えた私は、キーを回してキックペダルを広げる。
空キックを一回、ほんのかすかな生ガスの薫りが鼻腔を擽る。
「いいかい?ミシェル、あれはキックスタートと言ってバイクに乗る前の大切な儀式だから邪魔しちゃー」
「エリーうっさい」
圧縮上死点を出して、ペダルを一気に蹴り込む
軽やかな単気筒の排気音、今日も相棒は上機嫌だ
「キック一発縁起が良いね!」
「そう…なんですか?」
「そうなんです!きっと今日は楽しい日になるよ」
風が吹き森の木々が私達の旅路を祝福するように、私達に手を振るようにその枝葉を揺らす。
「それじゃあ、行こうっ!」