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キック・スタート  作者: かぷせるこーぽ
第7章 祖霊の都 下
28/28

いつか貴方に届くよう

まっさらな世界は、暗いわけでも明るいわけでもない。

比喩ではなく、無色と言うのはこういう状況の事をいうのだろうか...

いや...色がどうと言うより、ここには何もないのだろう。

無色の何かがある。透明な何かがある。そういう事ではない。ここには無しか無いのだ。

...いや、無しか無いのなら無が有ることになるのか?

とにかくそういう哲学的な事については完全に専門外なのでよくわからないとしても、直感的にここには私のこの意識以外は何も無いと分かる。

ここが何処なのかは分からないし、私自信がどうなったのかについて確信を持って言える事は何一つ無いが、兎に角たった一人の孤独な状態だという直感は何故か私の中において確信になっている。

仮にここが死後の世界だとするのならば、随分と味気ないものだと思う。

味気どころか肉体すら無いのだ。

ただ意識のみが広大な何も無い空間に浮いているような不思議な感覚だ。

上下左右という概念がここにあるのかは知らないし、時間や空間すら存在しない可能性だってある。本当の無においては時間も空間も存在しないと、昔教育テレビでやっていたのを覚えている。

そう...覚えているのだ。

何故覚えているのか...

意識についてはまあ...ミシェル達の思想に触れた今では何となく理解できる。俗に言う魂がどうのとかってやつだろう。

そこについては、私たちの世界では最終的な結論には至っていなかったので、ミシェルたちの世界の考えに従うとして、問題は記憶である。

現状肉体が存在しないと言うのは先程いった通りである。

パソコンで例えるのならば、現在の私はソフトウェアしか無いはずなのに、なぜハードウェアに依存する筈の記憶があるのだろうか...?

記憶は基本的に脳に保存される筈だ。他の臓器に分散していると言う仮説も聞いたことがあるものの、それにしたって一切の劣化無くあらゆる記憶がいつも通りに引き出せるのはおかしくは無いだろうか?

ヴァニカの全身のほくろの数から、父親のバイクの乗り味まであらゆる記憶を思い出すことができる。

仮に魂に記憶がバックアップされていたとしても、そもそもかつて魔の棲む森で出会った肉体を失った人々は、話した感じではここまで明瞭な状態では無かったし、そもそも亡霊とやらがいるあの世界である。死後も記憶や人格を保っていられるのならば、人を襲うモンスターなどに早々成りはしないだろう。

仮に一部の亡霊が凶暴化したとしても、善良な亡霊が社会生活に一人も溶け込んでいないわけがない。

それにここが死後の世界と仮定した場合に、直感的に感じるこの完全な『無』というのも納得が行かない。

どちらの世界にしろ、有史以来...いやむしろ天地開闢以来、数えきれない程の生物が死んでいる筈である。死後の世界は満員御礼もいいところのはずだろう。

ミシェルが言っていた様に、大いなる循環に還るのだとしたら、そこはもっと賑やかである筈だ。少なくともエネルギーには満ちているはずだ。こんなthe・凪ぎみたいな状況とは考えにくい。

水槽の中の脳みたいに、ただ私が無だと感じているだけの可能性は否定できないが、仮にそうなら私にそれを証明することは不可能だ。なので考えない事にしよう。

ひとつだけ...思い付いた仮説がある。

仮説と呼ぶには余りに希望的で、私の願望によって歪められてしまってこそいるが...

ただ...それを証明するために色々試してみよう。少なくとも時間に追われている訳では無いのだから...


仮に...の話だ。

巨大な時計台があったとしよう。

その時計台の時計は、大河の流れを水車で受けて動力に変換しているとして、その動力伝送機関である歯車に異物を噛み込ませたらどうなるだろう?

その異物に十分な強度があれば、歯車を破損して、少なくとも正確な時を刻むことは出来なくなるだろう。

しかし、十分な強度の無い異物であれば、一時的に動力の伝送を妨げる事は出来ても、歯車の持つエネルギーに耐えきれず砕け散る事になる。

仮に...の話だ。

世界を覆う機械があったとしよう。

その機械によって世界に満ちるエネルギーが外に漏れ出すことも無く、流入することもなく完全に閉じた系を保ち、万物を循環させる流れを産み出す機械の歯車に異物を噛み込ませたらどうなるだろう?

その異物に十分な強度があれば、歯車を破壊して、少なくとも完全に世界を閉じた系として存続させる事は出来なくなるだろう。

しかし、十分な強度の無い異物であれば、一時的に世界の系を開かせることは出来ても、歯車の持つエネルギーに耐えきれず砕け散る事になる。

仮に...の話だ。

世界を循環する莫大なエネルギーを受け止める強度を持った『何か』を作ろうと思い立ったとしよう。

はたしてその『何か』を作るために必要な強度をもった素材はこの世に存在するのだろうか?

仮に...の話だ。

世界を循環する莫大なエネルギーを受け止める強度を持った『何か』を壊そうと思い立ったとしよう。

果たしてその『何か』を壊すために必要な強度をもった素材はこの世に存在するのだろうか?

そう、全ては仮に...の話だ。

賢者の思索の中にのみ存在する仮定の話

あり得ない出来事をただ思い描くだけの、賢しき愚者の単なる戯れの話...


ふわりふわりと漂うひと欠片を眺めながら、彼女は背後を振り返った。

なるほど...彼の言う通りだったな...と、その口許に小さな笑みを浮かべた。

いくら長いときを生きてきたとはいえ、所詮は己一人の知恵など大した物ではないのだろう。

若い...それこそ彼女からすれば赤子にも満たない程の若者達の言葉が、彼女の老獪な企みなどでは届かない程に芯をくっていたということなのだろう。

「本当に...本当に儘ならないものね...」

星々が閃く空に彼女は言葉を放る。

太古から殆ど同じ姿を保ち続ける星々は、所詮自分がちっぽけであることを彼女に思い起こさせてくれる。ただの少女として生きていた頃と何一つ変わっていないと教えてくれる。

「きっと...もっと...ふふふっ」

華やぐ笑顔、足取りは軽く、南へ向かう彼女は晴れやかな気持ちで歩いて行くのだった。


正化8年8月20日

腕を持ち上げてみる...布団を押すような感覚がある。

脚を動かしてみる...こちらも同じだ。五感に何一つ刺激の無い状態であった所から見れば、なんて大きな進歩だろう!

目を開けてみる...あー、しゃばしゃばする...でも明るいのが分かる!

ボヤけた視界に入ってきたのは豪奢な天蓋と、穏やかな風に揺れる上等なレースのカーテン

なんだろう...異世界転生的なあれだろうか...?

お姫様みたいなベッドに自分が横たわっている事に気がつく。

とはいえ、異世界で死んで異世界転生すると、一体どこに行くのだろう?もといた世界か?

しかし、カラカラに乾いた喉と重くなった体は、生まれ変わりと言うよりはレースで事故って二週間昏睡状態になった時に目覚めた時の感覚に似ている。

それに、私のすぐ脇に感じる暖かい感触には覚えがある。

ゆっくりと布団を捲ってみれば、やはりだ。可愛らしい濡れ羽色の耳が目に入ってくる。

ああ...生きていた...

我ながら運がいいと思う。少なくとも確実に肺を刺し貫かれていたというのに死なずに済むとは...以外とこの国の医療は進んでいるのだろうか?

いや...違う...!

布団をはね除けて着ている柔らかな寝間着を捲る。

傷が...無い!

それだけではない。健を切られた筈の両足も動く...それも全く違和感無く...

「...んゅ...なに...?」

同じ布団に入っていたヴァニカが目を擦りながらその身を起こす。

「...お...お母...さん...?」

「うん...お母さんだよ」

信じられないものを見るような顔で此方を見るヴァニカ

それもそうだ。彼女は私が致命傷を負った姿を見ているのだから...

「お母さん!!」

勢いよく飛び付いてくるヴァニカ

「ヴァニカ...心配かけてゴメンね...?」

「ううん...ううん...お母さん...よかった...ほんとに良かったよぉ...」

泣き出したヴァニカを抱き締めてその頭を撫でる。

感動の母娘の再会だ。

何度も何度も寂しい思いをさせてしまった。

「ヴァニカ...ああ...」


わんわん泣きじゃくっていた私たちの声に気がついたのか、部屋に大勢の人が入ってきたのは私が目覚めてから大体15分後くらいだろうか?

起き抜けに大泣きしてしまったせいか、なんだか頭がぐわんぐわんする。

エリー、ミシェル、おっちゃん、側衛騎馬大隊の皆...それ以外にも初めて見る人たちも多いが、皆私の目覚めを祝福してくれている。

「それで...ここは?」

膝にヴァニカを乗せ、体の左側にはミシェルが抱きついた状態でエリーに尋ねる。

「王宮の私の部屋だよ」

なるほど、お姫様みたいなベッドだなとは思ったが、本当にお姫様のベッドだとは...!

しかし...王宮の部屋と言うことは...

「じゃあ...上手くいったの?」

エリーが笑顔で力強く頷いた。

私が眠っていた間の事をエリーが説明してくれた。

会談は成功し、近衛卿は大逆罪で族滅となるそうだ。

刺客達は恐らく全滅し、白雪の魔女の遺体は此方に協力してくれている第一王子が確保してくれたのだという。

しかし、第二王女の嫌疑については証拠不十分で訴追することは厳しいのだという。しかし、今まで参加していた枢密会議のメンバーから外されて、謹慎処分となるそうだ。...甘くないだろうかとは思うものの、しかし国王が法治主義を徹底している以上仕方の無いことなのだろう。

「そっか...それで...私の怪我は誰が治してくれたの?ミシェル?」

「いや...不思議な話なのだが...」

ヴァニカの案内で私の元に辿り着いた一行は、血の海に沈む無傷の私を発見したのだという。

私が倒れていた建物内にいた刺客たちは、その全員が巨大な手に叩き潰された様に死んでいたとかなんとか...うん、気を失っていて良かった。

「そっか...因みに賢者は?」

「いえ...少なくとも形を保っている遺体の中にはあの人の姿はありませんでした...」

「あの刺客たちの仲間だったのだろう?きっと判別できない遺体の中にいたのだろう」

「私たちがユーコさんの所にいく直前に、あの人の気配がしましたが...そこからは何も...」

なるほど...そうか...

エリー達は恐らくマダムの死を確信しているようだが、しかし私には不思議とそうは思えなかった。

完全な致命傷を治癒し、あの刺客たちを皆殺しにしてしまう。そんな芸当ができるとしたら...いや、考えすぎだろうか?

所詮はただの錬金術師である。彼らは戦う力とは対極にある研究者だ。その筈だ。

暫く皆と歓談していると、慌ただしく部屋の中に押し入ってくる一団があった。

よくある普通の背広、七三の髪型に黒縁の眼鏡...特徴の無い一般的な中年日本人男性のすがたであるが、結構長いことこの国にいた私からすると新鮮な感覚がある。

彼の背後には緑色の迷彩服を着た完全武装の自衛隊の部隊...ああ、まあそうなるよなぁ...

彼はこの王都にある日本大使館の参事官だ。

「あー...これってやっぱりそう言うこと...ですよね?」

「はぁ...ええ、そう言うことです」

私の問いに彼は答える。目の下にはハッキリとした隈が見てとれる。いやいや、苦労をお掛けしてしまったようで...

実際予想していた事態ではある。

私はポータル渡航法とその関連法に、ごりっごりに違反しまくっているのだ。

「それでは、大使館までご一緒していただけますか?」

「待ってもらおう!」

エリーが彼の前に立ちふさがる。...可愛そうに...怯えている。

「彼女は私たちにとってー」

「はいっ、エリーストップ!!」

このまま放っておいたら外交問題になりかねない。

「ミシェル、私の荷物ってどこ?」

「え...あ、あそこです...けど」

服や荷物が綺麗に纏められている。

その中からジャケットをはおり、パスポートと拳銃をとって参事官のもとに歩みより、その二つを渡す。

「お母さん...?」

「大丈夫だよ...」

不安そうな顔をするヴァニカに笑いかけて、エリーに向き直る。

「...なんかあったら...あの子の事を...」

「...わかった」

頼りになる友達だ。

「それじゃあ...行ってくるね」


正化8年8月22日

王都 在ウェスタリア王国日本国大使館

二日間に渡る取り調べの間、私は大使館内に軟禁されていた。

そう、軟禁だ。思っていたより待遇がいい。

「それで...えー、元近衛卿の屋敷内で起きた殺人事件に対する関与はありましたか?」

「はい、身を守るために仕方なくですけど」

基本的に協力的に接する。全ての問いに真実で答える訳では無いが...

こんこんっと、部屋のドアがノックされた。

「ちょっと失礼します」

参事官がドアの所でなにやらヒソヒソと話している。何だろう...私に関する事だろうか?

参事官と共に、今度は大使閣下まで入室してきた。

閣下は一通の手紙をテーブルの上に置いた。ウェスタリア王家の紋章が入っている。

「これは?」

「先程私宛に届いた国王陛下からの信書です」

「はぁ...」

仲良く文通しているのなら結構な事だが...王様と友達って自慢しに来たんだろうか?なら私だって王女様と友達なんだけど...

「読んでみてください」

なになに...時候の挨拶の様な定型文があって...物見遊子の王国騎士への叙任式に関して...結びの挨拶...国王の署名と玉璽...ふぅん

「はぁ...はぁっ?!」

本文の部分に何やら奇妙な事が書いてあった気がするが...

「この...物見遊子っていうのは...」

「貴方の事でしょうね」

「叙任っていうのは...」

「君主が騎士を召し抱える事ですね」

うん...知っているが...

「何かの間違いでは...彼らからすれば外人ですよ?」

そのうえ、両国間で結ばれた取り決めに従わなかった犯罪者でもある。法治主義を貫く国王がその様なことを認めるとは思えないし、このような事をする筋合いも無いはずだ。

「そうであれば我々も気が楽だったんですがね...」

大使閣下と参事官が揃って頭を抱える。

そりゃそうだ。本来であれば犯罪は犯罪、栄典は栄典である。犯罪は法律にのっとって裁かれるべきだし、そこに栄典の有無など介在するべきではない。

しかしだ。両国間の取り決めで、前科のあるものは如何なる理由があってもポータルの利用は禁止されるのだが、騎士として叙任ということになれば国王の直臣である。日本に強制送還して渡航を禁止すると言う事は国王の家臣を捕虜にするということでもある。

両国間の友好関係にヒビをいれかねない事態だ。

「それでは物見氏を早急に本国に送還するべきでは?叙任されてからでは手遅れになりかねないかと...」

参事官の言う事は最もだ。手紙と入れ違いに出発してしまったということにして強制送還し、さくっと適当に裁判で前科をつけてしまえばいいのだ。彼らにとって幸いな事に、ここには自衛隊のヘリもある。

しかし、閣下は首を横に振った。

「今朝から王都は治安上の理由で封鎖されています...おそらく我々の動きを予期してのことでしょう」

...さすがに絶対君主のいる国は動きが早い。

「それに...エリザベート王女の名義で大量の礼服が送られてきています。これはもう、向こうの目論み通りに動くしかないでしょう」

エリーが礼服を送りつけて来たのは、ウェスタリア側が私の叙任をとても楽しみにしているのだという意思表示であると同時に、よもや期待を裏切るまいな?という脅迫だろう。

なるほど...エリーも随分と悪どいことを考えるようになったものだ。

しかし、この流れは私にとって中々に歓迎すべきものでもある。何しろ閣下の言う『向こうの目論み通りに動く』というのは、即ち私の犯した犯罪行為を無かったことにすると言うことなのだ。

「...では取り調べは?」

「もう必要ないでしょう。...仕方ありません、せめて日本国の恥とならぬように、しっかりと準備をしましょう」


正化8年8月30日

王都 王宮

王宮っていうと、もっと豪華でぴっかぴかなものだと思っていたが、ここはそういった様子ではない。

エリーの屋敷がよく言えば質実剛健、悪く言えば質素だったが、この場所はそれとも異なっている。

天井からは王国騎士たちのバナーが無数に垂れ下がり、壁際には其々の騎士たちが奉納した飾り鎧が立てられている。

ぱっと見は昔世界中の不思議を見つける番組で見た、イギリスのウィンザー城内の聖ジョージ礼拝堂の様だが、その大きさは遥かに大きい。

両脇の飾り鎧の前には無数の陪席者の姿があり、大使閣下はそこで不安そうな顔をこちらに向けている。

私の右脇で青い顔をしている参事官ともども、大分緊張している様だ。

陪席者達の中には東方にいる第二王子と、謹慎中以外の王族の姿もある。それに他の陪席者も王国の顕官や大貴族ばかりなので、緊張するなというのがそもそも無理な話だろう。

私?勿論緊張している。多分今背中を叩かれたら口から心臓出ると思う。

「ユーコ、そんなに固くなることはないよ」

私の左隣に立っているエリーが苦笑しながら言ってきた。今回の叙任に関して彼女は推薦者と言うことになっている。

王国騎士に叙任される為には王国直臣の推薦が必要なのだそうだが、彼女がそれを引き受けてくれたと言う事だろう。

たぶん本当に推薦してくれたのだろうが、私が大使館に連行されてからゆっくりと話す機会が無かったのではっきりとしたことは分からない。まあ、エリー以外王国直臣に知り合いなんていないので、答えは分かっているのだが...。

今回私は、黒羊拍車騎士団という団体への所属を命じられる事になる。

黒羊拍車勲章というのは、王国に対して多大な功績を残した文官に与えられる勲章だそうで、その勲章の叙勲者が王国の直臣としての籍を持たない場合に黒羊拍車騎士団に所属して直臣株を手にするのだと言う。

要するに現代のフランスのレジオンドヌール勲章の様なものなのだろう。

まあ、近衛騎士団や金熊柏葉騎士団みたいな、王国のごりっごりの軍事組織に所属させられても困るので非常に有りがたいのだが...。

「エレオノール12世陛下の御出座!!」

ああ...来たぞ...胃がぎゅーってなってきた。だが幸いにもしっかりと手順は覚えている。

立て膝でひざまづく。顔は見ちゃダメだ。頭が高いされてしまう。

文官が私の家系や略歴を読み上げ、続いてエリーが推薦文を読み上げる。その間私と参事官はひたすら頭を垂れたままだ。わけの分からない家系の情報を聞かされている陪席者達のリアクションが気にはなるが、ここはじっと我慢だ。

推薦文を読み終えたエリーが私に剣を渡す。いつものサーベルではなく、豪華な儀礼用の剣だ。

その剣の柄を国王の方に向ける。不思議な一致だが、このあたりの流れは映画でよく観る私たちの世界の騎士の叙任と同じ手順の様だ。

玉座から立ち上がった国王が私の剣を受ける。剣を両肩に当てて、私に剣を返す。受け取った剣をエリーに手渡す。これで叙任は終わりだ。

後は国王が去るのを待って退散すれば良いのだが、しかしそのまま立ち去ると聞いていた国王は玉座に腰を下ろした。

「モノミ・ユーコよ表をあげるがよい」

国王から声がかかる。

あんまり予定外の事をされると対応できないのだが...しかし、時代劇ではよく聞く文言だ。

顔を上げて国王の方を見た。写真で見たより大分威厳がある。

「我が娘が随分と迷惑をかけたようだな」

そりゃあもう...とは言えない。というか答えて良いのだろうか?

大使閣下は話しかけられる事はまず無いと言っていたのだが...

「ユーコ、答えて平気だよ...」

エリーが小声で教えてくれた。気が利くぅ!

「滅相もございません。エリザベート殿下には大変お世話になっております」

落ち着いた親子に対して、今この場にいる日本人三人組は多分全員生きた心地がしていない。

「旅の話は余も聞いておる。騎士の叙任だけでは褒美としては不足であろう?他に何か欲しいものは無いか?」

上様から褒美をとらすと言われるのは大河ドラマでよく見る場面だが、実際自分が言われる立場になると結構困るものだ。そもそも相場が分からないし、もしかすると辞去するのが作法なのかもしれない。

「大丈夫だよ...なんでもお願いしてみるといい」

そりゃあんたからすればパパ上だろうからそんなに気軽に言えるんだ!と、エリーに対して思うものの、この場でそれを攻めることができないというのがもどかしい。

だが...なんでもいいと言うのなら...

「であれば...私が保護している少女を、正式に私の娘として認めて頂きたく存じます」

「ふむ...その娘の名は?」

「ヴァニカで御座います」

予定外の流れに参事官が慌てている。そりゃそうだ。国籍や戸籍何かの問題もあるだろう。だが此方としては一番大事な事だ。役所の都合なんて知ったことじゃない。

「よろしい...ウェスタリア国王エレオノール12世の名において、モノミ・ユーコとヴァニカを正式に親子として認める!」

おお...!やった!!

所詮は書類上の事、しかし社会の中で生きるにはとても大切なことだし、何よりあの子との親子関係を正式に認めて貰えるというのは純粋に嬉しい。

宣言した後に国王が退出する。無事に終わったぁ...

「ユーコ、お疲れさま」

「うん...多分色々頑張って貰っちゃったよね...ありがとう」

「ふふふ、何のことだろうね」

相変わらず余裕のあるときのエリーはイケメンだ。

「そうそう、君は私の騎士団に与力として派遣するとの内示を頂いている」

「何から何まで...本当にありがとう」

王国から臣下に与力として直臣を送るというのはよくある話らしいが、今回のこれは多分私への気遣いだ。

「...えぇと...はぁ...」

置き去りになっていた参事官が声をかけてくる。

「あー、やっぱりなんか手続きとか大変になりそうですか?」

「大変なんてものでは...はぁ...」

前例のない事態だ。外務省がこれから大騒ぎになることは想像に難くない。

「とにかく、このあと直ぐに大使館まで来てください」

「いや、せっかく直臣になったのだから、先ずは庭園に行ってみるといい」

参事官の言葉を遮るように、エリーが割り込んできた。

「庭園...?」

「ああ、御目見え以上の直臣しか入れない庭園があってね、王家の人間が花々を直に育てているんだ。是非とも行ってみて欲しいと国王陛下も仰っていたよ」

「...それって、そういうこと?」

エリーが頷く。要は国王が臣下と密談する為の場所なのだろう。

「わかった!行ってみるね」

「はぁ...分かりました。私もお供します」

「申し訳ないが、我が国の直臣以外は立ち入りが禁止されていので...」

随行を申し出た参事官にエリーが言う。言葉こそ控えめではあるが、有無を言わさぬ様な迫力がある。

「ってことなんで...待ってて下さい」

参事官にそう言い置いて、私とエリーは庭園に向かって歩き出した。


流石に覇権国家の王家の庭園だけあってとても見事だ。

造園関係については全く知識が無いのだが、瑞々しく青々とした生け垣の葉、咲き乱れる花々は一切悪くなっている部分がなく、しっかりと手入れが成されていることは分かる。

「エリーのお屋敷もこんな感じにすればいいのに」

「いやいや、あれはあれで趣があるじゃないか」

「殺風景過ぎだってば...近衛卿の屋敷も他の貴族のお屋敷もここまでじゃないけど、立派な庭園あったよ?」

久しぶりに...それこそ半月以上ぶりにエリーと他愛もない話に花を咲かせる。

しばらくそんな風に過ごしていると、不意にエリーが振り替えって頭を下げた。

国王が付き人と共に立っていた。私もエリーにならって頭を下げる。

「本日はお招きいただき真に有りがたく存じます」

「どうかね、この庭園は」

「とてもお見事ですわ」

さっきと比べると比較的カジュアルな服装に服装に着替えた国王は、その口調もさっきよりカジュアルになっている。雰囲気も割りと柔らかだ。

「アレクサンダーやエリザベートから君の話は聞いたが...中々の知恵者だそうだな」

「過分なお言葉で御座いますわ」

エリーは分かるがアレクサンダー王子も?

「父上」

「ふむ...そうだったな」

エリーが国王を促した。何か伝えたいことがあるのだろう。

「白雪の魔女について...卿はどの程度知っている?」

「どの程度と言われましても...古代の帝国の女帝で彼女の復活を望むものがいる...その程度しか存じ上げませんが...」

私が旅の途中で知り得た事を国王に伝える。とはいっても先程の言葉に肉付けをする程度の情報でしか無いが...

「ふむ...そこまで分かっているのならば話は早いな」

国王は護衛から何やら布にくるまれた物を受け取って私に手渡した。

「...これは?」

「我が息子アレクサンダーが取り戻した白雪の魔女の遺体の一部だ」

一部とはいえ人間の体にしては軽いような気がするが、白雪の魔女はそもそも数千年前に亡くなっている。シャラの街の聖堂の地下にあったものと同じようにミイラ化しているのだろう。

「卿は旅をするためにこちらに渡ってきたと聞いたが合っているかね?」

「はい...」

なるほど、国王の言わんとしている事が分かってきた気がする。

「その旅の中で白雪の魔女についての情報を集めるように...ということでしょうか?」

国王は満足げに頷いた。

「卿らを追っていたノルディアの末裔については我々も予てより動向を追っていたのだ」

「ですが先の戦いの中で全て討ち果たしたと聞き及んでいますが?」

「いや、あれはあくまでノルディアの末裔の内の一氏族に過ぎん」

まだまだあんな連中がうようよしていると言うことか...嫌になってくる。

「陛下もお聞き及びの事とは思いますが、私に彼らと戦えるだけの力は御座いません。お役に立てるとはとても...」

今回は成り行きで彼らと事を構える渦中にいたが、しょっちゅう死にかけたり浚われたりしていた。これは謙遜や怠惰ではなく厳然たる事実だ。

「分かっておる。なにも卿に奴等を叩き潰すよう言っているのではない。ただ旅の中で卿が気づいたことを報告して欲しいのだ」

「その様な事で宜しいのですか?」

冒険をして王様に報告...古い時代の冒険家達がやってきた事ではあるが、しかしそれはパトロンである王様に次の冒険に出資して貰うためのセールストークだ。

対して今回の事は国家の安全保障や歴史認識の根幹に関わってくる事態についてである。目的に対して要請が軽いような気がするのだが...

懸念をそのまま伝えた私に国王は首を横に振った。

「卿の類い希な洞察力と知恵、そして人々の中に溶け込む人柄についてはエリザベートからよく聞いておる。それに専門の間諜で無い卿にこそ見えてくるものもあろう」

評価が高すぎるような気もしないでは無いが、しかしこの要請は私の旅の後ろ楯に王家が付くと言うことでもある。

「それに、卿は間者としても一流であるとの話も耳にしておるしな...のう、ボナンザ」

国王が脇に控える護衛に言う。雰囲気が似ているとは思ったが...

「はい、陛下」

「ボナンザさん...本名だったんですね」

「ええ、まさか出し抜かれるとは思ってもいませんでしたよ」

近衛卿の屋敷にいたボナンザさん...食堂のおばちゃんは仮の姿だったのか...

「ボナンザ隊長と知り合いだったのかい?」

「うーん...元仕事仲間...かな?」

エリーに答える。

恐らくボナンザさんは国王の命で近衛卿の屋敷に潜入していたのだろう。服装からして国王の側近たる側衛騎士...偽名も使わずに潜入すると言うのは恐らく近衛卿に対する抑止力としての意味合いもあったのだろう。見せる監視というやつだ。

「過分な評価では有りますが...」

しかし、現状として私とヴァニカの後ろ楯となってくれるのは王家だ。

「その任をお引き受け致します」

その王家...それどころかこの国に弓を引く相手を放って置くべきでは無いだろうし、与えられた任務自体にそこまで危険は無い。

バイクを仕事に...というのは経験済みだが、ツーリングが仕事になるんなら受けない道理は無いだろう。


待遇その他については追って書面で...ということになり、私とエリーは庭園を去った。

「なんだろう...今日はすっごい疲れた」

「ふふふ、今までの旅と比べれば静かなものじゃないか」

「いやいや、エリーはプリンセスだからそうかもしんないけど、私はただの庶民だよ?もう緊張したのなんのって...」

エリーと話ながら王宮を後にする。太陽が燦々と照りつける夏の真っ昼間だ。礼服の風通しが悪いもんだから汗が滲んでくる。

「お母さん!!!」

「ヴァニカ!」

私たちの事を待っていてくれたのだろう。ミシェルとヴァニカ、それにおっちゃんや側衛騎馬大隊の面々の姿があった。

皆が口々に述べるのは純粋な祝福の言葉…

それは王家の直臣に抜擢されたこと、そして何より私とヴァニカが正式に親子と認められた事への暖かな祝福だった。

「と、まあこの様な調子だ。貴公らには申し訳ないが、是非宜しく頼むよ?」

「…畏まりました…はぁ…」

今にも胃に穴が開いてしまいそうな様子の参事官とエリーのやり取りが耳に入る。

相手は王女様だ。その頼みを無碍にする訳にもいかないのだろう。気の毒にこそ思うが、いっちょ頑張って貰わねば!

「まぁまぁ、これで王家とフェアラインヒルに外交チャンネルが増えたと思って!ね?」

「そんなお気楽な…」

「あ、この子がヴァニカ…私の娘です」

参事官にヴァニカを紹介する。

戸籍やなんやらで両国がこれから協議する事になる。その中で私達は彼等の世話になるのだ。だからヴァニカ、いきなり睨みつけるのはやめてあげて?

「ほら、ヴァニカ…この人悪い人じゃ無いよ?」

「…お母さん連れて行った人だよ?」

やっぱり意外と根に持つタイプなのだろうか?

さておき、これで差し当たっての問題は解決したと言って良いだろう。

この国、そして私達の前に横たわる問題はまだまだ多く、そして大きいとはいえ、少なくとも私達はこうして笑っていられるのだから…

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[気になる点] 貞操観念 [一言] 主要人物の心の変化や成長が丁寧に描かれていて、うまいなあと思いました。 宗教、精霊信仰、設定が細かく出来ていて、地に足がついたファンタジー小説でした。 終盤はもう読…
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